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序章

 破壊の神とおそれられる彼女のあつかう主な能力は炎。

 それはすべてのものを焼き尽くす烈火である。

 躊躇なく一瞬ですべてを消し去るその青い炎は、彼女の燃えるような紅い髪や瞳とは対照的で、草木も生えない極寒の地のように冷酷であり、救いようのないほどに無慈悲であるのだが、それでいて、すがりついて慈悲を乞いたくなるほどに美しくて、おもわず抱きしめたくなるほどの哀しみであふれている。

 とにかく人をひきつける魔力めいた魅力がある。

 それが彼女だ。

 その吸い込まれそうなほどに魅力的な青い炎こそ彼女を最もよくあらわしている。


 バケモノどもを次々と倒していく彼女を目の端でとらえながら、鉄也はそう思った。

「ねえ、隊長! 今度、ボクとデートして下さいよ!」

 彼女は振り向きもしない。

 鉄也は頬をゆるませて彼女を目で追っていく。

 彼女が鉄也を無視するのはいつものことだった。

 彼だけでなく彼女はすべてを無視している。彼女は目の前の敵を消し去ることにしか興味を示さなかった。そうしなければ死んでしまう呪いでもかけられてしまったとでもいうように、彼女はただ敵を倒すだけである。

 彼女の名前は誰も知らない。

 彼女の過去を知る者もいない。

 わかっているのは、あの日の唯一の生き残りだということだけである。

「ねえ、隊長ってばー。聞こえてるんでしょ? デートして下さいよー」

 鉄也は執拗に繰り返した。

 たとえ彼女が、うん、とうなずいたとしても時間も場所も限られている。一昔前の若者のように楽しむことなどできはしないだろう。けれども、彼にはそれでよかった。無理やりにでも生きる意味を見いださなければ、やっていられなかった。

 それほどまでに、いまの生活は彼にとって無意味なものであった。世の中なんてものは絶望でしかない。実際、こんな世界はいっそのこと滅んでしまえとおもってしまうくらいに、なんの楽しみもなかった。

 彼女だけだ。いまの彼に潤いをもたらすことができるのは。

(難攻不落の彼女をいかに攻略するか……)

 そして攻略したあとの展開を妄想することで彼はこの狂った世界から逃れようとしていた。そうでもしないと本当に気が狂ってしまいそうだった。

 だから彼は執拗に声をかけるのだ。

 そうしながら、彼も襲いかかってくるバケモノを刀で斬りつけるのだ。

 鉄也の能力は肉体の硬質化だった。

 強度がどれほどなのかは彼自身よく知らない。

 彼が知るのは、チェーンソーに切りつけられたり、全速力の車がぶつかったり、銃弾をブチ込まれたり、空から飛び降りてそのまま地面にぶつかったりしても彼の体を傷つけることはできないという程度だった。

 この能力に対し彼はある程度の信頼をもっていた。けれども、弱点もある。あまり長時間使用できないし、再び能力を使うのに少し時間を要する。だから、彼はできるだけ能力を使わずに自分の身を守るすべを覚えさせられた。

 彼は施設で行われた様々な実験や訓練を思い起こし苦笑した。

 この戦場もかなりひどいが、あそこもかなりのものだった。そこでは実験や訓練と称する理不尽な暴力が常だった。けれども、いまとなって思い起してみると自分のなかの大半を占めているその場所には妙な感傷があった。もう二度と戻りたくないという一方で故郷を懐かしくおもう気持ちのようにどこか彼の心をさみしくもさせる。

 鉄也も彼の仲間たちも皆その施設で育った。

 遺伝子をいじくられ、無理やり能力が発動するように開発された。なかには適応できずに死んだ者もあった。所詮、自分たちは皆つくられた人間なのだ。

 けれども彼女は違う。

 彼女こそオリジナル。

 鉄也たちは彼女の遺伝子情報をもとに改造された。いわば彼女の劣化コピーでしかない。もちろん完全なコピーではない。彼女に似た遺伝子情報を持った子どもが集められたというにすぎなかった。

