依頼を振り返って
「……ん……」
心地よい振動を感じながら目を開けると、腕を組んで目を閉じたシルファさんが正面に見えました。
「おはよう、フルル」
シルファさんの隣に座るユートさんが小声で言います。どうやら帰りの馬車の中で眠ってしまったみたいです。何だか恥ずかしくなって目を逸らした先で、シイキさんが壁に寄りかかって寝息を立てていました。皆さんも疲れが溜まっているみたいです。
「お、おはようございます。……ユートさんは、寝ないんですか?」
「ああ。何かあったら起こすから、もう少し寝ててもいいぞ?」
「そ、そんな……。ユートさんこそ、寝てください。昨日、あれだけ頑張ったんですから」
「はは、ありがとう。けど平気だ。ちゃんと昨日、日付けが変わる前には眠れたからな」
そう言って笑うユートさんの表情からは、まるで疲れが見えませんでした。私はそれ以上、何も言えなくなります。
「……一時はどうなるかと思ったけど、皆無事で、本当に良かったな」
ユートさんの視線が、眠っている二人に向けられました。私は小さく俯きます。
「そうですね……。……もし、誰かが大怪我でもしていたら、私……」
「そこまでだ。ボルドさんたちも許してくれただろ? それに魔法は、使う本人の気持ちが何より大事なんだ。フルルが自分の傷ついた心を抑え込んでも、いい結果にはならなかったかもしれない。だから俺は、フルルの行動は間違ってなかったと思う。実力を出そうとするのも大切だけど、確実にできることをするのも同じくらい大切だしな」
「……ありがとうございます」
あの後、私が翼を隠していたことを、最初にアイさんを助けに行った皆さんに謝りました。シルファさんも一緒に謝ってくれて、口下手な私を支えてくれました。
ボルドさんたちは、けれど、誰も怒りませんでした。寧ろ、魔導士でもないのに良く頑張ったとか、これで一歩進めたねと、私を誉めてくれました。こんなに優しい人たちと一緒に依頼ができて、本当に良かったと思いました。
「……ユートさん」
「ん? なんだ?」
「私、頑張ります。皆さんが受け入れてくれたこの翼を使って、きっと皆さんの力になってみせます!」
リズさん、ゲイルさん、ボルドさん、ヌヌさん、そして、アイさん。
私が自分から翼を見せて、それでも私を認めてくれた人たちの顔を思い浮かべながら、私は強く言いました。
「ああ。これからも一緒に頑張ろうな」
そう言って、私の翼を綺麗だと言ってくれたユートさんが、握り拳を伸ばしました。私はそれに、自分の拳を当てます。自然と笑みが浮かびました。
「んん……」
その時、馬車が揺れて、シルファさんがユートさんの肩へともたれかかりました。
少し声が大きすぎたでしょうか? 私は両手で口を押さえます。
「色々あったけど、俺たちならきっといいチームになれるはずだ。改めてよろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
私は頭を下げました。
まだまだ短い付き合いですけれど、ユートさんのことも、シルファさんのことも、なんとなく分かったような気がします。私もユートさんたちとなら、きっと……!
