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仮面の下に住まう悪魔は這いずりながら静かに笑う  作者: 相馬惣一郎
第一章 それぞれの思惑
3/22

02

「おい、篠山! たまには一緒に飯でも食わないか?」

「ヤダね、そんなことにでもなったら俺はケツからポップコーンを飛ばさなくちゃなんねぇーよ」

 伸治の適当な返しに相手はニヤニヤ笑いだした。ひょっとすると飛ばす姿を想像したのかもしれない。やっぱり相容れないなと彼は思った。

「俺をキズものにしないでくれよ。そうなったら俺は一生、射的で景品を稼ぐだけの男になっちまう。それとも俺をあわれなポップコーン売りにしたいっていうのかい?」

 伸治はにやりとして続けた。

「ポップコーンはいりませんか? おいしい、おいしいポップコーンはいりませんか? 一つ十円です。そこのお兄さん、おひとついかがですか? 買ってくれないとわたし……わたし……」

 話しながら上体を反らし、ケツから何かを飛ばすような格好であわれな売り子を演じると相手は手をたたいて喜んだ。

「そうはしたくないだろ?」

 伸治がニッと笑うと相手は手をあげて笑いながらうなずいた。伸治は「じゃあな」と別れを告げ、彼の肩をたたいてから教室を出た。正直、相手の名前すら覚えていなかった。佐山だったような気もするが佐竹だったような気もする。ひょっとすると加山だったのかもしれない。伸治にとってそれはどうでもよいことだった。

 彼はこの学校に入学してクラスのなかにこれという人間がいないことがわかると誰とも深く付き合わないという選択をした。

(ここは自分の居場所じゃない……)

 自分の本当の居場所はもっと別なところにあるはずだ。自分でも傲慢な考えだと思うが、どうしてもその思いがぬぐい切れなかった。だから伸治はせめて謙虚にその時が来るまで自分を高める努力はしようと決めた。

 それから休み時間になると彼は本を読むようになった。すぐにクラスのなかで浮いた存在となった。けれども彼がいじめられるということはなかった。背丈がずば抜けて高いというわけではないが、彼は運動部に所属していると間違われるほどの恵まれた肉体を有していた。喧嘩を吹っ掛けられれば相手を打ち負かすという自負もあった。実際、打ち負かしたこともあった。だが、ただそれだけに頼るのではなく、彼はきっぱりとした拒絶を冗談で包むということも忘れなかった。

 そのため彼はクラスのなかで、おもしろいことを言うヤツだが一人でいるのが好きなちょっと変わったヤツという地位を確立していた。

 教室を出た伸治はいつもの場所に向かっていた。

 渡り廊下を渡って教室のある棟とは別の棟の最上階、そこに屋上へと続く階段がある。屋上へのドアはしっかりと施錠され、誰も立ち入ることができないが、途中の階段までは行くことができた。彼にとってこの場所こそが学校で最も落ち着ける場所だった。この階段に座り、コンビニで買ったパンとコーヒーで昼食をとりながら本を読む。これが彼の学校での昼の過ごし方だった。

 そういえば、ティッシュを持っていたっけ。ポケットをさぐったがティッシュはなかった。しかたない、本でほこりを払うか。図書室で借りた本だがまあいいだろう。

 伸治はそう思いながら階段に差し掛かった。そして足が止まった。先客がいたのだ。彼がいつも座っている場所に小柄な子が座っていた。

 見慣れない少女だった。

(誰だろうか)

 名前は思い出せなくても顔くらいは見たら思い出せそうなものだがまったくダメだった。

 まあ、無理もないか。

 すぐにあきらめた。男子ならともかく女子をそうしげしげと眺める習慣もないので無理もない。

 それにしても……邪魔でしょうがない。

(何か声をかけて追い払うか)

 どう声をかけるか思案していると向こうで気がついた。おにぎりを食べる手を止め、驚いた目をこちらに向ける。彼と視線が交わったのは、ほんの一瞬だった。見慣れぬ少女はすぐに目を伏せ、またおにぎりに戻った。

