0319.一番助けたかった人
「では、そろそろ本題に入るか。まずは弱いのから倒してしまおう」
「本を傷付けないで倒す事は出来るのでしょうか?」
「ああ、出来る。だが、そうすると別の場所に持って行って、魔物を解放して倒す事になるな。一番楽なのは剣で本を突き刺すことなんだがな。――ははは、分かっているから、そんな顔をするな」
そうだよね。封印されているままで倒せば安全だよね。あれ? でも、おかしいな。
「何でみんな本をそのままにしているんですか? 突き刺せばいいだけなんですよね?」
「封印されている魔物より力量が上でなければ出来ないんだ。大抵の人間は魔物より弱いからな」
「はぁ、成程。封印は力量が下でも出来るんですね」
「いや、そんなに簡単なものじゃないぞ。封じ込める魔法具の出来が相当良くないと駄目だな。それにプラスして弱い奴は自分の命数年分を捧げて封印するんだ。数年で足りると思ってやってみたら、魔物が強過ぎて命を全て捧げる羽目になった奴も多いんだぞ。それでも封印出来ませんでしたという悲劇もよくある事だ」
恐ろしい事を聞いてしまった。そんな命を注ぎ込んだ本がここにもあるっていう事でしょう? でも、頑張って封印してくれた方達、安心して下さいね! 今からダーク様達が倒してくれますからね!
「異空間作ろうか? そうしたら行ったり来たりしなくてもいいでしょう」
「そうだな、頼めるか? ピーナ、魔物の気配がある本はどれだ?」
ピーナちゃんが梯子をスルスルと上っていく。やっぱり見た目通り上るのは得意なようだ。でも、あの体で本を持って下りて来られるのかな?
そんな僕の疑問はあっさり解消した。ピーナちゃんが闇の袋を取りたい本に向けると、シュルンと本が袋に吸い込まれてしまった。
その後も目当ての本を次々と吸い込ませる。どう見ても袋には入らないような大きな本も吸い込んでいたので、伸縮自在なのかもしれない。
「こちらの三冊だと思うのですが……」
まず机の上に出されたのは、縦五十センチくらいで濃い紫の表紙の大きな本が置かれる。その本には黒い鍵穴が取り付けられていた。
「これの鍵はあるのか?」
「はい、ここに」
ピーナちゃんが黒い鍵をダーク様に渡すと、ダーク様が差し込む。
「わっ、出て来ちゃいますよ!」
「大丈夫だ、差しただけじゃ開かない。――確かにこの鍵のようだ」
「良かったです。僕は差し込む勇気がなかったもので……」
「気にするな、俺は魔物に慣れているからな。これが幹部を封印しているもので間違いないだろう。どうだ、カハル?」
カハルちゃんが睨むように本を見ている。何か問題があったのかな?
