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ユートの魔法

 ブオオッ!

 突進してくる死が、不意に傾いた。

「え……?」

 目元を拭い、何が起きたのかを確認する。いきなり横に倒れた巨体は、その勢いのまま地面を滑っていく。そして魔物が倒れ始めた場所には、

「ユート……?」

 いつの間にか、ユートが立っていた。彼がこちらを向き、視線が合う。

「今のうちに馬車から出るんだ!」

「え、ええ」

 ユートの言葉に従って外に出る。見ると、魔物も丁度立ち上がろうとしていた。その視界の隅で、ユートが魔物へと駆け出す。

「えっ?」

 魔物に近づくユートの人間離れした足の速さに、思わず声が出てしまう。けれど、驚かされるのはそれだけじゃなかった。

「寝てろ!」

 ユートが魔物の体の側面に拳を打ち込むと、魔物は再び地面に倒れた。私は思わず息をのむ。

 いくら立ち上がる途中だとしても、圧倒的な体重差がある相手を力業で倒すなんて。一体どうやって――

「あなたは今のうちに、馬で逃げる準備を!」

「は、はいぃいい!」

 御者の男性の声が聞こえる。彼も無事だったことに安堵しつつ、私は気を引き締めなおす。今はユートがどうやって魔物を倒しているのかを考えることより、この状況をどうにかすることが先決だ。

「ユート、どうする気?」

「シルファも馬に乗せてもらって逃げろ。俺は時間を稼いで、しばらくしたら後を追う」

「ふざけないで。私も一緒に戦うわ」

 グリマール魔法学院の生徒である私が一方的に助けられるだなんて、そんなことは認められない。私は改めて魔術式の形成を始める。

「時間を稼ぐって言ったわね? なら三十秒、魔術式が完成するまでなんとか持ちこたえて!」

「分かった!」

 ユートが近づかないよう暴れながら起き上がった魔物は、その眼に怒りを燃やしユートを捉える。

 ブオオオオ!

 咆哮とともに、その巨体が急加速する。圧倒的な質量が、鋭い二本の牙が、ユートに迫った。

「ふっ」

 しかしユートは魔物の鼻先を踏んで高く跳ぶと、突進してきた魔物の背に乗った。魔物が振り落とそうと暴れるも、ユートは表情を変えぬまま乗りこなしている。

 魔物が前足を高く上げ、大きく振り下ろした。これにユートは背中を離れ、空中に投げ出されたままの状態で魔物の額に踵を打ち込む。魔物がひるんでいる間に両手足を使っての着地を終えると、振り返りざま握りこんだ土を魔物の顔にめがけて投げつけた。土が目に入ったらしい魔物は苦しそうな声を上げる。

 その後も魔物を翻弄するユートに、私は内心舌を巻いた。魔物の攻撃はどれも致命傷を負いかねない激しいものだというのに、ユートは魔物から離れないままその全てを避けきっていた。少しでも気を抜けば命を落とすような状況にあって、ユートの表情はどこか涼しげだった。

 ……負けられない。私だって……!

「できたわ、離れて!」

 私の両手の先には、さっきよりも一回り大きい魔術式が完成していた。まさかこんなところで、自分の最大記録を更新するなんて思わなかった。

「了解!」

 私と魔物を挟む位置にいるユートは、魔物の後ろ脚に蹴りを入れると大きく離れた。魔物は倒れるとまではいかないものの、その場で崩れかけた体を持ちなおそうと留まる。そしてその視線はユートに向けられ、後方にいる私は見えていない。

 どこまでもいい仕事をしてくれる。私は満足に動けない魔物に向かって、魔法を放った。

「突き進め! 『アイス・ピラー』!」

 魔術式から、円柱状の巨大な氷塊が、破城槌のごとく魔物へと迫った。

 ドゴォッ!

 ブオオオオオ!

 魔法が魔物に当たった音が響く。氷塊の動きが一瞬止まった。

「いっけぇえええ!」

 ありったけの魔力を魔術式に注ぐ。勢いを取り戻した氷塊が、魔物の巨体を押し込んだ。

 バキバキバキバキ!