 彼女の完全なコピーをつくろうとしたこともあったようだが、どうやってもなぜか失敗に終わったらしい。噂では彼女はバケモノと融合しているからだとか。

 失敗する原因は知らないが、彼女がバケモノと融合しているというのはおそらく真実である。それは彼女が常に顔の上半分をおおっている仮面を見ればわかる。

 真っ白なその仮面には人を嘲笑するような形の目がくりぬかれている。そして、そのくりぬかれたところは鮮血のような紅い色で満ちていた。

 右目はいいが問題は左である。

 動くのだ。

 仮面であるにもかかわらず、くりぬかれた目の形が変わるのである。普段は右と変わりないのだが、戦場になるとそれは見開いたように大きくなり、イキイキとした光をおび、妙に生々しく、つるんとしたハリがあって、濃縮された体液が膜の内側を這いずるようにして動くのである。人の眼球のように黒目があるわけではないが、見つめられるという感覚はたしかにあり、それだけでなく笑われているようにもおもえて、はじめて見たときはかなり驚かされたものだ。

 そのときのことを思い出し、彼はまた笑った。


 当時、鉄也は十四だった。

 長い訓練期間が終わり、数日後に彼女のいる部隊へ配属されることが決まっていた。そこにバケモノ発生の急報が入り、彼ら新入りも加わることになった。

 そこで初めて彼女を見た。

(これがあの悪魔?)

 それが鉄也の第一印象だった。

 ぱっと見た感じでは自分とそう年の変わらない少女にしか見えなかった。服装も派手というか、動きやすさを重視しているためなのか、かなり露出の高いものだった。防御という概念がすっぽり抜け落ちてしまったような格好とその幼さの残る顔立ち(といっても大部分は面で隠されていたが)に彼は面食らった。

 けれども、彼女の左目を見たとたんに寒気が走った。あまりに圧倒的だった。息をするのも忘れるくらいの恐怖で動けなくなってしまった。

「諸君らの健闘を祈る!」

 その声で我に返った。声のしたほうへ目をやると、右腕に義手をつけた、三十代半ばくらいにみえる鷹のように鋭い目をした美貌の女性が立っていた。女性の傍らには柔和な感じで品のいい老人が並んでいた。のちに聞いたところによると美貌の女性は現在この国を率いている三島総帥で、隣の男性は菊池参謀ということだった。たまたま居合わせたので挨拶をしたらしい。

「ちょっと、あんた、まさか緊張してんの?」

 おどけた調子で声をかけたのは、隣に並んでいた同期の瑞希だった。肩をたたかれて、体がひどくこわばっているのに気がついた。顔も蒼ざめているようだった。

「まさか、そんなことないって」

「まあいいけど、お願いだから足手まといにはなんないでよね」

 笑う顔が憎たらしかった。

 (別に戦いにおびえていたわけじゃないんだ)

 そう言いたかったが、言ってもしょうがない気がしてやめた。

 瑞希は気性の荒い性格だった。

 普段は女の子らしく優しい一面も持ち合わせているのだが、訓練となると気が違ったように荒々しくなるのだ。狂気ともいえる負けん気の強さで暴れ狂う姿は、さながら飢えた獣とでもいった感じだった。当然ながら同期ではエリートであった。何度も張り合う間柄なのだが、不思議と気が合うので、よくつるむ相手なのである。

 瑞希のあとに鉄也もつづいた。すでに隊長の姿はなかった。

 目的地まではヘリで移動するようだった。ゲートをくぐり、ヘリは荒涼とした平野を進んでいく。

 ヘリのなかで適度な会話はあったが、隊長は無言だった。なにかしら威圧するような空気が出ていた。

 ちらちらとそちらの様子をうかがい見ていると声をかけられた。

「あんまり気負わなくてもいいよ」

 隣に座っていた正樹という蒼ざめた顔をした男だった。体の線も細く、いまにも倒れてしまいそうな様子はどうみても病人だった。

「はあ……」

 あいまいな返事をして、鉄也は疑問に思っていたことを聞いてみた。

「あ、あの……作戦とかはないんですか? 聞いてないような気がするんですけど?」

「ないね」

 あっさりと言って彼は肩をすくめた。

「まあ、隊長からしてあれだから、おのおのが好きにやるっていうのが、まあ、モットーといえるだろうね。たいていは誰かと協力しながらやってるよ。まっ、僕はひとりだけどね」