「ん、埃か」
不意に、ユートさんがシルファさんの頭に手を伸ばしました。
「……あ……」
ユートさんがシルファさんに触れたのと同時に、シルファさんが薄く目を開けました。やっぱり、少し騒がしくしてしまったようです。
「あ、おはよう、シルファ」
「………………」
シルファさんはゆっくりと目を動かします。寝起きなので、今の状態を確認しているのでしょう。その目が段々と大きくなります。
すると突然、シルファさんがユートさんから離れました。その顔は、どこか赤くなっています。
「シルファ?」
「どうかしたんですか?」
「……よくも、人が寝ているのをいいことに……!」
シルファさんがユートさんに向けて突き出した手の先から、魔力の光が漏れました。
「えええ!? シルファさん!?」
「ちょ、待て! 馬車の中だぞ!」
「凍てつけ、『フリーズ・ロック』!」
慌てて外に出たユートさんに向かって、シルファさんの魔法が放たれました。私は何が何だか分からず、見ていることしかできません。
やっぱり、まだ二人のことはよく分かってなかったみたいです。
『お願い。私はどうなってもいいから、リズと夫は……!』
帰路を歩きながら、ふと病床に伏せた母の言葉を思い出した。
今でも、母の懺悔の言葉は耳に残っている。眠っている時も、許してくれとうわ言を口にする母の姿は、当時成人していた私でも怖かった。
父は国内外から医師を招いたが、誰も母の病は治せなかった。その頃にはもう、母は簡単な受け答えさえまともにできないくらいだったので、どうしようもなかったのだと思う。ただその原因が、大きな心の病に罹っていることだということははっきりした。それは既に分かりきっていたことだった。
これ以上妻の苦しむ姿を見たくない。父は医師にそう言って、特殊な魔法で母を深い眠りにつかせた。きっと今も、病院で眠る母のためにお金を払っているに違いない。
「許して、か……」
母の病の原因は、強すぎる自責の念だった。少なくとも私の知る限り、母を責めていた人物はいなかった。母は自らの心が生み出した幻に謝り続けていたのだ。
もうこの世にはいない妹、私の叔母の幻に。
私は最初、それが誰だか分らなかった。まだ比較的症状が軽かった頃、母の口から知らない人の名前が出たのをきっかけに、父にそれが誰かを尋ねたことで、初めて叔母の存在を知ったのだった。父も母から聞いた限りではあったそうだが、なんでも母方の祖父の家から勘当されたのだという。それ以上のことは、父も知らないとのことだった。
それが母の快復に繋がると信じた私は、その人のことを調べようと思った。そしてある日、母の部屋の鍵のかかったタンスから、沢山の日記を見つけた。私は悪いと思いつつ、その日記を開いた。
そこには、母を苦しめるものの正体が記されてあった。
『〇ねん〇がつ〇にち。ベルはきょうもべっどのうえでいちにちをすごしてた。わたしがあそぼうといってもあそばないっていった。つまらなそうだった』
『〇年〇月〇日。お父さまが、ベルはながくないだろうと言っていたのをきいた。わたしはとてもかなしくなった。かわいそうなベル。わたしがしあわせにしてあげないと』
『〇年〇月〇日。最近ベルが元気になった。よく笑うようになったし、ベッドの上で過ごす時間も目に見えて減った。高等部になったことで、体も少しは強くなったのだろうか? なんにしても嬉しい。父もとても喜んでいた』
『〇年〇月〇日。質の悪い冗談だと思った。けれど悪夢のような事実だった。ベルは剛翼族の男と付き合っていた。誰かに恋をしているとは思っていたけれど、どうしてあんな汚らわしい種族と……? きっと騙されるんだ。そうに違いない』
『〇年〇月〇日。ついに父にばれた。激怒した父が相手の家に怒鳴り込んで、そこで初めて相手の両親もそのことを知ったらしい。どうやら相手の男も自分の意志でベルと付き合ってたようだ。裏に大きな犯罪組織が関わっているということでもなさそうなので、少し安心した。これならすぐ、ベルも正気に戻るはず』
『〇年〇月〇日。信じられない。勘当されるより、あの汚らわしい種族と離れることの方が嫌だと言うの? 私たち家族より、その男を選ぶと言うの? どうして謝るの? ベル、なんで……?』