 木々をなぎ倒しながら進む魔法は、自分でも驚くほどの力強さで進んでいく。やがて魔法が消えると、林に穴が開いていた。魔力の残滓が煌めく中、魔物の体の上に倒木に折り重なっているのが見える。

「た、倒した、の?」

「……みたいだな」

 ユートがそう言うのと同時、魔物の体が淡い光に包まれる。ゆっくりと空気に溶けるように消える魔物だったが、その体の一部、太く鋭い牙があったところに、何かが残った。

「あれは……」

「とってくる」

 ユートはそう言うと、魔物が倒れていた場所まで駆けていく。支えのなくなった倒木で隠れてしまったが、ユートは倒木の隙間に手を伸ばし、宝石のように光り輝く物体を二つ、回収して戻ってきた。それは上腕ほどの長さがある牙のような形をしている。

「やっぱりそれ、結晶化したもの?」

「そうみたいだな。かなり大きな相手だったし」

 魔物は息絶えると、その体を構成する魔力が空気に溶けて消えていく。しかし多くの魔力を蓄えた魔物は、その体の一部に魔力が集中することがある。するとその部分だけ消えずに残ることがあるのだが、それを結晶化と呼ぶ。小さなものを手に入れたことは何度かあったけれど、こんな大きいものは初めてだった。

 今更ながら、あんな大きな魔物を倒せたことに、強い達成感がこみあげてくる。頬が自然と緩んだ。

「……す、すごい……! やりましたね!」

 御者の男性が馬から降りてきて、私たちに大きく頭を下げる。

「本当にありがとうございました! まさか二度も救われるなんて……。この恩は忘れません!」

 何度も頭を下げる御者の男性に、私は手を振った。

「いえ、気にしないでください。自分の身を守るためでしたので」

「それでも、私の危機を救っていただいたことに変わりはありません。それに、この道の通行の安全にも繋がることですから。是非お礼をさせてください!」

「いえ、依頼以外で報酬を頂くことは、学院の規則で禁じられておりますので」

 きっぱりと断ると、御者の男性は小さく視線を落とした。ビャクヤさんの件は依頼の一環ということで納得したけれど、これ以上依頼中に何かを受け取るのは避けたかった。

「そ、そうですか……。ではせめて、より早く快適な旅を! ……あ、でも……」

 御者の目が倒れた馬車に移る。そうだった。これをどうにかしないと町まで歩くことになる。車輪が壊れたりはしていないようだけど、横転した馬車を立たすには三人じゃ難しいだろう。

「俺がやりますよ」

「えっ?」

 しかしユートは事も無げにそういうと、倒れた馬車の屋根の方へと回った。その姿が隠れて少しもしない間に、馬車が起き上がる。

「よっとっ」

 ズズゥン

「ええええ!?」

 御者が目を丸くする。私もなんとなく予想していたとは言え、やはり驚かされた。

 ユートはたった一人の腕力で馬車の上部を持ち上げると、その下に体を入れて、全身を使って馬車を立たせたのだ。

「ふう。これで走れますかね」

「……は、はい! すぐに準備します! 馬車に乗って待っててください!」

 軽く車輪などを観察したユートの言葉に、呆けていた御者は慌てて馬を繋げにいった。

 そうだった。私はユートに聞きたいことがあったのを思い出す。ユートを追って馬車に入ると、その背中に切り出した。

「ユート。あなた、一体何をしたの?」

「何をって?」

 ユートが振り向く。とぼけているようには見えなかった。

「さっきの戦いで、あの魔物を倒していたわよね。いくら何でも、人一人の力じゃできないはずよ。どんな手段を使ったの?」

「ああ。どんな手段も何も、シルファだって使ってるだろ?」

「……私はあんな力業、使った覚えはないんだけど」

「そうじゃなくて。魔法だよ」

「魔法?」

 彼がいつ魔法を使ったというのだろう。そもそも馬車で見せてくれた大きさ程度の魔法で、あの巨体を倒すことなんてできっこないのに。

「ああ。俺が使ったのは、一時的に身体能力を上げる魔法なんだ」

「肉体強化の、付与魔法……!?」

 そういった魔法は確かに存在する。けれどそれは本来、魔法が使えない兵隊などに対し、個々の身体能力を向上させる目的で使用されるものだ。しかしながら、普段と違う体制感覚のせいで混乱したり、力加減を間違えて思わぬ結果を引き起こしたりと、過度な強化は逆効果になる。そのため多人数に対しわずかながらの効果を付与させるに留めるのが一般的だ。

 まさかそれを、自分にかけて戦闘に利用するなんて。緊急時の逃走に使ったという例は聞いたことがあったけど、ユートのような使い方をしたという例は聞いたことがない。どころか、聞いたとしても信じないだろう。魔法使いが素手で戦うこと自体、本来ありえないことだというのに。

「ま、待って。それでも納得できないわ。いくら元々の力がすごくったって、あなたが見せてくれた魔術式の大きさじゃ、大した強化はできないはずよ。あの魔物を倒すには至らないわ」

「ああ。普通の魔術式ならそうだな」

「……なんですって?」

 普通じゃない魔術式なんて存在するの?

