ライトバン2 #『鍵』
ライトバン2 #『鍵』
「『上』と連絡が取れない」
車の中、後部座席に座った折笠崖梨が切り出した最初の一言が、それだった。
「おいおい……ちょーキナ臭い事になってきたんじゃねーか、コレ……」
運転席に座る春川が戦慄していても、対照的に助手席の西川は余裕に満ちた態度を崩さない。自分より二つも年下だというのに大したものだ――春川はそんな無駄な思考をすることで、心の均衡を保った。
「っつか、『上』も何も財閥の連中だろ? なんで連絡取れねーんだよ。二千歩譲って北池が『上』の連中の名前を全て把握してたとしても、ぶっ殺したにしては仕事が早過ぎる」
「確かにおかしい。だが返答がない以上、『烏』が何かしたのは明白だ」
『上』と連絡が取れない以上、『烏』潰しは独断で行うしかない。そもそも根拠が折笠のカンだけと希薄なうえで、この始末だ。疑いは濃厚であっても確証は全く無い。
「全員殺す、なんて馬鹿なマネはしてないだろうが……口車に乗せたりとかなら、まだ有り得るな」
「たとえば?」
「分んねーから困ってるんだろうが」
前を見たまま、安全運転に勤めながらの春川の疑問は一蹴された。
「折笠さんよぉ」
「なんだ?」
助手席の西川は、ミラー越しに後部座席に座っている折笠を見る。同様に、ミラーに反射した気だるげな西川を、折笠も見ていた。
「アンタ、『塵芥』の連中が動いたらどうするつもり?」
「どういう意味だ?」
互いに視線を外さない。春川は二人の間に、緊張した空気が流れているのを感じ取った。
「こっからはオレら『鍵』が『烏』狩りに専念するけど、その間に『塵芥』が入ってきたらどうするかって言ってんの」
「どうもこうもない。邪魔になれば排除するだけだ」
「ふーん……」
含みのある西川の返事が気になる春川だったが、彼が尋ねる前に、西川は続ける。
「とりあえず役割を考えようぜ。『烏』の目的すら分からないんだ。折笠さん、パウエルなんだからそれ活かして探り入れてよ。一応、オレも紛い者の端くれだ。『烏』のメンバーとっつかまえて直接聞き出すのも難しくない」
とっつかまえて直接聞き出すとはつまり、『烏』のメンバーとの戦闘も辞さないことを意味している。いよいよ状況が表面化しつつあるようだ。
「……そうだな。それが合理的だろう。では春川は西川の補助を」
「いや、アンタが連れてけよ。情報収集するなら、一人でも人数多いほうがいいだろ?」
折笠の提案に、すかさず西川が異を唱える。
――え、俺って嫌われてる? 足手まとい?
折笠と西川は紛い者だ。だが春川は何の力もない学生でしかない。そうなると二人にとって、俺は足手まといでしかないのか――。
「パウエル以外にしか開示できない情報がある以上、『上』からの情報収集は私一人で十分だ。それなら足で情報を集めてもらった方がいい」
「……分ったよ」
折笠の説明に西川が折れた。春川は、少しだけ意外に思った。
「ここで下ろしてくれ」
折笠の指示を聞き、春川は路肩にバンを寄せる。折笠がバンのドアを開け放つ。
「待て。どこから探る?」
車外に出た折笠を、西川が呼び止める。
「とりあえずだが……福田殺しの一件からだ。『烏』が福田殺しを仕組んだ可能性がある」
「分った。オレらは『烏』のメンバーを探してみる」
折笠がバンのドアを閉める。折笠の小さな背中を一瞥した後、春川はバンを発車させる。
運転席と助手席の間で沈黙が降りる。気まずくなって、春川は冗談交じりに自虐する。
「なぁ……俺って足手まといかな?」
すると西川は、まるで宇宙人でも見たかのように目を点にした。
「はぁ? どういう考えしたらそんな……ああ、なるほど。お前、折笠の真意が分ってないんだな」
「折笠さんの真意?」
なんだか難しい事を言う中学生だ。春川は疑問の言葉を発する。
「『上』は福田を殺す合理的な理由もないのに、そういう指示を出した。それを折笠は疑った。そして福田殺しが終わったタイミングで『烏』が北池を失踪についての説明を申し出た。ここまでは分るよな? つまり福田殺しと、北池の失踪のタイミングが出来すぎてて、更に『烏』のヤツらの反応からして、『烏』が何か考えてるのは明白である。んで、福田殺しの指示は、『上』に見せかけて『烏』が行ったのかもしれない……少なくとも折笠は、そう考えてる。その証拠があれば、折笠は『烏』潰しに乗り出すだろう。グループは違ってても、同じ紛い者の不始末や不祥事は、同じ紛い者がつけるべきだ、とか言ってな。
だが、『烏』側の目的と動機はなんだ? 福田殺しの一件で、ヤツらは何を得た? 強いて言うなら『塵芥』の海野火早野や法華津穂高の能力を確認する事ができたが……必要ないことだ、今までのデータを見れば分る。となると『烏』は、自分達が動いてるってことを、オレらに見せつけただけだ。だが折笠は分かってない……いや、分かってないフリをしてる」
分かってないフリ、という変な言い方も気になるが、それよりもこの言い振りからすると、西川は『烏』側の目的と動機が分っているようだ。そこから訊ねるのが先決だと察する。
「お前は分かってるのか?」
「ブラフだよ。福田殺しも……当然だけど、北池の失踪も。折笠も気付いてるのさ。『烏』の目的なんて、とっくにさ。お前、折笠と『烏』の竹内について知ってるか? あの二人の仲が険悪な理由」
