0317.ワンさん
「こんにちは、モモ様。書類をお届けに来ました」
「いらっしゃい。こちらへおいで」
衝立の影から部屋の中へ進むと王様が見えてくる。難しい顔で書類を読んでいるせいで、いつもより凶悪なお顔だ。
立ち上がって迎えてくれたモモ様に、カハルちゃんがニコッと笑い掛ける。
「モモさん、こんにちはっ⁉」
王様と目が合ったカハルちゃんの声が跳ね上がる。あー、まずい、泣いちゃいそうだ。大丈夫ですよーと頭を撫でてあげると、そろそろと僕の背に隠れる。
「どうしてくれるの? カハルちゃんが怯えちゃったじゃない。もっと優しい顔が出来ないの?」
「あーっ? 怖い顔なんてしてねぇよ。俺は普通の顔をしているだけだろうが」
どう見ても悪の親分ですけど……。喋り方も荒っぽいから余計にカハルちゃんが縮こまる。
「コウ、出て行ってくれる? こんなに怯えて可哀想に……。大丈夫だよ、私が付いているからね」
カハルちゃんの背を撫でてあげながら、王様に出ていけ発言だ。このお二人の力関係が良く分かるよね。
「あぁっ、今なんつった⁉ 出ていけだと? マジで? じゃあ、俺は酒を買いに行って来るな。あー、楽しみだ」
喜んじゃってるよ。だけど、モモ様が襟首を掴む。
「誰が町に行っていいと言ったの? この部屋を出て書類仕事の続きをするに決まっているでしょう。はい、これ持って、これもね」
王様の手に次々と書類や資料を積んでいく。あー、顔が見えなくなった。もしかして、それを狙ったのかな?
意気消沈して隣の部屋へと歩く姿が切ない。すぐ済みますからね~、少々お待ちを~。
「――お待たせ。カハルちゃん、ごめんね。あの人は暴力を振るったりはしないから大丈夫だよ。お菓子でも食べない? パンダさんのクッキーがあるんだよ」
「追い出しちゃって良かったの? 私、悪い事しちゃった……」
「なんて良い子なの……もう離したくない……」
ギュッと抱き締めて頬をくっつけている。あー、本当に離してくれなさそうな雰囲気が……。
「モモ様~、資料を持ってきましたよ~。あ、キャベツの子じゃない方!」
どんな覚え方をしているんだか。よっぽどヴァンちゃんの印象が強いらしい。
「ちょっと、失礼な呼び方をしないでくれる? ニコちゃんという可愛らしい名前があるんだからね」
「こんにちは、僕はニコです」
「これはご丁寧にどうも。自分はワンと言いますよ~」
「えっ、ワンさん⁉」
「あれ? どうしたの? 私の名前そんなに珍しくないと思うけど」
心の中でワンさんと呼んでいたのでびっくりだ。名前を知らなかったので、暗殺者ナンバーワンさんと呼んでいたが、長くて面倒になったので縮めて呼んでいたのだ。
「え、えへへ、お気になさらず。モモ様、書類をお願いします」
怪訝そうな顔を見ないようにして話題を変える。
「うん。二人共、このソファーに腰かけて。クッキーをどうぞ」
仲良く並んでパンダクッキーを齧っていると、ワンさんが僕の右隣に座る。
「ねぇねぇ、この前のキャベツの子は何ていう名前?」
「ヴァンちゃんです」
「ヴァンちゃんだね、了解だよ。ここにも来るの?」
「そうですね、時々来ますよ。桃の国は配達が少なめなんです」
「そうなんだ。いつも二人で行動している訳じゃないんだね。今度さ、私の武器コレクション見に来ない? 君達、興味あると見た」
嬉しいお誘いだ。ヴァンちゃんがきっと大喜びするだろう。返答しようとすると、ワンさんの姿が消える。
「ふへっ⁉」
「ごめんね、手が滑っちゃった」
ワンさんが居た部分に深々とナイフが刺さっているのを見て血の気が引く。
「いや~、手が滑ったレベルじゃない気がするんですけどね~」
「気のせいだよ。封筒を開けようとしたら、こう、ツルッとね」
