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  #01 斉明

 それは、夏休みに入って一週間ほど経過した日だった。

 空は青。中天に行くに連れて、青は藍に近くなる。美しいグラデーションだった。

 視界の端では黒い電線が高速で波打つ。対照的に、ふわふわと浮く白い雲は、のんびりと宙を漂っている。

 じっとりと汗をかきながら、少年、上宮斉明は、そんな空を眺めていた。

「夏だ――」

 顔は無表情だが、零れた言葉は、うっすらと歓喜の色を帯びていた。

 うっとうしい学校生活から解き放たれる夏休みの到来に、一番うれしいと感じているのは自分だという自信があった。程度の低いクラスメイトから開放されるというだけで、この休みは嬉しいかぎりだ。

 小学校は公立で、学校の勉強は、『(だい)』が三つも四つも付くほど嫌いだ。私立にならなかったのは良かったと、心の底から思う。父、上宮智也(ともや)(旧姓:西条)が、母の里奈に「斉明は頭が良いから、私立の小学校を受験させよう」と言っていた過去を思い出すと、今でもぞっとする。

 幼稚園児の当時は、何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。しかし実際に授業を受けてみればすぐに分かった。斉明がこよなく愛する『創作』や『作成』という行為において、まったく役に立たない知識、その他もろもろの駄情報を、呪詛のように聞かされる授業という悪魔の儀式は、彼にとって拷問に等しく、低学年から授業はサボり気味だった。

 去年……つまり三年からは、里奈の説得もあって授業そのものには出ている。授業はまったく聞かず、ノートは真っ白だったが。

 それでも成績だけは良かった。俗に言う天才児というやつかもしれないが、当の斉明自身は、これっぽっちも興味は無かった。だがテストという制度は都合が良かった。授業態度が悪くても、通知表につく評価点の大半は、テストの点数に比例するからだ。

 それに四年生になってからは、授業態度も良いフリをし始めている。正式には机間巡視というらしい先生の監視パターンを解析し、先生が巡ってくる時を予測して、その時だけは板書をノートに丸写ししたり、先生が立ち位置を変えそうになったら、机の上の『創作物』をノートの下に隠したりした。いくつかのポイントから総合的に見れば、教室において盲点は存在しない。が、個々のポイントには、やはり盲点が存在する。斉明はそれを把握していた。

 斉明にとって学校は、そういう先生の目から逃れて、趣味の『創作』をするための場所でしかなかった。机間巡視のスリルと授業時間のタイムアタック。制限時間内に、かつ先生に見つからないように何かしらの作品を作成できれば斉明の勝ち。新学年に入ってからは無敗である。相手は知る由も無い勝負だが。

 そういう自由奔放な生活を送っているため、いじめっ子たちに疎まれることもしばしばあった。自分は怒られるのに、同じようにふざけている斉明が怒られないのが気に食わないからだろう。負けず嫌いな斉明は彼らに屈しなかった。それとなく教員を誘導して彼らを徹底的に弾圧しつつ、弾圧されて弱ったところに助言して、彼らに恩を売ることで信頼を勝ち取って対応していた。

 こうしてみると、わりと小学校生活を満喫しているのだが、斉明はすぐに飽きてしまう困った性分で、最近は何かとマンネリ気味だった……そう考えると、やはりここで夏休みというのは、実に良いタイミングである。

 それに何より、八月には大爺様に会える。それが一番うれしかった。

 大爺様――上宮富之は、斉明の数少ない理解者だ。両親や、祖父母も理解してくれない『創る』という事の楽しさや奥深さを理解して、知識と機会、そして賞賛を惜しみなくくれる。

 その最大の賛辞が、斉明を次期当主として指名してくれた、という事である。

 電話で富之本人から聞いたことで、他の跡取り候補たちにも知らせたらしい、正式な発表は八月になるという。

「斉明、酔ってないか?」

 運転席から、成人男性の声が掛かる。父の智也の声だった。

「斉明なら大丈夫でしょう。車酔い、したことないし」

 助手席にいる母の里奈が笑って応じた。斉明はオープンカーの後部座席で仰向けに寝転がっていた。

 このクソ暑いのにオープンカーで外出したいという父の誘いに母が乗ってしまい、斉明も連れて来られたのである。二人で勝手に予定を立てていたらしく、斉明は今日になって初めて知らされた。正直、気乗りしなかったが、こういう、のんびりとした時間も悪くないと割り切って、精神衛生の悪化を防いでいた。

「もう少ししたら、デパートに着くからな。斉明、なにか欲しい物あるか?」

 どうせ買ってくれないのに、こういう事を訊くのは意地悪なのか、なんなのか。斉明には、欲しいものが一つあった。けれどそれは、デパートはおろか、どこに行っても手に入るものではない。大爺様ですら用意できないものだ。

 自分の名前の意味を調べて、斉明は自嘲したものだった。心清く正しくという一般的な意味ではなく、多種多様、(よろず)において優れた才能を発揮するという、その名前(願い)に。