『〇年〇月〇日。久しぶりに戻った実家のごみ箱に、未開封の手紙があった。差出人はベルだった。父が見ずに捨てたんだろう。私はつい、家に持ち帰ってしまった。中身は明日、心の準備ができたら開くことにする』
『〇年〇月〇日。信じない。剛翼族との男の間に子供を作って、それでも幸せだなんて、信じられない。その男に脅されて書かされているに決まっている。どうにかして助け出さないと』
『〇年〇月〇日。大規模な隊商が、炎を操る強力な魔物に襲われたそうで、父の商売に影響が出ている。父はすぐにでもギルドに魔物の討伐依頼を出すそうだ。これは使えそうだ。ベルを騙した男はソロパーティーの魔導士だそうだから、ベルを通じて秘密裏に依頼をしてみよう。魔物を倒せるならそれでいいし、失敗すれば、それを理由にベルから引き離すんだ』
『〇年〇月〇日。まさか死ぬとは思わなかった。父の依頼を受けたギルドの報告によると、魔物は既に倒されていたそうで、激しい戦いの痕が残っていたという。砕けた結晶の傍にあった灰の中から、指輪と魔導証が見つかったことから、その男が命と引き換えに倒したのだろうという結論となった』
『〇年〇月〇日。父の依頼の報酬金の半分はその魔導士の遺族、ベルに支払われることとなり、私の報酬金も合わせて、ベルはかなりの富を持つに至った。けれど、参列者がほとんどいない葬式の中、ベルは指輪を抱いたまま泣いていた。お金なんかいらないからあの人に会いたいという悲痛な声が耳に残った』
『〇年〇月〇日。父にベルを家に戻すよう提案したが、二度とその名前を口にするなと怒られた。ベルも手紙で、もう戻るつもりはないとはっきり知らせてきた。父はともかく、ベルはどうして戻ろうとしないのだろう。ベルも多少お金に余裕ができたとはいえ、やはり心配だ』
『〇年〇月〇日。どうしてこうなってしまったんだろう。確かに葬式での顔色はとてもひどかった。けれどまさか、ベルが死ぬなんて。私は何を間違えてしまったんだろう。ベルを幸せにしたかっただけなのに、なんで……」
『〇年〇月〇日。信じたくなかった。でももう自分を騙しきれない。ベルは本当に、あの男といることが幸せだったんだ。それが生きる活力に繋がっていたんだ。それを私が奪ってしまった。私が……』
『〇年〇月〇日。もう何日も同じ夢を見ている。ベルのあの言葉が耳から離れない。きっとベルは私を恨んでいるだろう。だからこれは、私に対する罰なんだ』
『〇年〇月〇日。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――』
「……ごめんなさい」
そう口にして、目を開ける。そこはもう母の部屋ではなくて、長く続く道の途中だった。私はいつの間にか止まっていた足を前に動かす。
客観的に考えて、母の行為は大きな問題ではなかったと思う。ただ魔導士に依頼を出しただけなのだから。けれど母はそうは思わなかった。自分の中の悪意が大切な妹を殺してしまったと信じてしまった。そして自ら、一生かかっても償いきれない罪を背負ってしまった。
それを知ってしまった私も、また――。
「フルル……」
私を治療するため、フルルがあの翼を晒した時、確信してしまった。フルルこそ、私の叔母の子供だ。
一瞬、話そうかと思った。私はフルルのいとこだと。フルルの両親が死んだ間接的な原因を、私の母が作ったと。
けれど私は思いとどまった。今更それを話して何だと言うのか。あの閉鎖的な社会から離れて、良い仲間に恵まれて、ようやく立ち上がろうとしている彼女の決意に冷や水を浴びせるようなものじゃないか。
それはただの自己満足だ。母を苦しめる罪を知ってしまった私が、それをフルルに話すことで楽をしようとしているだけだ。
だから私は黙っていた。これを背負うのは、私だけでいい。
「……また、会えたらいいわね」
呟いて、私は空を見上げた。青い空に、ふとフルルの笑顔が浮かんだ気がして、小さく口元を、口元だけを綻ばせる。
少しは償えたかな、お母さん。
「調子はどうだ? 竜神様」
村の広場で休んでいる竜に声をかける。その頭には、砕けた魔法石の一部がまだ残っていた。竜は薄く目を開ける。
