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背中を押されて

 ユートさんの足音が遠ざかっていくのを、私は穴の中で聞いていることしかできませんでした。伸ばしかけた手が、ゆっくりと下がります。

 何かが変わると思っていました。

 竜に連れ去られたアイさんを救う。その手助けをすることで、他の皆さんのような魔法使いに近づけると思っていました。怖くても、苦しくても、前に進めるような、そんな人になれるかもしれないと思っていました。

 けれど、何も変わりませんでした。今この瞬間にも、皆さんが危ない目に遭っているというのに、私は……。

「……フルル」

「リズさん! あまり喋らないでください。傷に障ります」

「このくらい、平気。……情けない姿を見せちゃったね」

「そんなことないです! それを言うなら、私の方こそ……」

「フルルはフルルにできることをちゃんとやった。自分を責めることなんてない」

「………………」

 違うんです、リズさん。私は、私は……!

「……ん、誰か、いるの?」

 その時、アイさんの声が聞こえました。

「アイさん、目を覚ましたんですか!?」

「その声は、フルルちゃん? もしかして、フルルちゃんも捕まってしまったの? わたくしを助けるために……」

「違います。あ、いえ、助けに来たのはそうなんですけれど……」

 私はこれまでの経緯をアイさんに伝えました。話の最中、時々外から大きな音が聞こえてきます。

「……そう。では今、外でユートさんたちが竜と戦っているのですね」

「はい……。ただ、倒すためというよりも、逃げるための戦いだと思います……」

 私は自分の声が沈んでいることを自覚します。

「フルル、さっきも言ったけど、フルルは精一杯やった。あとは皆を信じて待とう」

「……でも、私は……」

「フルルちゃん」

 言い淀む私に、アイさんがどこか真剣な声音で話しかけました。

「フルルちゃんは今、自分に何ができると思いますか?」

「……自分に、何が……?」

「はい。できそうなものでも構いません。いくつか挙げてみてください」

「は、はい……」

 私は少し戸惑いながらも、頭の中で自分にできそうなことを考えます。

「アイちゃん、それは?」

「自分が何をするべきか、行動に迷った時、頭の中を整理する方法です。自分にできることを見つめ直して、その中から一番後悔しない行動を選ぶんです。そして選んだら、迷わずそのことだけを考えるんです。例え選択肢が一つだけでも、それしかできないと分かれば、少しは落ち着けますから」

 アイさんは心配するような声で続けました。

「フルルちゃんが、このまま待つことが正しいことかどうか迷っているようでしたので、それを解決するお手伝いができればと思ったのですが……。フルルちゃん、どうですか?」

「……いくつか、考えてみました。でも……」

 私は重い口をどうにか動かします。

「できるかもしれないことは、あるんです。けれど、本当にできるかどうかが分からないんです。もし失敗したら、それでもっと悪い状況になったら、そう思うと、何もしないほうがいいんじゃないかなって……。でも、だからってこのまま待っているだけでいるのは、嫌なんです。……私は、どうしたらいいんですか?」

「フルル……」

 自分でも自分が分からなくなって、混乱する自分がとても惨めに思えてきました。けれどそんな私に、アイさんは優しく声をかけてくれます。

「フルルちゃん、そう思うことは、何も悪いことじゃないわ。誰だって多かれ少なかれ、迷うことはあるのですから。わたくしだって、竜の生贄になろうと、すぐに決心できたわけじゃないのよ? 寧ろ、とても迷いましたわ」

「え……?」

 意外な言葉に、思わず聞き返してしまいました。

「本当よ。姿を晒した瞬間に焼かれるかもしれない。生贄になっても、竜は村を壊すかもしれない。連れ去られてから丸呑みにされるかもしれない。そんな悪い想像ばかりしてしまって、足が竦んでしまったもの」

「な、なら、どうして生贄になんてなったんですか?」

「フルルちゃんもさっき言ったでしょう? わたくしも、あのまま隠れていることができなかったの。わたくしが行動すれば、村の人たちや、魔導士の方々が助かる。そう思って、名乗り出たの」

「け、けど、上手くいかないかもしれないって、とても怖い思いをするかもしれないって、分かってたんですよね? それなのに、どうして……?」

「それが、一番後悔しない選択だったからです」

「後悔……」

「はい。隠れているうちに他の誰かが犠牲になったら、きっと私は後悔していたと思うの。どうしてもっと早く行動しなかったのかって。それは自分が竜に殺められることよりも、我慢できなかった」

