#10 温実
一秒足らずで、温実は異変に気付いた。そして驚いた。
九つの首を持ちし大蛇であろうと、瞬時に殺せる熱と圧の刃が、初めて切断に、刹那以上の時間を必要としたのだ。
温実は、その事実を素直に受け入れ、そして驚嘆した。
――これは凄い……素晴らしい! さすが上宮の期待の星と言われるだけある!
目元だけでなく、口元すらも釣り上がる。こんな気持ちは久しぶり。さしもの私も驚きだ。
岩漿に浸して溶けない氷や、空飛ぶ鉛など比較にならない異常だった。
大蛇殺しは、鶴野温実が作り上げた解創でも、最高クラスに位置する。熱と圧の二重解創が、アウトレンジから一方的に勝利をもぎ取る――そんな理不尽の筈なのに。
それをこの少年は、なんと真っ向から防いだではないか。
持久戦になれば、温実が負ける筈はないだろう、しかしそれではいけない。仕事に時間をかけてはいけないというのとは、また別の――鶴野温実が彼女足りえる矜持が、彼女自身に宣告する。
――これには、全力でもって叩き潰すが、最大の賛辞である。
「――気が変わった」
二秒と経たず、熱と圧で形成された刀身が消え失せる。
守りを張っていた少年が訝るのが分かる。既に冷えた脇差を――温実は、鞘に納めた。
「上宮の幼き作り手、覚悟しなさい――次は、すぐさま叩き潰すから」
ぴん、と張り詰める空気。今の宣言だけで、少年は警戒心を最大限に高めたのだ。
「――ッ――ぅ、」
吸い込む空気が、冷たく美味い。
二重解創、『大蛇殺し』には続きの小話がある。
遠間から、一撃にして切り伏せるというコンセプトの『大蛇殺し』。
彼女にとっては最善手。いとも容易く願いを為した。しかし、祖父は否定した。
『温実、道具を選ぶのは人であって、使い手を選ぶ道具など、あってはいけない』
すべての人々に使えるような、易しい道具を作ること――言っていることは正しいのかもしれない。けれどそれは、温実の願いに『特殊』とか『例外』といった烙印を押して、自分たちの無能、才覚の無さから目を逸らす、魔女狩りに等しい蛮行だ――と温実は思った。
温実は今でも覚えている。抱いたのは憤りではない。蔑みだった。彼らの願い、才能は所詮、私のそれに比べれば、塵芥も同然の、矮小かつ無価値で、どうしようもなく下賎極まりないものでしかない。
やがて、それは憐憫へと変わる。なんて可哀想な弱者。より良い願いがあるというのに、そんな愚かな願いしか持てないなんて、なんて不幸なんだろう。
枕を涙で濡らしさえした。この世界は無駄と無意味で溢れている。自分のような優れた才能を持たず、のうのうと時間だけを消費していく者達は、あまりにも可哀想だ。温実の心は喪失感で溢れ返った。
なら私が、その願望から、お前たちを覚まさせてやろう。
私という現実の、実力の壁を知るがいい。そうすれば、貴方たちはツマラナイ夢を追わず、私のような賢者の願いの恩恵を享受し続けられるのだから。
その思い――祈祷を通り越し、怨念に近くなったそれが、彼女が製作した解創、大蛇殺しの脇差を守るモノに宿った。
製作ではない解創は、基本的に求道と祈祷の先にあるもので、対象の願いを叶える力……機能が変質したものだ。典型的なのは、後天的解創者の解創だ。自分自身を、願いを叶える装置とする。
他にも、多くの人の共通の認識、願いがモノに宿り、機能を有すこともある。追求者の見解ではアミニズムの起源ともされているが――鶴野温実は、これを一人でやってのけた。
すなわち、自分以外の物を対象とした、意識外での解創の作成。
対象となったのは、本来、刃を収めるための鞘。温実の傲岸不遜の由縁の象徴にして、誇りを守る傲岸な態度の隠喩。
その機能はすなわち、賢者の実力の誇示し、愚者の願いを否定すること。
『愚者を願いから覚まさせん』
――可哀想に。打つ手なく、事象を作るという逃避しか手がないのか。
――防壁の『消散』と『濾過』は、何の役にも立たなかったのか。
――なんて憐れなんだろう。私を前にして、そんな脆弱な手しか打てないなんて。
光も無く、熱も無く、まして圧も衝撃も無く。
だが、変化は劇的だった。
透明な防壁は、『引き伸ばし』の解創を作成する材料だったが――がしゃん、と儚い音を立てて崩れ去った。
信じられない面持ちで、斉明は防壁が崩れるさまを眺める。温実はずかずかと歩み寄り、鞘に収まった脇差を、斉明の額に押し当てる。時計を見る。九秒と言ったところか。
「残念。十秒まで、あとちょっとだったのに……」
温実としては、斉明とやりあう理由が欲しかっただけだ。後ろの一人も殺す気はない。
が――膝をついた斉明が、頭を垂れるものだから、何事かと目を見張った。
「なに? どうしたの突然?」
「助けて下さい」
「はぁ?」
斉明は殺さない――その事は重々、本人も承知しているはずだ。となると――後ろの女の事を言っているのか。
「僕はどうなってもいいから……雅姉さんだけでも、助けてください」
「いやいや、こっちの目的はアンタだから。で? 後ろの女を助けろって?」
ツイてる、と温実は思った。精神的な優位を、確固たるものにできるチャンスだ。
「じゃあこっちの要求を飲んでくれたら、考えてあげる。どう?」
一縷の望みをチラつかせてやると、斉明は間を置かずに頷いた。
「アンタ、後見人に私を指名しなさい」
それを聞いて、斉明は自嘲的に苦笑した。
「本当に僕が目当てだったんですね……分かりました」
「あとついでだけど……子供殺したってのは嘘よ。外まで届けてやるから安心しなさい」
最初に喜び、次に疑い。表情が見る見るうちに変わるのは、見ていておかしかった。
「……なんで、そんな嘘ついたんですか?」
アンタの実力を知りたかった――などとは言わない。
「さてね。けど感謝はしない事ね。何がどうであれ、あなた達の親を殺したのは、私たちなんだから」
斉明は視線を外していた。気まずいのだろう。自分のせいで、鳩子達は親を、祖父母を失ったのだから。
怪我人の確認を取ると、夜が明ける前に、火事に見せかける工作と、事件前に死亡していた富之と洋一郎の死体を、火事による焼死に見せかける細工を施し、温実たちは船へと退散した。
この一件――『上宮家殲滅事件』また『上宮家殲滅戦』と名づけられたこの事件で、上宮家は没落した。
実働部側の損害は、重傷者一名、負傷者二名。それに対して、上宮家の死者は三十名以上、生き残ったのは曾孫達のみ。裁定委員会実働部第十六課と、課長の鶴野温実の名は、追求者達に知れ渡る事となる。




