賃貸マンション3 #『塵芥』
賃貸マンション3 #『塵芥』
ドライヤーで髪を乾かした直後、インターホンが鳴った。
「誰、こんな時間に?」
明智が不気味がるのを無視して、内田はボタンを押す。エントランスにあるカメラが映し出しているのは、高校生と思しき男だった。
見た目は至って普通な男――『鍵』の春川晴臣だった。
「なんの用だ?」
『相談したい事があるんですが……』
直接訪ねて来た事や、声色から察して、事務的な連絡とは思えない。内田はエレベーターへと春川を通す。
「誰?」
海野が興味なさそうな口調で訊いてくる。
「春川だ。『鍵』の」
「ふーん」
大変につまらなそうで結構。内田は言語を発しただけなのに、すごく損した気分になる。
「内田さん、いくら紛い者じゃないにしても、無警戒で通しちゃマズイですよ」
明智は、明らかにこの状況を気に食わないようだ。同じ女子高生でも、海野とは正反対の反応だ。
「安心しろ。俺達には海野がいる」
「人のこと勝手に用心棒代わりにしないでくれる?」
自分の意思を軽視された海野がぼやいた。
まもなくして、玄関のドアをノックする音が聞こえた。内田は一応、魚眼レンズ越しに訪問者を確認すると、ドアを開けた。
「こんばんわ」
「上がれ」
短く言って、廊下の脇に立つ。春川は「失礼します」とお辞儀して、靴を脱いで、内田の横を通り過ぎる。内田は玄関の鍵を掛けた。
春川をリビングに通す。明智は海野の隣に座っており、唐突の訪問に警戒を露にしている。正反対に、海野は仏像ドキュメンタリー番組を見たまま動かない。
「用件は?」
「えっと……念のために聞きますが、盗聴器とかは無いっすよね?」
今にも確認しておきたいと言い出しそうなので、内田は間髪いれずに答える。
「必要ない。二十四時間体勢で警備システムが作動してる。警備会社のシステムは明智が監視してるから、仕掛けられてる可能性はゼロだ」
「へぇ……警備会社。スゴいっすね『塵芥』って」
春川が純粋な関心の目を明智に向けるが、本人は視線をそらす。
「『上』から、警備会社のシステムのアカウントとパスワードの情報が流れてくるだけです」
これは事実だった。ハッキングだかクラッキングだか、そんな面倒なことをする必要は無い。どうせ、警備会社の株主は『上』の人間なのだろう。こういう類の情報は、『塵芥』にとっては湯水のように使い捨てられる程度のものだった。
いや、おそらく各グループのパウエル……例えば、『鍵』の折笠崖梨や、『烏』の竹内宇智巴も、同じような情報を手に入れていることだろう。しかし内田は秘密主義ではないので、パウエル権限で手に入れた情報は、適材適所で明智や海野、法華津に開示していた。
これは内部で裏切り者が出ないようにするための処置だった。一人が裏切ろうと、残る三人は一人の知らない情報を駆使してアドバンテージを取れる。自分が隠し持っていても良いが、それでは各自の即応性に欠けてしまう。だが、これはあくまで予防策。実際に事が起きてしまうと、あまり効果無い。……法華津がそこまで気を回しているとは、考えにくいが。
……そして、その事態が起きてしまっていると見ていい。
春川の突然の訪問から、内田は何か異様な事態が起こっていると察していた。とりあえず詳しい話を聞きたい、春川を催促する。
「用件は?」
「『烏』潰しに協力して下さい。やつらは折笠を狙ってる。18番……広谷朱博は、西川が対応しますが、北池はどうにもならない」
なるほど。そういうことか。内田は納得した。
「つまりお前は、法華津と海野を使って、北池を潰すつもりか?」
春川ば黙って頷く。
少しだけ考える。電気を操る第3席・北池啓助を相手に、位置を操る第4席・海野火早野と、運動を操る法華津穂高のタッグが勝てるか否か……。
「いいだろう」
「内田さん!」
注意を勧告する部下を、内田は片手で制止する。
「だが、こっちにも一つ、条件がある」
「なんでしょうか?」
春川は緊張した表情を浮かべる。
「こっちの20番、法華津穂高が消えた」
「……は?」
予想だにしない発言だったに違いない。春川の目は点になっていた。
「理由が分からないし、暴走してくれたら、非常に面倒くさい。なにより、北池潰しに、アイツが必要だ。そうだろ?」
「はい。じゃあ彼の捜索を手伝います」
まったく、せっかく借りを作れるところだったのに、使い潰してしまった。法華津には説教が必要だ。海野によるくすぐりの刑とか……いや、これではむしろご褒美か?
「だが、もしも海野もやられたらどうする?」
最悪の事態を想定して、懸念事項を口にする。
「そんな心配無用なんだけど~」
となりでブーイングが聴こえるが、内田は聞こえないフリをした。
「その時は、こっちで責任を持ってやらせていただきます。折笠と西川で」
「頼りないな」
「同感です」
あまりに正直な意見に、内田は苦笑いした。
「聞かれたら、チビ二人に怒られるぞ」
「ですね。けど嘘をついたって、どうにもならない」
不器用なヤツだ。それと同時にやりやすい相手、話のわかるヤツは大好きだ。煩わしくなくていい。面倒なだけで役に立たない、理屈をこねくり回すだけのガキよりも、自分に正直な青二才の方が可愛げがあるというものだ。
「……いいだろう。こっちは海野を派遣する。その代わり、お前は法華津を見つけてくれ」
「はい」
春川の返事とともに、交渉は成立した。




