#08 温実
抜き身の脇差が、業火の波に向けられる――。
為される解創は、温実が幼少の頃に作り上げた願いだ。
脇差から溢れたのは、灼熱と業風だった。どちらも吹き出すような指向性を持っている。
熱に空気が膨張し、噴出する大気に全てがぶつかり、そして眩い光を放つ――現出した五十間に及ぶ刀身が、業火の波と後ろの屋敷を、分断し乖離し吹き飛ばす。
爆轟という言葉すらも生ぬるい。もはや人の為せる領域を超えていた――鶴野温実という人間が、本当に人間であるかを疑う光景。人の願いを超えた一撃は、それでも加減されているなど、当人以外、誰も信じられないだろう。
卓造の為した『怨嗟の業火』は刹那と経たず消し飛ばされ、依り代であった屋敷も吹っ飛ばされた。屋敷の外に破片が飛ばないよう、威力を制限したが、それでも温実は、外に出てないか心配になる。火事として偽装するのに誤魔化しができなくなる。
当然というべきか……射線上にいた卓造は消えていた……いや、残り滓があった。膝から下だけの物体が、二本ほど転がっている。
「――つっ……」
温実は、痛みを感じて瞼を閉じる。桃色に近い残像が、網膜を焼き焦がして、まともに何も見えなかった。
弾けた閃光そのものは、解創ではない。解創に伴って発生した現象、副産物でしかない。
それですら『目潰し』の解創に匹敵する威力を備えていた。それほどまでに強力な解創が揮われたのだ。
――こりゃ、サングラスでも作ろうかしら……。
日差し避けがいるだろう。まだ空間そのものが、ぼう、と光っているのではないかという錯覚に囚われる。原因は熱にあった。大気は未だに熱を帯びている。解創としての熱は指向性を有していても、空気に熱が伝われば、たちまち周囲には熱が籠もる。
「ったく……」
足元には『我が命をそのままに』で燃えた孝治の死体。先ほどの衝撃の逆風で、火はあらかた掻き消えていた。
温実は、声を張り上げる。
「目が生きてる奴は状況確認! 塀が壊れてないか確認してきて! 見えない奴は下手に動かないで!」
周囲では、光を諸に食らった裁定員が、動けずに立ち尽くしているようだった。遠くで足音が聞こえるので、動ける者もいるようだ。
――我ながら、とんでもない解創ね……。
八岐大蛇退治の伝説――須佐之男命が、八岐大蛇に酒を飲ませて酔わせた後に、首を刎ねて全身を切り刻んだという、古事記や日本書紀に載る話。
幼少の頃、その話を聞かされた温実は否定した。こんな方法は間違いだと。徒労だし醜い、気品もスマートさもない。もっと手っ取り早い方法があるはずだ――そう祖父に言ってみると、「ならば作ってみるがよい」と、彼女に最初の課題を出したのだ。
幼少の彼女は様々な書物を漁った。そして見つけたヒュドラの伝説。ギリシア神話に登場する怪物である。こちらはヘラクレスが首を刎ねた後に、切り口を焼き焦がしたのだという。
これが自分の考えには近いと思った。しかし切って焼くのでは手間だ。そこで温実は考えた。
ならば、焼き切ればいい。それも遠間から一撃に。それが最善手ではないか。
ならば話は早かった。熱によって焼き、圧によって吹き飛ばす。『熱』と『圧』の同時行使、すなわち二重解創。どちらもを一度に願い、同時に使うことで為されるが『大蛇殺し』の解創である。
今回は、だいぶ手加減したが、以前使った時には半里に及んだ。最大では、どれほどになるのか? まだ試した事はない。
「課長、上宮の屋敷の塀は壊れていません。周囲への被害も確認されませんでした」
副課長の報告を聞いて、温実は一安心した。温実が唯一把握し切れないものがあるとしたら、それは己の力の上限だ。
「そう、ありがと……しっかし、これじゃ上宮斉明がどうなった事やら……」
「それなんですが……」
副課長が黙り、別の裁定員に話を変わる。
「向こう側に、屋敷の壁が出っ張ってる部分がありました。納屋か何かみたいです。さきほどの課長の攻撃の影響も受けていないところで、人の気配がありました」
カンの鋭い裁定員の声だった。まず間違いないだろう。温実は副課長に手首を握らせ、その場所まで案内させる。
「段差があります、足元お気をつけて下さい」
ほとんど視界が確保できない温実だったが、副課長の適切なサポートによって、どうにか、いつも通り歩けた。瞬きをする。残像は黄緑色に強烈に残っているが、さっきよりは、幾分マシになった気がする。
「目、大丈夫ですか?」
「あー……たぶん網膜とかは、傷ついてないと思うわ。視力もそのうち回復するはず……」
部下の心配に、温実は偽りなく答える。
「ここです」
「あ、だいぶ見えるわ。大丈夫。ありがと」