「はあ……」

「でも、まあ、今回君たちは戦わなくてもいいよ。戦場に慣れるのが目的だから。後ろから僕らが戦う様子を観察して次に生かしてくれればいいから」

「あたしはそんなの嫌です。あの女……」

 瑞希はバツの悪そうな顔で、

「隊長にも負けませんから」

 と、言い直し、彼女のほうへ鋭い視線を投げかけた。

「ずいぶん威勢がいいね」

「悪いですか?」

「おいおい、そんなに睨まないでくれよ。別に悪くはないんだ。君たちの思うようにすればいい。ただね、隊長に近づかないほうがいいのは確かだよ。隊長の攻撃に巻き込まれて死んだ人間が何人もいるからね。君たちも死にたくなかったら、近づかないほうがいいってことだね。まあ、それほど近くにいなくても巻き込まれることはあるけど」

「それ、許されているんですか?」

「当然。倒す数が圧倒的に違うからね。隊長の攻撃を邪魔したってみなされて、それで終わりさ。まあ、上層部は隊長一人がいれば、問題ないと思ってるんだろうね。所詮僕らは使い捨てなんだろうさ」

 あからさまに不快そうな顔をする瑞希に、正樹はあきらめたような顔で笑いかけた。それは彼女を憐れんでいるようでもあった。

 そうしているうちに人形のように動かなかった隊長が急に立ち上がった。

 正樹がハッチを開くと、隊長はパラシュートもなにもつけずにそのまま飛び降りた。彼女が地面に到達するや爆発が起こり、青い炎が巻き上がって移動していく。

 ヘリは高度を下げ、彼女が焼きつくした地面へ彼らを降ろしてから去っていった。ゲート内の草すら生えない不毛の大地だけに、本当にすっきりするくらい殺風景な場所だった。ずっと先まで見渡せて、見えるものといえば、化け物の群れと自分たちくらいのものだった。

 そこで鉄也は圧倒的な力の差を見せつけられた。

「……負けるもんか」

 初めこそ圧倒されていた瑞希だったが、やがて何かを断ち切るように歯を食いしばって少し先にいるバケモノに向かっていった。周りの温度が少し下がった。彼女の手のひらから放出された冷気でバケモノが凍りつき、そのまま砕けていった。

「へえー、なかなかやるじゃないか。どうやら口だけじゃないようだね」

 鉄也の傍らにいた正樹が楽しげに笑った。どこかひょうひょうとしている。彼はくたびれた中年男性のようにゆっくりと仕事にとりかかった。

 どうやら彼の能力は念動力系のようだった。

 数体のバケモノを操り、敵同士で戦わせている。

 鉄也は一人、ぼんやりと突っ立っていた。

 圧倒的な力を発揮する隊長の姿にただ見とれていた。何かをするという気にはならなかった。戦いが終わるころにようやく自分を取り戻してバケモノに挑もうとしたが、おもったようにはいかなかった。


 あれから二年あまりが過ぎた。

 瑞希は二年たっても怒り狂っていた。

 というか時がたつほどに怒りが増しているようだった。異常なまでの情念でもってバケモノを蹴散らし、今では隊長に次ぐ存在となっている。雰囲気もさまになっていて、どことなく隊長に似てきたようにもみえた。瑞希にはそれも気に入らないようだった。なにもかもが、この世のすべてが気に入らない。やり場のない怒り。それをぶつけられるのは根源であるバケモノしかなかった。

