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沖ノ浜の紛い者  作者: 指猿キササゲ
$1$ 本章
39/42

冷凍庫5 #『鍵』


    冷凍庫5 #『鍵』


 迫り来るタンクローリーの巨体。中は無人。手伝い業者の人間によって、遠隔操縦出来るようにでも改造されているに違いない。

 巨体が制御を失ったらしく、派手に転倒する。――そして、何かが発破する音。


 光が網膜を灼く。

 それは熱を伴って、熱は空気を膨張させ、暴風を生んで縦横無尽に吹き荒れる。


 吹き荒れる爆風――そして熱波。まるで炎熱の地獄の再現だった。何もかもが吹き飛び、何もかもが燃えて崩れる。

 ダンボールの箱が、飛ばされながらに引き千切られ、そして炭のように焦げ、灰になって燃え尽きる。

 棚が飛ぶ。後ろの棚を吹き飛ばす。それが重なり、さらに後ろの棚を押して倒れる。倒れた棚が、さらに床の上を滑るように吹き飛ぶ。ドミノにしては派手すぎる。

 風が飛ばし、熱が焼く。冷凍保存庫の中は、滅茶苦茶に荒らされていた。物はおろか、人が生きている可能性など、本来なら微塵の可能性も無い――だが、その中で二人の人間が生きていた。一人の人間――否、一人の紛い者の力によって。

 その紛い者、折笠崖梨が操作できるのは、熱エネルギーだ。

 ガソリン1リットルを燃焼させて得られるエネルギーは、約3460万ジュール。これが20キロリットルほど、タンクローリーには積まれていた。すなわち――2万ットル。

 3460万×2万=6920億ジュール。北池啓助の約50億ジュールのエネルギーとは、比較にならない威力がある。

 折笠崖梨は、本来は紛い者となりえるほどの力を有してはいない――竹内宇智巴の認識では、少なくともそうだった。

 もちろん、熱の暴虐、そのすべてを折笠が防ぎ切る事は叶わなかったし、彼女自身、そんな真似をするつもりもなかった。だが、自分たちに降りかかるエネルギーだけに絞れば、防ぐ事は可能になる。

 すべての熱エネルギーを、折笠崖梨は吸収する。その身体の全面で。冷え切った身体を温めるように。

 暴虐の熱すらも、今の折笠には心地の良い陽だまりのようだった。紛い者の力で吸収し切れない熱が、肌をほのかに温める。

 だが――そんな中で、熱の中で、生み出される悪魔もいた。

 ――『よくやってくれたな、西川は』

 やめろ。誰か(自分)の微かな声がする。

 ――『コイツを私から離させずに、さらに私に()をくれた』

 これだけあれば――今もたまり続ける熱の、炎の力を感じ取る。――恐ろしい量だった。

 折笠の心の口元が、これでもかと言うほど三日月の形に歪んだ――現実の表情は、まったく変える事も無く。

 熱は防げても、風を防ぐことは出来ない。二人の女は風に煽られて、床を転がり、床を滑る――その中で、折笠は竹内に触れ、その体温を奪うことによって、その動きを束縛し――風が収まったのを見計らって、一瞬にして組み伏せる。

 竹内が仰向けに倒れる。折笠がその上に乗る。

「あの時と同じだな」

 声色は全く変えない。けれど心の中には、このシチュエーションに何処までも狂喜乱舞している自分がいた。

「違うわよ。仰向けだし」

 抗うような声。それが竹内の、精一杯の威勢だった。

「今のアンタなら、煮るのも焼くのも好きに出来るわけよね。……有り得ないよね、煮るのも焼くのも自由って、それを本当に現実に出来るんだから」

 そう。本当に現実に出来る。

 人体の6、7割は水分だ。なら沸点は100℃程度だろう。適当な鉄の箱の中に水を詰めて、その中に竹内を放り込んで、折笠は先ほど吸収した熱を解放すれば、文字通り竹内を煮れる。鉄板の上に焼けば、文字通り竹内をステーキに出来る。

 ――『殺してしまえ』

 誰かが囁いた。悪魔の甘言。今ならコイツを殺せる。絶対不利な立場から、一瞬にして逆転した。さぁ殺せ。こんな酷いことまでされたんだ、殺してしまえ。誰も文句は言わない。誰も私を否定しない。仕方が無い、むしろ殺してしまった方が皆の為だったと、褒めてくれるに違いない。

