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一 予兆

月ヶ瀬透警護員をもう少し描いてみたいと思いました。

 河合茂が、平日昼間勤めている会社と同じ最寄駅だが駅の反対側にある警備会社、大森パトロール社の事務所へ普段通り日が暮れたころに顔を出すと、パートタイムの警護員と違いフルタイムの先輩警護員たちはずいぶん前からそこにいた様子で、それぞれの席で仕事をしていた。

「失礼します。」

 自席から先輩警護員のひとりである葛城怜が振り返って茂へ笑顔を向けた。この、外見も性格もこの世の天使のように美しい先輩を、茂は全ての面において尊敬している。柔らかそうな濃い栗色の長髪は、葛城の、男性とは思えない線の細い美貌をさらに強調しているが、この細身の青年は大森パトロール社の誇るガーディアン・・・有能な警護員である。

 葛城は自ら立ち上がり、茂のところまで来た。

「明後日ですね、よろしくお願いします。」

「はい、先週の下見でも、ありがとうございました。」

「きれいにファイルをつくってくれて感謝してます。月ヶ瀬にも順次全部送信してあります。」

「はい。」

 茂と葛城がペアを組む次回の警護は、次の土曜日に迫っていた。観光客で賑わう近郊の田舎町から、さらにダム湖を過ぎて奥の山道の、都会からわずかな距離とは思えない「秘境」の取材への同行。

 これが今回の警護案件だった。

「明日の午前中、時間はとれそうですか?」

「大丈夫です、有給休暇をとりました。」

「よかったです。」

 葛城は微笑み、そしてふっと後ろの応接室のほうを見た。

「・・・お客様ですか?ま、まさか三村じゃ・・・・」

「はははは、違いますよ。でも茂さん、いつもうちの会社がお世話になっている三村英一さんのことを、いつもそんなに毛嫌いするのは良くないですよ。」

「・・・はい・・・・」

「同期入社の仲間は、一番長くつきあうわけですし、一番互いをよく理解しあえるはずですよね。」

「うううう・・」

「平日昼間の会社の仕事も、うちの会社での仕事と同じくらい、茂さんにとって大事なものでしょう?」

「はい、それは・・・そうです。」

 茂は何も反論できないので再び応接室のほうを見た。

「あ、あれは晶生です。波多野さんと話してるみたいです。」

「高原さんは、確か・・・」

「はい、明後日から海外です。波多野部長から聞いてますか?部長は最近はもう守秘義務とか大胆に無視してますからね。」

 葛城がその美しい顔に楽しそうな笑顔を浮かべる。

「うかがいました。高原さんはすごいですよね、海外にお得意様がおられるなんて。」

「あははは。あいつのレベルなら当然です。そして正確には、日本企業の海外法人で、そして定期的な出張のときの同行警護、ですね。そう、茂さんと私が初めてペアを組んだとき、やはりあいつは海外出張中でしたけど、そのときと同じクライアントですよ。」

「そうなんですね。」

 応接室では、波多野営業部長が少し困った顔で、目の前の部下を見ていた。

 高原晶生は、すらりとした長身に相応しい長い両足の、両膝の上に両肘を置き、身を乗り出すようにして上司へそのメガネの奥の知的な目を向けている。

 しかし、いつもの彼のようにその知性に愛嬌が同居しているということは、なかった。相手を逃がさないような鋭い視線には、懇願の色が濃く混じっていた。

「すみません、波多野さん、俺は自分でもわけのわからないことを言っていると思います。」

「まあな。」

「理不尽なことですが、でも、どうしようもなくて」

「いや、ときどき俺も、そういうことはある。けどなあ。」

 高原は申し訳なさそうに少しうつむき、ゆっくりと、机に広げた出張関係の書類を片づけた。紙を揃え、封筒へ入れるが、手元がまったく集中していないことが、その作業の乱れからもうかがえた。

