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僕が留学するまで

「跡継ぎとして相応しい存在になりなさい」


 幼い頃から幾度となく言われ続けてきた言葉だった。忙しいお父様に代わり、僕の教育係として呼ばれた大人たちの殆どが、まるで呪文のようにその言葉を繰り返した。その命と引き換えに僕をこの世に生んでくれたお母様のためにも、立派な跡継ぎになりなさいと。

 だから僕はお父様の跡を継ぐことに、そのために厳しい教育を受けることに、そして男の子として振る舞うことに、何の疑問も抱かないまま育ってきた。


「シイキは将来、何になりたいの?」

「ぼくはしょう来、お父様みたいな、立派なまどう士になりたいです」


 沢山の人を連れてやってきた、とても偉いお方だって知らされていたサクラ様の質問に、僕は元気良く答えた。その時の僕の本心だったし、そう言えばサクラ様も喜んでくれると教えてもらっていたから。


「そう……」


 だけどサクラ様は思ったよりも笑ってくれなくて、少しだけ僕の後ろの方に目を向けた。僕はどうしてサクラ様が喜んでくれないのか分からなくて不安になった。

 するとサクラ様は、顔いっぱいで笑って見せた。僕が同じ表情をしたら、品がないと叱られるような眩しい笑顔だった。


「シイキ、一緒に遊びましょう?」

「え、で、でも……」


 挨拶だけで終わるはずじゃ。振り返ろうとした僕の顔を、サクラ様が両手で押さえる。


「いいのよ。それと私のことは、チトセさんって呼んでくれるかしら」

「あ、う、その……」

「ね? いいでしょ?」

「……うん、チトセ、さん……」

「ふふ、ありがとう、シイキ」


 周りの大人たちがあれこれと騒いでいる中、サクラ様、いや、チトセさんは優しい目で、真っすぐ僕だけを見てくれていた。

 そんなこと今まで殆どなかったから、僕は戸惑った。同時に、チトセさんにすごく興味を持った。普通の大人たちとは違う、明るくて優しいチトセさんに、小さな、けれど確かな憧れを抱いた。

 チトセさんと遊べたのは、ほんの少しの時間だったけど、生まれてから一番楽しかった。


「そんな甘えたことを言っていては、到底跡継ぎになんてなれませんよ」


 その日を境に、僕は大人たちに逆らうようになった。少し言い返す程度だったけど、僕にとっては立派な反逆だった。

 周りを気にせず、自由で楽しそうなチトセさんは、とてもすごい魔法使いでもあるみたいだった。それを知ってからは益々憧れが強くなった。僕もいつかチトセさんのようになりたい。その思いは日に日に大きくなっていった。

 そんなある日、僕に魔法を教えてくれる先生としてやってきた、ストレイトさんに出会った。


「ストレイト先生は、お父様のことをご存知なのですか?」

「ああ。君のお父さんは僕の恩人でね。これまで随分と助けられたんだ。だから君に魔法を教えてほしいと頼まれた時も、すぐに了承したよ」

「そうだったんですか……!」


 お父様に会えるのは年に一度あるかないか。それでも僕のことを気にかけてくれていることが分かって、とても嬉しかった。

 ストレイトさんはとても話の分かる人で、若くて年が近いということもあり、すぐに打ち解けた。そして僕は、学校の存在を知ることになった。

 僕と同じ年の子が集まって、一緒に学んだり、遊んだりする場所。そんな話を聞いた僕は、すぐにでも学校に行きたくなった。

 当然、周りの大人たちは猛反対した。けれどそこでもストレイトさんが、一般人の暮らしも体験すべきと説得してくれて、僕は晴れて近くの魔法学校に通えることになった。

 ただし、僕が女であることは秘密にするよう条件をつけられた。僕としては今更女の子らしくしろと言われたほうが困ったし、そのことを特に気にすることはなかった。

 待ちに待った学生生活は、最初こそ不安もあったけど、何人かのクラスメイトと仲良くなって、楽しさだけが残った。砕けた口調だったり、自由な振る舞いだったり、賑やかな環境だったり。そこで経験する全てが新鮮で刺激的だった。

 中でも、魔法の授業はとても楽しみだった。僕の魔力量は学校でも一番で、授業ではいつもヒーローになれた。シイキ君は将来すごい魔導士になるね、と褒められ、きっとなれるんだと漠然と思った。

