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  #02 温実

 未明、本土の港から出発する船があったが、周囲に異常として認識される事は無かった。

 この時間に出航するにしては、不自然なヨーロピアンクルーザーではあったが、潮風に乗って船上から聞こえる、ささやかな笑い声と器楽曲は、船上パーティーによるものと分かり、密漁ないし密輸船の類ではないとされ警戒されず、海上保安庁による監視はスルー。実際、騒いでいることには騒いでいたのだが、よもやそれが、一時間後に作戦という名の殺戮行為を控える者たちの士気高揚のセレモニーだとは、船外にいる人間には知る由も無かった。

 船内のサロンでは操縦士以外の人間に、適量のアルコール飲料が振舞われていた。低い位置に設けられた橙色の照明と、スピーカーから流れるギターの器楽曲が、緊張とストレスを緩和させる。

 十六課にとって、というだけではい。これほど大規模な作戦は、裁定委員会創設から数えても、そうそう無かったであろう大仕事だ。一世一代の大勝負を前にした裁定員たちの精神状態を鑑みれば、ストレスを感じるな、という方が無理がある。

 よって温実は、作戦前後のメンタル・ケアも欠かせないものと判断した。口頭での相談はもちろん、精神的な障害が残らないための暗示療法その他、一人一人にあったものを取り入れて実践し、作戦後の準備を整えていた。

 それすらも温実の計算だった。結果が出せても、後の運営に関わるようでは無意味。だがそれすら考えられているとアピールすれば……最上の結果を継続的にもたらせる存在として、上層部も十六課の存在を無視できなくなる。

「さて……既に知ってる事とはいえ、一応、お仕事(、 、 、 )の内容を再確認しとくわよ」

 気軽な口調で温実は言った。BGMはあえて切らず、そのままの雰囲気で、聞き流させるようにした。表層意識が薄れつつある彼らの無意識に、都合の良い、捏造された事実を刷り込む。

「全員に写真を配ったとは思うけど、この上宮斉明の保護を最優先、終わり次第、子供以外の殲滅に掛かる。仰々しく聞こえるけど、大したこと無いわ。やることはいつもと変わらない。あなた達は、私が説いた(、 、 、 )願いを、ただ為すだけでいい」

 皆、まるで温実の声に虜になったように聞き入っている――ここまでくると、教育や指導というより洗脳の類だなと、温実は我ながら思った。皆が温実に向ける目は、恋人の甘い声に誘惑されて、蕩けているようでもある。

 出航から一時間ほどして、温実は、一人の少年を呼び出した。

 これから端子島で起こる事件と、夜中に出た不審船を結びつける根拠は無い。島内で不審人物さえ目撃されなければ、二つの因果関係を疑う者が出てくる事は無く、ただの火事、事故として処理される。

 とはいえ、この時間に島に船が接近しようものなら、エンジン音でそれとバレる。島中に噂は広がり、明らかに不審がられるだろう。

 打開策は一つだった。常識を打ち破るのは――普通の認識では、この世に存在しないはずの超常である。

 温実が指示すると、中学生くらいの少年は、甲板に体育座りして、真っ暗な海を眺める。何も問題は無さそうだ。温実が傍らで眺めていても、毛ほども意に介さない。

 十六課の特筆する部分として、裁定員の一部に解創者を採用している点である。

 裁定員は通常、追求者という解創の手練を裁定する者として、追求者と同等の実力を持つものや、元追求者を採用するのが一般的だ。しかし温実は適材適所で解創者を用いる。他の事が出来ない代わりに、一点において追求者より深いレベルで解創を為せる彼らは、さまざまな部分で効率化に一役買っていた。

 温実が呼び寄せたこの少年も、その一人であり――彼の願いが成就され、船が発する筈の波の音は、まったく無くなっていた。

 甲板に座る少年の『閑静』の解創によって、音という音が消えたのだ。

 だが話すのには支障は無い。解創は変化しないが、しかし別の方向に逸らし、誘導する事は出来るらしい。それによって、特定の範囲のみに絞っているのだ。

 全ては温実の指導の賜物だ。本来、変わりようのない解創者たちの願いを、本質的に変わらない程度に誘導することで、解創者自身にとっても無理なく、そして裁定委員会が運用できるものに折衷させる。