「やはり、だめですか」

「・・・お前みたいな上級の警護員が、正面切ってこういうことを言うのは、経験がないんだよな。」

「じゃあ、こっそり言ったことにしてください」

「ああもう、わかったよ。」

「・・・ありがとうございます。」

 茂が葛城と雑談しながら打ち合わせコーナーで麦茶を飲んでいると、しばらくして応接室の扉が開き、高原が出てきた。

 茂が一礼し、高原は茂と葛城のほうを見て微笑み、こちらへ歩いてくる。

「晶生、なんだかずいぶん長かったな。出張前報告。」

「ああ。今回、一部いつもと違うコースがあるから。」

 高原が打ち合わせコーナーの空いている椅子にすわる。

「あ、高原さんも麦茶飲みますか?」

「おう、ありがとう、河合。」

 茂は給湯室へグラスを取りに行く。

 高原はテーブルの上で頬杖をつき、葛城は少し不思議そうにその顔を見た。

「どうした?」

「・・・ん・・・。ちょっと、不安でさ。」

「?・・海外での警護なんか、数えきれないくらいやってるくせに。」

「いや、俺の案件じゃなくてさ。」

「・・・?」

「ちょうどあのときも、同じ出張先、同じクライアントで、俺は海外出張中だった。」

「・・・・」

 葛城はようやく高原の言っている意味を理解し、そしてかなり意外そうな顔で同僚の顔を見た後、目を伏せやや下を見たまま笑いだした。

「晶生・・・お前、そういう奴だっけ?」

「笑うな」

「三村家の警護で俺が負傷したときのことだね。あの時と似た状況だから・・・・また俺が負傷するんじゃないかとでも?」

「とにかく、なんだか嫌な予感がする。」

「大丈夫、あれから俺も、スリングロープの使い方はさらに熟練したから」

「怜、俺は真剣に心配してるんだ」

「ごめんごめん。大丈夫だよ。心配しないで。それに前のときと違う要素がある。今回は、なぜか波多野さんは・・・月ヶ瀬を、周回警護につけた。」

「そうだな。」

 

 

 翌日の金曜日、朝から事務所で待ち合わせし、茂は葛城と、そしてもう一名のスタッフともに、電車で数駅のところにある豪奢な老人ホームへと向かった。

 入口で入館手続きをしたときに係員が知らせてくれたらしく、扉のベルを鳴らす前に中から扉が開き、中年女性が出てきて三人を出迎えた。

 最上階にある個室は広々として、豪華ホテルと見紛うような内装が施されている。

「わざわざおいでいただきすみません。しかも娘は仕事で来られず・・・大変申し訳ありません。」

 美しい化粧をした中年女性が頭を下げる。葛城は笑って首をふる。

「いいえ、こちらこそ、お手数をおかけいたします。安全上、確認をしておきたいので、ご協力に感謝いたします。」

 三人が女性に案内されて室内へ入る。部屋の右奥に、窓に背を向けるように置かれたベッドの上で、痩せた老人が体を起こしてこちらを見ていた。

「大森パトロール社の人たちよ、あなた。」

 老人は頷き、微笑んで会釈した。鼻に酸素チューブが入っており、顔色はひどく悪い。

 ベッド脇のテーブルに、ノートパソコンやネットワークケーブルが用意してあった。

 三人が近づくと、老人が細い声で挨拶した。

「娘が大変お世話になります。私が三沙子の父親の、田中慶二です。こちらは妻の、りえです。お電話で一度お話したと聞いておりますが・・・」

「はい。奥様から、こちらの機器の内容はうかがっておりますので、今日は設定の確認をさせて頂けましたら、完了です。」

 事務所から同行した、電子機器専門のスタッフが、「失礼します」と言ってテーブルのパソコンに向かう。

 茂と葛城は田中りえが用意したスツールに腰をかけ、スタッフのとなりでその様子を見守る。

 作業は三十分ほどで完了した。

「・・・問題ありません。セキュリティの設定は全て確認しました。一部不足がありましたが、簡単な修正で大丈夫でした。」

 専門スタッフが葛城のほうを振り返る。次に、田中りえのほうを見る。

「田中さま、それでは、今の設定を明日も変更せずに、ご使用ください。念のため、閲覧操作を一度最初からやってみていただけますか?」

「はい。」

 茂が場所をあけ、そこに座った田中りえが、パソコンに向かってソフトを立ち上げるところから、画像画面を開くところまでを操作した。

「問題ありませんね。」

「私すごい機械音痴ですけど、最近は誰でも使えるソフトがあってありがたいですわ。これ、娘の携帯端末のカメラが写すものが、そのまま見えるんですよね。ほんとすごいわ。」

 田中りえが笑って三人に言い、そして立ち上がってキッチンからティーセットを持ち出した。

「何もありませんけれど・・・」

「いえ、どうかおかまいなく。」

 辞退しようとする三人にもう一度笑顔と共に強く勧めると、田中りえは部屋の中央の大きなダイニングテーブルへ三人を座らせ、繊細な装飾の施された美しい磁器のティーセットで紅茶を淹れた。