 けれど、僕が学校に通い始めて一年が経とうとした頃、事件が起こった。


「こいつ、竜人族じゃないんじゃね?」


 休み時間、クラスの中でもやんちゃな男の子が、唐突にそんなことを言い出した。


「僕が?」

「だってそうだろ? 六年にもなってまだ鱗も生えてない奴なんて、お前だけじゃん」

「そういやそうだな」


 ちらほらと男の子に賛同するような声が上がって、僕は焦った。確かに他の皆にはもう首の辺りまで鱗が生えてきていたけれど、僕にはまだそこまで生えていなかった。

 自分が仲間外れになるんじゃないか。そう恐れた僕は、感情的になって言い返した。


「そんなことないよ! 僕だって胸に――」


 そこまで言って、まずいと思った。でももう遅かった。


「なら見せてみろよ」

「そ、それは……」

「ほら、見せろって!」


 ぐい、と襟を掴まれ、下に引っ張られる。そして、男の子のにやにやとした表情が、驚きに固まった。


「ちょっと、やめなさいよ!」


 その直後、間に仲の良い女の子が割って入った。クラスで一番仲の良い友達だった。その子に叱られた男の子は軽口を言って逃げる。それがいつもの流れだった。

 だけどその男の子は女の子に目もくれず、僕を見て禁断の言葉を口にした。


「お前、女だったのか?」


 動揺が教室中に広がった。いつものことだと思っていたのか、特にこちらに注意を向けてなかったクラスメイトも含め、一斉に視線が集まった。


「何言ってんだ?」

「シイキが女?」

「あ、でも水泳の授業の時さ、シイキっていつも休んでなかったっけ?」


 教室の中をざわつきが満たした。僕は何も言い返せず、俯くことしかできなかった。


「何言ってるのよ。そんなことあるわけないじゃない。ね? シイキ」

「………………」

「シイキ?」


 女の子の問いにも、僕は何も返せなかった。それが何よりの答えだった。


「……ウソ」


 信じられない。女の子の低い声が、その心を表していた。


「どうして黙ってたの? 私たち、友達だったじゃない。ずっと私たちのこと、騙してたの?」

「う、あぁ……」

「ねえ、シイキ!」

「うわぁああああああ!」


 瞬間、目の前が真っ白になって、気がついたら布団の中で横になっていた。木目のある高い天井を見て、ここが自分の家であることをぼんやりと悟った。


「やはりこうなりましたか」

「私は良かったと思いますよ。あの生意気なストレイトを追い払う口実もできましたし」


 外から聞き覚えのある大人の声が聞こえた。僕の教育係をしていた人たちの声だった。


「何より、人間族の血が混じったシイキ様を跡継ぎに据えるという暴挙も、これで防ぐことができたではありませんか」

「それは元から不可能でございましょうよ。いくらあの御方の御息女とは言え、男児でない者が跡継ぎになど」

「………………」


 言葉を良く理解できなかった。ストレイトさんを追い払う? 人間族の血が混じったシイキ様? 男児でない者が跡継ぎになど?

 耳から入った言葉が頭の中で膨らんで、他のことが考えられなくなった。


「しかし強硬派は本気で、誤魔化しで押し通すつもりでしたからねぇ。彼等の悔しがる顔が目に浮かびますよ」

「ふむ、まあどうあれ、目障りなストレイトと強硬派が共倒れしたのは僥倖ですな」


 前の言葉の意味を飲み込めない内に、新しい情報がどんどんと増えた。混乱の最中、一つだけ理解できたことがあった。

 僕のせいで、ストレイトさんが追い払われる。


「後の問題は新しい跡継ぎの候補ですが、こちらはまだ時間がかかりそうですね」

「不作が続いてますからなぁ。御当主も、早く死んだ人間族の女のことなぞ忘れて、新たに御子息を儲ければよろしいのに」

「私が、何だって?」

「っ!」


 お腹の底に響くような声だった。一瞬、その言葉を発したのがお父様だと分からないくらい、恐ろしい響きだった。


「あ、貴方様は!?」

「どうしてここに……!? 此度の事件の収束は――」

「出て行け。二度と私の前に姿を見せるな」

「あ……」

「う、うう……」

「聞こえぬか?」

「お、お許しを!」

「ひぃい!」


 騒々しい足音が遠ざかっていった。家ではまず聞くことのない音だった。いつも静かな所作をするよう言ってたくせに。そんな、ひどく場違いな考えが頭に浮かんだ。

 やがて、静かになった世界で、障子が開く音が微かに聞こえた。


「シイキ、起きていたのか」

「……うん」


 ゆっくりと上半身を起こして、静かに腰を下ろしたお父様の方を向いた。僕とお父様で二人きりになったのは、この時が初めてだった。暗くてよく見えなかったけれど、お父様の表情には疲れが滲んでいるように見えた。


