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  #01 記者

 瀬戸内海の気候は、日本海などと比べれば、比較的安定している。特に広島県から山口県にかけては顕著だ。そのためか、本土と瀬戸内海の島群を繋ぐ唯一の交通手段、高速船『りゅうせい』が休航になることは稀だ。

『りゅうせい』が繋ぐ島群の中に、端子島(はしこじま)という島がある。

 人口は五十人足らず。面積は一平方キロメートルに満たない小さな島だ。戦時中は、近くの島に艦隊の宿泊地があったという理由でたびたび爆撃に晒され、人的被害を被ったという資料も残されている。

 そんな過去さえ除けば、なんの変哲も無い、のどかな島だが……数日前、そんなのどかな島で、突然三十人近くの人々が亡くなった。

 それは島の、とある屋敷で起こった火災が原因だ。


 三戸部(みやべ)千賀子ちかこは出版会社の記者である。

 彼女は端子島で起こった火災の原因を究明するべく、十時二十分発の『りゅうせい』に乗船した。

 瀬戸内海は比較的、波が穏やかだ。この分なら船酔いはしないだろう、と千賀子は安心してシートに身を沈めていた。

「先輩もモノ好きっすね、こんな辺鄙な島で、何もあるわけないじゃないですか」

 隣にいた優男が、半笑いで言った。

 髪は少し褐色に染めていて、背は高くも低くもない。さえない顔立ちの川田(かわた)という新人社員だ。彼を連れてきたのは、別に教育とか、そういう事ではない。

 一応、端小島は孤島なので、何かあっても助けを呼ぶことができない。未開の地ではないが不安だったので、他の社員に一通り声をかけたのだが、暇な社員が彼しかいなかったのだ。もし他に頼れる人間がいれば、当然、そっちを連れて来るに決まっている。


 島に降り立つと、ここがどれほど田舎なのか分る。歩けども香る磯の匂い、コンビニはおろか自動車すら見当たらない。電線は一応あるが、電柱の中には、未だに木で作られている物があり……それらは潮風の影響で腐食がひどく、今にも折れてしまいそうだ。

 こんな、のどか過ぎる島で火災が起こったとは信じられない。だが雰囲気に呑まれて真実を見失ってはジャーナリスト失格だ。千賀子はとりあえず島民に声をかけることにした。

 といっても、見当たるのは一人だけだった。腰は大きく曲がり、白と藍色の縞模様の頭巾を被っている。履いているのはモンペだろうか? 昭和初期にタイムスリップした気分になる。

 彼女はさっき『りゅうせい』が浮き橋に到着した時、『りゅうせい』の乗組員から渡された縄をビット……港などにある変な形をした鉄の塊に縛る作業をしていた。手馴れているところと服装を見れば、島民なのは一目瞭然だ。