「娘は、今回が、初めてのメインレポーターなんですよ。」

「はい。」

「まあ、たかが小さな小さな地元テレビ局の、ローカル番組ですけどね。生放送でもありませんし。」

「ははは」

「でも、娘にとっては、大事な第一歩なんです。」

 田中りえは後ろのベッドの田中慶二のほうをちらりと見た。田中慶二氏が、うんうんと頷いていた。

「ようやく担当させてもらえた、初めての仕事をしているところを、生放送で親に見せたい、その気持ちはもっともですよね・・・・警護上は決してよいことではないとのことでは、ありましたが・・・。大森パトロール社の皆様の、ご理解には、本当に感謝しているんです。」

 香り高い熱い紅茶を飲みながら、茂はこの老人の妻にしては非常に若く美しい目の前の中年女性の、優雅な物腰にしばらく見とれていた。

 紅茶を飲み終わり、三人がテーブルを立ち上がる。

 田中りえは、もう一度葛城のほうを見て、礼を言った。

「ありがとうございました。明日はどうぞよろしくお願いします。」

 葛城は、美しい顔に慈愛のこもった笑顔を浮かべ、クライアントの母親の顔を見た。

「・・・お嬢さんは、これまで二回も襲撃未遂に遭われて、ご両親としても本当にご心配なことと思います。ストーカーまがいのファンの仕業だろうと会社のかたはおっしゃっていますが、今度は少し人里離れた場所でもありますので、いくら注意してもしすぎということはありません。コースは厳密に事前に決めてあります。後ほど、最終のものをお届けいたします。どうぞ、ご安心ください。」

「はい。」

 何度も頭を下げる田中りえに見送られ、三人は個室を後にした。

 葛城は施設の一階出口を出たところで、隣の電子機器専門スタッフに声をかけた。

「今日はありがとうございました。・・・設定上、なにか不審な操作をした後も、ありませんでしたか?」

「大丈夫です。それに、誤って設定を変えてしまう恐れもないと思いますよ。謙遜されてましたが、あの奥さん、パソコンはよくいじっておられるんじゃないですかね。手つきは悪くなかったですよ。ただ心配なことがあるとすれば、そんな山奥で、携帯の電波って大丈夫なんですかね。」

「あ、それは確認してあります。会社は限られますが、全行程で、通じます。」

 茂と葛城は専門スタッフと別れ、次の約束の場所へと移動した。



 街の中心にある高層ビル街へ向かって走る軽自動車の中で、不謹慎な笑い声が響いていた。

「酒井さん・・・まじめにきいてるんですよ。笑わないでください。」

 運転しながら、小麦色の肌をした、明るい茶髪のショートカットの女性が、いら立ちを隠さずに隣の男性に言う。

「それから、車の中で、たばこはやめてくださいね。」

 助手席の長身の男性は、両手を頭の後ろで組み、くわえ煙草をしながら、まだ笑っている。

「和泉、おまえ、きっついなあ。怪我がまだ治りかけの同僚に、そんなに厳しいこと言わんでもええやんか。」

「それとこれとは別ですからね。」

「あーあ。ん、今言ったことはほんまやで。月ヶ瀬透。お前がこの間の現場でニアミスした警護員。」

「そうなんですね・・・。」

「社長が、なんかえらい興味持ちはったみたいやな。」

「私の報告の仕方がわるかったのかしら。」

「はははは。山奥の秘境レポートのおつきあいやって。面白い案件やな。誰でもいいから見てこいっておっしゃるから、まあ、俺が行ってくるわ。」

 信号で止まり、和泉はその淡い褐色の目で酒井の精悍な顔を少しだけ見た。

「すみません、なんだか面倒なことになって。」

「別になんも面倒なんかないがな。でも、ほんまおもろいな。社長、その月ヶ瀬とかいう警護員を、気に入ったんかね。一応、河合さんが和泉を助けるのを助けてくれたから、間接的に恩人といえなくもないし俺も少なくとも恨みはないけど。」