 アイさんは、自分が死ぬかもしれないことよりも、誰かが死ぬかもしれないことの方が、怖かったということでしょうか。それを聞いた私は、自分にも当てはめて考えてみます。

 もし、ユートさんたちが、死んだら……。

「……っ!」

 暗闇の中で、私は体を震わせました。

「フルルちゃん、わたくしはフルルちゃんがどんな選択をしても、フルルちゃんを責めないわ。だからどうか、自分の気持ちに正直になってほしいの」

「アイさん……」

 私は強く目を閉じました。

 やっぱり、アイさんはすごいです。魔法を使えなくても、私なんかよりも、ずっとずっとすごいです。

 私は、アイさんみたいにはなれません。

「リズさん」

 けれど、あの時の自分には、なれるかもしれません。私は決意を固めて、目を開きます。

「なに? フルル」

「もし、違和感があったら、すぐに教えてください」

 私は暗闇の中で、上着を脱ぎました。


「切り刻め、『ブレイド・ルーツ』!」

「グッ! ……クク、マダイタカ」

 シイキの魔法が竜の動きを牽制し、シルファへの追撃を防ぐ。しかしこれでシイキの存在もばれてしまった。同じ方法はもう使えない。まだボルドさんもシルファも脱出できていないのに、手札だけがどんどん減っていく。

 燃え上がる木の数は増え、空を飛ぶ竜に見られないよう移動するのは難しくなった。俺は少しでも竜の注意を引きつけようとするも、竜はとっくにその意図を理解していて、俺ではなく地上に目を光らせている。そのせいで空を飛べない三人は、いつ燃えおちるか分からない木の陰に隠れているしかない。

 せめてゲイルさんが居れば、こちらにも注意を向けられるかもしれない。けれど上空で大規模魔法の準備をしていたはずのゲイルさんは、いつの間にか姿を消してしまっていた。多分、リズさんが離脱したのを見て身を隠したんだろう。

「食らえ!」

 竜の顔に横から近づいた俺は、その目に向けて光弾を放つ。攻撃ではなく、目眩ましが目的の行動だった。

 しかし竜はそれを予想していたかのように、頭を上げて光弾を避けると、大きく羽ばたいて高度を上げた。

「貴様ニ用ハナイ。今ハナ」

「……っ!」

 竜の笑みが 一瞬見え、すぐさま闇に消えていく。俺より先に、飛ぶことのできない三人を捕らえる気なのは間違いない。

 俺は竜を見失わないよう、一定の距離を保って竜を追いながら、考えを巡らせた。

 どうする? 一人だけなら連れて逃げられる自信はある。けれどそうしてしまうと、俺ともう一人が離れるまで、残った二人で竜の相手をしなくちゃならなくなる。その結果は明白だ。かといってこのままでも長くはもたない。遠からず誰かが捕まるだろう。

「くそっ」

 悩む時間もなく、竜が降下を始める。その勢いを利用した速さで飛びながら、木々を根本から燃やして、隠れている皆をあぶり出すつもりだ。俺は少しでも竜を妨害するために後を追う。

「見つけたぞ!」

 竜が口を開けた先にいたのは、大きな魔術式を構えたシルファだった。

「シルファ!」

「突き進め、『アイス・ピラー』!」

 シルファの魔法と、竜の炎が衝突する。氷塊と火炎は、一瞬だけ拮抗した。

「はぁあああっ!」

 シルファが叫び、氷塊がその勢いを強める。炎を押し返し、竜に向かって進んでいった。

「フッ」

 だが竜は小さく上昇し、シルファの魔法を避けた。

「あっ……」

 シルファの顔が絶望に歪む。

「させるかっ!」

 シルファへと伸ばされた腕に蹴りを見舞う。足にかなりの衝撃が走るも、それは竜にも伝わったようで、竜の腕が止まる。その隙に俺はシルファを抱え、急いでその場を離れた。

「シルファ、無事か!?」

「え、ええ。平気よ。……ありがとう」

 炎に照らされたシルファの顔は少し赤かったけれど、特に外傷はないようだ。

「良かった。このまま離脱しよう」

「え、でも……」

「……大丈夫だ」

 それは自分に言い聞かせる言葉でもあった。

 竜はまだ他の二人を見つけていない。そして今、シルファを捕まえるために低く飛んでいた時は、上から見渡していたときよりも竜の視界が狭まったはずだ。その間に二人が遠くに移動してくれていれば……。

「逃ガサン!」

「なっ!?」

 竜はボルドさんたちを追い詰めると思いきや、逃げる俺たちを追ってきた。滑空する竜の目は、真っ直ぐに俺たちを見ている。

 よし! 俺は内心でほくそ笑みながら逃走を続ける。シルファを抱えているから追いつけると思ったのだろうか? 何にしろ、俺たちを追っている間に、二人は逃げられるはずだ。

 速度は竜が僅かに勝るけど、こちらの方が小回りがきく。左右への移動を織り交ぜれば、俺たちも十分逃げきれる!