 ――……黙れ。

 なんだこれは。なんの仕打ちだ。私はただ、沖ノ浜の事を考えて、紛い者の事を考えて……そのために最善だと、『上』に従っただけだと言うのに……

 ――『ああ、なんて愉しいんだろう。どうやって殺してやろう?』

 自動車に放り込んで蒸し焼きにしたら、鼻水を垂らして涎を垂らして頭を垂らして許しを請うのか。請うのか? 馬鹿だ馬鹿だ惨めだ。さっきまであんなに偉そうにしていたのに。さっきまであんなに笑っていたのに、こいつは馬鹿を見る。ざまぁみろ。いや見せてやる。絶えられない苦痛を、度し難い屈辱を、大きくて巨大で醜い理不尽を押し付けて、こいつの心をぐずぐずに崩してやる。ぎゃあぎゃあ叫ぶみっともない姿を見て笑ってやる。

 指に硬い感触があった。自分の手が、竹内の口に突っ込まれていた。誰がやったんだ? 理性が純粋に疑問を持った。竹内か?

「なにか言いたい事はあるか?」

 これは私が言ったんじゃない。理性が応答した。これは誰がやっている? 誰? 私を動かしているのは誰だ?

 顔が、皮膚が引き千切れそうになる。何事かと冷や汗をかいた。自分の顔が、何処までも歪んでいた。ついに来てしまったのかと思った。己の中の暴虐が、ついに殻から溢れ出したのだと自覚した。

 ――『言えないよな、言えないよな、言えないよね』

 (わら)嗤う(わら)(わら)う。コイツは今、言いたい事も言えない。言ったら口の中を蒸し焼きの刑だ。口の中は乾ききって、折笠がその気になれば、頬の内側や舌、口蓋は大火傷。しばらくは鼻からチューブで栄養でも取るんだろうか? そしたらチューブを抜いたら痛がるだろうか? それともチューブから入ってくる液体を熱してやろうか? 今度は食道まで、全部綺麗に大火傷だ。

 ――『さぁ、泣いて喚いて許しを請え。懺悔しろ。己の醜さを裸になって見せ付けろ』

 竹内の口から抜かれた腕が勝手に、自動的に竹内の顔に振るわれた。それは拳骨による殴打だった。自分の、底知れぬ暴虐な精神が垣間見えた事にぞっとした。

 骨が砕ける音がした。竹内の頬の骨なのか、それとも自分の指の関節の音なのか、定かではなかった。

 ――『そしたら全身舐めまわすように抱きしめて(焼き鏝にして)やる』

 熱した半田ごてになったような指を、眼球に突っ込んで、掻き回してやろうと思った、まさにその時間。

「私を殺したい?」

 当たり前の事を尋ねてくる声がした。当たり前に懺悔の言葉が続く。

「いいよ。別に。勝手にしたら?」

 はぁ? 続いている。懺悔の言葉が。ふざけるな。許しを乞え。みっともない顔をしろ。許してくれと乞うている。乞うているだろう? 乞うていろ。なんで乞わない。ふざけるな。お願いだから、なんでもいいから乞うてくれ。

 ――『なのに、なんでお前(竹内)は、呆れたような顔をしている』

「……なんなんだ」

 折笠の狂笑に満ちた顔面が、筋肉が、残さず冷えて硬直する。

 ああ、と思った。これは、これで良かったのかもしれない。人に、自分の醜い部分を曝け出した。おかしな話だ。コイツの醜い場所を辱めてやろうと思っていたというのに、自分が最初に晒して(嗤って)しまっている。自虐して笑うピエロじゃないか。

 冷えて固まる。顔が固まる。冷えて醒める。心が醒める。

 ――『ふざけるな。悔しそうな顔をしろ。なんでだ、なんで……』

 己の醜い部分は、嗤って笑って晒すことで、だんだんと鎮火してきていた。ああ。無闇に見栄を張らずに、最初から、こうして曝け出していたら、こんなみっともない爆発はしなかったのかもしれない。ああ。あぁ……なんて……

「……馬鹿馬鹿しい」

 その一言が、事実上の終息(ピリオド)となった。

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