 船を島の港ではなく、少し離れた海岸に停泊させる。火事が起これば、島民は上宮邸に釘付けになる。こんなところに来る人間はいない。

 上宮邸は、坂道を登った山の中にある。行きは坂道でいいが、帰る時に島民と鉢合わせする危険がある。道とは反対側の斜面を降りて、船の停泊している場所まで行くのがいいだろう。

 船から降りる人間は、温実を含めた半数ほどは黒のパンツスーツ姿だが、もう半分の服装は異様だった。月下をギラギラと反射する上下銀色の上着とズボン、耐熱メットに呼吸用ボンベ。『異様な消防士』とでも言うべき格好だった。

 温実たちは上宮邸へ歩を進める。男二人には、あるもの(、 、 、 、 )が入った樽を転がせる。本来なら五月蝿い音がするのだが、少年の『閑静』の解創によって、足音すらも伝播しない。温実自身も、キャリーバッグに入れた同じ物を運んでいる。

 さらに今日の彼女は気合が入っていた。右手で引くキャリーバックとは別に、左手には脇差が握られていたのだ。

「範囲を広げて。上宮邸を取り囲むように」

 指示すると、解創者の少年が『閑静』の解創の範囲を広げる。他のメンバーを各所に配置し、音漏れがない事を確認すると、温実は門の前に全員を待機させる。

「さて――」

 先陣を切るのは温実の解創だ――今日の為に準備しておいた専用の樽は、木のみで作られており、中には総量にして四百リットルに及ぶガソリンが入っている。

 ガソリンに施された解創――その名は、『我が命をそのままに』。

 具体性など欠片も無い。ただ『私の命令を聞け』という願い。命令そのものでなく、命令なら何でも聞け、というエゴイスティック極まりない願望の押し付けだ。ただ道具として機能させるのでなく、下僕のように、指揮下の軍隊のように運用する事を望んでいる。

 具体的であればあるほど願いが成就に近づくように、解創も願いが具体的であれば達成に近づく。そんな解創が多い中、彼女のそれは異質に過ぎた。どこまでも曖昧な筈なのに、それゆえに高い自由度によって、なによりも利便性の高い物に仕上がっている。

 突如として木で作られた樽が割れると、その場で焼失し、灰は風に乗ってどこかに消え失せる。中から現れた透明な液体は、地面と門の僅かな隙間に浸るようにして侵入する。

「どう?」

 隣にいた女性裁定員の一人に尋ねる。彼女は飼っているカラスと視覚を共有する『鳥瞰』の解創により、上宮邸を上空から視認していた。温実に門の向こう側は見えないが、彼女との連携によって、門の向こう側へ侵攻しているのだ。

「右翼が足りていませんね」

「はいはい」

 感覚で『我が命をそのままに』の右翼側を侵攻させて、邸を取り囲む。

「全て囲み終えました」

「そう。じゃあ一気に畳み掛けるわよ」

 放て――温実が命じると、上宮邸を取り囲んだ『我が命をそのままに』が一斉に爆発、周囲が一気に燃え上がる。

「突撃」

 解創による錠前など無意味。裁定員の一人が使った破城槌の一撃が、施された『突貫』の解創に従って、分厚い樫の扉を、文字通り吹き飛ばす――紙吹雪の如く軽々と飛ぶ木製の板を踏み締めながら、続々と裁定員達が敷地に侵入する。

 外部に音が漏れない上宮邸。今から起こる事柄は、全て闇に葬られる。どれだけ存分に暴れようが、無かった事になる――そう、ここは異界だ。現実から切り離された、現実においては許されない、あらゆる行為が、この異界では許される。

 燃え上がる日本家屋は、建物が立派なため、さながら焼け落ちる城のようだ――内部に侵入する裁定員には、全員に防炎対策を施している。

「侵入部隊は、上宮斉明の確保を最優先、それ以外と遭遇した場合は各個に対処しなさい。迎撃部隊は全包囲を覆って、外に出てくる敵を各個に撃破――かかれ」

 温実の指示に従った、彼女を頭脳とする彼女の狂信者たちは、各々の道具を手に、作戦を開始した。

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