「あれは、大森パトロールさんがその前の借りを返してくださっただけと理解するんでしたよね?」

「女は強いなあ。とりあえず、見てくるわ。でも社長に気に入られたら、不幸やで。あの人、ドSやからなあ。」

「酒井さん!」

「まあ大丈夫かな。今回はメイン警護員は葛城さんやし、月ヶ瀬さんは遠巻き担当みたいやから、活躍の場はないやろ。社長の目に留まる恐れはなさそうやな。」

 信号が青に変わり、軽自動車は静かに再び走りだした。



 小さな事務所の待合室で、約束の時間より茂と葛城は三十分ほど待たされた。

 茂がもう一度腕時計を見たとき、ようやく、クライアントが息せき切って部屋に駆け込んできた。

 田中三沙子が髪を振り乱すようにして、手元に小さな手帳だけを持って入ってくると、茂と葛城は立ち上がってクライアントを出迎えた。

「すみません、遅れてしまって・・・・。しかも次の打ち合わせまで、あと十分しかなくて。」

「大丈夫ですよ。すぐ終わります。こちらこそ、お仕事中にお時間いただいてしまって、すみません。」

 葛城はどんなときも穏やかで優しい。茂はいつも感心する。

 ローカルテレビ局の事務所は、驚くほど小さく、待合室もほぼ物置兼打ち合わせ室というに等しい。

 茂は、つい今朝がた尋ねた豪華な医療ケアつき老人ホームの個室と、今いる環境とを比較し、ある意味で感銘を受けていた。

 合板の端がめくれ上がった古いテーブルを囲み、クライアントと茂と葛城の三人は、簡単な最終打ち合わせをした。

「ご自宅のパソコンへお送りさせていただきましたファイルが、こちらです。パスワードをかけてありますが、管理は厳重にお願いします。ご両親へは、私から別途お送りしておきます。」

「はい。」

「繰り返しのお願いになりますが、行程は事前に決めたものを厳守してください。当日の撮影スタッフにも再度念押しをお願いします。・・・今日、この後、私は夜まで事務所におります。何かご不明な点がありましたら、いつでもご連絡ください。」

「はい。・・・あ、あの」

 クライアントは、化粧っ気のない顔で、改めて葛城のほうを見た。

「あの、ほんとうに、ありがとうございます。わがままなお願いばかりしてるのに、ほんとに良くしてくださって・・・・」

「あ、いえ・・・。」

「さっき母から電話があって、父のパソコンの設定も無事に終えてくださったと。」

「はい。」

「本当は、ボディガードさんが、警護の様子をどこかへ中継することを許してくださるなんて、ありえないことですよね。ご親切に、何と御礼申し上げていいかわかりません。」

「映像が第三者から閲覧できないよう、セキュリティはしっかりとっていただきました。・・・それに、事情は、うかがっておりますから。」

「今日ご覧になって、そんな風には見えなかったとは思いますが、父は、もう、長くありません。この番組が、放映されるときは、この世にはいないと、思います。」

「・・・・・」

「私がはじめて、希望していた仕事を担当させてもらえて、父はすごく喜んでくれました。別に放映なんか見なくても成功を確信してる、って、言ってくれました。でも、わかります。私がレポーターをしているところを、どんなに父が見たいか。」

「はい。」

「だから・・・」

 田中三沙子は、言葉を詰まらせた。涙が出ないように、自分を抑えていることがわかった。

 ローカルテレビ局の小さな事務所を出て、茂は隣の葛城のほうを見ながら、話しかけるタイミングを探した。

 葛城のほうから、茂へ声をかけてくれた。

「すみません、茂さん。」

「え?」

「今回のような対応は、あまり良いことではありません。」

「・・・・」

「クライアントのおっしゃったとおり、こういうことを許すのは、普通はありえないことです。私も、波多野部長にかなり無理を言いました。後輩警護員に対して、先輩としてこういう例を見せるべきではないですね、本当は。」