驚いた所為でカハルちゃんの手からパンダクッキーがポロリと落ちた――と思ったらワンさんの手にクッキーがある。えっ、この人、いつの間に移動したの⁉ 僕の後ろに居たのに、今はカハルちゃんの左斜め前に膝を付いている。
「はいよ、びっくりさせちゃってごめんね。モモ様、やきもち焼きだからさ。――おっと」
今度はソファーの後ろにある外へ続く扉の前に居る。
「ちょっと、モモ様、危ないじゃないですか。糸を使うのは止めて下さいよ」
「何の話? そろそろ仕事に戻ってくれるかな。私の至福の時間を邪魔しないでくれる?」
「うわぁ、大人気ないわ~。――うわっ、わっと」
何かを避けているようだが何も見えない。一人で変な踊りをしているように見える。
「凄いね。ぴょーんて高くジャンプしているよ。ニコちゃんの身長を超えていたんじゃない?」
「凄いジャンプ力ですよね。今の仰け反るのも凄いですよ。膝が地面に付きそうな角度でしたよ」
勢いよく跳ね起きると外への扉を開けて逃げて行く。そして、少し離れた所から僕達に向かって両手を大きく振ったり、飛び跳ねたり、投げキッスをしてくる。陽気な暗殺者ですね。
「まったく逃げ足が速いんだから。シッ、シッ」
モモ様が追い払うように手を振ると、腕を目に当てて泣き真似しながら走り去って行く
「――パフォーマー?」
カハルちゃんが呟いた言葉にモモ様が笑う。
「ふふふ、いいね、そうしよう。今日から暗殺者じゃなくてパフォーマーに仕事を変更しよう」
機嫌が良くなったのか眩しい笑顔を僕達に向けてくれる。
「干し杏もあるよ。良かったらお土産に持って行く? クマちゃんが好きでしょう」
「はい。クマちゃん、ドライフルーツが好きみたいなんです。この前も自分で育てたフルーツで作ってましたよ」
「凄いね、私も食べてみたいな」
「じゃあ、伝えておきますね。最近いらっしゃらないですけど、お忙しいんですか?」
「違うよ。シンに断られてばかりなんだよ。知らぬ間に怒らせちゃったのかな?」
モモ様が落ち込んでいる。思い付くのは撮影に熱が入り過ぎだという事くらいか。
「あのね、モモさんが悪い訳じゃないの。私がやる事いっぱいあるから、休めるようにってお父さんが気を遣ってくれているの。あ、モモさんが居たら休めないって意味じゃなくて、ええと……」
「ふふふ、慌てなくて大丈夫だよ。お客さんには無意識に気を遣ってしまうものだから、シンがそう考えるのも分かるよ。ちゃんと理由が分かってすっきりしたよ」
もうちょっとで魔物を全部倒せるから、モモ様も許可して貰えるようになるだろう。さてと、配達を終らせなきゃ。
「モモ様、ご馳走様でした。僕達、行きますね」
「もう行く時間? はぁ、寂しい。いつでも遊びに来てね、歓迎するから」
「はい」
「んー、帰るのか?」
王様が書類片手に戻って来た。カハルちゃんがビクッとした後、緊張した顔でトテトテと近付いて行く。
「んー? あ? な、何だよ⁉」
動揺している姿が面白い。モモ様も静観する事にしたらしく笑って見ている。
「違うお部屋に行かせちゃってごめんなさい。お詫びに飴どうぞ」
「お、おう。んー、どれにすっかな……」
足を広げてしゃがみ込み、カハルちゃんの持つ飴の袋を覗き込む姿は、大型の肉食獣が小動物に襲い掛かっているようにしか見えない。
「コウ様、失礼致します。お菓子をお持ち――」
女官長さんが二人の姿を見て蒼白になり、持っていたお菓子を机に素早く置くと王様を突き飛ばす。
「――うぉわっ!」
「見損ないました! こんな小さな女の子のお菓子を取り上げようとするなんて!」
カハルちゃんを胸に抱き込んで王様をキッと睨みつけている。
「え、ちょ、女官長、誤解だ! そいつが飴くれるって言ったんだよ」
「――そいつ? そこに直れ」
まずい、モモ様がキレた。カハルちゃんを攫って逃げてしまいたい。
「誤解? じゃあ、なぜこんなに震えているんですか⁉」
