0320.三人のお父さん
カハルちゃんがまた居ない。夜になり皆が寝てしまったのを確認すると、ふらりと寝床から出て行ってしまう。昼間は元気な素振りを見せているけど、あの日、リベル伯爵の所で見せた姿が本当のカハルちゃんなのだろう。
最初は一人の時間も必要だろうと、そっとしておいたけど、徐々に顔色が悪くなってきている。あの様子だと本体のカハルちゃんも寝ていないのだろう。そろそろ眠らせてあげないと壊れてしまう。
静かに戸を開けて、月の光がシャラシャラと零れる夜の中を走る。どこに居るの、カハルちゃん?
家の周りにも森の中にも見当たらない。あとは山の方しかないか。森の皆をびっくりさせないように静かに走って山の洞窟に辿り着く。足音を忍ばせて進んで行くと――――居た。
カーン、カーンという鐘のような音を、膝を抱えながら天井に顔を向けてぼーっと聞いている。その目からは幾筋も涙がこぼれて頬や顎を伝い、服に吸い込まれていく。
痛ましい姿に気後れする自分に気合を入れて、いつものように話し掛ける。
「カハルちゃん、ここに居たんですね。探しましたよ」
「――ニコちゃん?」
「はい、ニコですよ。僕もお隣、いいですか?」
「うん、どうぞ」
拒絶されなかったので、いそいそと座る。
「ここ綺麗ですよね。ヴァンちゃんと探検に来た時も見入ってしまいました」
「そうなんだ。私もここが大好きだよ。ここはね、家族みんなで作った空間なの。私が岩とか作って配置して、フォレストが苔とか作って、ペルソナは音を担当して、光はお父さんとセイが頑張って作ったの。リセットされても消えないように、お父さんが『世界』と交渉してくれたから、この先もずっとあるの。ずーっと……」
優しい思い出が詰まった場所。だから、ここに来ていたんだ。
「ここに来るとね、ペルソナが感じられるの。私の大事な大事な人……。ニコちゃん、私のお父さんはね、三人居るの」
「三人ですか? シン様とどなたですか?」
「フォレストとペルソナだよ。ふふふ、あのね、二人でも半人前以下なんだって」
「ふにゅ? どういう事ですか?」
「ペルソナとシンお父さんを足しても半人前以下らしいよ。セイとフォレストが居なかったら、私を泣き止ます事すら出来ずに、大変な事になっていたんだって」
意外なお話だ。シン様は立派に子育てしているように見えるけど。
「あれ? セイさんの時はどうだったんですか?」
「セイの時は泣く事も殆ど無くて、あまり手が掛からなかったんだって。でも、もう少し早くフォレストに会いたかったって言ってたよ。出会ったのが色々と失敗してからなんだって」
クスクス笑うカハルちゃんからは、本当に家族が好きだという事が伝わって来る。
他の人からしたら魔物の王で憎むべき存在だった人。そんな人にもこれだけ愛してくれる存在が居たのだ。人間が、僕達が、この家族を引き裂いたのだと気付いて血の気が一気に引いて行く。
「……あの、僕や人間を恨んでいますか?」
「ううん、恨んでいないよ。誰の選択が、どこの選択が間違っていたのかなんて私には言えない。それにね、何度問われても私達は同じ選択をすると思う。だから、ここにある今は私達が引き起こした結果なの。全ては、いま生きている人のそれぞれの責任。そして、ペルソナも魔物も全て滅ぼすと決めたのは私。だから、辛いのも重いのも全部覚悟していたの」
そこまで言った所で、カハルちゃんが膝に顔を埋める。
「……でもね、やっぱり会いたいの。もう一度、ギュッと抱き締めて欲しいの。笑った顔が見たいの……あんな悲しい顔のまま逝かせるなんて、そんな酷い事、私、しちゃった……。どうやって謝ったらいいか分からないの!」
泣きじゃくるカハルちゃんの背を撫でる事しか出来ない。全ての事が終わったら、満面の笑みを浮かべたカハルちゃんが見られると呑気に思っていた。カハルちゃんにとっては、二度とペルソナさんという家族に会えなくなるという事だったのに……。
僕達の契約期間も残り一ヶ月程だ。このままでは、こんな状態のカハルちゃんを残していく事になる。こんな不幸な終わり方があっていいのだろうか? 人間はただ居なくなって良かったと喜んでいるだけなのに――。
何だか悔しくなってきて、泣いているカハルちゃんをひょいっとお姫様抱っこで持ち上げる。
「――え、ニコちゃん?」
「『世界』の所に行きましょう! 絶対に何か手がある筈です!」
「でも、ぐすっ、ペルソナが生き返ったら魔物も――」
「偉い人なんですよね? だったら何とかして貰いましょうよ。それに、カハルちゃんの家族だけが、こんな思いをするなんて間違っています!」
鼻息荒い僕をカハルちゃんがポカーンと見つめている。あ~あ~、もう、手でグイグイやるから頬が赤くなっているじゃんか。まったく、カハルちゃんを泣かす奴は、死んだ奴だろうが何だろうが許さん!
