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  #03 雅

 大きな造りの玄関を抜けると、その先は縁側である。ここまで来て、雅はこの屋敷が『口』の字の形をしているのだと理解した。四方を囲われた空間に存在する庭園は、箱庭という言葉がピッタリである。

 庭園は広いだけでなく、綺麗に手入れされている。植えられた松や石畳、配された庭石が、個性的な異界を作り出している。まるで大爺様――雅の曽祖父、上宮富之の威厳を象徴しているようだ。いや、実際にそうだろう。作る才能を持つ上宮家は庭師など雇わずとも、自力で本職に匹敵ないし凌駕する作品を作り上げてしまう。富之は今年で白寿、九十九歳だが、未だ現役の作り手だ。この庭園に自ら手を加えていても、なんら不思議ではない。

「初めて見るけど……凄いわね」

 雅は無意識に、感嘆の声を漏らした。

「流石は大爺様だよねー。こんなの、他に誰が作れるんだろうね。やっぱり孝治(こうじ)大伯父様と、その子供のしりとり三兄弟くらいかな」

「その呼び方、まだ使ってたの? 正和(まさかず)さんと和良(かずよし)さんと良正(よしまさ)さんだっけ。……っていうか、普通に美智のお父さんがいるじゃない、洋一郎(よういちろう)さん」

「えー、ウチのお父さんは大した事ないよぉー」

 美智が恥ずかしそうに笑う。

 現時点で、上宮で『作り手』足り得ているのは、当主である富之を除き、次の七人だ。

 長男、|雅の大叔父にあたる武史たけしの息子、美智の父、洋一郎。

 次男、孝治と、三人の息子、正和、和良、良正。

 三男、卓造(たくぞう)と、その一人息子、眞一(しんいち)

 だが雅は、もう一人……おそらく上宮で史上最年少の『作り手』足りえる少年、上宮斉明を知っているので、それを足して、跡継ぎになれる作り手は、実質八人と認識していた。

「あれ、私たちのお爺様って作り手じゃないんだっけ?」

 美智が訊いてきたので、雅は考えながら答える。

「武史お爺様は才能が無かったからね。私のお父さんもよ。なのに武史お爺様の次男の美智のお父さんには才能あるんだから、変なもんよね」

「それ言い出したら、斉明くんどうなるの? まるっきり突然変異じゃん」

 美智が、妙な単語を口にする。

「突然変異、ね」

 隣にを歩いていた亮平が笑った。無理もない。彼――斉明の祖母の久仁子、そして母親の里奈はどちらとも、作り手の才能はなかったのだから。

「あっ」

 美智は唐突に声を上げて、雅の顔を見ながら、不満そうな口調で語る。

「雅姉さんにも、作り手の才能あったのに……勿体ないよね、男しか継げないなんて不平等だよ、この時代に」

「いいわよ。どうせ私、家を継ぐなんて大役無理だし、やる気もないわ」

 雅は肩をすくめる。祖父は長男だったが作り手の才能はなく、それは雅の父も同じだ。そんな雅からしてみれば、上宮家なんていうのは、さして重要な事柄ではない。上宮の家を継ぐなんてゴメンだ。

「まぁ雅は作るのもできるけど、使う方が得意だしな」

 亮平が笑いながら言った。それはそれで、雅は不満だった。

 上宮は作ることで解創を獲得し、自由を得る『作り手』主義の追求者の家だ。それなのに雅が優れていたのは『作ること』ではなく正確には『作り直すこと』であり、さらにそれよりも『使う』才能の方が、もっと優れていた。

「そりゃそうだけど……あ、(けん)くんだ」

 美智の声で視線を前に戻すと、美智と同い年の少年が、三人に小走りで向かってきた。

 幾分子供らしさの残る顔付きの少年。それが雅の鳩子、しりとり三兄弟の長男、正和の一人息子の健だった。

「お久しぶり、雅姉さん」

「久しぶり、急いでどうしたの?」

「雅姉さん達を、大爺様が呼んでたよ」

 健の口調は、幾分緊張していた。大爺様直々の言伝(ことづて)であれば、無理もない。

「そう……ありがとう。行きましょ、兄さん」

「ああ、そうだな。案内してくれるか?」

「分った。こっち」

 亮平の頼みに、健は快く承諾した。

 縁側を抜けて廊下を進むと、階段が現れた。上と下、両方あるが、健は下りを選択する。雅たちも続いて木製の階段を下りると、木と障子だけの地下空間が現れた。和風の屋敷に地下があるのに驚いた。通路が入り組んでいて奥行きが分からないが、おそらくここは、屋敷の広さに比例するのだろう。天井の照明の加減もあって、距離感が狂いそうだ。

 廊下に踏み出すと、雅は違和感を抱いた。空気が重い(、 、 )。まるで水の中を掻き分けて進むような感じがする。歩くだけで、たちまち疲弊してしまいそうだ。

 まるで迷路のような廊下。床は縁側と同じように、延々と木が張られている。周囲は全てが障子。恐る恐る障子に指を突き立てるが、そのくらいで破れはしない。紙に見せかけた磨り硝子。さらに追求者特有の特異な堅牢性ないし守護の機能も有しているのだろう。色や形の違いのない障子が延々と続き、この不思議な空気の重たさで精神を磨耗させつつ、方向感覚を狂わせる。入った人間の見えないところで道や部屋の配置が動いていても不思議ではない。あの大爺様ならやりかねないと雅は思った。