温実は部下から離れ、東棟の一部に近づく――温実は知らないが、そこは以前、斉明がハルバードの材料を揃えるために、雅と来た場所だった。
……たしかに、息遣いが聞こえる。最初は女二人かと思ったが、よく聞くと、一人は男、まだ子供だ。裁定員の言ったとおり、上宮斉明の可能性が高い。
「裁定委員会実働部、第十六課課長、鶴野温実よ。中にいる者、出てきなさい」
素直に納屋の扉は開かれた。中には二人……高校生くらいの女と、小学生くらいの少年。
少年の方が、おずおずと名乗る。
「……上宮斉明と言います。あつかましいのは承知ですが、私と後ろの上宮雅を保護して頂きたいのですが……」
一人称や使う言葉が、明らかに普通の小学生のそれではない。上宮の神童だろう。礼節というか処世術というか。当主だった富之が仕込んだものかもしれないなと、温実は適当に考えた。
「はいはい……まぁ、元々、そのつもりだったけど」
「元々?」
「そ。君の保護と大人の殲滅。それが仕事の内容なの、さ、早く……」
すると、斉明の眼の色が変わった。
「なんで、こんな事したんですか?」
口調こそ穏やかだが、どこか真に迫るものがあった。気圧されたワケではないが、温実は素直に答えてやる。
「そりゃ必要だったからよ。上宮の大人は殲滅。どれもこれも必要だった。君を保護するためにはね」
「僕を?」
声音に動揺の色が表れる。冷静さのメッキが剥がれていた。
「そうよ。一方的な文書を送りつけた上に、情報員を不意打ち……裁定するなって方が無理でしょう。その上で君の後見人の件もあって、保護するには強攻策に出るしかなかった……言ってる意味、分かる?」
「なに出鱈目言ってるんですか? 先に自分達がやっておいて、全部僕に責任転嫁ですか? ふざけたこと言わないで下さい!」
頭に血が上った斉明少年にとっては、至極全うな論理らしい。温実は流石に、笑いを堪えられなかった。天才とは言っても、やはり子供か。
「ふっ……すごい言い分ね。ちょっと大丈夫? 混乱してる?」
少年は何か言いたそうだが、歯を食いしばって耐えていた。利口な子だと思うと同時に、つまらないと感じた。
卓造に『大蛇殺し』を使ったのは計算外だったとはいえ、想定外とはいえない。作戦は滞りなく進んでいる。これで目標を確保すれば終わりだ。
ふと、何か面白い事は出来ないかと考えていて、妙案が浮かんだ。まずは理由だ。斉明を手に入れるため、交渉する余地はあるだろうか?
温実自身が斉明の後見人になれば、上宮家の秘密を探ると同時に、上宮斉明という貴重な人材が手に入るというメリットがある。しかし、実際に、そのとおり上手くいくかは分からない。上が、どう判断するかは分からない。温実に斉明を引き合わせるのは、危険だと判断するかもしれない。
なら、ここで一度、上宮の神童と遊ぶというのも、手ではないのか。温実は遊び心を働かせた。少しだが、時間の猶予がある。
温実は、斉明に聞かれないよう、副課長に耳打ちする。
「火災に見せかける工作を始めて。脱出の準備もね。そろそろ撤収するわ。子供達は先に船に乗せちゃいなさい」
各員に指示を飛ばすように促す。雑務は部下に押し付けて、こちらはこちらで愉しむとしよう。
「ま、とりえず保護するわ……そっちは別だけど」
狙ったとおり、上宮の神童は敏感に、言葉の違和感に気付く。
「別?」
「ええ。後ろの女の子……上宮雅って言ったっけ? そっちは保護ってワケにはいかないわ」
斉明の顔が絶望に染まる。「なんで……ですか」とうわ言のように呟く。
「え? だってこっちの目的は、貴方の保護と、邪魔者の排除だもの」
「待ってください! 雅姉さんに抵抗する意思は無いんです! 他の子供も保護してるでしょう? だから僕と一緒に……」
「あーあーあー。いいって、そういうの。面倒。ここで殺したところで違いなんてないし、ガキ共なら、後からまとめて殺すわよ」
とびきりの嘘をついてやる。たとえ自分の保護を最優先にしていようと、こんな考えをする人間に、手篭めにされるなど我慢ならないだろう。
冷静に考えれば、雅だけここで殺して、他の子供は後から殺すという、訳の分からない言い分に疑問を抱いた筈だ。
だが――今日ほど日常とかけ離れた事態を後にした脳髄に、冷静な判断を求めるだけ無理がある。
形相が変わる、吹き出す怒気が、ピリピリと顔面の産毛を震わせる。
「誰が――誰がアンタなんかに……!」
ひゅ、と空を切る剪定鋏。納屋の中にでもあったのだろうか? 下手糞というレベルではない。鋏で人を斬ろうなど、悪い意味で考え付かないだろう。
――やりあっていい正当な理由……できたわね。
温実は笑みを浮かべると――左手で脇差を抜き放った。