「――ふふふ、さすが、ニコちゃん。カハルの涙が止まったよ」
「全くだ。俺達が形無しだな」
「ニコ、カッコイイ」
「シン様、セイさん、ヴァンちゃん! どうして、ここに?」
いつの間に来ていたのか、僕達の後ろに居た三人がこちらに歩いて来る。
「真夜中に二人も居なくなったら心配するに決まっているでしょう。それに、僕達は家族だからね」
「そうだ。ここに居る全員が、毎晩カハルが居なくなるのを知っていたんだぞ」
シュンとしてしまったカハルちゃんをヴァンちゃんが撫でる。
「俺も一緒に『世界』へ殴り込みしてあげる。だから、そんなに泣かない。それ以上泣くと瞼が腫れて開かなくなる」
「……ふふ、瞼が開かないのは困っちゃうね」
ウンウンとヴァンちゃんが満足そうに頷いている。微笑んでその様子を見ていたシン様が、僕の腕からカハルちゃんを抱き上げる。
「あのね、カハル、セイ、よく聞いてね。僕はいま喋る事を禁止されている事があるんだよ。なんとか限界まで喋ってみるからね」
突然どうしたのだろうと皆で見つめる。
「もうすぐ時が満ちる。でもね、葉の影に隠れて中々出て来ないかもしれない。それでも注意深く見ていてごらん。ひょっこり顔を見せてくれるからね。以上!」
全員「え?」という表情で止まっている。それに構わず、シン様が手招く。
「さぁ、帰るよ。クマちゃんが必死に目を開けて待っているからね」
その日以降、カハルちゃんが夜中にふらりと居なくなる事は無くなった。
クマちゃんに、「この、バカにゃんちんが! どれだけ心配したと思ってるでキュ! 熊に隈が出来たら、どう責任取ってくれるでキュか! ……キュ……プキュ~……」と言いたい事を全て言った途端に寝た姿が効いたのかもしれない。日本でも寝ないカハルちゃんに、やきもきして寝られず限界だったらしい。
隠れて泣いていないか注意して見ていたけど、その様子も無い。シン様の謎の言葉に泣き止ます何かがあったのかな?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日は気分転換にダーク様の所へ遊びに来てみた。宰相様とユリア様がカハルちゃんを抱っこしてお散歩に行ってしまったので、ダーク様とまったりお茶を楽しむ。
「カハルの様子はどうだ?」
「時々、悲しそうな顔をしている事はありますけど、泣かなくなりましたよ」
「そうか……。何か心境の変化があったのか?」
「シン様の謎の言葉を聞いてからですかね?」
「謎の言葉?」
「ん。俺達には意味がさっぱり。葉の影とか顔とか言ってた」
「ふーん……。後でシンに聞いてみるか」
教えてあげたいけど、僕達は一言一句覚えていないので、変な文章になってしまいそうなのだ。
「何して遊ぶか?」
「トランプ」
「ヴァンはトランプがいいのか? じゃあ、ババ抜きでもするか」
今日こそ勝ってやると意気込んでいると、既に手の中に憎きババが居る。何という事だ! 最初から居るだなんて予想外だ。取り敢えず真ん中にしておこう。
ふんぬ~とババを睨みながらヴァンちゃんに差し出す。
「うーん、これにする」
あ~、端っこか。でも、まだまだ最初だしね。余裕余裕♪
――そんな事を思っている時もありました。残るはババとハートの十のカード一枚。既にヴァンちゃんは抜けてしまった。何でそんなに強いのかなぁ。
「ふむ、これだな」
迷うことなくダーク様がハートを引いた。
「きーっ! また負けた!」
「ニコちゃん、叫んでどうしたの?」
「あ、カハルちゃん、お帰りなさい。また、ババ抜きで負けたんです!」
「あー……そうなんだ。今度は七並べにしたら?」
「そうします。カハルちゃんもやりませんか?」
「うん。ユリアさんとルキアさんもやりませんか?」
快く頷いてくれたので、和気あいあいとゲームを進める。やはり、一抜けはヴァンちゃんだった。どれだけ勝負運を持っているのだろうか? 僕にも少し分けて欲しい。……ふふふ、そうです。僕がビリでした。ぐすん(泣)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カハルちゃんをおんぶして火の国の会計部へ向かっていると、背後に視線を感じる。振り返っても誰も居ない。気の所為だったのかな?
「失礼します。ロクさん、書類をお届けに参りました」
「あ、ニコちゃん、良い所に来てくれた。悪い、この書類を魔国の会計部に届けてくれないかな?」
「はい。ご記入をお願い致します」
書いて貰っている間に他の書類を配って行く。
あれ? ナナさんが部屋のどこにも居ない。雪崩が起きそうな机はいつも通りで、湯気の立つマグカップもあるのに。
「ニコちゃん、お待たせ。これよろしく」
「はい。ナナさんはどうされたんですか? 急ぎの書類があるのですが……」
「宰相様に用があるって出て行ったきりで帰って来ないんだよ。きっと説教されているんじゃないか?」
んー、どうしようかな? 別の国へ先に行くべきか……。悩んでいるとカハルちゃんが目を覚ます。
「ふにゅ……。んん~」
寝ぼけているのか僕の後頭部にスリスリと頬擦りしてきて、非常にくすぐったい。耐えていると急に動きが止まる。また寝ちゃったのかな?