「げいる、ダッタカ。特ニ問題ハナイ。村人タチモ良クシテクレテイルシナ」
「……そうか」
そう言う竜の体には、傷らしき傷も見えない。回復魔法をかけてもらわなかったのは、本当に必要なかったからだったらしい。
あれだけ攻撃を受けてほぼ無傷とはな……。俺は改めて竜の規格外さを思い知る。俺と同じく、協会の奴らがやってくるまで残ることになったゴラが、あれだけ俺たちを止めようとしたのも納得できるってものだ。
「なあ、それだけの実力があるのに、どうして大人しくしてるんだ?」
回りくどいことが嫌いな俺は、率直に気になることを聞いた。竜は目を僅かに大きくする。
正気を取り戻した竜は、驚くくらい素直にこちらの要求を呑んでいた。こちらに敵意がないことは示しているが、竜にしてみれば、それならそれで元の巣穴に戻ればいいだけだ。
作戦を立てていたときは、角を破壊して魔法を解いても、俺たちが黒幕の仲間と見なされて、そのまま戦闘が続く可能性だって考えていた。それがまさか、ここまで従順になるなんて考えもしなかった。
一体何がこの竜をそうさせるのか、俺には分からなかった。
「ヌシラニハ借リガアル。ソレニ我モ、我ヲ操ッタ敵ノコトガ知リタイノデナ。ソノタメノ協力ナラ惜シムツモリハナイ」
「……なんつーか、意外だな。いくら竜の頭がいいっつっても、本質は魔物と変わんねぇんじゃねぇかって思っていたが」
村の守り神云々も、竜の気まぐれがそう見られていただけで、人間に敵意を抱けばすぐさま危険な討伐対象になるものと思っていた。だが話を聞く限り、どうやらこいつは本当に村の人間の味方として振る舞っているみてぇだ。
「クク、我モアルイハ、ソウナッテイタカモシレンガナ」
「どういうことだ?」
「言葉ドオリノ意味ダ。ヌシガ生マレナガラニシテ今ノ人格ヲ持ッテイタワケデハナイヨウニ、我モ初メカラコノヨウナ考エ方ヲシテイタワケデハナイ」
「そりゃそうだが……。なら、何が竜神様をそうさせたんだ?」
そう聞くと、心なしか竜の表情が和らいだような気がした。
「アル男ニ教エラレタノダ。人間ヲ傷ツケルナ、無駄ナ争イハ止メロ、トナ。初メハ納得シカネタガ、ソノ男ヲ通ジテ人間ト関ワッテイクウチニ、人間モ悪クナイト思イ始メタノヨ」
「その男ってのは、竜神様より強かったのか?」
「当時ハ我モマダ若カッタガ、手モ足モ出ナカッタナ」
ブル、と体が震えた。この竜を一人で倒せるような奴がいたなんて……!
それは是非とも、手合わせしてみたい。
「なあ、そいつの名前、教えてくれねぇか?」
「構ワンガ、随分ト前ノ話ダ。モウ生キテハイナイゾ」
「そうか……。ならいい」
残念だが仕方ない。まあ今回の依頼では、初めて竜と戦えたし、珍しい魔法も見ることができた。収穫としては十分過ぎる。これ以上がなくても別に良かった。
しっかし、ユートの魔法は滅茶苦茶だったな。俺は思い出して笑みを浮かべる。まさか魔法を使ってあんな戦い方ができるなんて、夢にも思わなかった。
流石にあそこまで目指すつもりはねぇが、俺ももう少し、正確な操作を練習してみるかな。
「……ところで、竜神様を負かした相手、本当に思い出せないのか?」
「……アア。マダソノ時ノ記憶ガ曖昧デナ。時間ガ経テバ思イ出セルヤモシレヌガ……」
竜の話によると、敵は全身を銀色の甲冑に包んだ人間だったという。ヌヌに襲い掛かった奴と同一人物だろう。しかしそいつ一人にやられたわけでなく、そいつに気を取られている間に、別の相手に攻撃を受けたのだという。それに気づいてその相手とも戦ったが、甲冑野郎に足止めされている間に意識を失ったらしい。
だが、操られていた時でさえ厄介だったこの竜が意識を失うなんて、集団に幻惑魔法でもかけられたのだろうか?
「ウッ、ググ……!」
「ん、どうした!?」
考え込んでいると、突然竜が頭を押さえ呻きだした。まさか、また操られるなんてことはないだろうな……!?
「……ソウダ、我二魔法ヲカケタノハ、一人ダッタ……」
一人!? まさか、たった一人の魔法が、この竜を気絶させたっていうのか?
「……それで、どんな奴だったんだ?」
「顔ハ良ク見エナカッタ。ダガ……」
竜は自らも確信を得たかのように頷いた。
「間違イナク、女ダッタ」




