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沖ノ浜の紛い者  作者: 指猿キササゲ
$1$ 本章
38/42

冷凍庫4 #『烏』

    冷凍庫4 #『烏』


 それは至福の一時であると同時に、凍った精神の解凍時間だった。

 二年前に受けた屈辱で、彼女の心はある意味で凍っていたと言える。それからというもの、この時のためだけに、すべてを利用して漕ぎ着けた。五番内席も、紛い者も、『上』も、手伝い業者も、自分自身の身体さえも。

 空になった四本目のペットボトルを床に放り投げた時だった。もうそろそろ、少女への執着も底を尽きかけていた。

 ――なんか、だんだんどうでもよくなってきたな……。

 やはり、私がコイツに執着したのは、屈辱を受けたという理由だけだったんだな――と、自己的に再確認し、そろそろ本気で止めようかと思っていた。もうさっさと殺してしまおう。あとは『上』から差し金が来る前に、沖ノ浜(ここ)からトンズラしてしまえ。

 思いは現実に身体を動かす。立てかけていたアイアンを見つめる。目いっぱいの力で何度も殴れば、すぐだろう。床の上に放っていたペットボトルを蹴飛ばして、アイアンに手を伸ばした、その時――

 がごん、と重々しい音。開く鉄扉。流れ出る冷気。滲み()ってくる夜気。その境界線上に、一人の男がいた。

「西川一政……」

 折笠崖梨がパウエルを務める『鍵』の25番席にして、運動エネルギーを操る紛い者。紛い者としての力は、せいぜい下の上程度だが、その類稀なる才気を評価し、『上』は彼を、紛い者グループきっての問題解決人(トラブルシューター)として起用している。

 彼は折笠の様子を一瞥すると、

「……ないわぁ」

 心の底から、そういう言葉を口にしていた。

 ったく、こっちはお楽しみ中だったというのに……竹内は苛立ちながらも、冷静に棚の中に隠していたボウガンに手を伸ばす。

「動くな!」

 折笠の後頭部にボウガンを突きつけて、竹内は怒鳴った。

「私、ロビン・フッドじゃないからさぁ……こいつの頭、リンゴと間違えて撃っちゃうよ?」

 西川が、片眉を上げる。

「バーカ。それを言うならウィリアム・テルだろうが。一緒にすんな」

「へぇ、イギリス人じゃなくてスイス人だったか。詳しいわね。文芸好きなの?」

「いや、ゲームだよ」

「ゲームかよ」

 竹内は、ぼやいた。西川は肩をすくめる。

「ちなみに、イギリスってのは正確じゃない。イングランドだ。ワールドカップだって、イギリス代表じゃなくて、別々のグループだろ? イングランドと、スコットランドと、ウェールズと……あれ、もう一つなんだっけ?」

グレートブリテンと北アイルランドの連合王国(イギリス)なんだから、北アイルランドだろ、と突っ込みたくなるが、会話に興じている暇は無い。何でこんな馬鹿みたいな時間稼ぎをしてくるのか。増援がくるのだろうか? もしくは人質交換か。朱博(広谷)ならばとっくにやられているはず。もし人質交換のつもりなら、時間を稼ぐ理由は無く、もうこの場に連れてきている筈だ。ということは少なくとも人質は広谷ではない。だとしたら……

 ――啓助が、やられた?

 最悪の状況を予想する。しかし、あれだけの電力があれば、4番に負けるとは思えないのだが……。

「っつか、なんでそれ、最初から使わなかったんだ?」

 竹内は適当に話を続ける。

「はぁ? コイツを甚振って弄り回すために決まってんじゃん」

「うげぇ。訊かなきゃよかった。この下種」

 げえ、と西川は何か吐き出すように舌を出した。

「で? なんでここが分かったのよ? この馬鹿が紙残したの?」

 言って、竹内は吊られたままの折笠を肘で殴る。だが西川は眉を顰めもしなかった。竹内は少しだけ同情した。部下にすら思われていないのか――同情した? 自分の中で、腸が煮えくり返るのが分かった。なんでこんなヤツに同情している? 殺してしまえ。徹底的に辱めて、押しつぶすだけの対象だ。それなのに、なんでそんな対象に、人間らしい感情が湧く? 苛立ちは疑念へと変化する。

「紙? 地図でも残したのか? いんや。『烏』のアジトの場所は、そもそも俺には分からないし、『上』に開示請求をしたけど、いまだに通ってない。ダンマリだ。今頃、五人中三人目辺りでスタンプラリーは止まってる」

