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仮面の下に住まう悪魔は這いずりながら静かに笑う  作者: 相馬惣一郎
第一章 それぞれの思惑
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03

 葛西香織は考える。

(ひょっとすると、直人はあの転校生に気があるのかもしれない)

 ほんのわずかだが、なにかしらの直感めいたものがはたらいた。具体的にどこかと問われても自分でもうまく説明できない。

 いわゆる女の勘っていうヤツだ。

 ただ、しいてあげるなら彼の表情だろうか。なんだか遠足前の小学生のようだった。そわそわしているというか、うきうきしているというのか、ふわふわしているといったらいいのか、そういったものが違和感として香織の前に浮かび上がってきた。

(どうにも気に入らない)

 授業の準備をしながら絢香の返信を待つ。

 なんだか肩から背中にかけてゾワゾワして妙な感じがする。どうにも嫌な気分だ。普段と変わらないように振る舞っているが、内心では苛立ちが募っていた。考えれば考えるほど苛立ちは膨れ上がるようだし、考えないようにと思っても、やはり増してくる。しかもそれが、皮膚の内側をえぐりたくなるようなもどかしさを引きつれてくるので気が抜けない。気を抜くと爆発しそうだ。握力なんて平均以下だが、今ならリンゴだって握りつぶせそうに思える。


 ようやくきた絢香からの返信にさっと目を走らせる。どうやらあの転校生は変わったやつみたいだ。女子数人で話しかけても相手にされなかったらしい。ムカつくと書かれている。少しほっとした。けれども、男子には人気みたいというのを目にして、苛立ちのなかに逆戻りした。

 確かにあの女は可愛らしい顔立ちをしていた。保護欲をかきたてるには十分すぎるといっていい。男に媚を売るタイプにはみえなかったが実際のところはどうだかわかったものじゃない。影でこっそりというところかも。でも、あの容姿なら、うまく立ち回れば両方の支持を得られるに違いない。それがまた腹立たしい。

(もし、自分だったら……)

 そんな妄想が突風のように彼女のなかを通り抜け、葛西香織という大きな木の葉を揺らし、幾本かの枝をぽきりと折っていった。

 美人とまではいえないが、まあまあ可愛いという自負はある。

 けれど、それは努力してのことだ。雑誌やネットで紹介されている記事を見てはちょっとでも自分をよく見せようと試してみる。メイクのしかたに、髪型や服装、バッグやアクセサリーなんかのアイテム、ちょっとした仕草、テクニックに至るまですべて。これはダメ、あれはいい。今現在の葛西香織という存在は試行錯誤の結果といっていい。それでもまだ足りない感じというか、焦りに近いものがある。

 特に顔。

 これが厄介だ。鼻の形も気に入らないし、目だってもう少し大きいほうがいい。唇の形はいいが、もう少しふっくらしているとなおいい。肌の荒れなんかも気になる。気になるところだらけだ。

 だが、あの女は違う。天然そのものだ。彼女にはそれが一目でわかった。肌のきめ細やかさも段違いだった。大きくぱっちりとした二重も愛くるしい子猫のようだった。それは自分が最も欲しいと思っているものだ。あの女はすべてを持っている。それでいて、おどおどとした、あの態度。それが気に入らない。とても不愉快だ。

(自分なら……)

 また香織のなかで突風が吹き抜ける。

 前回に匹敵するほど――いや、それ以上かも。

 背中のあたりのゾワゾワがよりいっそう激しくなる。まるで自分のなかに潜伏している何かが出口を求めてさまよい暴れているみたいだ。もし見つかってしまえば、内側から皮膚を引き裂き、葛西香織という存在をめちゃくちゃにして逃げ出していくのだろう。

(いっそのことそうなってしまえば……)

 それはそれで魅力的な提案に思えた。瞬時にばかばかしいと思い返した。内心で笑わずにはいられなかった。

 今日はどうかしている。本当にどうかしている。アレの日でもないのにどうしてこうもイライラするのか。どうしてこうも余計なことばかり考えるのか。

 気持ちを切り替えるために大きく深呼吸をした。

 すでに授業は始まっている。いくつかの班に分かれ、そのなかで協力して作業を進めていくせいか、普段の授業よりはなごやかなムードが流れている。多少の私語をしても咎められることもない。香織もそのなかに身をおき、まわりと話をあわせながらも、なお頭の片隅で考えていた。

