第10話 レースの前に (5)
「カレンちゃんとスズカくんは、若手の中でもの凄く期待されているんですよ」
受付をすませ、店に戻る途中ハルは俊也に話しかけた。先ほどのケンタウロスのことだと、俊也も興味がありそうにハルを見つめる。
「二人とも、もう速くって。すぐプロになっちゃったんです」
まるで自分のことのように誇らしげに語るハルを眺めて、俊也はふむと顎に手を当てた。ホープという奴だろう。確かに、他の選手とは一線を画する気配があった気がする。
カレンとスズカの並々ならぬオーラを思いだし、俊也はちらりとハルの顔をじぃと見つめた。ほえっと、ハルが俊也の視線に首を傾げる。その間の抜けた顔に、俊也ははぁとため息を付いた。
「まぁ、いいや。それよりも、あのグリンだっけ? 何なのあいつは」
「あー、はは。グリンくんはまぁ、ちょっと性格に難があるというか。実力はあるんですけど」
困ったように呟くハルに、俊也が意外そうな顔を向ける。そりゃあ、ハルよりは戦績はいいのだろうが、それでもプロに上がれずに残留しているのだ。どれほどの実力なのだろうと、俊也はハルに視線で問いかけた。
「グリンくんは、カレンちゃんたち同じように期待されてたんですよ。ただ、練習中に怪我しちゃって。その療養のためにあんまりレースに出てないんです」
ハルの説明に、へぇと俊也は口を開く。嫌みな奴だったが、言い訳の部分はあながち間違いではないらしい。だとすればと、俊也はグリンの顔を思い出した。
「なら、年末のレースは……」
「間違いなくグリンくんだと思いますよ。他にも何人か目立つ人は居ますけど、たぶんグリンくんが断トツですね」
そこまでなのかと、ハルの言葉に俊也はくしゃくしゃと頭を掻く。しかし、どのみちプロでやっていこうと思ったらこんなところで躓いている場合ではないのだ。それこそ、カレンやスズカと戦わなければならないのだから。
「故障に気をつけて、俺たちも頑張りましょう。打倒グリンですよ」
「は、はいっ。頑張りますっ」
むんと気合いを入れるハルに、俊也もよしと拳を握る。残り半年と少し、立ち止まっている時間は存在しない。
ーー ーー ーー
「よいしょおおっ」
ぐんと、八つに増えたミルク缶が持ち上がった。俊也とヴェルメイが、パチパチと手を叩く。
「大きい缶に変えたのに、よく持てるもんだね」
「ふふふ。何だか最近、更に力強くなった気がしますよ、私」
お任せくださいと、ハルがにやりと不敵な笑みを浮かべる。俊也の目から見ても、ハルの身体は力強さを増していた。
「しかし、随分と契約してくれるとこ増えましたね。四カ所ですか」
「そうなんだよ。ただのシチューとパンだってのにね。まぁ、お前さんの読みが正しかったってことだ」
新しい配達先の場所を地図で渡しながら、ヴェルメイはほくほくとした顔で俊也に笑いかける。今ではそれが宣伝になってか、本業のパン屋の方も随分と客が増えた。素直に嬉しいと、最近のヴェルメイは上機嫌だ。
「お前さんたちの給料も増やしてやれるよ。まぁ、この調子でじゃんじゃん稼いどくれ」
「わぁ、ほんとですか。嬉しいですぅ」
お給料アップの知らせに、俊也とハルが顔を見合わせる。これで大会にまた一歩近づけたと、俊也達のやる気が上がっていった。
「ヴェルメイさん、行ってきます」
こうして今日も、俊也とハルは昼食を街の人に届けるために出かけるのだった。
ーー ーー ーー
「配達に行ったのに、おやつ貰っちゃいましたー」
ミルク缶の回収を終えて帰路に着くハルの足取りは弾んでいた。いいなぁと、俊也がハルの手の中の桃のような果物を見つめる。
「すっかり人気者だよね、ハルさん」
「へへへ。皆いい人です」
にこにこと笑うハルは、手元の二つの内一つを俊也に差し出した。俊也の顔が驚いたように自分を指さす。こくりと頷いたハルに、俊也はそれじゃあ遠慮なくと桃もどきを手に取った。
「んぅー。甘くて美味しいですねぇ。疲れに染み渡りますぅ」
「ほんとだ。ちょっと酸っぱくて美味しい」
がぶりとかぶりついた果実は瑞々しく、口の中に広がる甘味に俊也は目を細める。甘みの中に走る酸味が、確かにハルの言うとおり疲れた身体を癒してくれそうだ。
「甘味なんてあまり食べられないもんね。ヴェルメイさんには悪いけど、二人で食べちゃおう」
「二つしかないですからね。仕方ないですね」
お互いに顔を見合わし、ふふふと笑い合う俊也とハル。結局、店に戻る前にスモモは種だけになってしまっていた。
ーー ーー ーー
夕食の香りが立ちこめる中、ハルがそういえばと口を開く。店じまいの手伝いをしていた俊也は、部屋の隅でじっとしているハルに振り返った。
「今度、模擬レースがあるんですよ。どうしましょう」
聞き慣れない単語に、俊也の眉が中央に寄る。ハルは、ぼんやりとした表情で俊也に意見を仰ぐ。
「賞金とかないですし、賭けもない練習なんですけどね。レース場を使って、何回か走れるんですよ」
「へぇ。それはありがたいな」
実際のレース場を確認できるチャンスだ。ハルは当然知っているだろうが、それでもスポンサーが居なくなった今、きちんとした場所で練習が出来るのは大きい。俊也は、行くべきだとハルに頷いた。
「自由に練習できなくても、流すだけでもいいから走ろうよ。距離とかも確認したいし」
「そうですね。じゃあ、利用届出しておきますね」
ハルもそれに同意して、今月末の予定が組み込まれた。その話を立ち聞きしてたヴェルメイが、羨ましそうに二人を見つめる。
「いいねぇ。あたしもレース場に下りてみたいもんだよ」
「そ、それはちょっと。たぶんシュンヤさんでも中には入れませんよ」
ハルの声に、ふぅんとヴェルメイがスープ鍋をかき混ぜる。トラックの中は、選手だけが入れる神聖な場所ということだ。
月末は練習~と鼻歌を奏でるハルを見て、俊也はそういえばと首を傾けた。
ハルは、練習ではどうなのだろうか。
そんな小さな、しかし重要な疑問が俊也の頭をよぎり、しかしそれはヴェルメイの夕食を告げる声に上書きされた。