「でも・・・クライアントは本当に喜んでおられました。それに、これは、正しいことだと思います。俺も。」

「・・・ありがとうございます、茂さん。」

 茂は、粗末な事務所の建物を振り返った。

「田中三沙子さん、あんなにお金持ちのお嬢様なのに、自分の実力だけで夢をかなえようとしているのが、偉いですね。」

「そうですね。」

 太陽が正午の高みに向かって、ゆっくりと建物の向こうを上っていた。



 茂と別れ、大森パトロール社の事務所に戻った葛城は、事務室に入るなり、自席からこちらを向いた同僚と目が合い、少し表情を強張らせた。

 昼過ぎの陽光が白く事務室内を照らし、月ヶ瀬の蒼みを帯びた白い肌の顔を覆う、対照的な漆黒の髪が肩の下まで流れ、艶やかに輝く。

 その、能面を思わせるような冷たい美しさの顔に、少しの笑みを加えて、月ヶ瀬は葛城を刺すように見つめている。

「お帰り、葛城。資料は一通り目をとおしたよ。」

「ああ。明日はよろしく。」

 受付カウンターに近い月ヶ瀬の机の脇を抜け、奥の自席へ向かおうとした葛城を、月ヶ瀬が呼び止めた。

「ほんとにやるの?実況生中継。」

「・・・・」

「やめたほうがいいと思うよ。」

「セオリー違反だということはわかってるよ。」

 はっきり嘲笑して、月ヶ瀬は声を立てて笑った。

「クライアントに、同情してるの?」

「・・・・」

「いつから大森パトロール社の警護員は、クライアントの中身を判断するようになったのかな。」

「そういうことじゃない。」

「良い人だったら、可哀想な人だったら、特別扱いするの?じゃあ、悪い人だったら、警護の手を抜くの?バカじゃない?」

「・・・・」

 葛城は答えず、足を進めようとする。

「傲慢さは、命とりだよ。」

 再び葛城の足が止まった。

「クライアントを守る上で、事前にわかる危険は排除する。警護員がすべきことは、それだけだし、それ以上でも以下でもないはずだよね?」

「・・・そうだ。」

 月ヶ瀬は、大きくため息をついた。

「この先輩警護員にして、あの後輩警護員あり、だね。ほんと。」

「・・・・・」

「まあいいよ。今回のメイン警護員は、お前だ。俺は波多野さんの命令だから、言われたとおり周回警護をするだけだ。自分の仕事だけはちゃんとやるけどね。・・・幸運を祈ってるよ、葛城。」



 茂が金曜の夜、再び大森パトロール社の事務所に着いたとき、もう葛城はいなかった。

 事務の池田さんに聞くと、メッセージを送ったからメールを見てほしいとの伝言があったとのことだった。

 茂が共用机のパソコンを開きメールを読んでいると、先輩警護員の山添崇が給湯室から出てきて、茂に声をかけた。

「河合さん、なんか、すごく怖い顔してますね。」

「あ、山添さん、こんばんは。・・・いえ、あの、・・・そうですか?」

「はい。悪い知らせですか?」

「いえ・・・。単に明日の仕事の最終確認のメールを、葛城さんから頂いただけなんですが・・・。」

「・・・・?」

 山添は少し不思議そうにしていたが、やがて自席へ戻っていく。

 しばらくして、茂は後ろから近付く別の人物の気配を感じて、振り向いた。

 漆黒の長髪を左手でかき上げながら、月ヶ瀬が立っていた。

「昼間別の会社で仕事して、夜とお休みの日は警護の仕事。大変だね。」

「・・・・いえ、そうでもありません。」

「この間は、お疲れ様。」

 茂は立ち上がり、一礼した。

「その節は、ご迷惑をおかけしまして、すみませんでした。」

 言ってしまってから、茂は少し後悔した。月ヶ瀬がこういう挨拶が嫌いなことは、前回初めてペアを組んだときに茂も学習済みのはずだった。

「葛城からメール?」

「あ、はい。」

「君は、ずいぶん、葛城から可愛がられているよね。他の後輩警護員たちは、嫉妬してるんじゃない?」

「・・・・」

「でも、あまり、一人の警護員から多くの影響を受けすぎないほうがいいよ。・・メールの中身、当てようか。」

「え?」

「明日のクライアントの警護実況生中継について、確かに良くないことだから、本当に今回だけにしておくつもりだし、それから、月ヶ瀬警護員にそのことを何か言われても、今回の方針にはメイン警護員としての判断に変更はないから、答える必要もない。」