 ときどき鉄也にもそのとばっちりがくるのだけれど、彼はそれをなるべく快く受け入れるようにしている。彼女は近頃とくに偏屈になっていて、皆から避けられるようになっていた。施設にいる頃からそういう傾向にあったが今ほどではなかった。自分が間に入って、穏便にすむようであれば、それはそれでいいと鉄也は思っていた。彼の能力はこういうときに結構役に立つのだ。なにせ、どれだけ殴り蹴られようとも、まったく痛くないのだから……。


 正樹も生き延びていた。

 彼には不思議とどこか他を超越するようなところがあった。流れに逆らわずあるがままに受け入れるというのか、何か悟ったかのような空気が瑞希とは対照的だった。

 そして意外にも彼は副隊長という立場になっていた。

 彼がかなりの古参ということもある。他のそういうものがいないわけではないのだが、押しに弱い彼が無理やり推薦されたというところだ。実際、彼には人徳があり、後輩からも慕われているのであながち的外れというほどでもなかったりする。

 そういう経緯が影響しているからなのかはわからないが、彼の病弱そうな体つきはよりいっそう弱々しくみえた。

 隊長に関しては、これは変わるところが一つもない。

 新しく入ってくる者に死んでいく者もいる。

 少しずつ変化しているようでいてまるで変わらない日々が続いている。ただバケモノを倒すだけの日々が……。


 相変わらずバケモノは穴のなかからあらわれる。

 いまだに彼らがなんなのかわかっていない。

 結局、鉄也たちはただ言われるがままバケモノを倒すしかなかった。

 名目上は世界を守る英雄と称されているが、鉄也らにとってそれはどうでもいいことだった。それよりも自らの青春がこんなことで浪費されることのほうがはるかに重大なことのようにおもえた。けれどもバケモノがあらわれる以上はこの世界に平和などおとずれないのだから戦うしかない。

(あんなものがいなければ……)

 鉄也は時々そんなことを思う。自分はどういう人生を歩んでいるのだろうか。どんな青春を送っているのだろうか。自分はそこで幸せに暮らせているだろうか。

 彼女をつくって手をつないだりキスしたりいちゃいちゃすることもしてみたい。現状でも部隊内での恋愛や性交渉は認められている。というかむしろ推奨されている。軍部では自然交配で乳児が誕生するかというところに興味があるにすぎない。

 結局はモルモットなのだ。

 そういうところに反発を抱くものも少なくない。だが本能に逆らえないものも多く、行為に及ぶ者たちもいる。けれども遺伝子操作による欠陥なのか、うまく避妊しているからなのか、いまだに妊娠したという事例はない。

 鉄也が求めるのはそういうものではなかった。

 そういう欲求がなくはないが、彼が求めるのはそれとは違って、もっとキラキラした、胸が躍るようなトキメキなのだ。自分自身がこの世界の主人公なのだと思えるほど情熱的に日々を過ごしたいのだ。恋愛もその一つだが、それ以上に自分がこれだと思えるものに、この若い体のすべてをぶつけてみたい。きっとそういうものに憧れを抱いているのだろう。鉄也のいるこの世界にはそういう美しいものが圧倒的に足りないから……。

 バケモノがあらわれる前は今とは比べ物にならないほど平和だったと聞いている。平和といっても何かしらの問題はあったがろうが、こんな狂った世界ではないはずだ。きっと以前の世界には自分が求めるトキメキがあったに違いない。


 世界は変わってしまった。

 いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 彼女はなにか知っているのだろうか。

 鉄也はちらと紅い髪の少女へ目をやった。

 厄災のあの日の唯一の生き残り。その影響かは定かではないが、彼女は力を得た。ひょっとすると元々その素養があったのかもしれないし、ただ単に選ばれただけなのかもしれない。

