防御魔法
「やっぱり……」
その結果は、ユートの魔法を知っていた私には半ば予想できたものだった。分かっていた結果であるにもかかわらず、私は現実から目を背けてしまいそうになる。
魔法石による薄膜は、外部からの魔法や衝撃を防ぐ。そしてユートは自らの体を使って攻撃する。その場合、魔法石の薄膜同士がお互いを外部の衝撃と見なしぶつかり合うことになる。ユートの攻撃による衝撃は、相手のみならず、ユートにまで及ぶのだ。
これが格闘技であれば、ユートの攻撃は有効打になる。当てれば一方的に相手を負傷させられるからだ。しかし薄膜をまとってしまえば、どこに当てても痛み分けにしかならない。常に拳同士をぶつけ合っているようなものだ。相手に与えた分だけ、自分も傷つくことになる。
唯一、学院から支給された靴には薄膜は及ばない。歩いたり走ったりする際の衝撃まで防ぐことになるからだ。そうでなければ、ユートはキース先生に辿り着く前に魔法が解けていただろう。
ならばそれで攻撃すればいいかと言うと、それも違う。何故なら、相手の魔法に対する意図的な靴の使用は禁止されている。靴を使えば、薄膜で受けずとも相手の攻撃を防ぐことができるためだ。相手の魔法というのには勿論、薄膜も含まれているため、攻撃に使用することもできない。
生徒の安全確保に不可欠な薄膜と、ユートの戦い方の相性の悪さ、これこそがユートが入学できない最大の理由だ。
「………………」
もしこの試験が魔物との戦いで評価するものだったら、ユートも足だけなら使えるし、もしかしたら――
いや、と頭を振る。学院の生徒は、魔法使い同士で手合わせする機会だって多い。自爆のようなユートの戦い方じゃ、結局他の生徒についていけない。だったら最初から、現実を突きつけた方が彼にとってもいいはずだ。
何にしろ、ユートの強みが活かせない時点で、試験の結果は決まったようなものだ。キース先生に攻撃を当てたことには驚いたけれど、それ以外に目立った結果を残せない以上、合格は絶望的だろう。
「合格は、絶望的……」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。けれど、腰はまるで席と一体化してしまったかのように重く、持ち上がらなかった。
我ながら呆れてしまう。私はまだ、ユートの合格を、どこかで望んでいた。
「……頑張って」
そんな自分の気持ちを誤魔化すように、せめて今あるだけの実力を出し切って見せなさいなんて気持ちを込めて、ユートを見た。
「不適だろうが何だろうが、俺は気に入った。だから合格ってことでいいだろ」
「駄目に決まっているでしょう。たった一つの試験の、それも自分の薄膜も打ち消しての結果で合格させるなんてことできませんよ」
薄膜の仕組みを一通り説明された後、キース先生からはべた褒めされ、試験官からは酷評されている状況に、俺はただ流れを見ていることしかできなかった。
「堅苦しいなあ。ジェンヌ、お前はどう思う?」
キース先生は背後に漂う光の玉に声をかける。あれは離れた場所に声を届かせる魔法だろうか。じいさんもたまに使っていたものだ。
『魔力放出量が大したことないんじゃあ、結果は知れてるなんて言っていたのは君だろぉ?』
どこか間延びした女性の声が届く。もう一人の審査員だろうか。俺はキース先生が下りてきた場所の近くに視線を向ける。制服ではない、茶色い服を身に着けたそれらしき人影が見えた。
「ああその通りだ。だがな、こいつの魔術式を見て考えが変わった。さすがのお前でも、その距離じゃどんなもんだったかは見えなかっただろ?」
『珍しい魔法だとは思ったよぉ。けれどあんなに動きが速くなるもんなのかぁ? さっき見た魔術式の大きさじゃあそこまで変わらないと思ったのにぃ』
「そう。俺もそう思った。こいつ程度の大きさの魔術式なら、どんな魔法が来てもどうにでもなるってな。けれど結果は見ての通りだ」
『最初のうちは意図的に魔術式を小さく見せていた、ってぇ?』
「いいや、こいつは魔術式を楕円形にして見せたんだ。それもあの早さでな」
「……確かに、そこは評価すべき点ですね」
試験官も頷く。魔術式はすぐに消えたのに、少し離れていた場所からでもちゃんと見えていたみたいだ。
『楕円形ぃ? そんなことできるのかぁ?」
