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沖ノ浜の紛い者  作者: 指猿キササゲ
$1$ 本章
32/42

冷凍庫2 #『鍵』

    冷凍庫2 #『鍵』


 見渡す限り、荷物の詰まれた棚が並ぶ。何列も、何列も。高さは五メートルほど。ところどころ、発泡スチロール箱やダンボール。金属製の台車などが放置されている。

 床はコンクリート。しかしなぜか、綺麗に光を反射している。

「久しぶりねー、崖梨ちゃーん」

 大きな鞄が乗った台車に、体重を預ける不安定な体勢で、竹内宇智巴はそう言った。まるで、古い友人に久しぶりに会った女子高生のセリフだ。

 だが、その視線には、悪意と憎悪ばかりが、丹念に塗りたくられている。

「やはり貴様が一連の事件を?」

「ええ。そうよ」

 折笠の単刀直入な問いに、鞄の中をまさぐっていた竹内は、自然に肯定した。

 やはりか――そう思った折笠が、ポケットから情報端末を取り出した瞬間、

 煌めき。

 鏡のように、綺麗に光を反射しながら飛翔したそれは、折笠の右手に命中し、手の内から通信機器を吹き飛ばした。

 ガシャン、というプラスチックの破砕音と、ガン、という金属質な騒音が、冷たい空気を震わせる。

「あっれぇ、おっかしいなぁ~。顔面にブチ当てるつもりだったのに、外しちゃった~」

 鏡のように光を反射する金属製の四角柱の棒。その名前を、折笠は知っていた。

「文鎮……」

 折笠は、呟く。竹内はケラケラと笑った。

「ただ投げただけでも結構な威力でしょ? いやさぁ、色々と悩んだのよねぇ。化け物相手に有効で、かつ携行しやすい投擲武器って何かなぁ……って。で、考えるとね、やっぱダーツとかかと思ったけど、ダーツじゃ汎用性が低いから、ふと思い付いたわけよ。痛けりゃなんでもいいいんじゃないかって」

 折笠は力を抜いて腕を垂らし、目の前の女を見据える。

 身長は160と少し。緩く波打つ茶色の長髪、蛇のような目付き、高い鼻。不健康そうにすら見える白い肌、細長い四肢……手に持っているのは学生鞄、中身は不明。態度だけ見れば隙だらけ。それが視覚から入手できる情報の全て。

 事前の情報。竹内宇智巴は『烏』の15番席。その他『烏』のメンバーは二名。本来『烏』は四名で構成されるので一人は欠番。その二人の姿は、今ここでは確認できない。

 結論。竹内宇智巴はパウエルであるが、紛い者ではない。つまりただの人間。大して折笠崖梨は五番内席でありながらパウエル。事実上、ステータスも能力も、折笠崖梨は竹内宇智巴の完全上位互換。パウエルとして、紛い者に関する情報を普通のメンバーよりも多く入手していながらも、一人の紛い者として、普通の人間にない力を有している。

 これだけの情報を前提にして出した折笠の結論は、『不鮮明』の一言。

 あの鞄に何が入っているかにもよるが、一人で紛い者に挑もうというのは非合理的な判断だ。折笠が同じ立場なら、絶対にそんな行動は取らない。

 だが、現に竹内宇智巴はそうしている。その理由はなんだ?

 あの鞄に、よほど強力な武器があるのか? だが確実に折笠を殺せるほどの道具を持っているのなら、それを悟らせないように囮の紛い者を配置するはずだ。

 なのにやっていない。どういうことだ? 折笠は思考を巡らせる。3番の北池啓助も、18番の広谷朱博も、それぞれ別の場所で『塵芥』の4番・海野火早野、及び『鍵』の25番・西川一政と交戦している筈。もし早期決着が図れていたとしても、ここに来るまでにはまだ時間が掛かることは容易に推測できる。

 ――沖ノ浜とは全く関係のない第三者を雇っている可能性……否定は出来ないが……。

 それも考えにくい、というのが折笠の見解。

 ――なら、合理的な判断も出来ないほど血迷っている……ということか?