「後で話すよ。他の二冊も見せて貰って良いかな?」
「はい。この赤い本と深緑の本になります」
「――うん、これで間違いないよ。ピーナちゃんは凄いね。普通は気付けないよ」
「何だか嫌な感じがするなぁと前から思っていただけですよ。リベル様が読みたいというのを阻止してきた甲斐がありました」
「本当だよ。私がいくら読ませてくれと言ってもいつも隠してしまうのだから。でも、ピーナの勘が正しかったんだね。守ってくれてありがとう」
はにかむピーナちゃんが可愛い。あー、あの柔らかそうな頬の毛をモフモフしたい。ヴァンちゃんと共に手をワキワキさせていると、カハルちゃんも「分かるよ!」と目で訴えて来る。えへへ、退治が終わったら三人で突撃だな。
「リベル、封印の役目を終えた本が消えてしまう事もあるからな。俺を恨むなよ」
「分かっております。屋敷の物は退避させた方がよろしいですか?」
「いや、大丈夫だ。この部屋に近付かなければいい」
「承知致しました。ピーナ、おいで」
扉がカチャリと閉じられると、カハルちゃんが話し出す。
「幹部はカーリスで間違いないよ。でね、そのカーリスが更に魔物を封じているの」
「どんな魔物か分かるか?」
「頭に角が二本ある大きな仮面だよ」
「ああ、あいつな。見掛けないと思ったら、こんな所に居たのか。確か毒と髪の毛を使う攻撃と、幻影を見せて錯乱させるんだったか」
嫌な攻撃が多いな。特に髪の毛が巻き付いて来たら気持ち悪いよね。
「武器で切れる?」
「うん、切れるよ。髪の毛っていっても太い毛糸みたいなやつでね、切っても切っても伸びてくるんだよ」
「そうだったな。うざくてそれなりに強い奴だ。カーリスは幹部といっても力がある訳ではなくて、他の魔物に慕われて上に立っただけだから、封印するだけで精一杯なんだろうな」
そんな風に上に立つ魔物も居るんだ。人柄、いや魔物柄? が良いのだろう。
「二人はここで待っている? あいつ嫌な攻撃してくるんだよ。――っ、二人共、こっち来て!」
カハルちゃんの切迫した声に慌てて駆け寄る。次の瞬間、夜空のような黒い空間に居た。青や白に輝く星のような光が幾つも浮かび、流れ星みたいに尾を引く光もある。
床のように確かなものが足元に無く、体が宙に浮かんでいる。いつの間にか上下が入れ替わっていても分からなさそうな場所だ。ハッ、もしや、既に魔物に何かされたんじゃ⁉ 思わずカハルちゃんの手を握ると、もう片方の手で包んでくれる。
「ニコちゃん、大丈夫だよ。カーリスが急に本の封印を解くから、異空間に押し込んだだけだよ。もうっ、カーリス駄目でしょ」
カーリスと呼ばれた魔物は、黒の燕尾服とシルクハットを身に着けたユキヒョウにしか見えない。背丈は百八十センチ位で人間のような体格をしており、気品があって貴族みたいだ。
その横には仮面の魔物が動かずに立っていて不気味だ。仮面だけで顔も体も無い魔物は、黒い鎖でグルグル巻きにされ、鎖の端はカーリスさんが握っている。きっと、あれで魔物を動けないようにしているのだろう。
「ははは、創造主様、申し訳ない。貴女が来たのが分かったので、こいつを何とかして頂きたくて。私はもう抑えるのが限界だったのです。これだけ瘴気が薄くなっているという事は、ペルソナ様はもうこの世に居ないという事ですね?」
「そうだ。あと残っているのは、お前とそこの奴だけだ。カハル、他の二体は片付けて来たぞ」
ダーク様、やる事が早いな。弱い魔物だって言っていたから瞬殺だったのかもしれない。
「ダーク、ありがとう。……ごめんね、カーリスにも輪廻の輪に戻って貰わないといけないの」
「謝る必要はありません。ははは、私が最後とは特別感があっていいじゃないですか。貴女はもう自由になっていいのですよ。ペルソナ様もようやく解放されて喜んでいる事でしょう」
カハルちゃんが泣くのを堪えるように唇を噛んでいる。その様子を見ていると、僕が持っている魔物へのイメージが大きく間違っているような気がしてならない。魔物は本当に敵だったのだろうか? カーリスさんとの会話は友人と話しているような気安さがある。
「カーリス、そのまま抑えていられるか?」
「無理ですね。引き千切られ始めて――」
カーリスさんの言葉を遮るように、茶色の太い毛糸みたいな髪が荒れ狂う水のように大量に向かってくる。
「白ちゃん達は結界の中に居てね」
今回は戦闘に参加しなくて良い事に正直安堵している。だって、床が無いとどう歩いていいのかすら分からないのだ。
ダーク様が大剣を振り下ろすと、ザンッと音がして毛糸がボトボトと落ちて灰に変わって行く。何だかこれを見ていると、魔国の城で戦った魔物が思い出される。仮面の魔物も相当にしつこいのだろうか?