 外敵の侵入を想定しているのだろうか? そしてこの複雑な構造を把握し、すいすいと迷う様子を見せずに進む健も、また上宮の影響を受けた『変わった子』であることは、紛れも無い事実だ。

 そして雅も、少々混乱しながらも道を記憶した。これなら、健がいなくても帰り道は迷わずに済みそうだ。

「ここだよ」

 ある障子の前で健が立ち止まる。その障子はどことも違いが見られないが、一体何を基準に区別しているのだろう? やはり道順を記憶していると考えるのが自然だ。問わずとも雅は察した。

「案内してくれてありがとう。待ってなくていいわ。多分だけど……話、長くなりそうだし」

「分った。じゃあ俺らは大広間で待ってる?」

「うんそうだね」

 健は美智を誘って歩きだす。まもなく二人の姿は、和風の迷宮の奥へと消えていった。

「雅」

「そうね、多分、用があるのは私」

 兄の言わんとしていることを察して、雅は先に言い切った。

「先に言うなよ……でもやっぱそうだよな。俺は作り手の才能ないから」

 亮平がバツの悪そうな顔をした。

『おい、そこにおるのは誰かの?』

 部屋の中から声がした。二人はギクリと肩をすくめる。

『栄太郎の子らか? なら入って来い』

 呼ばれて、亮平は障子を開けた。

 そこに居たのは、今年で白寿を迎えるとは思えないほど凛々しい老人だった。長羽織は身体の一部のように馴染んでいる。白寿ゆえか頭髪は無いが、椿油で磨かれているらしく、見事なまでの薬缶頭(やかんあたま)だ。

 老人は座布団の上に正座して、粋なデザインの座卓に向かい、なにやら作業をしている。だが首にかけられたままの老眼鏡を見るに、細かい作業ではないようだ。

「ご無沙汰しております。大爺様。曾孫の亮平でございます」

 同じく雅です、と雅は続けた。曽祖父――上宮家現当主・上宮富之が二人を軽く見る。

「よく来たの。何年ぶりじゃ? まぁ座れ座れ」

 少々しわがれているが、十分に聞き取れる声量と声質だった。富之は既に置かれていた二つの座布団を視線で示す。二人は軽く会釈をしてから、それに座った。

「ええっと……自分が高校の頃が最後だから……七年ぶりですね」

 亮平が答える。兄が高校生だと、おそらく雅は小学生になる。

「そうか。もうそんなになるのか。……それで仕事はどうじゃ?」

 富之は、座卓に置かれた湯飲みを眺めながら言った。問いは亮平に掛けられたものだ。兄は迷わず答える。

「片田舎で、空調機のメンテ……修理の仕事に従事しております。作り手になれなかったこと、どうかご容赦を」

「よいよい。確かにお前の力は貧弱じゃったが、上宮の作り手なぞにならんでもええ。世のため人のためになるなら、それはそれで結構。今後も励め」

 富之の口調は穏やかだった。亮平は「はい」とだけ答えた。

「して雅。今日はお前に用がある。……亮平、おぬしは下がってよいぞ」

「はい……失礼します」

 長男ということで顔を立てたらしいが、やはり本題は雅らしい。合理的というべきか、それとも冷徹というべきか。どちらにせよ雅は感心した。年配の人間は、必要以上に長男を立てたがる傾向にあるらしいが、富之は例外のようだ。本人が先代の次男であることにも要因があるのかもしれない。

「どのような御用件でしょうか、大爺様」

 兄が退室した直後、雅は表情を変えずに富之に問う。

「皆には、あとで言うが……本人には先に言っておこうと思ってな。斉明の事情を知っているの?」

 老男の眼が鋭く光る。雅は背中から嫌な汗が滲み出るのを感じながら、大爺様がここで彼の名を上げた理由……つまり斉明と自分との繋がりを思案する。

 上宮斉明。今年で十歳になる富之の曾孫、雅の鳩子だ。

 だが彼は、曾孫世代の中では抜きん出た……いや、そんな言葉では済まされないほどに、作る才能に恵まれている。上宮のホープ、時が来れば当主の座は確実と言われるほどで、既に作り手としての英才教育が施されているという。

 だが彼は、才能に恵まれていても、周囲の人間には恵まれていなかった。

 斉明の大叔母に当たる富之の長女、淳子(じゅんこ)。彼女は三人も子を産んだにも関わらず、その全てが女だった。跡取りは本家の人間などではなく、男の中でも一番優れた作り手が勤めるという仕来りを持つ上宮では、自分の娘たちが跡取りになるのは不可能だ。それだけならまだ孫の代に託せたのだが、三人姉妹は誰も結婚しておらず、長女が四十路を迎えた事もあり、淳子の子孫から上宮を継ぐ人材が生まれる希望は潰えたと言っていい。