 あまりにも自分は油断しすぎているのではないだろうか? しかし事実そうであるなら、そう判断するしかあるまい。余計に勘繰って何もなければ拍子抜け、でもいいが、ここで時間を無駄に潰すよりも、北池啓助と海野火早野の現状を少しでも早く把握しておく事の方が遥かに重要だ。

 しかし、馬鹿に出来ない点も一つ。場所の選択だ。折笠崖梨の紛い者の力を知っていてこの場を選んだのだとすれば、これは折笠にとって武器となるエネルギーを確保できないようにする為の処置と見ていい。

 しかし、折笠にとってはあまり関係ない。紛い者は自分に触れられるほどの距離にない物体のエネルギーを操る事はできない。そもそも竹内に触れられないのであれば、あまり意味はないのだ。

 とりあえず、様子を見て接近して、組み伏せれば終わりだ。身長は折笠の方が低いが、折笠にはアドバンテージである紛い者の力がある。

 堅苦しい黒い制服を着用している折笠と対照的に、竹内は白いコートを着ていた。その下はいつもどおり、セーラータイプの制服の上から、学校指定のセーターを羽織っているのだろう。膝丈のスカート、ニーハイにブーツという、この環境ではわりとファッショナブルな格好だった。

 ……なんにせよ、身に隠せる武器は、せいぜいポケットサイズの凶器が関の山。となると、主な武器はあの鞄に入っていると見ていい。

 折笠が動いた。竹内の元までは目測10メートル……あっという間に駆け抜けて、叩き伏せる筈だったが――そうはいかない。

「……っ」

 踏み込んだ瞬間、足元に違和感――滑る。コンクリートの床に、なにか透明な層がある。

 マイナス20℃の世界では、床に零した水気は氷の層となる。おそらく、冷凍庫中の床に水をぶちまけたのだろう。凍てつく床の上では、安定した走りは不可能だ。

 辺りを見渡す。コンクリートの床が丸出しのところから、アイスバーンのようになっている場所、大きめの水溜まりが凍ったように広範囲で凍結している場所まで、まちまちだ。

 少し、つま先で氷を叩いてみる。……かなりの厚さがある。1センチは余裕だ。

 しかし――相手だってそれは同じだ。摩擦係数の低いこの場所では走れない。

 だが――そんな最悪な足場で、竹内は遠慮もなくその場で踏み込む。折笠は思案する――なるほど、あのブーツはただファッションではなく、スパイクなのだろう。視覚的にごまかしながら、実は機能性を有している。

 竹内が振りかぶる。その右手に握られているのは、一本の金属棒――!

 凶悪な表情は、まさに悪鬼のそれだ。竹内は唸りとともに金属の棒を投擲する――考える前に、折笠は腕を顔の前に出す。五感を司る顔は、逆を返せば感覚器という弱点の集合体だ。喰らえば致命傷とまでいかずとも、重大な負傷は必至である。

 金属の衝撃が骨に響く不協和音――落下し、氷を砕く文鎮――さらに竹内は一定の距離を保ちつつ左右に移動し、二、三度目の投擲をしていた。

 いったい幾つある――折笠は腕に響く鈍痛に顔をしかめながら、竹内が左手で引く台車に視線を向ける。

 ――あれが、アイツの生命線(武器庫)というわけか……。

 なら、それを狙うのが手っ取り早い。凶器さえ無くなれば、竹内は丸腰同然だ。恐れるに足りない。

 折笠は竹内の行き先を予想し――自身の体温を犠牲に、足元にエネルギーを集中する。とはいえ、消費するのはほんの少し、右足の裏の温度が、そのまま氷に伝わるくらい。

 利き足の左足で、折笠は氷の地面を蹴りつける。あとはスケートと同じだ――折笠は氷の床を、スケート選手のように滑走する。

 その間にも、文鎮が幾つか迫り来るが、折笠は腕を使い、軌道を曲げて回避する。

 これなら、あっという間に近づける――そう思った矢先、

ゴッ! と一際大きな衝撃が、折笠の膝を打った。思わず折笠は転びかける。

「あっはっは!、大当たりっ! 大当たり!」

 大きな音を立てて転がるのは、大型の金属の塊……様々なサイズのボルトを回せる工具、モンキーレンチだ。

「やっぱ、文鎮だけじゃ芸が無いでしょ?」

 さらに竹内は、数本の金属塊を取り出す。そのどれもが、凶悪で鈍い金属光沢を放つ物ばかり。

 しかし、折笠は焦らない。彼女は既に、竹内の投擲のクセを見抜いていた。

 彼女は殺意を込めて振り投げてくる。しかしそれはモーションが大きすぎるため、連投には向いていない。二つ同時に投げてくることもあるが、その場合は精度が目に見えるほど落ちる。