「できたんだよ、こいつは。それもまぐれじゃない。明確な意図を持って使いこなしやがった。こんな奴、うちの生徒にだっていやしねえ」
「当然です。楕円形の魔術式なんて非効率的ですし、何より危なすぎます」
バッサリと言う試験官とキース先生の視線が激突する。
「注目するのはそこじゃねえだろ。こいつは魔術式の大きさが小さいにも関わらず、楕円形にすることでその大きさ以上の効果を出したんだ。非効率的だとか危険がどうこうとかは、こうして使いこなせている以上、大きな問題にはならない」
「どうでしょうか? 命の危険に晒された時、動揺して魔法を扱えないという事態は起こりえます。ただでさえ難度の高い楕円形魔術式を、そんな状態でも形成できるかどうかは怪しいかと」
「そんなこと言ったら、うちの生徒の何割がそんな状況でも魔法が使えるっていうんだよ?」
「彼の場合、よりそういった状況に陥りやすいのが問題なのです。近接戦闘というだけでも危ないのに、少しの緊張でも失敗しうる楕円形魔術式を用いるだなんて、危険すぎます」
二人の口論は終わりの気配が見えない。そこに待ったをかけたのはジェンヌと呼ばれていたもう一人の審査員だった。
『こらぁ、今は試験を終わらせるのが先だろぉ? 議論は後にしろぉ』
「……そうだな」
「そうですね」
ジェンヌさんの言葉に、二人は頷いた。キース先生は俺に背を向けると歩き出し、試験官は再び俺の魔法石に魔力を注ぐ。
「失礼しました。こちらとしても予想外の魔法だったものでして」
「いえ、まあ……」
短いやり取りをしている間に、改めて薄膜魔法が発現する。
「本来であれば、この魔法が解けた段階で実技試験は終了でしたが、今回だけは特例です。二度目はないので、そのつもりで」
「はい」
よかった、一応まだ試験は続けられるらしい。けれど俺の戦い方がここでは通用しないなんて、完全に想定外だ。実戦形式の試験はかなり自信があったのに、そこの評価がいまいちじゃ、俺が合格する可能性はかなり低くなる。
どうにかこれからの試験で挽回しないといけないのだが、正直自信はない。何しろ、自分の体を使っての攻撃はできないのだ。どれだけ遠くの的に攻撃できるか、といった内容の試験は勿論、どれだけ強い攻撃をできるのか、などの試験であっても大した結果は残せない。
とそこで、ふと思い至る。
待てよ、薄膜が消えたら試験終了ってことは、もしかして――
「次の試験は先ほどとは逆に、キース先生からの魔法による攻撃を防ぐものとなります。その場から動くなどの回避行動をとった場合、失格となるため気を付けるように。準備ができたら声をかけて下さい」
やっぱり、そうか。
俺は静かに深呼吸をすると、試験官に告げる、
「いつでも大丈夫です」
それは俺の、一番の得意分野だった。
これで終わり。そう思っていた。
気づいたら、あんなに重かった腰が嘘のように、立ち尽くしていた。
「嘘……」
半ば呆然とした私は、目の前の光景に、そう呟くことしかできなかった。
防御魔法。その名の通り、相手の攻撃などを防御するための魔法だ。一般的には光の壁を展開するもので、より大きいもの、より強いもの、より長く維持できるものが良しとされる。
ユートの防御魔法は、けれど、私の知るそれとは大きくかけ離れていた。
「……どうして、そんなことができるの?」
キース先生が手のひら大の光弾を放つ。普通、その時点で防御魔法を発現させておかなければならない。最低でも、魔術式は形成できていなければまず間に合わない。しかしユートはその時になって、ようやく片手を前に出した。それまで魔術式を形成しようとすらしていなかった。
決して遅くはない光弾が距離を半分ほど詰めたところで、ユートの魔術式が形成される。その大きさは、遠目からじゃ分からないほど小さく、キース先生の魔術式と大きさを比べるまでもなかった。
そして光弾が当たる直前に魔法が発現する。壁どころか、盾と呼ぶにも頼りない、キース先生の放った光弾と同程度の大きさの防御魔法だったが、確かにそれを防いで見せた。その時にはもう、ユートの魔術式はかき消されており、ユートは自然体に戻っている。
そう。ユートは、攻撃が当たる直前にのみ、魔法を発現させていたのだ。
「ははっ! なら今度はこの速さで複数だ!」