「別に、何も」

 この父と母に言っても無駄だと、斉明は諦めていた。斉明が真に願うのはそこである。どれだけ『創作』や『作成』の才能に恵まれていても、彼はある才能が決定的に欠けていた。

 斉明は自覚していて、劣等感すら抱き、大爺様に相談したこともあった。だが大爺様は笑って一蹴した。お前には、不要なものだと。

 作り手の追求者――大爺様が斉明に目指すように示した役割。この世のありとあらゆる勤めと比較にならぬ、もっとも高尚で、もっとも自由な立場の名。その立場において、その才能は、まったく必要ないと言ってくれた。

 嬉しかった。それが純粋な斉明の気持ち。大爺様は、自分に分からない全てを分かってらっしゃる。まだ稚拙な考えしか出来ない僕に、正しい道を示してくださる。両親も祖父母も友人も先生も要らない。大爺様さえいれば、僕は斉明の名を(ほしいまま)にできる。欠けたところは不要だから、結果として万に通じているといえる。

 けれど彼の高い知性は、既に違和感に気づいていた。

 大爺様の言うことは欺瞞ではないか? 自分は、普段一緒に生活する周囲の人間より、数ヶ月に一度しか会えない大爺様を重要視しすぎている。もしかしたら、これは大爺様が仕組んだことではないか……と。

 高速道路を走るオープンカーは、他の車の追随を許さず、どんどん追い越していく。「高級車には道を譲るものなんだよ、損害賠償が怖いからな」と、父は以前、冗談めかして言っていた。意識が思考から引き戻され、再び視界には青空が広がる。

 斉明は身を起こした。助手席と運転席で、談笑している両親を眺め……、


 変化は、突然だった。


 里奈の悲鳴が、次の瞬間、凄まじい音にかき消された。

 突如、釘を刺されたように止まった前方のトラックが道を塞ぐ――ブレーキは間に合わない。オープンカーは猛スピードのまま目の前の鉄壁に正面衝突した。

 弾け飛ぶバックミラー、歪んだシャーシが奏でる不協和音。衝突の衝撃は、それこそ天地をひっくり返したような感覚だった。斉明はとっさに頭を腕で覆って守った。前方の座席にぶつかったが、逆にそれが衝撃を吸収したので、負傷しなかった。

「な……!」

 斉明は絶句した。今しがた起きた事故そのものでなく――エアバックが起動していないことに気づいて。

 エアバッグは衝撃に伴い瞬時に膨らむが、すぐ収縮するようになっている……と本で読んだ事があった。だが、二人の前には、それらしきものがない。――シートベルトは、バックル部分が外れているらしい、ちゃんと差せていなかったのか。二人はオープンカーのフロントガラスに頭から突っ込み、ぐったりとうな垂れていた。

 車のガラスで動脈が切れることはない。車のガラスは砕けるとき、細かい破片になるよう工夫されている。ガラスによる血管の損傷で、出血多量で死ぬのを防ぐためだ。斉明は、そんな事情までは知らないが、出血量の少なさには気づいていた。

 だが衝撃で内蔵がやられている可能性はある。応急処置をしないといけない。小学生離れした切り替えの速さで、斉明は潰れた前方の座席に移ろうと身を乗り出したが、すぐに中止した――後ろから、けたたましいクラクションの音を聞いたからである。

 猛スピードで迫ってくるのは、巨大なタンクローリーだった。トラックとは比較にならない巨大な塊が、轟々と唸りを上げて、すぐ傍まで迫っている。

 まずい――斉明は、自分が陥っている危機的状況を察した。

 自分の身を守るので精一杯、などと考える暇もない。

 小学生の膂力では、飛び出せる距離にも限度があるが……斉明は普通の小学生ではなかった。

 追求者――それが『作成』するのは、尋常ならざる解創(かいそう)という概念だ。

 追求者による解創の作成は、尋常ならざる手段によって行われる。

 呼吸を整えつつ、すぐさま運転席と助手席の頭を、両手で掴み、自分の身体を安定させる。

 睨み付けて視覚するのは、圧倒的巨体から迸る、莫大な運動エネルギー……。

 願うは『退避』、材料はタンクローリーのインパクトの瞬間、フレームを押し潰そうとする衝突力そのもの。

 ギリギリまで引き付けた巨大な鉄の猛牛が、既に死にかけのオープンカーを蹂躙すべく衝突する。

 その瞬間、圧搾された空気が、斉明の足元から破裂音と共に噴き出す。稀代の作り手の才能を持つ斉明の力によって、一瞬で為された『退避』の解創が、少年の身体を、斜め横へと吹き飛ばす。

 ――これは……!

 自分の解創が為されるのを実感しつつ、違和感に気づいた――タンクローリーのブレーキが、利いていない。

 圧潰(あっかい)するオープンカー。振り子の原理で吹き飛ぶ三台の車――視界は途切れ、落下していることに気づく。反射的に頭を腕で守り、土手を転がる。

 転がり終えた身体を起こす。身体中のあちこちが痛むが、命に別状はない。

 土手のすぐ上から、クラクションの合唱が聞こえる。道路の惨状を想像して、斉明は途方に暮れた。

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