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沖ノ浜の紛い者  作者: 指猿キササゲ
$1$ 本章
30/42

駐車場1 #『鍵』


    駐車場1 #『鍵』


 春川が法華津を追って辿り着いたのは、廃止された研究所にある、立体駐車場だった。

「ここに法華津が?」

 電話の向こうの明智に尋ねる。

『ええ。……見つけて、話せる状況になったら、また連絡してくれる?』

「分かった」

 春川は通話を切った。

入るときに見た門の看板から、余熱発電――自動車のボディやエンジンなど、無駄に熱が溜まる部分を使って発電する技術――の研究施設だったようだ。なるほど、この立体駐車場は、職員の自動車だけでなく、研究用の自動車も停めていたらしい

 車は、まだ何台か止まっている。だいたいが埃を被っていて、動かされている様子はない。

 視界を邪魔する、目の高さくらいのセダンとワゴン。まるで迷路だ。非常灯しか付いておらず、夜も八時とあって暗く、視界が悪い。

 しかし、見つけるのは簡単だった。エンジンの唸りを聞いたからだ。いまだに動いている車があるとは信じられないが、おそらく法華津もその近くだろう。

 そして――セダンのボンネットに、両手をつく人影があった。

 背丈の低い、矮躯が特徴的な少年。さっきまで回転寿司屋にいた少年に違いない。その背中を見ながら、春川は声を出す。

「法華津穂高、だな」

 後ろ姿を無防備に見せる法華津は、答えを返さない。

「お前んトコの上司の頼みでさ、お前を連れて来るように言われてるんだ。もし抵抗するようなら、力ずくでもいいってさ。悪いが加減は出来ないから覚悟してくれ」

 慈悲は無い。だが侮りもおごりも無い。そこにあるのは責任だ。こんな立場に立っているという自分の責任。

 それに対して、

「ん、フ、ふ」

 人間らしい返答はなかった。それは獣の笑みだった。

「おい、聞いてるかお前……」

 再度の問いかけ。

「い、ヒ」

 返答は、意味を成さない。

 ――こいつ、ふざけてるのか……?

 思いつき、ただそれだけで、推理も予測もありはしない。

 そして春川は、思いつきを瞬時に否定した。

 エンジンが動いているのは、今、法華津が手を付いている車ではないか――!

 瞬間、法華津が横へと飛びのくと、無人の車体が春川めがけて突っ込んできた。

 ――くそ!

 竹内宇智巴が法華津を『乗せた』のなら、法華津にエネルギーを与える手段を講じているのは、当たり前のことじゃないか――そのくらいのことも予想できなかった自分を恥じた。

 だが――僅かにハンドルが動いたのか、春川の無様な回避運動でも、猛烈な勢いで突っ込んでくる金属の塊を避けることが出来た。

 最初の攻撃を避けて気が緩んだところに、先に避けていた法華津の、次の攻撃が続いて放たれる。

 斜め前方へと飛び上がった法華津が――落下するままの勢いで、春川に向かってきたのだ。

 肉食獣が木上から飛び掛ってくるかのように、壁を蹴り跳ばして一直線に襲いかかる。

「クッソ……」

 腕を振り回すことで、身体の重心を無理矢理ズラすという荒業と共に放たれたのは、振り下ろされる斧のような軌道を描く、踵落としだ。

 条件反射で春川の右腕が自分の頭を隠す。ベキン、と嫌な音が腕から響いた。当然のように、相手の足からもそれは聞える。折れてはいないだろうが、ヒビくらいは入っていそうだ。

 ――こいつ……イカれてやがるっ!

 人外な打撃力を前にして、春川は歯噛みした。

 法華津穂高が操作できるのは、運動だ。

 法華津穂高の体重は49キロ。そして運動の速度は、法華津が運動エネルギーを吸収した時のエネルギーの状態に依存する。何故なら、紛い者が操作できるのは、エネルギーであって力ではないからだ。100メートルを時速50キロで駆け抜けようと、時速3キロで歩こうと、結果として行った仕事が同じなら、エネルギーは変化しない。つまり時速四十キロの自動車の運動量を吸収すれば、出力するのも時速四十キロ、音速旅客機の運動量を吸収すれば、出力する運動は音速になる。

 彼が事前に保有していた運動の速度は時速50キロ……自動車のそれである。それを出力しているのだから、法華津が自身の身体に運動量を出力すれば、彼は時速50キロで運動する。

 エネルギーは、彼の体重プラス停めていた自動車の重量と、本来移動する筈だった距離500メートル分の積だ。すなわち(49キロ+18850キロ)×9.8ニュートン×500メートル=923万6500ジュール。

 彼が今使用したエネルギーは、10メートル分の4802ジュール。すなわち、まだ923万1698ジュール、1万9224メートルもの距離を移動できるだけのエネルギーを持て余している。

