第9話 公爵様、初めてのお弁当とご対面
翌朝、私は夜明けと共に厨房に立っていた。
昨夜仕込んだ食材を丁寧に仕上げ、温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま詰められるように手際よく準備を進める。
炊きたての二色ごはんを木箱にふんわりと盛り付け、香ばしい香りを放つ銀マスのハーブ焼きをそっと乗せる。
最後に彩りの煮物を添えれば、私の初めての「お弁当」が完成した。
綺麗な緑色の布で丁寧に包み、きゅっと結ぶ。
(どうか、喜んでいただけますように……)
緊張と期待で高鳴る胸を抑えながら、私は城の玄関ホールへと向かった。
ホールでは、ヴィンセント公爵が既に出発の準備を整えていた。
いつもの貴族然とした服装ではなく、黒を基調とした動きやすい乗馬服に身を包んでいる。
その引き締まった精悍な姿は、普段よりもさらに威圧感があり、私は思わず息を呑んだ。
彼の周りには、同じく屈強な護衛の騎士たちが数名控えている。
「ヴィンセント様、お弁当ができております」
私がそっと包みを差し出すと、彼は一瞥しただけで、無言でそれを受け取り、隣にいた従者に渡してしまった。
何の感想もない。そのあまりに素っ気ない態度に、私の胸はちくりと痛む。
(まあ、そんなものよね……)
自分に言い聞かせ、彼らを見送ろうとお辞儀をした、その時だった。
「お前も来い」
「……えっ?」
氷のように冷たい声に、私は思わず顔を上げた。
ヴィンセント公爵が、その深い青の瞳で私を真っ直ぐに見据えている。
「料理番ならば、領地の食材についてその目で見ておくべきだろう。俺の視察に同行しろ」
それは理屈が通っているようで、全く有無を言わさぬ、あまりにも強引な命令だった。
私が呆然としている間に、話はどんどん進んでいく。ギルバート執事がどこからか私のための乗馬服を用意し、メイドたちが私をあっという間に着替えさせ、玄関先には小柄でおとなしそうな馬まで用意されていた。
こうして私は、あれよあれよという間に、公爵の視察団の一員として城を出ることになったのだ。
ヴィンセント公爵が駆る黒い駿馬を先頭に、私たちは城下町を抜け、広大な領地へと足を踏み入れていく。
見るものすべてが、私にとっては新鮮な驚きだった。
活気のある鉱山、豊かに実った畑で働く領民たち、どこまでも続く深い森。
そして、何より私を驚かせたのは、領民たちのヴィンセント公爵に対する眼差しだった。
彼らは『氷の悪魔』と恐れられる主人を、確かに畏れていた。しかし、それ以上に、その眼差しには深い信頼の色が浮かんでいるのだ。
「公爵様! いつもありがとうございます!」
農夫が深々と頭を下げる。その姿から、彼がただ冷徹なだけではない、優れた領主であることを、私は肌で感じていた。
やがて正午を過ぎ、一行は見晴らしの良い丘の上で昼休憩をとることになった。
いよいよ、お弁当の時間だ。
護衛の騎士たちが、それぞれ革袋から硬いパンと干し肉を取り出す中、従者がヴィンセント公爵に、私が作ったお弁当の包みを恭しく差し出す。
全員の視線が、その小さな包みに集まった。
ヴィンセント公爵が、少しだけ戸惑うように、けれど丁寧な手つきで包みを解き、木箱の蓋に手をかける。
ごくり、と誰かが喉を鳴らす音がした。
そして、蓋が開けられた、その瞬間――。
「「「おおっ……!!」」」
護衛の騎士たちから驚嘆の声が上がった。
木箱の中に広がっていたのは、彼らが見慣れた無骨な携行食とは似ても似つかない、色とりどりの世界だったからだ。
黄金色に輝く炒り卵と、食欲をそそる茶色の鶏そぼろ。
銀色に輝く魚の皮目と、添えられた香草の緑。
きのこの茶色に、人参とカボチャの鮮やかなオレンジ色。
その宝石箱のような美しさと、ふわりと立ち上る美味しそうな匂いに、当の本人であるヴィンセント公爵自身が、かつてないほどに、その氷の仮面を驚きに揺らがせていた。




