赤ずきん
初投稿です。よろしくお願いします。
気がつくと森にいた。広葉樹と針葉樹からなる雑木林のようだ。足元の落ち葉はしっとりとして柔らかい。
直前までの記憶が曖昧だ。確か、俺は高熱で寝込んでいたはずだ。会社に電話して休もうとしたが、上司から這ってでも来いと言われて、なんとか車に乗り込んだような気がする。
俺は改めて周囲を見渡した。薄暗い森の中に、うっすらと陽の光が差し込んでいる。
絵に描いたように穏やかで幻想的な風景。
――俺は、死んだのか。
こんなにきれいで落ち着く場所に来られるなら、死んでよかったかもしれない。
あてもなく歩き回ってみる。これほど安らかな気分になったのはいつ以来だろうか。
歩くこと5分ほど。彩り豊かな花畑に差し掛かったところで、
人の話す声が聞こえてきた。
「わたしはこれからおばあちゃんの家へお菓子と葡萄酒を届けに行くのよ」
少女のような声だ。
続いて若い男のような声が聞こえてくる。
「それはお利口さんだ。お嬢ちゃん、おばあちゃんの家はどこにあるんだい?」
しかし、少女と話していたのは男ではなかった。
毛むくじゃらの体に、大きな口、鋭い爪と牙。こいつはおそらく狼だ。おそらくと言ったのは、現実にいる狼とは違い、狼らしさをデフォルメしたような、大げさな狼に見えたからだ。それはまるで、童話の挿絵のようだった。
俺は驚きはしたものの、声を上げるようなことはなかった。死後の世界だ。そういうこともあるだろう。生前の俺だったら間違いなく「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!」と奇声を上げていたことだろうが。
「おばあちゃんの家は、このまままっすぐ2キロ行ったところよ。庭に胡桃の木があるからすぐわかるわ」
狼と話している少女に目を向ける。こちらは正真正銘人間のようだ。赤いずきんを被っている。その手にはお菓子とワインの入ったバスケットを持っている。
なぜだろう。俺はこの状況を知っている気がする。そして、この先何が起こるのかわかる気がする。きっと狼は、先回りして少女の祖母が住む家に行くはずだ。
「そうか、そう遠くないね。どうだいお嬢ちゃん。ここの花を摘んで持っていってあげたら、おばあちゃんはうんと喜ぶよ」
狼の提案に、少女はしばし考え込み、そして答えた。
「そうね、まだ朝のうちだもの。お花を摘んでいっても平気よね」
少女は花を摘み始め、狼はゆっくりと歩いていく。さきほど少女から聞いた家の方角だ。行き先を偽装する気もないらしい。
このままでは、少女の祖母が食われ、少女も食われてしまうだろう。俺は狼よりもさらに先回りして、少女の祖母の家に向かった。
狼の歩く速さは時速3km。俺の走る速さは時速10km。少女の歩く速さは時速2km。
少女は狼や俺よりも30分遅れてスタートしたとします。2キロ先のおばあちゃんの家に、俺が着いてから狼が着くまで、狼が着いてから少女が着くまでは、それぞれ何分でしょう。
算数の問題かっ!!!
(答え:俺到着から狼到着まで28分、狼到着から少女到着まで50分)
狼は完全に油断しきって、口笛を吹きながら歩いている。おそらく、俺のほうが先に少女の祖母宅に着けるはずだ。新入社員研修と称して、無理やりハーフマラソンを走らされた経験が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
走ること約12分。俺は小さな家の前に到着していた。庭に胡桃の気がある。少女の祖母宅と見て間違いないだろう。
問題はどうやって狼を退けるかだ。狼の強さはわからないが、戦って勝つのは無理がある気がする。罠を張るような時間もないだろう。そもそも、どういう罠を張ればいいのかもわからないし。
直球で行くか。
「ごめんくださーい!」
俺は戸をノックしながら声を上げた。すると、いかにも童話のおばあちゃんといった声が返ってきた。
「赤ずきんかい?」
違うっ!!!!!!!!