 あまりに考えすぎたのか一周回って、ただの気の迷いなんじゃないかとも思えてきた。転校生というちょっとした刺激が彼の気分を高揚させただけなのかも。それが普段と違ったようにみえただけなのかもしれない。食事に誘ったのだって、たんに彼の親切心からでたものであって、好意があるからとか、男女の関係へと発展させたいとか、そういった下心からでたものではないのだ。

 そう思おうとした。それでふたをして、この考えを永久に封じ込めてしまいたかったが、どうにも納得できなかった。むかむかする。それもこれも直人が悪いんだ。彼がはっきりしないからいけないんだ。思わぬところへ矛先が向いて我に返った。


 さっと周囲に目を走らせ、不審に思われていないことを確認してから軽く息を吐きだした。そうしてふと硬く握りしめられている左手を見とめる。そっと周囲から遠ざけ、指先をだらしなくして軽く振る。大丈夫。悟られてはいない。もう一度、息を吐きだす。

 気持ちを落ち着かせても直人への怒りは消えなかった。底のほうでくすぶっている。それもそのはずだ。こんなにもイライラする、その原因は彼にあるといっていい。

 香織は直人に好意をもっている。これはまぎれもない事実だ。まわりが認めるほど彼との仲もいい。二人きりで遊びに出掛けたことだってある。けれども、付き合うというところまでいっていない。これには表向き、彼はただの友だちよ、という態度をとっているせいもある。自分から告白すれば、それも熱烈にしたならば、おそらく恋人同士にはなれるだろう。その自信は十分にある。自分はまだ若く、ぴちぴちとした体をもっているのだから。

 だが、そうはしたくなかった。ここが最近の彼女の悩みどころだった。香織としては彼のほうから告白してほしかった。

「キミが必要なんだ。キミじゃなきゃダメなんだ」

 そう言って手をひかれ、そのままギュッと抱きしめられて、

「好きだ。愛してる」

 と、耳元でささやかれる。そうしてほしかった。そうしてくれたなら、すべてが変わるような気がする。何もかも必要なくなるんじゃないかと思える。男を魅了するテクニックだって覚える必要もないし、子猫のような愛くるしい目だって必要としない。今まで積み重ねてきたものすべて捨て去って、ありのままの自分でいられるような気さえする。実際、そんなことはできないのかもしれないが、少なくとも、いまのこの焦りのようなもやもやとした感じはどこかへ消え去って、もっとのびのびできるだろう。

(彼さえ、そうしてくれれば……)

 それにしても、どうしてこんなところへはまり込んでしまったのだろうか。香織はさらに深いところへと入っていった。


 直人との出会いは幼稚園にまでさかのぼる。

 入園式の日、彼を一目見て香織はぽぉーっとなってしまった。大きな丸い瞳は女の子のようだった。けれども顔つきに、やっぱり男の子なんだと思わせる精悍さがどこかにあった。その日は穏やかな風が吹いていて、色素の薄いやわらかそうな栗色の髪がふわりと舞い上がり、日の光を受けてキラキラと輝いていた。それがあたかも神から祝福を受けているかのようにみえた。まさに理想的だった。心臓がドクドクと脈打ち、頭がジンジンしていたことは今でもはっきり覚えている。香織は声をかけることができず、遠目からただじっと見つめていただけだった。

 それからしばらくたっても声をかけられずにいた。新しくできた友だちと遊ぶ合間に彼を目で追いかけるという日々が続いた。

 転機となったのはおもちゃの取り合いだった。どんなおもちゃだったのかは覚えていないが、つかみあいのケンカになる寸前だったことは覚えている。相手は男の子で自分よりも力が強かった。けれども、そのときの香織はムシャクシャしていて、そこで引き下がる気にはならなかった。ケンカが始まるという間際、仲裁に入ったのが直人だった。他の誰でもなく直人だった。そのことが香織をまた、ぽぉーっとさせた。保育士がどうしていたのかは記憶にない。他の子にかかりきりで手が回らなかったのかもしれないし、自主性を重んじようともう少し様子を見るつもりだったのかもしれない。それはわからない。それよりも香織にとっては直人が助けてくれたということのほうが重要だった。