 左腕が振り上がる――その手には三本の文鎮。牽制が目的だろう。利き腕ではないから、数で補正するつもりだ。本命は右手の『大当たり』――モンキーレンチだ。

 三本の金属が投げつけられる。勢いだけ見れば、とても利き腕ではないとは思えない。しかし、それでも若干の誤差があり――折笠は、それを見抜く。

 三本の投擲――勢いが一番緩い文鎮を見極めると、それを右手で掴み取る。

「――!」

 竹内は気づきながらも、右腕による投擲を止めなかった。折笠は文鎮を横に振り、投擲されるモンキーレンチを弾き飛ばす。

「ちっ……やっぱ動く相手じゃ勝手が違うわね……」

 事前に練習でもしていたのだろうか――苛立たしげに呟きながら、竹内はバッグから次弾の投擲物を二本取り出す。

 ――何本持っている?

 流石に、ぎっしり全部とは考えにくい。……が、台車で引いているのなら、それもありえるかもしれない。

 投げられる前に、投擲の間合いを詰めてしまえ――折笠は右手の文鎮を折笠に投げ返して牽制すると、一気に懐に潜り込むべく、足裏から再びエネルギーを放出――滑走しながら突進を敢行する。

「終わりだ」

「――そう?」

 呟きは、冷たい疑問系。竹内の動きは迅速だった。台車に縛っていた鞄のベルトを外すと、鞄を降ろし、折笠に向かって、台車を蹴りつけてきた。

 猛烈な勢いに乗るが、ひっくり返らないのは重心が低いためか。折笠が投げた文鎮が――竹内が蹴った台車が――互いを襲う。

 折笠は突進を中断――横に避けて台車のハンドルを掴みながら、台車の勢いでくるりと一周すると、遠心力を利用して、またまた竹内へと投げ返す。

「ぐっ……」

 竹内が呻く。投げ返された台車を払い除けるが、その後ろから、滑走する折笠が迫っている――折笠は竹内の体温を奪い去るべく、両腕の肘から先を横にして、顔と喉を守るような、独特の構えを見せる。

 掌と腕を、できるだけ相手に触れるようにすることで、突進が成功した際に、一気にエネルギーを吸収……相手の体温を奪い去るという、折笠が独自に編み出した戦術だ。紛い者としての力の使用を最低限に留めながら、効率よく敵を制圧できる。

 後退を諦めた竹内は、床に置いていた鞄を両手で持ち上げると、それを突き出すように打撃を放つ。文鎮がぎっしり詰まっている可能性を考えていた折笠は呆れる。女の細腕で持ち上げられるようだし、大した重さじゃないだろう……そろそろ弾切れなのは、これだけで明白だ。

 まるで暴漢に襲われた女性の抵抗――悪あがきもいいところだ。微笑を浮かべることすらなく、いつもの無表情で、折笠は虚しい抵抗を片手で払いのけようとする。

 しかし、それは無視された。

 予想を裏切る圧倒的な重量――腕の力では流しきれず、腕越しに打撃が命中した。その、あまりの重圧は濁流となって、折笠を力任せに床に押し倒す。

 ――いったい、何キロあるんだ……!

 瞬間、見上げた折笠の視界に写ったのは、再び持ち上げられた鞄が、落下してくる光景だった。

 ――!

 思考の余地は無かった。折笠はとっさに後退するが――それが災いし、左足に鞄が落ちる。

「――ッ、ぁ!」

 搾り出すような声は、悲鳴にすらならない。叩き折らんばかりの威力だった。まるで、人が一人乗ったんじゃないかと思うくらいで――あまりの痛みに、(うずくま)って堪える事しか出来ない。

「ふーん。やっぱ化け物でも、所詮、身体は人間だもんね、これくらいは効くんだ」

 興味なさ気な呟きが、頭上から降りかかってくる。気色悪い蟲を見つめるような視線を、折笠に向けていた。

 目を白黒させながらも、折笠は次の一手を考える――が、混乱と焦燥、痛みと我慢に神経をすり減らしてしまい、そこまで頭が回らない。

「ま、足は折れてるだろうけど……死にはしないっしょ、こんくらいじゃ全然」

 何かが、自分の足を踏みつける。

 神経が焼き切れ、意識が塗り潰されて、破裂する。逃れられない痛みから逃れたい。こうして痛みを覚えている時間を消してしまいたい――自分の意識が消えてくれないかと願い、そして、そんな自分に嫌気が差す。

「さてと……お楽しみの時間だねー、崖梨ちゃん?」

 呼吸すらままならない折笠の目の前に、嗜虐的な笑みを浮かべた、鬼のような女がいた。


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