「ニコちゃん、ワンさんの気配がする」
「え? どこですか?」
キョロキョロしても気配も姿もない。もしかして、さっき感じた視線はワンさんだったのかな?
「居ませんよ?」
「逃げちゃった。お仕事で来たのかな?」
「モモ様に用事を言い付けられたのかもしれませんね」
ロクさんも一緒に探してくれたのでお礼を言っていると、ナナさんが戻って来た。
「はぁ、ただいま~。もう信じられない! 兄貴が来ているなんて予想外よ」
「兄貴? お前、兄貴居たの?」
「居るわよ~。桃の国で働いているんだけど、用があったからついでに様子を見に来たとか言って。もう、嫌になっちゃうわよ」
思わずカハルちゃんと顔を見合わせる。もしかして、もしかする?
「あのー、もしかして、ワンさんですか?」
「えっ、何で兄貴の名前を知っているの⁉」
正解だったらしい。そう言えば雰囲気が何となく似ているような気がする。
「ちょ、ちょっとこっち来て!」
必死に部屋の外へ手招かれるので付いて行く。人気の無い廊下まで来ると、しゃがみ込んでヒソヒソ声で聞いてくる。
「ねぇ、もしかして兄貴が何をしているか知ってる?」
「はい。暗殺者ナンバーワンな方で、朱の一族のお一人ですよね」
「あ~、それは絶対に秘密でお願いね。ただの官吏って事にしておいて」
「はい、了解です。ナナさんて桃の国出身なんですね」
「ええ、そうよ。私は朱の一族になれるような能力が無かったから、必死に勉強してこの国で就職したの」
「なぜ桃の国じゃないんですか?」
「私、婆様が凄く苦手なの。だから、大きくなったら絶対に出て行ってやろうと思っていたのよ」
婆様? あ、モモ様がお婆様って呼んでいる人か。モモ様が苦手な位だから相当に怖い人なのかもしれない。
「おーい、ナナ、どこだ? お兄さんが忘れ物を届けに来てくれたぞ」
「ひっ、あの人は何してくれてんのよ! ニコちゃん、お口チャックよ! しーっ、だからね!」
「はーい。あ、急ぎの書類があるのでお願いしますね」
「了解よ。さぁ、急げ~」
駆け戻るとワンさんが満面の笑みでナナさんの椅子に座っている。
「ちょっと、兄貴どこに座ってんのよ!」
「いや~、お前の机は汚いね~。後ろのお兄さんはロクさんだっけ? この人みたいに綺麗にしないと駄目だよ」
確かにロクさんの机はいつ見ても綺麗だ。物が最小限しか出ておらず、置くにしてもピシッと真っ直ぐで性格が良く出ている。
「うるさいわよ。それより忘れ物って何よ?」
「ペン落としていったから届けに来てあげたのに冷たいなぁ。ねぇ、そう思わない? ロクさん」
「え、俺っすか? ナナは人懐っこくて今みたいな態度は珍しいですよ」
「な~に、お前はお兄様だけに冷たいの? 照れなくてもいいのに~」
ナナさんがイラッとしたのか、ワンさんからペンを奪い取って腕を掴んで立たせる。
「私、急ぎの書類があるの。ペンをありがとう。もう帰って」
「分かったよ、元気そうで安心した。――そうだ、さっき言い忘れちゃったんだけど、お前の大嫌いはモモ様が排除してくれたから、いつでも帰っておいで」
「えっ、本当⁉」
「これに関して嘘は付かないよ。じゃあね~」
手をヒラヒラ振ると、「妹をどうぞよろしくお願いしますね」と部屋の人に頭を下げながら帰って行く。妹思いなお兄さんだなと思う僕とは反対に、ナナさんは止めて欲しいという顔をしている。きっと恥ずかしいとか、もう子供じゃないのよ! とか思っているのだろう。
「はぁ……。――ニコちゃん、お待たせ」
「ナナさん、ありがとうございます。それでは失礼します」
部屋を出て魔法道へ向かっていると、ワンさんが途中の廊下の壁に寄り掛かっていた。
「ニコちゃん、やっほ~。今日は桃の国へ来る?」
「はい、急ぎの書類が終わったら行きますよ」
「そっか。じゃあ、待っているね~」
どうやら僕を待ってくれていたらしい。一緒に向かえないのは残念だが、なるべく早く行けるように頑張ろう。
ニコちゃんは絶対に諦めませんね。そして、予想外な事をしてくれます。幸せを諦めるなんて間違っている。幸せは義務なんだ! と思っている子です。そんなニコちゃんとシンやヴァンちゃん達が力を合わせれば何でも出来ちゃいそうです。
ワンさんはいつも誰にも見付からないのに、カハルに見つかって慌てて逃げています。よりカハルへの興味が増してしまいました。
次話は、桃の国の王様に幸せな事が起きます。
お読み頂きありがとうございました。