 『上』は私たちを『蜥蜴の尻尾』のように切り捨てていない? 竹内の中で疑問が浮かぶ。ならば西川一政は、どうしてこの場所を特定できたのか――いや、待て。簡単じゃないか。竹内は納得がいった。

「なるほど。携帯端末で特定したワケね」

 ご名答。西川は肯定した。

「電話の番号は分かってるからな。あとは『塵芥』の明智さんに頼んで、電話会社のシステムを使えば造作もないさ。ウチじゃあ、どっかの会社のシステムの情報とか、そういうのは全部折笠が管理して使ってるからなぁ」

 いい加減、時間稼ぎにも飽きてきた。コイツを殺してトンズラしよう。問題となるのは目の前の紛い者だ。だが戦闘はせず、逃走するだけなら可能かもしれない。

「ま、どうでもいいけど、さっさとしないと、コイツ殺しちゃうわよ」

 注意を散漫させよう。そう考え、西川に脅しを掛けるが――

「いや、それはないよ」

 西川は、まるで決定事項だとでも言うように頭を振った。竹内は疑問に思って訊き返す。

「どういう意味よ?」

「言ったとおりだよ。お前は、折笠を助けざるを(、、、、、、、、)得なくなる(、、、、、)

 何を言っている――その答えは、西川の後ろから迫る、光背のような逆光が示していた。

「なっ……」

 なにか、大きなものが、ここに向かって突っ込んでくる。

 重圧をそのまま音に変換したような、重低なエンジンの駆動音。それは二乗の速度で倍加して、鼓膜にうるさく響き渡る。

 ビリビリと震える空気を感じ取る。それが、どれほど巨大なものなのかは察しがつく。

「お察しのとおりさ。20トンのタンクローリー。中身はガソリンが満タンさ。こんなもんがコケりゃあ、辺り一面大炎上って寸法さ。俺は今から逃げるけど……お前は逃げられないぜ、竹内宇智巴」

 そういうことか……竹内は歯噛みした。

 こいつは、そもそも折笠を生きて返すことを目的としていないのだ。事態を収拾する。ヤツが見ているのはそれだけだ。自分が勝つことしか考えていない。その為なら、たとえ上司であろうと切って捨てる。

 一応、訊いておく。

「もしも私が、コイツと心中するって言ったらどうするのよ」

「はっ、折笠が死んだら、繰り上がりで俺が五番内席か? ない話だけど愉快だな。まぁ、真面目に考えるなら法華津あたりかな?」

 そんなところだろうと思ったよ。竹内は苦笑した。折笠の顔を叩いて起こす。

「折笠、アンタの部下は、アンタを見捨てるってさ。なんもないの?」

 意識が朦朧としているのか、折笠の反応は鈍かったが、言葉は聞き取れた。

「……なにも。それで事態が収集するなら、それでいい」

 竹内は、歯噛みした。

 部下は――仲間は、必ず仲間を助ける。それが竹内の頭の中に、固定観念として存在していた。実際、竹内が危機に瀕すれば、残る二人は、火中の栗を拾う覚悟で助けに来ることだろう。

 だが、折笠崖梨は違う。『鍵』は違う。春川春臣は知らないが、西川一政はまったく違う。仲間を見捨ててでも、グループの目的を達成する。

 互いを見合う仲ではなく、互いに同じものを見る仲。……それがコイツらだ。

「ははは……」

 泣きそうになる。同属嫌悪から殺そうとしていた――なのに、似ているようで、その本質はまったくもって違っていた。全然違うじゃないか。どこまでも過剰な思いは、その注がれる対象が違っていた。

 その違いは些事だと、気にした事もなかったのだ。

「クソ……くそ、あークソ。なんなのよ、もう……」

 轟音と、業風が、重圧となって迫り来る。その間にも、竹内は無意識に宙吊りになっていた折笠を降ろしていた。入り口を見ると、もう男の紛い者の姿は無かった。

「折笠……死にたくなけりゃ、ちゃんと仕事しなさいよ」

 ボロボロの少女が、よろよろと立ち上がる。今にも折れてしまいそうだ。生まれたての子鹿のようだ。

 まったく。なんだその様は。自分で虐げておきながら、竹内は苛立った。罪滅ぼしなんて言うものではなく、この状況から助かりたいという、浅ましい考えで――迫り来る重圧から逃れるため、竹内は痛ましい小さな少女の背中に、隠れるようにして盾とし――その盾が倒れないように後ろから支えた。


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