「あの~、すみません」

 恐る恐る声をかけると、老婆は意外にも大きな声で返答する。

「おう、なんかいの? どこのかいの?」

 こっちが質問したいのだが、問いかけられたとあっては、答えざるを得まい。しかし訛りがひどい。年配で滑舌が悪いのも相まって、聞き取るのが難しい。

「あ……すみません、どこのかいの、とは?」

「誰んトコのかっちゅーとるのいね」

 誰の? 何を言っているのか分らない。話が噛み合ってないのは明白だ。とりあえず名乗る事にした。胸元のポケットにある名刺入れから一枚取り出す。

「あ~、すみません。私、成瀬出版の三戸部千賀子と申します」

 差し出された名刺を、老婆は皺くちゃながらも、元気そうな両手で受け取る。老眼らしく、わざとらしいまでに顎を引いて文字を読む。

「あん? おぉ、おーおー! 余所ん人かいね。どないしたんね。釣りか?」

 どうやら話は通じたらしい。千賀子は要件を告げる。

「いえ。最近、この島で火事が起こったと聞きまして、もしよろしければお話を……」

「火事? 火事なんか取材しちょるんかオメーさんら。はぁ~、釣りに来たんと違うんか」

 老婆が唸った。感心しているようにも、疑問に思っているようにも聞こえる。

「あれか、上宮さんトコの知り合いなんか、ほーん」

 言いながら、老婆は歩き始める。出版会社の者と言ったはずだが、真面目に聞いていないらしい。聞こえて(、 、 、 )ないのかもしれないが。

「あの……どちらへ?」

 振り向きもせずに老婆が答える。

「行くんじゃろ、火事あったとこ」

 ぞりぞり、とアスファルトを擦る音がする。老婆の足元を見ると、履いているのは学校のトイレで見かける安物のスリッパだった。なのに白い靴下を履いている。スリッパと靴下の組み合わせは不自然ではないが、野外となると話は別だ。

「ボケてるんですかね、このおばあさん」

 同じ事を考えていたらしく、後ろに控えていた川田が、小さな声で言った。

「……いや」

 すれ違った他の島民を見る。老婆よりもいくばか若気な女性だが、こちらは何故かサンダルだった。同じように靴下を履いている。どうやら履き間違えているわけではなさそうだ。

「あの……履物は、どうしてスリッパなんですか?」

「履きやすいけーのー」

 なるほど、そういうことかと千賀子は理解した。この島は小さな島だ。長距離を移動することは稀なのだろう。そうなると普通の靴は要らない。スリッパやサンダルで事足りる。

 意外にも、道は全てアスファルトで舗装されていた。坂道になるとガードレールすらある。文明の色があって、千賀子は少し安心した。

 だが、それも束の間。老婆は急斜面の坂道を、スリッパでどんどん上っていく。

「このバアさん……元気だなぁ……」

 後ろの川田が唸った。千賀子も踵の高いヒールではなく、スニーカーにしといて良かった、と心底思った。舗装されているので、恐ろしくキツいというワケでもないが、道は長い。それをスリッパで歩いていくこの老婆は元気という他ない。健康の秘訣が何なのだろうか?

 感心した直後、老婆のスリッパが脱げた。千賀子は思わずこけそうになる。

「しょっしょっしょっと……」

 アスファルトの上を靴下で歩いて、スリッパを履き直す。なんというか、ほのぼのする光景だった。

「お元気ですね」

「へっへっへ、元気じゃなきゃ、やってられんわいね。ほれ、ここ、ここじゃ」

 老婆が顎で指したそこには、焼け焦げ、倒壊した木造建築があった。

 真っ黒な墨と、白い灰。ガソリンでも撒かれたかのように、全てが綺麗に消し炭になっている。警察が来たらしく、黄色の下地に黒い文字が印刷されたテープが、囲うように張られていた。真新しい黄色いテープは、焼け跡の中では浮いている。

