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仮面の下に住まう悪魔は這いずりながら静かに笑う  作者: 相馬惣一郎
第一章 それぞれの思惑
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04

 やっぱり香織に相談してよかった。

 直人の足は軽やかに教室へと向かう。味方を得て勇気づけられる思いだった。よき友人がいて本当によかったと直人は幸せな気分でいた。

 教室に入ると真っ先に彼女の席へ目を向けたが、まだ戻っていないようだった。しかたなく自分の席に着く。ドアのほうをぼんやり眺めながら彼女のことを考えた。確かに香織の言うようにいじめられた経験があるのかもしれない。それで必要以上に怖がっているのかもしれない。

 香織に言われてはじめて気がついた。

 そして今一度、そんな目で振り返るとそう思えなくもなかった。

 どう接したらいいのかが、わからないのかも。だから多少強引にでも仲間に引っ張り込んで自分たちが危害を加えないってことをわかってもらわないと。

 そう励まされて身が引き締まる思いだった。同時に自分がひどく情けない存在のようにも思えた。ちょっと約束をすっぽかされたくらいであんなにもイライラしていた自分を振り返るといかにも子どもじみている。

(それに比べて香織は……)

 いつの間にあれほど大人っぽい考え方をするようになったのだろうか。昼食でのことを思い起こして直人はすっかり感心してしまった。変わったのは髪型だけではなかったのか……。

 昼休み終了のベルが鳴り、直人は驚いて我に返った。

 心臓が妙に脈打っているのにもあわてた。後ろを振り返り、山口弥生がまだ戻っていないことを確認して少し落ち着いた。

 直人はもう一度考えはじめた。

 香織の考えには感銘を受けた。けれども、引っかかるところがなくはなかった。それはやはり公園でのことだった。香織にも話してはいない。自分ですらいまだにあれが本当に起こったことなのか、ただの目の錯覚なのか判断できずにいる。

 あのときのことを考えているとなんとなくもやもやしてくる。このもやもやしたものが晴れないかぎり彼女が打ち解けることはないようにも思える。

(どう話しかけるべきか)

 それを考えるとぬかるみに足をとられたようにまったく前に進める気がしなくなる。せっかく香織が方向を示してくれたのに先へ進むイメージがわかない。それがどうにももどかしい。

 彼女が教室へ姿を現したのは教師とほぼ同時だった。そのため声をかけるひまもなかった。内心でちょっとほっとしていた。教室に入る前は何でもできそうな気でいたのが嘘のようだ。寒空のなか薄汚い服を身にまとっただけの恰好で広大な野原に捨てられたような心細さ、せつなさを感じた。彼女の姿を目にして、それはいっそう増してくるようだった。

 気分を変えるため、直人は授業に集中することにした。

 早口にまくしたてる教師の言葉を教科書と照らし合わせながら必要な個所を記録する。しだいに教師は遠のき、教科書との対話となる。読み進んではせっせと記録し、また読み進んでは記録する。それがいつの間にか教科書さえ遠のき、彼女との対話になっていた。視線を落とし、山口弥生と書かれた文字を見てひとり赤面する。あわててその文字を消そうとして横に、魔法使い? と書かれているのを目にして手が止まった。馬鹿げた考えだと思ったが、超能力者と置き換えてみるとそうでもないように思えた。消すのをやめ、超能力と横にかき、それをじっと見つめて直人は物思いにふけった。

 そうしていると背中のあたりがムズムズしてきた。うしろに座る彼女の視線を一身に集めているような気がして、気恥ずかしいような、嬉しいような、それでいて身がぴりっと引き締まるような、妙な緊張感がわき上がり、どうにも落ち着かなくなってしまった。しばらくしてから彼は授業に関係のない文字を消し、気を引き締め直した。けれども結局、グダグダと引きずってしまった。


 授業が終わる。

 何ともいえない疲労感をあじわいながら振り返ると、すでに彼女は席にいなかった。本当に魔法使いか、と内心で笑ってしまった。視線を先にのばすとドアに手をかけているところだった。そのまま教室を離れ、どこかへ行ってしまった。彼も立ち上がり、用を足しにトイレへと足を向けた。

 次の授業に入ると彼は真剣に考えはじめた。

 あまりよい考えではなかったが、彼にはこれ以外思いつかなかった。ぎりぎりまで考えたが、やはりいい案は浮かんでこなかった。HRがはじまるまでに彼は帰り支度を整え、HRが終わるとすぐに教室を飛びだした。廊下を駆け、階段を数段飛ばしで降りる。すれ違う生徒がちょっと驚く顔を横目にしてずんずん進み、一直線に靴箱までたどり着くと、手早く靴を履きかえ、外の柱の陰に身をひそめて、なかの様子をうかがう。