防犯意識が希薄すぎる。これでは狼に食われるはずだ。
「あ、いえ、違います。通りかかった者ですが、この家に狼が近づいてきているんです! だから、はやく逃げないと」
「まあ、大変!!!」
信じるのかよ!!!!!!!
いや、信じてくれたほうがありがたいのだが、この祖母にして、あの孫ありといったところか。
「そうなんです。おばあちゃん、今すぐ逃げましょう」
「ありがとうねぇ。でも、私、起き上がるのがつらくて、赤ずきんが持ってくるお菓子があれば元気になるのだけれど」
困ったな。なんとかならないだろうか。ちょいと失敬して玄関から部屋を覗いてみる。すると、棚にそれらしきブツの入ったバスケットがあるではないか。
おばあちゃん!! 在庫管理ガバかよ!!! 普通にあるよ!!!!
「すみません、緊急事態なんで、ちょっと失礼しますよ」
「はいはい」
この期に及んで暢気なおばあちゃんである。おばあちゃんにお菓子を食べさせると、なんと先程まで伏していたおばあちゃんが元気に立ち上がった。一体どうなってるんだ、この世界のお菓子は。
ツッコミどころだらけなのは100歩譲るとして、今はとにかく避難しなければ。
「おばあちゃん、逃げますよ!」
おばあちゃんを連れて玄関の戸を開けると、そこには、毛むくじゃらの生き物が仁王立ちで待ち構えていた。
――終わった。
毛むくじゃらの体、太い腕、つぶらな瞳、分厚い胸板。それは、紛れもないゴリラだった。
って、なんでゴリラなんだよ!!!!!!!!!!!
狼じゃないのかよ!!!!!
だが、助かったかもしれない。ゴリラといえば森の賢者とまで呼ばれる生き物だ。物語の中でも比較的温厚な動物として描かれることが多い。この童話のような世界では、話の通じる相手に違いない。
俺は意を決してゴリラに助けを求める。
「あの、助けてください!」
「ウホッウホウホッ」
ゴリラは喋れないのかよ!!!!!
心の中で盛大にツッコミを入れる俺に対して、ゴリラは手でオーケーのサインを作った。
話は通じてるのかよ!!!!!!!
いかん、ツッコミ癖がついている。何が何だかさっぱりわからないが、やはり助かったかもしれない。
俺はゴリラに状況を説明する。もうすぐここに狼がやってくる。逃げるか、さもなくば撃退したい。
するとゴリラは任せろと言わんばかりに自らの胸を叩いた。
めちゃくちゃ頼もしいのだが、同時にめちゃくちゃ不安でもある。本当にこのゴリラは味方で、話は通じているのだろうか。
俺の不安をよそに、ゴリラは流れるような動きで家の中に入ってくる。そして、棚からお菓子を取り出してひとかじり。はじけるようなスマイルを湛えたその表情は、
「迎え撃つぞ、総員配置に付け」
そう言っているように見えた。
俺がおばあちゃんの家に着いてから約28分後、来たるべくして狼は家にやって来た。
そして、予定調和のようにドアをノックする。
「おばあちゃん、赤ずきんよ。お菓子と葡萄酒を持ってお見舞いに……」
その瞬間、ゴリラの右ストレートが狼の顔面にヒットした。この世界を支配するストーリーは完全に崩された。ゆうに3メートルは吹っ飛び、失神する狼。それはまさに一瞬の出来事だった。
こうして物語は大団円を迎える。
狼が家に到着してから約50分後、赤ずきんと呼ばれる少女が家にやってくる。おばあちゃんが赤ずきんにことの次第を説明すると、赤ずきんは自分の命の恩人である俺とゴリラを是非家に招待したいと言う。おばあちゃんも賛成のようだ。
赤ずきん、おばあちゃん、俺、ゴリラの4人は楽しく語らいながら2キロ離れた赤ずきんの家へと向かうのだった。
「お兄さん、ゴリラさん、本当にありがとう! そういえば、お兄さんのお名前はなんて……」
その道中で、俺の意識は再び途切れた。
次話はヘンゼルとグレーテルを予定しています。