仮面の魔物は黒色の長く鋭い角が二本あり、仮面の真ん中で色が分かれている。左側は黒で右側は白く、目は真っ黒い穴があるだけだ。鼻も口もないけど、毛糸みたいな髪の毛は仮面と同じ長さでフサフサだ。大きさはカーリスさんの背丈と同じだが、横幅は三人分くらいありそうだ。裏側がどうなっているのか見てみたいが、動けないので我慢だ。
面倒な事になる前に一気に決めるつもりなのか、カハルちゃんがスイカくらいの炎の玉を何十個も空中に作っていく。その間の髪の毛攻撃はダーク様が防ぎ、紫色の毒の雨はカーリスさんが結界を張って遮る。息の合った連携は仲間なのではないかと思う程だ。
仮面が恐れをなしたかのようにブルブルと震え始めると、ダーク様とカーリスさんが急いで距離を取る。
「錯乱攻撃が来るぞ。絶対に結界から出るなよ」
だが、カハルちゃんは攻撃を待つ義理は無いというように、空へ作った炎の玉を次々に放ち始める。だが、魔物の攻撃の準備が整う方が早かった。
「ギシャオワァァーーー!」
魔物が叫ぶと眩暈のような感覚がして思わずよろけ、体中を恐怖が走り抜ける。……うぅっ、体の震えが止まらないよ~。だが、負けてなるものか!
「こら~っ、口が無い癖に~、うぅ、こ、声を出すなんて……は、反則だぞ~」
気合を入れて声を出したつもりが、声が震えてまともに出ない。
「ニコ、しっかりする。カハルちゃんがすぐ倒してくれる」
ヴァンちゃんは普通だなと思ったら、カハルちゃんに貰った魔物の声だけを防ぐ耳栓をしていた。口が無いという事に惑わされず、きちんと装着しているなんて流石だ。
僕達が話している間にも炎の玉が次々に仮面を呑み込んでいく。僅かな抵抗すら許さないというように、炎が仮面を押し倒し降り注ぎ続ける。炎の中から助けを求めるように伸ばされた髪もすぐ灰に変わり、とうとう仮面は動きを止めた。
それでも降り注ぐ炎は止まらず、ようやく元の星の光だけの状態になった時には灰すら残っていなかった。
「ははは、素晴らしい。いつ見ても貴女の魔法は圧倒的だ」
「カーリス……」
「そんな悲しい顔をなさらないで下さい。名残惜しいですが、そろそろ私もその素晴らしい魔法をこの身に受けるとしましょう。今度生まれる時は猫にして貰えるように祈っておきます」
カハルちゃんは決心がつかないのか、手を上げては下ろす事を繰り返している。カーリスさんはその姿を優しい眼差しで見守っていたが、ふわりと笑って片膝を付き、励ますようにカハルちゃんの手を取って自身の心臓に導く。
「さぁ、躊躇わずにおやりなさい。私を悲しき連鎖から解放してくれますね?」
「……うん……解放するね。ごめんね……そして、ありがとう。……バイバイ、カーリス」
「……さようなら、創造主様」
僕達に背を向けているカハルちゃんの手から眩い光が放たれる。それはどんどん強くなり、直視できない太陽のような明るさに変わって行く。
カーリスさんの輪郭が徐々に光に溶けていく。でも、苦しむ様子は全くなく、人生最高の幸福を感じているかのように輝かしい笑顔のままだ。そして、完全に消え入る寸前――。
「ありがとう……」
深い感謝のこもった言葉が宙にふわりと舞った。
カハルちゃんは暫く微動だにせず居なくなった場所を見つめていたが、合掌して礼をすると異空間を元に戻していく。
「ヴァンちゃん、地面が戻って来たよ!」
「うむ。地面最高」
ようやく踏みしめられる床に立てて喜んでいると、カハルちゃんが振り返って笑顔を見せてくれる。
「これで全て終わったね。ミッションコンプリートだよ」
「じゃあ、俺はリベル伯爵に伝えてくるか」