キース先生の楽しそうな声が微かに届く。次の瞬間には、キース先生は両手の魔術式から立て続けに光弾を発現させた。
そしてユートは先程と同様に、すんでのところで魔法を発現させていた。両方の手の先に形成した魔術式自体は保持しつつも、光弾一つ一つに対して魔法を発現させて対応する姿は、まるで踊っているようにも見えた。
光弾を全て防ぎ終えると、ユートはまた魔術式をかき消し、元の体勢に戻る。
私は小さく首を振った。
「信じられない……」
ユートの行動は、これ以上なく合理的だった。
理論的には、防御魔法は攻撃のための魔法よりも少ない魔力で発現できる。何故なら相手に当てる必要がある魔法と違い、動かす必要がないためだ。その分の魔力を規模なり強度なりに還元できるため、小さな魔術式でも攻撃を防ぎきることができる。
だが実際にはそうはならない。戦闘中に相手の魔法がいつどこに当たるのか把握するのは困難なためだ。相手の攻撃を確実に防ぐためには強さだけでなく、守りたいところ全てを防ぐことができる大きさと、それを維持する時間の長さも求められる。そのため、攻撃する側より多くの魔力を消費してしまうことだって珍しくない。
しかしユートは防御魔法の理論を、理想を体現した。
守りたい時間、守りたい場所にさえあれば、防御はできる!
「おら、どんどん行くぜ!」
キース先生の攻撃が激しさを増す。直線的なものばかりでなく、左右から曲がってくるものや上から落ちてくるものなど、様々な軌道の光弾がユートを襲った。それでもユートは変わらず、その場を動かないままそれらを防ぎ続けた。
キース先生の攻撃を、光弾の動きを完全に見切っている。
「……すごい」
傍から見れば、一か八かの博打のような魔法の使い方として映るだろう。楕円形魔術式もそうだが、あんなにすぐに消えてしまうんじゃ、発現するタイミングを少しでも誤れば直撃してしまう。大きさだって、ほぼ正確に攻撃の当たる場所に発現させなければすり抜けてしまいそうなほど小さい。見ているこっちがひやひやしそうな魔法だ。
けれど、私の口から洩れたのは、素直な賞賛の言葉だった。
楕円形にする技術力。
相手の攻撃を見切る動体視力。
速く正確に腕を動かす運動能力。
何より、それらを総動員して行う防御を継続する集中力。
その全てに、圧倒されてしまう。魔術式が小さいからなんだと、その舞から訴えられているようだった。思わず、手を強く握りこんでいた。
「これならどうだ?」
キース先生は今ある魔術式をかき消すと、更に大きな魔術式を形成する。今までも何度か魔術式を形成し直していたが、両手を使って形成するのは初めてだ。
出来上がった魔術式は、私が発現させられる最大の魔法、『アイス・ピラー』を発現できるほどの大きさだった。いくら楕円形にしたところで、ユートの小ささでは防御しきれないだろう。
冷静に分析する頭の傍らで、けれどもしかしたら、なんて考えがちらついた。いやまさか、ありえない。けどユートだったら、どうにかできるかもしれない。そんな思考を巡らせているうちに、キース先生の魔法が放たれる。
速さはないが、巨大な光弾がユートに迫った。それに対しユートは――
「……さすがに無理か」
ユートは魔術式を形成したものの、防ぎきれないと判断したのか背後に跳んで回避した。光弾の進行方向に避けるのはどうかと思ったけど、あそこまで迫られたら左右よりも背後のほうがよけやすいのだろう。一旦距離をとってから左右どちらかに避けようとしたみたいだが、キース先生はユートの行動を見越していたのか、光弾はゆっくりと、私から見て手前の方へ逸れていった。やがて光弾の陰からユートの姿が現れる。その体にはいまだ薄膜が残っているものの、防御ではなく回避をしたため失格だ。
「いやあ、ここまでして見せるとはな!」
薄膜の消えたユートの肩を、キース先生が何度か叩く。どうやら気に入られたみたいだ。
試験はこれで終わりのようで、何度かやりとりをしてから、ユートが試験官に連れられ競技場を出ていく。それを見届けてから、私もその場を後にした。
「……ユートだったら、もしかして」
ちょっと前の考えは、今や十分可能性があるものに変わっていた。思わずゆるんだ頬を戻しながら、私は早足で出口を通り過ぎた。