 だが淳子の妹の久仁子、その娘である里奈は、一人目で斉明という金の卵を生んだ。自分は三度も苦しんだというのに、妹の娘は、たった一度で次期当主候補を産んだ。淳子が妬ましく思うのも当然だった。淳子が事あるごとに里奈の夫の智也(ともや)、そして斉明に嫌がらせをしているというのは、人づてに聞いていた。

 その上、里奈と智也が交通事故に遭ったというのは、噂に聞いていた。

「はい……交通事故に遭ったとか」

 雅は知っているままを口にする。

「皆には、まだ言っておらんが……里奈と智也、斉明の両親が亡くなった」

 驚きに目を丸くする。それほど接触はなかったが、それでも親戚が亡くなったというのは、ショックだった。

「今はワシと米で面倒を見ておる……まぁ、斉明は(さか)しいからの。面倒を見るもなにもないんじゃが……」

 米とは、富之の妻、つまり雅の大婆様である。相当に小柄で、小学生の斉明と大差ない背丈だった筈だ。

「それでの……ここから先は特にじゃ。他の者に喋ってはならん。聞く気はあるか?」

 これほど念を押してくるとは、他に何かあるんだろうか? 雅は訝ったが、気になって「はい」とだけ端的に応じると、富之は続けた。

「斉明ら三人は、交通事故に遭った。そこまではいい。不幸な出来事じゃったろう……が、それだけでは済まされん事があってな……裁定委員会にも、それは既に伝えてある」

 ――裁定委員会が、なぜここで出てくる……?

 作り手が関わったとはいえ、ただの交通事故だ。彼らの出る幕はないだろう……もし理由があるとすれば、解創が使われたり、解創の衰退に繋がる可能性があると判断された場合……。

 そういうことかと、雅は富之の言わんとしている事を察した。

「もしかして……事故は意図的に誘発されたものだということですか?」

 うむ、と富之は頷いた。

「流石じゃの雅、察しが良い。……跡取り候補は八人おった。長男の武史の次男、洋一郎。次に次男の孝治と、その子供……しりとり三兄弟の正和、和良、良正。それから三男、卓造とその息子、眞一。そして斉明じゃ。おぬしが知っとるかは知らんが、ワシは次期当主に斉明を指名した」

「他の候補の方々は、事故の前から、次期当主の話は御存知で?」

「知っとる」

 なるほど動機も十分というわけだ。雅は納得した。正式ではないとはいえ、次期当主指名直後の惨事となれば、他の候補の恨みによるものと考えるのが妥当である。

「事故を起こした奴……もしくは奴らは、次期当主となる斉明を殺すことで、自分たちを次期当主とする腹積もりじゃったんじゃろうが……そうはいかん。本来なら、斉明が生きとることを隠して、当主の座を積極的に望むものから順に疑えばよかったが……交通事故じゃったからの、警察の介入で、斉明の生存は隠せんかった」

 そこでじゃ、と富之は、いったん言葉を切る。

「ワシはこれから、犯人探しを行う。おそらく七人の中に容疑者はおるからの、別の話に見せかけて、尋問を行う。斉明の処遇をどうするか、という話でな。より斉明を引き取りたいという者が怪しいわけじゃ。そして……ワシは犯人探しに従事するから、斉明の身を守る者がおらん」

「じゃあ、私を斉明君の護衛に?」

「左様」

 雅は、驚きを隠せなかった。

 当主直々の尋問による犯人の特定。その間、斉明を守るのが雅の勤めというわけだ。

「次期当主の斉明くんの護衛を私が? いくらなんでも、荷が重過ぎます」

 雅には、確かにそれなりに、追求者としての才能がある。だが斉明のような教育や手ほどきは受けていないし、才能があるといっても、追求者としては並み程度のものでしかないのだ。作り手として才覚を持ち、自分よりも一回りも二回りも上の七人を相手に、誰か一人でも出し抜けるとは到底思えない。

「確かに。おぬしには悪いと思う。しかし腕利きの者となれば作り手、作り手はすなわち容疑者候補じゃ。より確実に斉明を守るためには……雅、容疑者の可能性が限りなく低い、おぬしを頼るしかないわけじゃ」

 富之の言い分はもっともだった。ボディーガードに容疑者を指名してしまっては、斉明の命を投げ渡したも同然だ。

「もちろん、絶対とは言わん。その時は別の方法を考えるまで。どうじゃ? やってくれるかの?」

 上宮の未来、次期当主候補の内争……そして、斉明の命。

 全てを考慮したうえで、雅の回答は決まった。

「分かりました、この勤め、必ずや最後まで全うします。斉明くんの命、私の命に代えてでも、守ってみせます」

 うむ、と満足げに富之は頷いた。雅からは視線を外し、再び座卓の上の作業に戻る。

「そうか……良い返事を聞いた。褒美というワケでもないが、帰るときは、この部屋のすぐ向かいの部屋に入って、その向こう側から出るといい。ああ、入ったら、障子は絶対に閉めるようにの」

 曽祖父の言う事はよく分らなかったが「失礼しました」と言って、雅は厳粛な態度を崩さず退室した。

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