寿司屋で折笠が竹内に熱湯を掛けられた一件を知らない春川だが、そうでなくても、なんとなく、相性の悪そうな二人だと思った。
「……まさか二年前に竹内がこっち側に来たキッカケになった……あの事件?」
「ああ。アイツはそのことを、まだ根に持ってるってコトだ」
衝撃的な一言に、春川は動揺を隠せない。
「待て……そんな理由って……ありえるのか?」
「人間ってのは、自分の許容を超えた事象を前にすると、なんらかの反応を起こす。泣く、対象から逃げる、対象を攻撃するとかな。アイツにとっては折笠に拘束された……やられた、って事実が、もう許容の外なんだ。つまり『折笠崖梨への攻撃』、それがアイツの目的さ」
こんな事態を、一体どう解決すればいいのか。相手の目的は、個人に対する嫌がらせ。沖ノ浜の紛い者を巻き込んだのは、そんなくだらない事のための手段でしかない。
「……性質が悪いな。ヤツらの目的が金とかなら分りやすいのに……しかもこんだけの人数巻き込むなんて」
どうかしてる。春川には、到底理解不能だった。
「それだけじゃない。折笠が自覚してるかは知らないけどさ……お前、以心伝心って言葉知ってる?」
春川は馬鹿にされた気がして、むっとして言い返す。
「そんくらい知ってるよ。互いに意思が通じ合ってるってことだろ?」
「ああ。アレってさ、いい意味だけってワケじゃないんだ。竹内宇智巴が折笠崖梨を嫌いなように、折笠崖梨も竹内宇智巴が嫌いなのさ。真面目を気取ってる折笠だけど、アイツはただ合法的に嫌いなやつを潰したいだけなのさ」
「そんな風には見えないぞ」
折笠の生真面目な性格は、偽りではない気がする春川は、自然、彼女を擁護するようなセリフを言う。
「そりゃそうだろ。自分はそんな程度の低い人間じゃないって証明する為に、仕事熱心で生真面目なんだから。根は同じ。けどひねくれてるのは折笠の方。アイツは嫌いなヤツに嫌いとは言わない。それを言ったら、嫌いなヤツと自分が同レベルになっちまう。だからあくまで『仕事の一環』で竹内を潰す。つまり同族嫌悪なんだよ、アイツら。片方が正直すぎて、片方がひねくれすぎてるだけの話。仲直りしてくれりゃ楽なんだが、こりゃ死人が出てもおかしくないな。互いに一歩も譲りそうにないし」
告げられた物騒な事実に、春川はどう返答すればいいのか分からない。
「とりあえず問題を片付けようか。もうアイツらのことなんて、どーでもいーわ。勝手にやってろ、付き合ってらんねー。えっと、『烏』のメンバーは……18番の広谷朱博と、3番の北池啓助……そんでパウエルの15番、竹内宇智巴か。一人潰すなら、最初は広谷がいい。竹内ほど機転は利かないだろうし、北池より弱い。よーし分散行動だ。オレは広谷に行くから」
なんだか勝手に自分だけ方針を決めている。やはり俺は足手まといか。春川は念のため訊いてみる。
「じゃあ俺、どうすんの?」
自分で考えろ、とでも言いたげな冷たい視線を向ける西川が、少々考えて言った。
「……お前さ、3番潰しの方やれよ」
晴天の霹靂とはまさにこのこと。俺はまだ死にたくない。トワイライトホテルのビル倒壊を思い出す。アレよりもさらに上の五番内席を相手にしろだぁ? 春川は真っ向から否定する。
「ばっ、無理に決まってんだろ! 一瞬で消し炭だぜ、俺!」
「当たり前だアホ。アイツに勝てそうなのが二匹もいるトコがあるだろ。ナシつけてこいよ」
「……それは『塵芥』のことを言ってるのか?」
「ああ。二人掛りならどうにか出来るだろ。ま、最悪、アイツら二人がやられても、成り行き見てりゃステータスの詳細は分かる。そん時は責任持って、が3番の相手やってやるよ」
あまりにも無謀な先輩殿のセリフに、春川は呆れを通り越して不安すら抱いた。
「おいおい、北池啓助は五番内席だぜ? お前の力って、せいぜい『塵芥』の法華津の下位互換なんだろ? 自分でも言ってたじゃんか」
「まぁな。けど、紛い者だって所詮は人間だ。首の骨折るなり脳天に鉛弾ブチ込むなりできる隙がありゃ、なんとでもなる。……今の日本で銃は持てないけど。まぁとにかく、化物として挑んだらやられるだろうが、人間として挑めば勝機はいくらでもある。いつでもそうだろ。化物を殺すのは化物じゃなくて、人間だ」
確かに、紛い者としての戦闘に勝機が無いならアプローチを変えてみるというのは有効かもしれない。サシでなければいけないルールなんて、どこにもない。
「えっと……あ、PC貸してくんね?」
「何に使うんだ? 知れることなんてせいぜい、元々知ってる情報だけだと思うけど」
「いいんだよ」
腑に落ちないが、別に自分がこれから使う用事もない。ダッシュボードを開けて、黒いメッシュのケースに入ったままのノートPCを取り出す。西川はそれを小脇に抱えると、車外へと飛び出した。
「じゃ、なんか進展あったら連絡してくれ」
「分かった」
車外に出た西川は、勢い良くドアを閉めた。
車から先輩殿が消えたことで、車の中は一気に静かになった。春川はとりあえず今からやるべき行動の指針を固める。
とりあえず、『塵芥』に与えられているという賃貸マンションの場所を調べよう。そう思って、ダッシュボードに手を伸ばす。
「あ」
俺は馬鹿か。とりあえず春川は、他の方法でデータベースを閲覧できないか考える事にした。




