第01話 異世界の街とケンタウロスの少女
岡部俊也は、大学からの帰路を静かに歩いていた。
春。入ったばかりの大学の生活にも、少しずつ慣れてきた頃。俊也の足取りは、ただ静かに大学とアパートを往復する。
「おい、俊也っ!」
そんな彼の背中を、一つの人影が追いかけ声をかけてきた。聞き慣れた声を、俊也は華麗に無視する。
声の主も最早慣れたように、俊也の横に小走りで並んだ。
そこまできて、ようやく俊也は声の主の顔を見上げる。
横山走次郎は、そんな俊也の顔をいつもの表情で見下ろした。
「どこ行くんだ俊也」
「どこって、帰るんだよ」
走次郎の顔を確認して、俊也はふいと前を向く。俊也に、走次郎はおいおいと口を開ける。
「お前、今何もやってないだろ? また一緒にバスケやろうぜ? うちの大学、結構強いんだ。お前が居れば……」
「居たら何だよ」
何度聞いたか分からない走次郎の言葉に、俊也はぼりぼりと頭を掻く。俊也の呟きに、走次郎の言葉が詰まった。
「……俺が居たら、優勝でも出来んのか?」
俊也の言葉に、走次郎は答えられない。ただ黙って、俊也の横を歩いた。
「そりゃ、優勝は無理だけどさ。……お前、本当にバスケ辞めるのかよ?」
走次郎は、俊也の頭を見下ろす。それに、俊也は苛立ちすら抱かずにくすりと笑った。
「いいんだよ。……これ以上、言い訳したくないだろ?」
走次郎を見上げ、俊也は微笑む。その顔に、走次郎は分かったよと頷いた。
「ほれ、行けよ。練習中だろ? 怒られんぞ」
「ああ、そうだな。……じゃあな」
最後に、遊びでも気が向いたら顔出せよと呟いて、走次郎はくるりと校門に向かって駆けだした。その姿を背中で見送って、俊也は一人ため息をつく。
よくある、話だ。
子供の頃のスーパースターが、その後の成長で歩みを止める。
どんな世界でも存在する、現実の一つ。
166cm。どんなに頑張ろうと、努力では変わることのない、絶対的な現実。
勿論、それも言い訳だ。やろうと思えば、きっとこの身体でも何かを成すことは出来るだろう。
『すげぇぞ俊也、MVPだっ!!』
『お前が、西中の岡部か。期待しているぞ』
『……なに、心配するな。これからからでも伸びるさ』
『今度のスタメンは、岡部を外す』
『すまないな岡部。チームの方針だ。高さのない選手は、もう使えない』
思い出す。腹も立ってこない自分に、俊也はふふと笑った。
自分が一番、分かっていた。
あと数センチ。そんな場面を、何千回、何万回と見てきた。
その差を埋めていたはずの才能。それは、時が経つにつれ日に日に頼りなくなっていった。
『交代だ。……岡部、いけるな?』
あのときの感謝を、俊也は一生忘れないだろう。そして、足りなかったあの2センチを。
「好きなまま、終われてよかった」
ぽつりと、俊也は呟く。あの2センチがもしあれば、自分はもしかしたら嫌いになっていたかもしれない。あともう少しを、永遠に望んだかもしれない。
だから、よかったのだ。
「……立ち読みでもして帰るか」
そう考えて、俊也はふらりと目の前のコンビニを見つめた。
週刊誌を読んで、夕食を買って帰る。アパートに着いたら、動画サイトでも見て時間を潰す。
そんな生活も、いいじゃないかと、俊也は自動で開くドアを通った。
ーー ーー ーー
「……奮発してしまったな」
がさりと、俊也は右手に持つコンビニ袋の中身に目を向ける。
高級焼き肉弁当。コンビニで高級もないだろうが、720円もするのだ。俊也にとっては間違いなく高級である。
「まっ、たまにはいいだろ」
一人暮らしにはこういう潤いも大切だと、俊也は前を向いた。
横には、住宅街特有の小さな公園。仲良くボールで遊ぶ小学生たちを見て、俊也はふふっと笑う。
バスケともサッカーとも形容できない子供の遊びに、俊也は胸を暖かくしながら歩みを緩めた。
ぽんぽんと、ボールが女の子の脇を抜ける。
「もう。ちゃんと投げてよー」
ボールを背後に見送った女の子が、投げた男の子に向かって声を上げた。とてとてと走っていく女の子を眺め、そこで俊也が凍り付く。
「……おい」
気づいたら、走り出していた。
コンビニ袋を放り投げ、俊也は全身のバネを駆動させる。
住宅街にも関わらず、速度を出す車。
よくある話だ。どこにでもあり得る、現実。
「え?」
そこでようやく、女の子と運転手が気が付いた。
俊也の足が、女の子を捕らえる。
最初の五メートルならば、誰にも負けない自慢の足。
飛ぶ。慣れたものだ。
「届けぇえっ!!」
伸ばした手に、確かな感触。弾け飛ぶ意識の中で、俊也は道の脇に女の子を見つけた。
驚愕の表情。しかしその身体は、転んだ拍子のかすり傷だけ。
「……んだよ、ちゃんと届くじゃねーか」
今度こそ届いた数センチに感謝をして、岡部俊也は絶命した。
ーー ーー ーー
『……んー? 何じゃこいつ、善行で死んだのか。いまどき珍しいのう。転生先は……ふむ。まぁ、いいか。サービスでそのまま送ってやろう』
誰だと、俊也はがんがんと鳴り響く頭の中に少女の声を見つけた。
『事故前にちょいと巻き戻して。……ま、最期の記憶くらいは残しといてやるか。……ほい、ほいっと』
目を開くことが出来ずに、俊也は浮遊するような自分の身体の感覚に戸惑った。
ようやく、俊也の指先が意識を取り戻す。
『完了~。はい次の者~』
ぽいっと放り出される感覚が襲い、俊也は訳も分からずに目を開けた。
その瞬間、どちゃりと俊也の身体が地面にぶつかる。
「いっ、痛てて……」
ぶつけた肌の擦り傷に眉を寄せて、俊也はよろよろと起きあがった。
「……は?」
そして、俊也は声を出す。
目の前の、信じられない光景に俊也はぎゅうと頬をつねった。
「いひゃい」
確かに感じる痛みに、俊也は呆然と目の前を見つめる。
「おい、あんた。こんなとこで寝転がってちゃ、荷車に引かれちまうよ」
俊也の身体を、人影が覆い尽くす。その影に、俊也はゆっくりと顔を上げた。
「それにしても、けったいな格好してるねぇ」
見上げた女性の顔を、俊也はまじまじと見つめる。
銀色の髪、褐色の肌。これでもかと整った顔に、左目の下の泣きぼくろ。
見たこともないような美人の顔に、それでも俊也はとある一点を凝視する。
「……なんだい? 人の顔、じろじろ見て」
鋭く尖ったエルフの耳を、俊也はただただじっと見つめ続けた。