「……ごめん、なさい……」


 言葉にして、ようやく感情が追いついた。目から溢れ出たそれが、布団に染みを作る。

 けど、返ってきたのは意外な答えだった。


「シイキが謝ることはない。寧ろ謝るのはこちらの方だ」

「……どうして、ですか?」

「元より、性別を偽り続けるなど無理な話だ。此度の件は、そんな難題を押しつけた我々大人たちに責がある」

「……っ!」


 淡々としたお父様のその言葉は、自分が叱られるよりも聞いていて苦しかった。悪いのは僕なのに。


「ですが、そもそも僕が学校に行きたいなどと言い出さなければ、このようなことには――」

「子供が学校に行くなど、今では当たり前のことだ。当然の権利を主張したことに引け目を感じることはない」

「でも」


 言葉が歪んだ。


「……ですが、僕はお父様の子供です。いつか跡を継ぐ僕は、普通とは違うんです」


 跡継ぎとして相応しい存在になりなさい。

 その言葉と共にあった日常は、クラスメイト達から聞いたそれとはまるで違っていた。皆が共感するような話題についていけなかった僕は、自分が特別なんだと再認識した。

 特別な僕は、わがままなんて言っちゃいけなかったんだ。


「何故跡を継ぐ者は、学校に行ってはいけないのだ?」

「そ、それは、学校で許されている言動や振る舞いが、跡継ぎとして相応しくない、から……?」


 その言葉は、僕が学校に通うことに反対した人たちから出た意見の一つだった。それを聞いたお父様は、首を横に振った。


「方便だ。そんなものは後からいくらでも矯正ができる」

「では、どうして……?」

「私の跡を継ぎたくない。シイキにそう言い出させないためだ。この屋敷の外に興味を向けられることを恐れたのだろう」


 単調なお父様の言葉は続く。


「加えて、シイキの素性を隠していたかったということもある。どうであれ、大人たちの都合でしかない。そんなもののせいで、シイキは当たり前の機会を奪われたのだ」


 それを聞いて、先程の話を思い出した。


「……僕は、跡継ぎになれないのですか?」

「それは分からない。今回の件を受けて、大人たちが考えを改める可能性もあるからな。だがその前に一つ、訊かせてくれ」


 お父様の目が、鋭さを増した。


「シイキは、私の跡を継ぐことを望んでいるのか?」

「は、はい……」

「何故だ?」

「それは、その、お父様の子供だから……」

「その理由は、シイキの意志とは無関係だ」

「あ……」


 お父様の言葉に、何も言い返せなかった。


「間接的には影響しているのだろうがな。しかしその理由だけでは、そこにシイキという一人の存在を感じられない。……改めて問う。シイキは何を望んでいる?」

「………………」


 僕は視線を落として、記憶の中を辿った。


「……大きな竜がいたんです」


 目を閉じて、ぽつりと語り出した。


「とても大きな竜で、とても怖くて、ここで死んじゃうんだって思いました。でも、たった一人で、その竜を倒した人が居たんです」

「………………」

「その人はとても強くて、それに、とても立派で、沢山の人のために、毎日お仕事をしていました。僕もいつかは、そんな立派な魔導士になりたい。そう思いました」

「……そう、か」

「でも」


 目を開いて、視線を合わせた。お父様は、少し驚いたような顔をしていた。


「ある日、とても偉い人に会いました。その人は、だけど、他の大人たちとは違って、すごく自由でした。お日様みたいに明るくて、一緒に過ごして、とても楽しい気分になりました。それで、その……」


 声の前に出た躊躇いを、唾と一緒に飲み込んだ。


「僕も、強いだけじゃなくて、自由で明るい魔導士になりたい。そう、望むようになりました。それが、今の僕の、願いです」

「……そうか」


 僕の答えを聞いたお父様は、ふ、と小さく笑ったような気がした。


「……だけど、僕は、沢山の人に迷惑を――」

「それ以上は言うな」


 おもむろに立ち上がったお父様に、言葉の続きを遮られた。


「シイキ、よくぞ自分の意志を示したな。後は任せなさい」

「お父様、何を?」


 僕の問いには答えず、お父様は去っていった。

 後日、僕のグリマール魔法学院への留学が決まった。何でも、お父様の知り合いがいるみたいで、僕の事情も分かってくれているんだそうだ。

 条件は一定以上の成績を収めることと、月に一度近況を報告することだけだった。素性はなるべく隠すよう言われたけど、親しくなった相手には明かしてもいいという許可もついた。


『家のことは気にせず、自由にやりなさい』


 お父様からの手紙を読んで、喜びに震えた。お父様から与えられた最大のチャンスを、絶対にものにするんだと意気込んだ。

 だけど……だけど世の中には、僕よりすごい魔法使いなんていくらでもいた。

 そして僕は、僕よりもすごい仲間を巻き込む事件を起こした……。

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