 これを機に彼は少女に近づいた。少女の傍らにぽつんと置いてある埃のついたティッシュに目をやる。

「すまないがこれを少し貸してもらえるかな?」

 少女の視線が上がる。彼と彼の指さしたティッシュとを交互に見やって怪訝そうにしている。綺麗な目をしているなと彼はぼんやりそう思った。その目のなかに拒絶や不信感がなく、ただ単純に不思議がっているだけだからなのかもしれない。

「なに、心配することはないよ。たっぷり利子をつけて返すから」

 伸治はクシャクシャになったティッシュをちょっと正すと、少し階段を上がり、自分の座ろうとする場所の埃をごっそり絡めとって少女に返した。にっと笑う。少女は目を大きくさせ、パチパチとまばたきを数回繰り返して返されたモノを見つめた。

「確かにすごい利子やなあ……」

 おやっと思った。そして思い出した。転校生がきたと話題になっていたことを。実際に見たわけではないが、聞いた特徴と合うようだった。

「ひょっとして今日きたっていう転校生?」

 瞳の輝きが瞬時に消え去った。少女の両眼はさっと伸治をとらえたあと小動物のようにキョロキョロと辺りをさまよって彼の視界から消えていった。

 少女の顔色から察するにどうも当たりらしい。やれやれと思いながら彼は考える。確かに少し変わっている子のようだ。転校初日からこんな場所で昼飯を食べるというのもそうだが、さっきの返答もちょっと変わっている。

 彼は嫌がらせのつもりだった。

 何だ、こいつ、と警戒感を強めるのを目的としていた。そこから仲良くすることもできるが、彼はさらに相手が嫌がるようなことを言って追い払おうと、それで立ち退かない場合は後ろに座って威圧的に振る舞っていれば、居心地が悪くなってどこかへ行くだろうと、そう考えていた。

 だが、まさか感心されるとは思ってもいなかった。無邪気というか、おっとりしているというのか、それでいて頑なな何かを感じさせるのが不思議だった。やかんのふたで敵の攻撃を防ごうとするほど、この少女の持っているものは弱々しいが、何としても防ぐという意志はどうも本物のようだ。うつむいて何かをこらえるように丸くなった背中を眺めているとそんなふうに感じた。

 クラスの女子の噂では、どうも生意気らしいということだった。この様子ではそう思われても無理はないだろう。

 伸治はもう一度やれやれと思った。

「しっかし……」

 階段を降りながら発した言葉に少女がわずかに反応する。肩がぴくりと動き、全身がこわばるのが感じ取れた。

「いじめられっ子っていうのも大変だな。こんなところで飯を食わなきゃいけない」

 さっと顔が向けられる。そこには驚きとともに、ちょっとした安堵と好奇がまじっていた。

「言っとくけど、俺はいじめられてるわけじゃないぜ。好きでここにいる」

「そんなん、うちかて、そうや」

 少女のほほが赤く染まるのがおかしかった。

「でも、クラスの女子の話じゃ、生意気だって噂だ」

 少女の表情が一転する。彼から視線をそらし、廊下にある窓のほうへ目をやった。

「いじめられるんじゃない?」

「それは別に……ええねん」

「いじめられても?」

 少女は何も答えなかった。

「変わってるな」

 やや間があってから伸治がぽつりとつぶやく。

 それにも少女はじっと窓を見つめているだけだった。その姿は何かを考え込むようでもあり、ぼんやりしているだけのようでもあった。

 少女にならい、彼も一緒になって眺めた。別になんということもない。高い建物のほかは空が広がっているだけだ。おそらく座っている少女の位置からでは空しか見えないだろう。そう考えて彼はちょっと笑った。ひょっとするとそのほうがいいのかもしれない。ゴチャゴチャと余計なものがあるよりは、そのほうがずっと。