 春川は、そこまで正確な数字は分からないが、とにかく戦慄した。長い時間、『本来なら移動していた自動車』に触れていたのだから、触れていた時間だけの、莫大な運動エネルギーを、彼は持っているのだから。

 西川が、法華津のことを化け物といったのが、分かる気がする。格下の西川では、そこまでの大きなエネルギーを蓄積することはできないだろう。

 蹴りで全てのエネルギーが消化できるはずもなく、二人はもつれながら床に激突する。いくら体重が軽いとはいえ、この速度で衝突されると、流石に堪える。

 馬乗りの状態から、無造作に法華津の腕が上がる。

 人の腕の重量は、3、4キロ程だ。運動量を増加させる対象の重量は、先ほどより軽い。4×9.8×0.5メートルで、たった19.6ジュールしか使用しない。エネルギー節約が出来る上、速度は前述どおり、紛い者の能力の性質上、変化しない。その威力は、ボクサーのパンチを上回る。

 春川晴臣に、それを避けれる要素は無い――筈だった。

 バシン、と紙風船が破裂するような音が木霊した。

「乱発しすぎなんだよ、テメェは」

 受け止める事など到底不可能な拳を、春川は握りつぶすように受け止める。

 ――操作する仕事は運動。法華津が出て行った時間から逆算すると、自動車以外の運動量を確保する時間はなかった筈だ。なら、これ以上の速度は出せない……他のものに触れていた可能性は無い。

 春川が紛い者でもないのに『鍵』に在籍し続けられている理由、その一因となっているのが彼が非常識を常識的に見ること……冷静に非常識に対応できる才能、つまり主観的なイメージに囚われず、物事を客観的に見られる才能だ。

 春川はその速度に驚愕はしていたが、打撃による攻撃が失敗――春川から外れれば、法華津自身の身体がもたないという事を、きちんと頭に入れていた。

 ジェットコースターならともかくとして、なんの安全対策もなしにそんな速度で動くのにはリスクが伴う。誰だって、好き好んで時速50キロでコンクリートにパンチなんかしたいとは思わない。

 となれば、打撃の狙いは立体的な顔面ではなく、平面的な上半身――そして馬乗りになった体勢から狙える急所は、胸部から鳩尾の辺りだろう。そこまで分かれば、打撃の軌道は先読みできる。

 紛い者だろうと、所詮は人間だ――西川の言葉を思い出す。

 受け止めた拳の指を解き、小指を力任せに逆方向に折り曲げる。折るつもりは無かったが、春川の予想よりも、法華津の指は細すぎた。加減が利かず、嫌な音が聞こえた。

「ぎ……」

 ――効いてる!

 勝機が見えて、かすかに歓喜した瞬間、

「ごふッ」

 脇腹に、ハンマーのような何かが叩き込まれた。

 ――なっ……

 立ち上がった法華津が、膝から先までに、運動量をかけて放ったサッカーボールキックだと気づくのに、春川は五秒ほど思考する時間を必要とした。

 肋骨辺りから、ビキリと嫌な音がして、春川の体が吹き飛び、コンクリートの上を飛び跳ねる。五メートルほど滑って、やっと止まった。

 ――クソ、一、二本くらい折れたんじゃねぇだろうな……。

 違和感と激痛、背筋に冷たい何かを感じながら立ち上がろうとするが、四肢が全く動かない。頭を打ったのか――視界が白く染まり、息を吸うのもままならず、それどころか吐き気すらしてきた。指を追ったくらいで気を抜いてしまった。もし立ち上がった時に気づいていれば、膝から叩き折っておけたのに……。

 もがく昆虫のような春川に、法華津が歩みって来る。

 法華津は、笑みを浮かべていた。暗い駐車場の中、三日月のように輝く歯の葬列(そうれつ)。狂気と殺気に満ち満ちた、獰猛な笑みだった。

 どうやら相手は随分とご機嫌らしい――暢気な思考を働かせるも、身体は全く言うことを聞かない。

 最後の一発。法華津の腕が振り上げられる。時速五十キロまで加速した拳が、春川の鳩尾に目掛けて打ち出され――唐突に何かが、法華津の身体を打ち抜いた。

 脇を掠るも、間一髪で拳が逸れる。衝撃に射抜かれた華奢な法華津が、コンクリートの地面を滑る。まるでさっきの自分を見ているようで、奇妙な既視感に囚われる。

「悪ぃな春川。遅れちまった」

 余裕な声が駐車場に響く。音源に視線だけ向ける。

 そこにいたのは、余裕な表情を浮かべた、余裕な足取りの人物だった。

 挙動の全てに自信を滾らせる、西川一政がそこにいた。

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