「さっきは円形の魔術式を見せたけど、戦闘では楕円形にしてるんだ。ほら、こんな風に」

「魔術式を、楕円形にって……!」

 上に向けた手の先に形成された楕円形の魔術式を見て、思わず息をのんだ。ユートは事も無げに言ってのけるけど、私からしたらとても信じられない。

 確かに楕円形にすれば、魔法が維持される時間の長さを削り、魔法の効果量を大きくすることも可能だろう。しかしただでさえ繊細な魔術式は、魔力が偏らないためにも円形のものが基本となる。下手に形を歪めようものなら、魔力が魔術式の形を留めずに霧散するだけだ。仮に魔法を発現できても、思った通りの効果を発揮できるとは思えない。

 それに、よしんば精緻な魔力操作で期待する魔法を発現できたとしても、形を歪めた魔術式によるものは効率が悪い。維持される時間を半分にすれば効果が二倍になるといった単純なものじゃない。しわ寄せを受ける部分は極端に悪くなる。維持される時間を二十分の一にしてようやく二倍の効果が出せるかどうかといったところだろう。

 見世物でもない限り、そんな危険で非効率的な魔法を使おうとする者はいないだろう。魔法の失敗が死に直結するような場合であれば尚更だ。

「か、仮に、そうだとして、その魔法をいつ、使ったっていうの?」

「そりゃ、走る前とか、殴る前とかだよ。魔法はすぐ切れちゃうからさ」

 こうやって、とユートは一度魔術式をかき消すと、再び魔術式を形成した。

 瞬く間に出来上がる楕円形の魔術式。そして魔法が発現すると、右腕を淡い光が包み込む。魔術式は保持されないまま消え、右腕を包む光も数秒で消失した。

「………………」

 今度こそ、絶句した。今の魔術式の形成は、小さいとはいえ普通の魔術式を作ったにしても早すぎる。しかもユートのそれは楕円形だ。

 そもそも魔術式を形成するというのは難しい作業で、片手間でするようなものじゃない。安定した魔法の発現のためにも、その元となる魔術式を形成するときには基本的に動かないでいることが当たり前なのに。

 それをユートは、この早さで、この精度で、失敗したら死ぬかもしれない状況で、さらには動きながらやってのけたというのか。

 神業ともいえるユートの魔力操作技術に、愕然とした。

 そんなこと、話したって誰も信じない。私だってこの目で見ていなければ、噂に尾ひれがついただけだと一笑に付していたはずだ。

 魔法の発現に気付けなかったのも納得した。ユート自身の体や魔物に隠れていたとは言え、始まりから終わりまでが異常に短い魔法は心理的にも認識できるはずがなかった。

「お待たせしました! 馬車が動きますよ」

 御者の声と振動で我に返る。ユートは驚く私を不思議そうに見ていた。

「どうしたんだ? そんな驚いたような顔をして」

「……驚くわよ。一朝一夕で身につくような技術じゃないわ」

「それはシルファの魔法だって同じだろ? それにそっちの方が魔術式も大きいし」

「それは……」

 そう言われてハッとする。

 そうだ。これだけの技術をもってしても、そもそもの魔術式が小さければユートができることはたかが知れてる。さっきの魔物を一人じゃ倒せなかったのが何よりの証拠だ。自分の肉体を強化したところで、力自慢に毛が生えた程度に留まってしまう。

 ユートがこの境地に至るまでにした努力を想像し、私は自分のことでもないのに、報われない気持ちを抱いた。魔術式の大きさは規模に直結する。その冷酷な現実を目の当たりにした気分だった。

「けれど驚かれたってことは、俺の魔法も捨てたもんじゃないってことだな」

 明るく笑うユートの表情に、自嘲の影はまるで見当たらなかった。それを見た私も釣られて頬が緩む。それは随分と久しぶりの感覚だった。

「そうよ。少なくとも、あなたのおかげで私は命を救われたわ。……ありがとう」

 ぼそぼそとしたお礼の言葉を、どうにか口にする。

「こちらこそ。あの魔物は俺一人じゃ倒せなかったしな。被害が大きくなる前に倒してくれて助かった」

「……そう」

 返ってきたユートの言葉は、驚くくらい真っすぐだった。嫌味だとか、自慢しようだとか、そういう裏を一切感じさせない彼の態度に、私は少し視線を逸らした。

 ……ユートだったら、もしかして……。

 一瞬よぎった考えは、すぐに無理だと気づいた。いくら何でも、それはありえない。考えれば考えるほど、現実的でないことが明らかになる。

 期待するだけ無駄なことね。そう結論付けた私は静かに、長く息を吐いた。頭から熱を逃がすイメージを思い浮かべながら、長く、長く。

「シルファ?」

「気にしないで。単なる深呼吸よ」

 そう答えたときにはもう、私はいつもの私に戻っていた。

「ふうん?」

 ユートは何か言いたげにこちらを見るけれど、特に追求はしてこなかった。

 そう、それでいいのよ。

 そう思いながら、私は小さな胸の痛みを押し殺した。

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