 彼女はすぐにやってきた。

 若干警戒する素振りをみせている。まだ人はさほど多くない。警戒すべきものが見当たらなかったのか彼女は表情をゆるめて靴を履きかえはじめた。それが終わると直人は、頭を引っ込め、柱に溶け込もうとするかのように頭も背中もピッタリくっつけて、深呼吸をし、そして祈った。

 彼女が横を通るとすぐに彼もあとを追った。半歩下がって彼女の隣を歩く。ちょっと油断していたのか、彼女はひどくあわてた。そのさまはあどけなく可愛らしいもので、うっかりすると笑ってしまいそうだった。それをのみ込み、何食わぬ顔ですましている。

 二人は無言で歩く。

 しだいに彼女の足が速まる。すると彼も足を速める。彼女が左へまがれば左にまがり、右へそれれば右にそれる。本当はこんなストーカーまがいのことをしたくはなかったが、どう話しかけても拒絶されるような気がした。彼女の行動は本来の姿に反する。彼にはそう思えてならない。公園でのことを振り返ると胸が締めつけられる思いだった。なぜそんな態度をとるのか、その理由を知りたかった。

 やがて彼女の足が止まる。ややうつむき加減のままで絞り出すような声をだした。

「ついてこんとって」

「え?」

 直人は承知の上で、さも今気づいたというように返す。胸が苦しかった。

 彼女は振り返って彼を見上げた。思いのほか強いまなざしにちょっとたじろぐ。まるで決死の覚悟で突撃する兵士のような気迫がこもっていた。

「せやから、ついてこんとってって言ってるの」

「……ごめん」

 気迫に押され思わず謝る。

「ただキミと話したかっただけなんだ」

「うちは話すことなんてあれへん」

「キミ、こないだ公園で子猫を助けただろ?」

「え?」

 彼女はあからさまに動揺した。

「う、うち、そんなん知らん」

 こちらを見ようともせずにこたえる。その様子は幼い子どもが嘘をつく様子に似ていて、直人は思わず笑ってしまった。

「そう、ならいいんだ」

 彼女は少しほっとしたようだった。少し間をおいてから彼はおもむろに口を開いた。

「キミにはモノを浮かす能力があるのかい?」

 その瞬間、さっと彼女の丸い瞳が彼の額のうえにすえられた。憂いを帯びた丸い瞳は何かしら強く訴えかけるものがあった。それは怯えているようでもあり、救いを求めるようでもあり、思わず抱きしめてやりたくなるほど強い衝動を彼に起こさせた。けれども、彼がなんら行動を起こす間もなく、その瞳は色を失い、ふらふらと彼の表面をなぞるように落ちていった。

「……いや」

「え?」

「聡美んときみたいなんは、もう、イヤや」

「ちょ、ちょっと、それはどういう――」

 彼女は自分でも驚いたようにはっとなった。

 一瞬視線がすれ違う。逃れようとするのをあわてて引きとめると、腕をつかまれ、彼女はちょっとバランスをくずした。自然と彼女を抱きかかえる格好となった。

 肌が触れ合う。

 ほのかな温かみが胸をうつ。

 それが体のなかへ溶けだし、全身を伝って彼の細胞一つ一つを変えていくかのように、彼に劇的ともいえる変化をもたらした。そこへ彼女の丸い瞳が再び彼の目の前にあらわれる。その瞳は彼を非難していた。同時に怯えてもいた。小刻みに揺れ動くその瞳は、徐々に焦点が定まっていき、瞳の色を濃くさせた。

 直人は鼓動が高鳴っていくのを感じていた。今すぐにでも彼女が彼に対し何らかのアクションを起こすという予感はあった。そして、もしそれに立ち向かうならば、自分の存在すべてを賭けるくらいでなければ到底間に合わないという予感も。

 けれども今の彼はそれに対してなんら抵抗するすべをもっていなかった。ただ、鼓動が高鳴るその音を感じるのみであった。

「うちは、呪われてるんや」

(呪われている?)

 思考の一瞬のすきをつかれ、彼女は腕の中からするりと抜けだしてしまった。彼は一歩も動けなかった。ただ、バカみたいに彼女を眺めていた。

「せやから必ず傷つく。不幸になる。そうなりとうなかったら、うちにかかわるな!」

 彼女はくるりと背を向け、そのまま走り去っていった。

 彼はその後ろ姿を見つめながらもなお動けなかった。声さえ出なかった。彼のなかにあるのはただ彼女をもっと感じていたいという強い欲求だけだった。再び彼女を自分の腕のなかに招き入れ、

「大丈夫、心配いらないよ。ボクがついている」

 そうして彼女の不安や苦しみさえもすべて一緒に受け止めたい。心臓からドック、ドックとそんな思いが次から次へと流れ、あっという間に全身を埋め尽くしてしまい、彼は窒息しそうだった。

 彼は今、自分が恋をしているのだと悟った。

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