それはモモ様の怒りの所為です。僕もガクガクブルブルです。
「ねぇ、謝ってくれる? こんなに可愛い子にそいつ? なに言ってるの?」
モモ様が酷薄な笑みを浮かべながら、ナイフでピタピタと王様の頬を叩く。ひぃーっ、誰かーっ! 陽気なワンさん、戻って来て~(泣)。
「名前知らねぇんだから、そいつとしか言えねぇだろが! それと、女官長、震えてるのはモモの所為だ!」
「まぁっ、人の所為にするだなんて! あちらに行きましょうね。大丈夫よ、私が守るわ」
「あ、あの、違――」
「女官長、二人を魔法道まで送ってあげてくれる? 私はお仕置きしないといけないから」
カハルちゃんの言葉に被せるように発せられたモモ様の声で、女官長さんに否定の言葉は伝わらない。
モモ様に力強く頷いた女官長さんに手を引かれながら後ろを振り返ると、モモ様が「じゃあね」と笑顔で扉を閉めていく。
「ま、待て! 頼む、置いて行くな! 誤解なんだーーーっ」
いつの間にか縄でグルグル巻きにされている王様が、這いずって衝立から顔を覗かせた所で完全に扉が閉ざされる。
そして、一拍の後、「うぎゃあぁぁっ」と叫びが聞こえる。ぼ、僕は何も聞いていない、聞いていません、幻聴です……。
「あ、あの、違うんです。私が飴をあげようとして――」
「まぁ、優しいのね。いいのよ、気を遣わなくても」
駄目だ、決めつけている。何と説明したものか……。
「いや~、面白かったな~」
「あ、ワンさん!」
「どうも~、ニコちゃん。腹抱えて笑っちゃったよ。女官長、どう見ても恐喝にしか見えなかっただろうけど、お嬢ちゃんの言っている事は本当だよ。私が一部始終見ていたから間違いないよ」
どこから見ていたんだろう? まるっきり気配を感じなかった。さすが、暗殺者ナンバーワンだ。
「え、本当にですか? ど、どうしましょう。酷い事を言ってしまいました……」
「大丈夫、大丈夫。女官長が『コウ様、ごめんなさい』って手でも握って謝ったら速攻で許してくれるから」
そう言えばヴァンちゃんが教えてくれたな。コウ様は女官長に惚れているって。この感じだと城中の人が知っていそうだ。
「そんな事で許して頂けるでしょうか? ……でも、そうですよね。誠心誠意謝るしかありませんよね」
良かった、誤解は完全に解けたようだ。人の恋路の邪魔はしたくない。馬に蹴られてしまうじゃないか。
「お二人共、お騒がせして申し訳ありません。また、いらしてくださいね。お詫びに精一杯おもてなし致します」
「気にされなくて大丈夫ですよ。誰でもあの場面を見たら誤解しちゃうと思います。僕も肉食獣に襲われる小動物にしか見えませんでした」
「ぶほっ、あははは、ははっ、き、君、サイコー! ぎゃはははっ」
「ふふふ、肉食獣、ふふふっ、ふふ」
通りすがりの人がワンさんの爆笑にびっくり顔だ。すみませんね、この人は笑い上戸なんですよ。
魔法道に着いてもまだ笑い止まないワンさんはほっとこう。
「女官長さん、ありがとうございました。それでは、また」
「ええ、お気を付けて。カハルちゃん、バイバイ」
「バイバーイ」
その後は問題なく順調に配達する事が出来た。桃の国に行くとハプニングが多い気がするな。……いや、飽きが来ないと考える事にしよう。なかなか進展しなさそうな王様と女官長さんの恋を陰からこっそり見守るのだ。きっと楽しいに違いない。巻き込まれなければ、だけど。
ナイフが刺さった可哀想なソファーはワンさんがちまちま縫って直します。
歌って踊って裁縫も演技もしちゃう、陽気で笑い上戸なワンさん。誰も凄腕の暗殺者だとは気付かないでしょうね。今後、ニコちゃんとヴァンちゃんをこっそり見に行くつもりです。楽しい事は逃しませんよ~。
次話は、ヤナギちゃんとミナモの関係が変化します。
お読み頂きありがとうございました。