「ねえ、隊長!」

 彼女はどんな子だったのだろうか。

 瑞希のような明るく元気な子だろうか。それとも反対に大人しい子だろうか。

 鉄也は小さく笑った。

 大人しい隊長を想像するのはちょっと難しかった。恥ずかしがったり、おどおどしたり、料理とか家事が得意なところを想像するとおもわず笑ってしまう。それだったら、ツンとすましたお嬢さまのほうがまだマシだった。

(やっぱりお嬢さまかな)

 召使いに傲慢な態度をとる姿は容易に想像できた。

「ねえ、隊長ってば、名前なんていうんですか?」

 いつも通り彼女の返事はない。

「名前ですよ、名前! あるんでしょ? 隊長の本当の名前! 教えて下さいよー、ねえ、隊長ぉー、隊長はどんな子だったんですか? やっぱりあれですか、昔から気が強かったんですか? 隊長、お嬢さまだったんじゃありません? 気の強いお嬢さまなんて最高じゃないですか、ボクそういうの、好きですよ! 隊長ってモテたんじゃありません? カワイイですし、彼氏とかいたんですか? ああ、やっぱいたんでしょうね、羨ましいなー、キスとかはしたんですか? ひょっとして最後ま――」

 鉄也はとっさに能力を使って身をひるがえした。

 右腕を青い炎がかすめていき、その先にいるバケモノを焼き焦がした。

 鉄也の額に汗がにじんだ。

 バケモノのためにではなく、彼女の炎のために、だ。

 ときどき思う。

 あの炎に自分がどこまで耐えられるのだろうか。

 かすった程度では何ともない。もちろん彼女が本気を出していないのもある。

 鉄也自身は、彼女が本気を出してもイケるのでは?

 というどこか楽観的なところがあるが、いつも臆病な部分が顔をだしてかわしてしまう。ふらふらした思いではあるが、機会があれば、たとえこの身を失おうとも、いつか試してみたいと鉄也は考えていた。

 (どうやら自分もだいぶ狂ってきているらしい)

 そんな自分がおかしくて少し笑った。

 鉄也の笑みはすぐに消えた。

 彼女の様子がいつもと違っていた。

 鉄也のほうに向きなおり、無機質な彼女の瞳が彼をとらえている。戦いをやめて無防備となった彼女に襲いかかるバケモノは彼女の身にまとう青い炎に焼かれて悲鳴を上げた。

 彼女はそのままゆっくりと鉄也との距離を近づけてきた。

「た、隊長……ど、どうしたんですか? 今日はやけに過激じゃないですか、あっ! ひょっとしてボクに興味でてきました? 隊長にもやっとボクの魅力が理解できたみたいですね、ボクは嬉しいですよ、いつデートしましょうか? そうだなあ、戻ったら食事しながら二人でプランを練りましょうよ、ねっ、隊長!」

 強がってはいるが鉄也の声は少しうわずっている。

 彼女の右手が上がるのを見て、鉄也は慌ててその場を移動した。直後にさっきまでいた地面が焼け焦げた。

「ひゃあー、熱烈な歓迎! カワイイなあ、もう、隊長ッ! そんなに照れなくってもいいじゃないですか。やっぱりボクのこと好きなんですね、隊長! そうかー、そうだったのかー、ボクは……ボクは嬉し――」

 今度は複数の炎の塊が飛んできた。

 かろうじてそれをかわして鉄也はまた声をかける。彼にとってこの瞬間こそが生というものを実感できるのだ。生きたいと強く願うからかもしれない。バケモノよりもバケモノに近い彼女と対峙すると首筋から背中のあたりがぞくぞくする。恐怖と緊張とで頭がどうにかなりそうな、この感じがたまらなく彼を魅了するのだった。

「そんなにムキにならなくっても……そうか、ムキになるってことはボクへの愛は本物ってことですよね? ボクらは相思相愛だったんですね、感激だなー。隊長も素直じゃないですね。好きなら好きと言ってくれればいいのに……ああっ、でも、素直じゃない隊長もカワイイですよ」