「うん、お願いね」
「やったー!」
「バンザイ」
喜ぶ僕達に微笑んでから、トコトコと歩いて行き、カーリスさんが消えてしまった空間をまた見ている。
「――これから何して生きていこう……」
ポツリと零れた言葉に耳が反応して、僕とヴァンちゃんの顔からスッと笑顔が消えた。全ての命を燃やし尽くしてしまったような、虚しさしか感じられない声。
カハルちゃんの小さな後ろ姿は酷く頼りなくて、願いが叶った喜びは一片も感じられない。そのまま姿が薄れて二度と戻って来ない気がして、思わず腕に抱き付く。
「何言っているんですか⁉ これからやる事なんて山ほどありますよ! 海水浴だってまだ行っていないし、一緒にお菓子屋さんで山ほど買い込んだり、苦しくなるほど大笑いしたり、森の皆とかくれんぼしたり、一緒に星空だって見たいんです!」
「そう。俺と一緒に沢庵齧ったり、訓練したり、ケーキ食べたり、ピクニックしたり、ニコと三人でスキップしたり、クマちゃんとしりとりしたり、シン様の肩を揉んであげたり、やる事いっぱい。毎日大忙し」
ゆっくりと僕達に顔を向けたカハルちゃんの目は涙でいっぱいになっていた。
「でも、私……沢山の命を奪っちゃった。彼らはもう転生も出来ない……。人間が受け入れる事をしなかったのが最初の原因なの。一部は確かに凶暴で残忍なのも居たよ。でもね、大半の子は優しくて良い子達だったの。それなのに……私は傷付く人間を放っておけなかった。その所為で……もう、ペルソナも……ペルソナも帰って来ないの!」
ボロボロと大粒の涙をこぼして強く拳を握る姿に胸が痛む。全部引き受けて来たんだ。この小さい体に全て。苦しみも悲しみも吐き出す事ができず、楽しむ事さえ自分に許せず……。
段々とカハルちゃんの周りを魔力が覆っていき、その姿が霞んでいく。そして、抱き付いていた筈の腕がスルリと抜けた。
「連れてきたぞ。カ、ハル――」
僕がもう一度腕を掴もうとするより早く、一瞬で移動してきたダーク様が強く抱き締める。どこにも逃すものかと自分の大きな体全てで覆うように――。
「どこへ行く気だ⁉ 全てが終わったのに、カハルが居なくなるなんて俺は絶対に許さないぞ!」
こんなに焦って激しい感情を見せるダーク様は初めて見た。
「ダーク……離して……私、私……誰も救えなかったの」
「馬鹿を言え! 呆れるほどカハルの全てを懸けて救ってきただろう!」
「一番助けたかった人は、いつも救えない。あんなに悲しそうな目だったのに……。私は剣を向ける事しか出来なかった」
「ペルソナがカハルを恨むことなんてある訳がないだろう! 俺が断言してやる。あいつは感謝しているんだ! いつだって、溢れるほどの愛情をカハルに向けていたんだ!」
ぐしゃっと顔を歪めたカハルちゃんがボロボロ泣いている。そして、精神が耐え切れなくなったのか、糸が切れたように眠りに落ちてしまった。
「カハル……俺では力になれないのか? あいつの居ない世界では笑ってくれないのか?」
ダーク様の辛そうな声はカハルちゃんには届かず、静かな部屋に吸い込まれていった。
ニコちゃん達は活躍せずに終わってしまいました。
カーリスとカハル達は仲良しです。会っても戦わず楽しくお話ばかりしていました。
ニコちゃんとヴァンちゃんは、喜ばしい事が起きたのにカハルが泣いてビックリです。ダークも珍しく大慌てですね。でも、一番戸惑っているのはピーナちゃんと伯爵さんです。そーっと部屋を抜け出しています(笑)。
次話は、眠れないカハルです。
お読み頂きありがとうございました。