 彼は香織がよくわからないうちに順番で使うように相手を説得していた。それがさらに香織をぽぉーっとさせた。何かがさしだされる。それが問題のおもちゃだったのか、それとも香織が身につけていたものだったのかはまったく覚えていないが、香織はそれを見ようともせず、ただじっと彼を見つめていた。

 彼は頭に手をやり困ったふうにはにかんだあと、ふっと遠くのほうを見るように目を細め、香織から視線を外した。

 香織はあわてて手をさしだした。

 手のひらに何かが置かれ、彼は立ち去ろうとする。

「一緒に――」

 遊ぼう、という言葉はでてこなかった。ありがとうという言葉すら埋没していた。彼女のなかにあるのはただただ彼と仲良くなりたいという気持ちだけだった。

 香織の気持ちを察したのか、彼はにっこり笑ってうなずいた。

「ぼくは、なかだいなおと」

「あたし、ええっと……かおり、かさいかおり」

 そこからさき、何を話し、何で遊んだのか、まったく記憶にない。あるのは彼の笑った顔だけ。それだけが今も香織のなかに残っている。

 その日を境に直人との仲は急速に縮まった。香織の傍らには常に直人がいたといっていい。互いの家を行き来したりもした。上品そうな彼の母親に香織はまた、ぽぉーっとした。いろんな妄想が広がる。結婚の約束までした。幼い日の他愛のない約束だが、彼はうんと言ってくれた。

 ずっと続くと思っていた。卒園して別々の小学校へ行くのだと聞いてショックで泣いた。家に行って遊ぶことはできるだろうと思ったが、遠くへ引っ越すのだと聞いてさらに泣けた。はじめのうちは連絡を取り合っていたが、しだいにそれもなくなっていった。仲代直人という少年は香織のなかでゆっくりと薄れていった。


 そしてこの学校へ入学して彼と再会した。一目見て彼だと思った。名簿を確認して、その直感が正しかったとわかった。

 運命だと思った。

 彼と結ばれるのが自分の運命だと。

 はじめのうちは様子を見ながら彼と話す機会をうかがっていた。それとなく話をふってみると彼も覚えていた。ひとしきり盛り上がった。彼が覚えていたという事実。これが香織を勇気づけた。そして、いろいろやった結果がこの状況だ。

(本当に運命なのか?)

 この問いを何度、闇のなかへ押し戻してきたことかわからない。今また頭の上をチラつきはじめている。

(どうしたものだろうか……)

 そこで、はたと気がついた。

 そうか彼も転校生みたいなものだったんだ。彼の場合スタートが同じだから一度構築された人間関係のなかに割って入るのとは違うだろうけど、少なくとも見知らぬ土地で新しく生活を始める不安というのは理解できるはず。その気持ちがわかるからこそ元気づけるために、あんなふうに振る舞っていたんじゃないだろうか。

 ちょっと考えた。彼の性格上、それは十分あり得るように思えた。もう少し考えてみてもそれは揺るがなかった。少しほっとした。気持ちが楽になってきて余裕が生まれた。そうするとあの女のことも些細なことのように思えてきた。仮に直人があの女に気があるとしても、その芽は摘み取ればいいだけのことだ。方法はいくらでもある。余裕を持たなくては。それが肝心だ。

(しばらくは様子を見ることに……)

 ああ、そうか。彼の意見を尊重してあげればいいんだ。彼が気に入るように転校生を心配するふりをすればいいんだ。かわいそうな転校生に手を差し伸べる心優しき女を演じれば……なんだったら遊びに誘ったっていい。それで待ち合わせ場所に来られない、なんてことにでもなれば直人もきっと失望するはず。そうするのもおもしろいかもしれない。

(さあて、どうしたものかしらね……フフフ)

「どうかした?」

 同じ班の子に話しかけられて自分の顔がほころんでいることに気がついた。

「うん、もうすぐお昼だって考えたら、なんか嬉しくなっちゃって、えへへ、もうお腹ぺこぺこ」

 なんてことはない。相手も同意して笑っている。直人が気に入るような女を演じることだってわけのないことだ。それに嘘をついているわけでもない。お昼が楽しみなのは本当のこと。彼との会話を楽しみにしているのは本当なのだから。

 香織の頭脳は今まで以上に動きだしていた。直人のよき理解者としてどう振る舞うのが最も効果的なのかをはじきだすために……。

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