「入っていいんですかね……」

 ダメもとで問おうと横を見ると、そこに老婆はいなかった。敷地に視線を移すと、既に老婆は入ってしまっている。

「ふん? 入れ入れ。上宮さんとこの知り合いなら入ってよかろーがいね」

 やはり勘違いしているようだが、好都合だ。釣られるようにして、千賀子と川田も敷地に入る。

「ヤバいっすね、これ……」

 川田の慎重な足取りは、盗人の忍び足さながらだ。

「そうね……しかし、よくこの山の中で、木に燃え移らなかったわね……。まるで、綺麗に敷地だけ焼いたみたいに……」

 自分で言って、やはりおかしいと千賀子は気付く。左右を見ると、きっちりと敷地だけが燃えていて、山と燃え跡との境界は、定規で引いたかのように直線だった。

「道案内、ありがとうございました。助かりました」

「あ、わしゃーもうええんか」

 自分を指差して、老婆が笑う。

「分っちょる思うが、宿ないけー、二時か四時の船に間に合うよーにの」

 よっこいしょ、と老婆が立ち上がる。

 老婆を見送って、しばらく焼けた場所を歩いたが、気になるような物は、他には無かった。


 そろそろ一休みしようかという時だった。

「あの……何か、御用ですか?」

 千賀子が振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。

 白い半そでのシャツに、ジーンズという格好だった。

 髪は短すぎず、長すぎず。つぶらな瞳と、小柄な少年特有の、少々丸みを帯びた顔の輪郭は可愛らしい。しかしすっと通った鼻筋と、悲哀と倦怠感の混ざった視線が、少年を利発に見せていた。背丈を見れば小学校低学年から中学年。雰囲気を加味すれば、もう少し上、五年生くらいだろうか? もしかしたら、すごく背の低い六年生かもしれない。

「君、ここの人の知り合い?」

「はい」

 少年が応じた。女の子のように高いが、しかし落ち着いた口調だった。……笑顔は無かった。

「名前は、なんていうのかな?」

「上宮……斉明」

 千賀子は驚いた。こんなに早く上宮家の生き残りに出会えるとは、思ってもみなかった。

 とはいえ、このまま立ち入り禁止区域に入ったままというのはマズい。大人に知られたら、厄介な事になる。

「あ、えっと……ちょっと、訊きたい事があるんだけど……いいかな?」

 尋ねながら、そっと立ち入り禁止区域から出る。

「あ、入ってた事なら、誰にも言いませんよ。それで、なんですか? 訊きたい事って」

 こちらの意図はお見通しらしい。可愛げがないが、しかし嫌味にならないのは、相手を見通してはいても、見下す態度をとらないからか……とにかく質問してみる。

「火事って、何が原因で起こったのかな?」

 子供に訊くのもどうかと思ったが、大人よりは素直に答えてくれるだろうという計算があった。口止めされていなければ……の話だが。

「おば様たちが、料理の支度をする為に火を使ってたんですけど、そのとき油に引火したみたいです」

 あまりにスラスラと受け答えする少年に、千賀子は違和感を抱いた。誘導尋問を仕掛けてみる。

「へぇ。なるほどねぇ……火事が起きたのは、何時ごろ?」

「たしか午前零時過ぎです」

 やはりそうだ。千賀子は、おかしな点を指摘する。

「午前零時過ぎ? そんな夜遅くにご飯の支度をしてたの?」

 少年の表情が、僅かに固まる。大人が、動揺を悟られまいと、表情に出るのを抑えるのに似ていた。

 好機だと思った千賀子は、さらに畳み掛ける。

「知らないなら、そんな嘘つかないよね? どうしてそんな嘘つくの?」

 問い詰めるようになってしまったので、語尾だけは柔らかくする。この少年は、何か知っている。そしてそれを、自分の意思で隠そうとしている……。

「嘘じゃないですよ。……ホッケです」

「ホッケ?」

「はい、魚です。酒のつまみが欲しいとおじ様がおっしゃいまして」

「へぇ……なるほどね」

 機転の利く子だと感心した。同時に、とっさに、こんな嘘をつける小学生がいるだろうかと、千賀子は疑問に思った。

「まぁ、ここは海が近いから、いっぱい魚が釣れるよね」

「ホッケは瀬戸内海じゃ、多分、ほとんど釣れないですよ。ホッケはもともと、島外で買って持ってきてた物です」

 今度は引っかかるつもりは無いらしい。

「やだなぁ……そんなこと言うつもりは無かったんだけど……」

 じっと睨む少年は「そうですか」とだけ言って踵を返す。

「なんだったんすか、あの子」

「そうね。不自然よね」

 親戚一同を失ったというのに、斉明という子には、喪失感や動揺の色が、あまり見受けられない。ただ気丈に振舞っているのとは違う。それに彼は利己でなく、厳命された為に嘘をついて、秘密を守っている。

 子供ですら、あれほど(さか)しい。裏に控える大人は、いったい何を考えているのだろう?

 この事件には、関わらない方がいい。

 千賀子は、この事件の裏に、とんでもない魔物が潜んでいると悟った。

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