「・・・・」

「そんなとこ?」

 ニュアンスはかなり違うが、内容は当たっていた。

「後輩警護員にそこまで気を使う先輩って、きいたことないよね。」

「・・・・・」

「クライアントの情にほだされて、わざわざ危険なことをする警護員っていうのは、もっと聞いたことないけど。」

 茂は少しひるんだが、そして、何も答えなくていいという葛城の指示に背くことだとわかったが、どうしても一言は言っておきたいと思った。

「葛城さんは、優しい人です。だから、です。」

 月ヶ瀬は、楽しそうに笑った。

 そして、すぐに笑みを消し、微かな残酷さをその美しい切れ長の目によぎらせ、静かに答えた。

「優しい?優しさって、ジコチューの別名だよ。」

「・・・・・」

「自分が良い人間でいたい。それだけだ。」

「それは・・・」

「・・・誰のためでもない、単なるエゴ。それも、一番たちがわるい。」

 沈黙が流れ、月ヶ瀬は「じゃ、言うことは言ったよ。」と言い捨て、自席へ戻っていった。



 茂が事務所を出たとき、山添が追いかけてきた。

「河合さん、ちょうど俺も帰るとこなんですが、よかったら、あの店に寄りませんか?」

「あ、はい。・・・ありがとうございます。」

 最近、茂がときどき山添と一緒に行くようになったコーヒー店は、駅の反対側へ少し歩いたところにある。

 大森パトロール社が始まったときから所属している先輩警護員のひとりである山添崇とは、最近だんだん親しくなってきた。一度ペアを組んだことがあることもあるが、特に前の、高原と葛城が大ゲンカした事件以来、よく話すようになった。

 コーヒー店のテーブルに座り、山添が注文を終えると、茂は頭を下げて礼を言った。

「ありがとうございます、山添さん。俺を、心配してくださったんですね。」

「月ヶ瀬との会話もまる聞こえでしたからねー。」

 山添は三度の飯よりトライアスロンが好きなスポーツマンらしい、よく日焼けした肌に、青年というより美少年という形容がふさわしい愛らしい顔立ちをしている。

 黒目勝ちの目を少し天井に向けたあと、山添は茂のほうをもう一度見た。

「月ヶ瀬とは、河合さんは一度ペアを組んだと聞いてますが、今回は怜とのペアに、彼が参加するっていう、ちょっとややこしい構図なんですよね。」

「はい。波多野さんは、俺と、それから月ヶ瀬に、必要な経験を積ませるためとおっしゃってましたが・・・。」

「波多野さんには、何かお考えがあるんでしょうね。・・・でもさっそく、色々言われてますね、あいつに。」

「はい。・・・・」

 茂が暗い顔をしているのを、同情するように山添が見る。

「たぶん、波多野さんは、茂さんというより、月ヶ瀬のことを考えて、今回のことを決めたんじゃないかと思います。」

「え・・・?」

 山添はその愛らしい少しぽってりとした唇で、微笑んだ。

「俺は、月ヶ瀬とはペアを組んだことはないですが、あいつの仕事の仕方を見ている限り、考え方は明快かつ終始一貫してますね。まるで、機械みたいに。」

「はい・・・」

「そういうやり方は、好きと言う人と、理解できないという人がいます。クライアントでも、あいつは二度と嫌だという人と、あいつを毎回必ず指名してくるほど気に入る人と、両極端です。」

「そうなんですね。」

「つまり・・・極端なんですよ。そして、怜とは、見事に正反対な性格です。」

「はい。」

「波多野さん、本当は思ってるんでしょう。足して二で割りたいって。」

「ははは・・・・」

「でも二人をそのまま組ませても、どんな結果になるかは火を見るより明らかです。」

「はい。」

「で・・・・。河合さん、貴方が、とても重要な存在、だということなんじゃないでしょうか。」

「はあ・・・」

 笑顔で茂を見る山添の顔を、解せるような解せないような顔で、茂は見つめた。

 しばらくして、山添が、ふと声の調子を変えた。

「でもひとつ、俺は気になっていることがあるんです。」

「?」

「あいつは、晶生や怜ほどには、俺のことは嫌ってないみたいで、時々無駄話を少しだけすることがあるんですが、」

「はい。」

「まあ、俺はあまり自分のポリシーというものを強く持っていないから、警護員のレベルとして、それだけ低く見られているのかもしれませんけどね。とにかくあいつは俺にときどき、ぽろっと言うんです。」

「・・・?」

「くだらない雑事に囚われて無駄な怪我をしている警護員たちは、愚か以外の何物でもない。ただし、犯人の犯行を防ぐことは、警護員としての自分の絶対の義務だから、そのためなら何でもする。」

「・・・・」

「そして誰もがいつか死ぬんだから、自分の死に方は、犯人と心中するのが一番しあわせだ、って。」

「・・・・!」

 茂が蒼白になり黙り込んだのを見て、山添ははっとして申し訳なさそうな表情になった。

「・・・ごめん、河合さん。そんなつもりじゃなかったんです。」

「い、いいえ・・・・・・」

「河合さん。今思いついたんですが。」

「・・・・?」

 山添は、美少年という形容が似合う、愛らしい童顔に優しい微笑みを浮かべた。

「俺、当日は非番だから、研修を兼ねて現地へ行こうと思います。」

「えっ」

「大丈夫、仕事の邪魔はしません。怜にも、黙っててください。」


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