「ムッ?」

「えっ?」

 そう思った矢先、何かに気づいたような竜の声に振り返ると、さっきまで俺たちに向けられていた目が逸らされていた。目だけを動かしてそちらを見る。

 燃え盛る木の陰に、シイキが隠れていた。

「あっ!」

「クク、ココニイタカ!」

「しまった! シイキ!」

「凍てつけ、『フリーズ・ロック』!」

 翼を広げて体ごとシイキの方に向く竜の横顔に、抱き抱えたシルファの魔法が当たる。片側の目蓋が凍りつくも、竜の動きは止まらない。

「わぁっ!」

 シイキは横に跳んで、竜の手をどうにかかわす。けれどシイキの体勢が整わないうちに、もう片方の手が伸ばされた。

「やめろ!」

 その腕を蹴り、手の軌道を逸らす。シイキを捕まえられなかった竜は、体の勢いそのままに俺たちを通りすぎ――

「フン!」

 竜は足を地面に着けると、体を回転させ、長い尾で薙ぎ払ってきた。

 避けられない!

「シルファ、ごめん!」

「きゃっ!」

「シイキ、掴まれ!」

「うわっ!」

 シルファを片手で肩に担ぎ、空いた腕をシイキの胴に回した。

「ぐ、ぅあっ!」

 そして竜の尾を両足の裏で受ける。膝を曲げて衝撃を和らげるも、振り切られた尾によって体が飛ばされた。

 咄嗟に体を回し、二人が下にならないよう横向きになる。地面を擦りながらも、どうにかその形を保った。

「ユート!」

「ユート君!」

「平気だ。それよりも早く!」

「捕ラエタゾ!」

 まだ立ち上がれていない俺たちに向かって竜が飛んでくる。

 くそ、どうにか二人だけでも……!

 ボボォン!

「ヌゥッ!?」

 その時、竜の片翼に光弾が当たった。不意に体勢を崩した竜は翼を羽ばたかせ落下を防ぐ。その間に俺は立ち上がり、二人を連れて竜から距離を取った。

 今の攻撃は、地上から放たれたものじゃなかった。まさか、ゲイルさんが?

 しかし空を飛んで近づいてきたのは、思いがけない人だった。

「ユート」

「り、リズさん!?」

「怪我は大丈夫なんですか!?」

 シルファの問いに、リズさんが頷く。服は裂かれたままだけど、痛みに耐えているような様子には見えない。一体何があったんだ?

「うん。それよりも、こっち!」

「え? けれどそっちは……」

 リズさんが向かう先は、山の入り口がある方だ。未だに燃える木の光がその辺りを照らしている。

「大丈夫」

「……分かりました」

 けれどリズさんが言うなら、何か策があるんだろう。俺は二人を抱えて、明るい方へと急いだ。

「山ノ中ニ逃ゲル気カ? 無駄ナコトヲ」

 空から竜の声が聞こえる。振り向くと、竜は既に落下を始めていた。

 竜との距離がどんどん縮まる。やっぱり二人を連れたままじゃ振り切れないか……!

「頑張って。もう少し」

 リズさんは迎撃しようとせず、真っ直ぐ空を飛んでいる。俺はその言葉を信じて、愚直に走った。

「ユート君、炎が来る!」

 シイキの言葉に振り返ると、竜が口を大きく開けていた。行く手が阻まれるか、足を焼かれるか、どちらにしろこれ以上逃げられなくなる。シルファは魔術式を形成しているけれど、担がれた状態だったこともあってか、炎を防ぐには心許ない大きさだ。

 竜の喉奥から光が見えた。

「今だ!」

 ボルドさんの声に続いて、光弾が竜に向かって放たれた。

「ナッ!?」

 驚いたのは竜だけじゃなかった。左右から飛び出した光弾の多さに、俺は言葉を失う。

「オノレ、邪魔ヲスルナ!」

 多数の光弾を受けながらも、竜は炎を吐き、辺りを焼き払おうとする。しかし竜の前方に二つの大きな防御魔法が発現し、炎はそれに阻まれた。

「ふむ、この程度ですか」

「弱いって話は本当みたいだな」

 炎を防ぐその二人の姿を見て、一瞬目を疑った。

「エイク、それにマイクも!?」

 なんで二人がいるんだ? 逃げ出したんじゃなかったのか?

「おや、まだ生きているようですね。大口を叩くだけはあるということですか」

「そこそこ頑張ったらしいな。ま、あとは任せな」

 竜の炎が途切れると、再び無数の光弾が飛び交う。俺は少し離れたところで走るのを止め、その光景を眺めた。

「これは、まさか……」

「ユート、下ろして」

「あ、ああ」

「ユートさん!」

 シイキとシルファを地面に下ろすと、背後から上着を脱いだフルルが近づいてきた。

「フルル、どうしてここに!?」

「わ、私にもまだ、できることがあると思って、それで……」

「フルル、説明して頂戴。何があったの?」

「はい。私たちと一緒に依頼を受けた魔導士の皆さんが、助けに来てくれたんです!」

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