 少しの間、彼は考えた。このまま話を切り上げるかどうか。迷ったが、結局また話しかけることにした。

「お節介かもしれないけど、他に何か方法があるんじゃないか? 進んでいじめられることもないだろ。まあ、もう手遅れかもしれな――」

 努めて明るく、笑い話をするときのように笑おうとしたができなかった。話し始めたときは確かに窓のほうを向いていた。けれども、不意に視線を外したすきに、丸く大きな少女の瞳が彼のうえにすえられていた。その瞳はとても悲しげでありながらまっすぐとした力強い光を帯びていた。それが伸治には奇妙に思えてならなかった。何かしらの魔力めいたものを感じさせた。

「うちはもう、誰ともかかわらへんって決めたから」

 何か言い返そうとして何も言えなかった。頭の中は霧で包まれ、口も動かない。ただ、どっ、どっ、と心臓から送りだされる血液が全身をめぐる、その熱を感じるばかりだった。

 やがて少女は元に戻った。考え込むとも、ぼんやりするとも、とれる様子で窓を眺めはじめる。

 伸治はその横顔をしばらく見つめた。

「まあ、好きにすればいいさ。あんたがどうしようと俺は知らない。ただ、ここにいるんだったら俺の邪魔だけはするなよな。本を読むからね、静かにしててくれ」

 頭に漂っていた霧が晴れると彼はそう口にした。なんだか自分の声がぎこちなく感じたが、少女はまったくかまう様子もなかった。ただじっと窓を見ている。

 しかたなく彼はさっき拭いた階段に腰掛けた。壁を背に、長椅子に足を伸ばすように座って本を読みはじめた。けれども、ただ字を追うばかりでまるで頭に入らなかった。

 ちらりと少女に目をやる。

 少女は先ほどとまったく変わった様子もなく、じっと座っている。その事実が彼を少し落ち着かせた。

 本に戻ってさっきの言葉を反芻してみる。

 自分と似ているようでまったく違っている。少なくとも伸治はこれから先まったく誰ともかかわらないと決めているわけではない。時期がくれば積極的にかかわるつもりでいる。ただ無駄なことはしたくないという考えの結果、こういう選択をしたに過ぎない。

 だが、この少女がいうのは違う。刃物でスパッと切り裂いたように拒絶している。いったい何がこの少女をそうさせたのか。

 彼は多少の興味を覚えた。

 少女を一瞥してから彼はまた考えた。すごい利子だと言ったときの少女と今とではずいぶん隔たりがある。おそらくあのときの少女が本来の姿なのだろう。素朴な感じに共感を覚えた。それと誰ともかかわらないと言いきったときの決然とした様子は伸治を驚かすには十分だった。どうにも不思議に思える。わからない。聞いたって答えないだろう。ただ、どうやらこの少女が持っているやかんのふたはダイヤモンド並みの強度がありそうだというのは間違いなさそうだ。そう思って彼はちょっと笑った。

(それにしても……)

 伸治はまた少女を見た。この状況はどうなのだろう。すでにかかわっていると言えなくもない。これ以上深くということなのだろうが、少女がこの場から立ち去らないというのがふにおちない。確かにこの学校で、一人で落ち着ける場所といったらここだろう。だからといってほかに場所がないわけではない。

 彼はこの名前も知らない少女のことを気にしながら本に戻り、また少女のことを気にして本に戻るということを繰り返した。

 そうしているうちに昼休みの終了を告げるベルが鳴った。あと五分すれば午後の授業が始まる。しおりが最初に開いたページに挟まっていることを確認してから伸治は本を閉じ、ポケットにしまった。

 少女に目を向けると埃のついたティッシュをおにぎりのラップに包んでいた。手のなかでギュッと握りしめて立ち上がる。彼のほうへ視線をよこすこともなく、そのまま去っていった。

 伸治は少しその場にとどまって少女が座っていた場所を見つめたあと、彼もその場を後にした。

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