「お前、うっとうしいぞ」

「えっ?」

 彼の言葉に彼女が反応するのはかなり稀なことだった。

「灰になりたくなかったら、その口をふさいでいろ」

「ボ、ボクを焼き殺したいほど情熱的な愛ってことですね、ハ、ハハッ、素敵じゃないですか。ボクは器の大きな男ですからねえ、隊長の、その途方もなく大きな愛情もきっと受け止めてみせますよ。それより名前を教えて下さいよー、隊長! 恋人同士になっても隊長なんて呼び方だと雰囲気でませんから。恋人になったら、やっぱり名前で呼び合わなくっちゃ、ボクの名前は鉄也です。普通に鉄也って呼んでください。みんなそう呼んでますから……ああー、でも、それだと特別感がでないかー、何かあだ名、考えて下さいよ。ボクも隊長の名前を教えてもらったら考えますから」

「ほう……」

「あっ、ヤバっ――」

 また炎が飛んできた。

 仲間割れがはじまったとおもったのか、バケモノも近づいてこようとしない。

「どうした? なぜ逃げ回る。わたしの愛を受け止めるんじゃなかったのか?」

「ヤ、ヤダなあ。焦らしてるんですよー、隊長だってそんなに簡単に受け止められたら、つまんないでしょ?」

「そんなことはない」

「またまた、ご冗談を……」

 そういって笑いながら、鉄也はこの状況にひどく驚いていた。

 炎が飛んでくることはあったが、鉄也の問いかけに彼女が答えることは稀だった。それがどういう心境なのか会話が続いている。こんなことは、はじめてで彼は動揺すると同時に興奮もしていた。

(いまがチャンスだ!)

 とにかく彼女の興味を引きそうな言葉を探そうとするのだが、すぐにもし本当に付き合うことになったら、という妄想へと没入してしまう。

 それがいけなかった。

 マズいと思ったときにはすでに遅かった。

 飛んでくる炎をよけきれず、とっさに両腕を前にだして防ぐ。腕にほんのり熱がさし、彼は全身をふるわせた。腕から伝わる熱は強さを増し、思わず笑みがこぼれた。死ぬかもしれないこの状況に、彼は最高に興奮した。

 熱はそれ以上強さを増さなかった。

 急速に衰えていく。

 腕の間から炎が飛んできたほうをのぞくと彼女は自分の手に目をやって、ちょっと戸惑った様子だった。感情をおもてにあらわさない彼女にとって、これはかなりレアなことだ。その姿はどこか無防備で幼く見え、なんだか可愛かった。

(彼女の素顔はどんなだろうか)

 仮面をのぞく部分から想像するに、きっとカワイイに違いない。笑顔はもっとカワイイに違いない。

 はあ、自分の力でそうできたら……。

(彼女を笑顔にできたらどんなにいいだろうか……)

 ――やってやろうじゃないかッ!

 自分が笑顔にするのだ! 彼女に笑顔を取り戻させるのだ!

 若さゆえの空虚な自信が、むくむくと胸のうちにわき上がってくるのだった。

「受け止めましたよ、隊長! どうです? ボクのこと見直しましたか?」

 いつものようなぼんやりとした顔がむけられる。

「ボクの懐の深さに驚いているんですね、あは、ははは。大丈夫ですよ、何も心配いりませんって、隊長は何も考えずただボクの懐に飛び込んでくればいいだけですから。そろそろ名前を教えてくれる気になったんじゃありません? 隊長、ボクはあなたのことが好きなんです! あなたのすべてが知りたいんです! ですから、まずはじめに、あなたの名前を教えて下さい!」

「わたしは……わたしは、もう……」

「えっ? いまなんか言いました? あっ、わかりましたよ、名前を教えてくれる気になったんですね、嬉しいなあ、さあっ、もう一回言って下さい! ボクに伝わるようにハッキリと、あなたの名前を!」

 彼女はなにかを話そうとして、結局なにも話さなかった。

 いつものように、無表情にみえる顔を鉄也へむけているだけだった。けれども、どういうわけか、彼にはその顔が夢見るように、どこか儚げにみえた。

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