第03話 異世界の街とケンタウロスの少女 (3)
「……は?」
ゴブリンの男の声が、裏路地に響いた。
何を言ってるんだという表情で、男は俊也を見つめる。
ケンタウロスの少女も、顔を固めて俊也の顔を覗き込んだ。
「いや、何を言ってるんだお前は。駄馬って言っても、ケンタウロスだぞ? お前みたいな平民に買えるわけないだろうが」
じろりと俊也の全身を眺めて、ゴブリンの男は呆れたように口を開く。俊也の格好は、この世界に来たときと違ってただの白い麻服だ。どこからどう見ても金は持ってそうにない俊也に、ゴブリンは面倒なことになったなと頭を掻いた。
「え、えと。……そうだっ!」
俊也も、言った後で汗を垂らす。つい勢いで飛び出して言ってしまったが、俊也に勿論そんな金はない。しかし、俊也は思いついたように懐の袋を引きずり出した。。
「お、お金はないですけど。……こ、これっ。これと交換してくださいっ!」
大事な物入れの中から、俊也は黒い塊を取り出す。それと一緒に取り出された薄い物体に、ゴブリンは不思議そうに目を細めた。
「なんだぁ、それは?」
見慣れぬつるつるとした物体に、ゴブリンの興味が引かれる。バッテリーをスリムフォンに装着しながら、俊也はそれらしいことを口に出した。
「その、うちの家宝っていうか、カラクリなんですけど。ちょっと待ってくださいね」
俊也は、祈りながら携帯端末の電源ボタンを押す。こちらに来て一応バッテリーは取り外しておいたが、すでに一月だ。付いてくれと、俊也はじっと画面を見つめた。
ぴろりろり~ん!
「うおっ、なんだそりゃ!?」
画面に企業のロゴが踊り出し、スリムフォンの起動音が鳴り響く。突然鳴り出した機械音に、男がびっくりしたように一歩下がった。
よかった付いてくれたと、俊也はよしとホーム画面を見つめる。そこから、カメラのアプリを起動させた。
「ほら、見ててください。こういう風に使うんです」
カメラを少女に向けて、俊也はその画面をゴブリンに見せつける。画面に映し出された少女の姿に、男は驚愕した瞳で画面と少女を見比べた。
「お、おお!? なんだこれは!? 魔道具か!?」
「魔道具? え、ええ。はい。そうです。家宝の魔道具」
興奮する男に、俊也はこれだけじゃないんですよと画面のボタンをタップした。カシャリとシャッター音が鳴り響き、カメラを向けられていた少女がびくりと震える。
「おお! なんと!?」
切り取られた少女の姿に、ゴブリンは熱のこもった瞳でスリムフォンを手に取った。
「風景を切り取れるのか!? 何という宝具っ!!」
俺にも使えるのかと、ゴブリンが俊也を見つめる。俊也は勿論と頷いて、使い方をゴブリンに説明した。
「……おお! ははっ、道の小石が映っておるわ! こりゃあ凄いっ!」
楽しそうに笑うゴブリンに、俊也はあのうと声をかける。そんな俊也に振り向いて、ゴブリンは愉快そうにがははと笑った。
「いいぞ、そんな駄馬くれてやる! 好きなように使うがいい!」
持って行けと、ゴブリンはご機嫌で少女を俊也の方に突き飛ばした。少女が、呆気に取られた顔で俊也とゴブリンを見つめる。
「い、いいんですか?」
「よいに決まっておるだろう。お前のような駄馬に、これだけの価値はないわっ!」
にやにやとスリムフォンを見つめる男に、少女はおずおずと俊也の方へ近寄る。びくびくとしている少女に微笑み、その俊也の表情に少女が少しだけ肩の力を抜いた。
「あっ、それなんですけど。結構壊れやすいので、丁寧に扱ってくださいね」
「であろうな! よいよい、大儀であった。さっさと持って行け」
男は、スリムフォンを眺めながらくくくと笑う。少し遊んだ後、壊れる前に高値で売り払ってしまおうと、男は俊也の説明に頷いた。
男のジェスチャーを受け、俊也が少女に目配せする。男の気が変わらない内にと、俊也と少女はそそくさと裏路地を抜け出した。
ーー ーー ーー
「あの、ありがとうございました。助けていただいて」
ぱかぱかと、少女の四つの足が街道を踏み鳴らす。その小気味いい音に、俊也は少女に振り向いた。
下半身が馬である少女の顔は、それでも俊也と同じくらいの目線にその瞳を備えていた。少女は、申し訳なさそうに俊也の方を見つめる。
「その。よかったんですか? 大切な家宝を、私なんかに?」
「あー、いいっていいって。どうせ、そろそろ使い物にならなくなるところだったし」
あっけらかんと手を振る俊也に、少女の顔が複雑そうに歪む。中身の写真などの思い出を失ったのは痛いが、それでも充電が切れればお終いの代物だ。女の子一人助けられるのならば、安いものだった。
「あっ、俺の家こっちだから。ここらへんで。それじゃあね」
「えっ!?」
交差路に差し掛かり、俊也は少女に別れを告げる。忘れていたが、自分は仕事の途中だったのだ。早く帰らないと、昼飯の時間に間に合わなくなってしまう。
急がないとと足を向ける俊也の袖を、少女がちょっと待ってくださいと掴み止めた。
「うわっ!? な、なに!?」
思わずつんのめる俊也が、少女に向かって振り返る。どうしたのだろうと、ぽかんと見つめた。
「な、なにって。私を買い取ったのではないんですか!?」
少女の真剣な顔。それに、俊也は少女の意図を理解した。しかし、それを俊也は慌てて否定する。
「い、いやいやっ。そんな買うだなんてっ。女の子を買ったりなんかしないよっ。後は自由にしていいからさ」
確かに、話の流れではそういうことだ。しかし、平成生まれの日本育ちの俊也に、人身売買の趣味はない。
「じゃ、じゃあ! なんで家宝まで使ってっ!?」
「え? だ、だって。ああしないと君、炭坑送りだったんでしょ?」
こちらの世界の知識に乏しい俊也にも、何となく分かる。炭坑送りと言えば、地球でも脅し文句に使われるような言葉だ。こんな世界でそんな場所となれば、それはもう死刑宣告なようなものだろう。
「わ、私を助けるためだけに……か、家宝を売ったんですか?」
「ま、まぁ。そうなる、かな? いいよ別に、気にしないで。俺が好きでやったことだから」
少女の剣幕に、俊也の方が気押される。俊也からすれば、当然のことをしただけだ。目の前でこんな可愛い女の子が炭坑送りなど、見過ごしたら寝覚めが悪いことこの上ない。
「そ、そんなこと……」
ぱくぱくと口を開く少女の顔は、可愛らしかった。俊也は、こんなときだがじっと少女の顔を眺める。
ブロンドに、ほんのりと混じった桜色。桃色ブロンドとでもいうのだろうか。地球ではあり得ないその髪が、少女の整った顔立ちを覆っていた。
下半身は確かに馬だが、上半身はどこからどう見ても美少女だ。女の子に免疫の少ない俊也にとっては、正直直視するのも恥ずかしい。
「……だ、だめです。流石にそれはだめです」
その少女の健康的な唇が、ふるりと揺れる。それにどきりとしながら、俊也は頭の上に疑問符を浮かべた。
「決めました。私、貴方のものになります」
「……へ?」
少女の真剣な瞳が、俊也を見つめる。覚悟を決めた少女の表情に、俊也は間の抜けた声を上げた。
「え、えぇえええええええっ!?」
俊也の驚きが、異世界の空に響きわたる。