#04 雅
「大爺様は、なんて?」
退室すると、外に居た亮平が早速、尋ねてきた。
「あとで家族会議があるらしいから、そこで分かると思うわ。大した話じゃないし」
白々しいセリフだと自分でも思ったが、どうせ小一時間もすれば分かる事だ。
――この部屋のすぐ向かいの部屋に入って、その向こう側から出る。
曽祖父に言われたことを反芻して、雅は障子を開けて室内に入る。
「なんだ雅? ここになんか用か?」
「ええ。そんなトコ……兄さん、そこ閉めて」
二人の入った和室には、特に目立つものはない。四方は障子で囲まれ、座布団が部屋の角に積まれている。
「なんだよ? 何かあったのか?」
亮平が怪訝な表情をする。
「予想だけど……この地下は障子を閉めたり、誰かが曲がり角を曲がったりすると、それをスイッチに部屋が移動するようになってるのよ。大爺様も、随分大掛かりなものを作るわね。ブロックごとに分けた部屋の配置を、自在に変更する解創。これなら何者かが侵入して闇雲に動いても、目的の部屋……例えば大爺様の部屋には辿り着けない。aの曲がり角を曲がると、Aの部屋が動く、みたいに手順が決まってるんでしょうね。だから入ってる人が動けば動くほど、部屋の配置はぐちゃぐちゃになって混乱する。目的の部屋に辿り着くには、正しい手順を踏むしかない。複数人が同時にこの空間を歩いたり、別行動を取ったりすれば、部屋や廊下の配置はさらに複雑にシャッフルされる」
「え、じゃあマズくないか? さっき美智と健が帰って、部屋の配置は変わってるんだろ?」
焦燥に駆られた兄が正論を言った。だが雅は否定する。
「確かにそうだけど、一階と地下を繋ぐ場所……出入り口の位置だけは移動しない……いや、動かせない。箱の中身の配置は変えられても、蓋の位置は変えられないのと一緒。まぁ出口の位置が分っても、正しい道順で進まないと、目的の部屋は思わない場所へ移動する……つまり帰ることはできても、目的の部屋には辿りつけない。侵入者対策としては、それで十分なんでしょう」
そして作り手である富之は、自分の部屋が出口のすぐそばに移動したことを把握していた。だからこそ、雅が出口に辿り着くのに一番簡単な道順を教えられたのだろう。どうやって把握しているのかは知らないが、恐ろしい事だ。
はたして、出口の階段は、部屋を出てすぐにあった。
「はぁ、良かった。助かった……」
兄が情けない事を言うのを無視して、雅は階段を上った。
「はぁー、生き返った気分。久しぶりの娑婆の空気が新鮮だぜ」
「出所したての犯罪者じゃないんだから……」
兄の生き生きとしたセリフを聞いて、雅は呆れ顔になった。
広間には、どうやって行くのだろう、と雅は適当に廊下をほっつき歩き始めた時だった。
「あなた! 親族の集まりだっていうのに、なんて格好させてるの!」
怒鳴り声を通り越して、金切り声とか悲鳴に近かった。雅が音源を見ると、そこには二人の女がいた。
一人は和服の人物。それは振袖と間違えそうなくらい華やかだった。顔には年輪というよりストレスの具現といった風に皺が刻まれている。反比例するように背筋は真っ直ぐ伸びている。年は七十五だから、かなり健康的なのかもしれない。先ほどの金切り声がその証拠だ。淳子大叔母様だ。視界に映った人影に、雅は溜め息をついた。
「いえ、これは学校の制服でして……米さんは、これで良いと……」
切実に弁解しているのは、良正の妻、政子。髪はショート気味に切っている。
そしてその隣に、頭二つほど背丈の低い子供がいた。上宮斉明だ。幼いながらも利発そうな顔立ち。華奢な身体は割り箸のように貧弱に見える。
「斉明は当主候補なんですよ! 正装をさせなくてどうするんですか! あなたの夫も、家族会議の時は正装でしょう!」
「正装って……つまり袴と長羽織ですか?」
「当然でしょう! なに言ってるの!」
ヒステリックに淳子が叫ぶ。どうやら政子は米大婆様に頼まれて着替えさせたらしいが、斉明が嫌いな淳子は、頼まれたというだけで、政子が斉明を贔屓していると勘違いしたらしい。
「俺らとか、どうなるんだろうな? ジーパンにTシャツだぜ」
小声で亮平が耳打ちする。雅は兄の自虐を軽くあしらう。
「作り手じゃないから関係ないんでしょ」
やがて淳子が呆れた、と言わんばかりに、あからさまに肩を落として不機嫌そうに言う。
「もういいです! 斉明の着付けは私が……」
親の仇を見るような目で、淳子は斉明を睨みつけながら近づく。
いくらなんでも、これでは政子さんと斉明くんが可哀想だ。雅は、淳子と斉明の間に割って入った。
「なんです?」
その威圧的な雰囲気では「そこをどけ」と言っているのと同じだ。負けじと雅は言い放つ。
「淳子大叔母様。それなら私がします。袴の着付けも経験ありますし」
「いいえ、結構です」
淳子はピシャリと言い放ち、雅の横を通ろうとする。まるで相手にされていないようで悔しい。一泡吹かせてやりたい、という短絡的な思考と醜い感情に流されるようにして、雅はとっておきの口実を口にした。
「私、斉明くんの世話係に就くようにと、大爺様に言いつけられました。大叔母様は大爺様に真っ向から反対する気ですか?」
本当は世話係でなく護衛だが、四六時中一緒にいるのだし、大して違いも無いだろう。
皺だらけの淳子の顔が、一瞬にして、さらに憎悪と羞恥で歪み、耳まで紅潮する。二、三回ほど水面に出てきた金魚のように、口をパクパクさせた。
「なんて口の利き方をするの、あなたは! 全くこれだから役立たずの長男の孫は……それだけ大口叩くんですから、着衣の乱れがあっても言い訳なさらないようにね。失礼しちゃうわ全く……」
最後まで口うるさくブツブツと呟きながら立ち去っていく背中を眺めて、口元が緩むのを堪えるので精一杯だった。ここで大笑いしたら逆上されかねない。
「お前……そんな仕事任されたのか?」
「早速バレたし……」
なんとなく気まずい。逆恨みな気もしたが、でもやっぱり淳子を恨んだ。
「斉明くん。久しぶり。覚えてる?」
「はい、雅姉さん」
小学校四年生の子供のものとは思えない、淡々とした口調だった。全てを見透かすような視線が雅を射抜く。
「政子伯母様。斉明くんを借りてもいいですか?」
雅は斉明から視線を外して伯母を見る。
「ええ。ごめんなさいね。米さんから頼まれたのは私なのに……自分でも情けない」
建前などではなく、本心のようだ。政子は今にも泣きそうな顔をしている。
「お気になさらないでください。淳子大叔母様は斉明くんのことになると、少し頭に血が上られるようなので……」
雅は笑って誤魔化した。年上を慰められるほど人間は出来ていない。