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第5話 ようこそ、腹ペコたちの待つ城へ

 馬車に揺られること、数日。


 私たちは夜の間に国境を越え、アシュフォード公爵領へと入っていた。


 窓から見える景色は、私が知る王都のそれとは全く違っていた。

 どこまでも続く雄大な森、天を突くようにそびえる険しい山々、そしてその間を縫うように流れる豊かな川。

 厳しくも美しい、生命力に満ちた大地だ。


 長い旅路の間、ヴィンセント公爵との会話はほとんどなかった。

 ただ時折、「甘いものは好きか」「肉と魚ならどちらを好む」などと、食べることに関する質問をされるだけ。

 そのたびに、私はこの方が本当に『食』にしか興味がないのだと再認識し、少しだけ肩の力が抜けるのだった。


 やがて馬車は、石造りの頑丈な城壁に囲まれた、大きな街へと入っていく。


「ここが、公爵領の都か……」


 噂に聞く『氷の悪魔』が治める領地。

 人々は恐怖に怯え、街は活気なく静まり返っているのだろうと、私は勝手に想像していた。


 けれど、私の目に映ったのは、全く逆の光景だった。

 市場には元気な声が飛び交い、道行く人々の表情は明るい。質実剛健な服装の人が多いけれど、皆たくましく、その目に力がある。


 街の中心にそびえるアシュフォード公爵の城館は、王宮のような華美さこそないものの、堅牢で長い歴史を感じさせる威厳に満ちていた。

 馬車が城館の前に着くと、すぐに年配の執事と数人のメイドたちが出迎えてくれる。


「お帰りなさいませ、ヴィンセント様。ご無事で何よりでございます」

「ああ、ギルバートか。変わりはないな」


 ギルバートと呼ばれた老執事は、主人の無事を喜ぶと、その視線を私に向け、ぴたりと固まった。

 無理もない。こんな場違いなドレス姿の娘が、主と一緒の馬車から降りてきたのだから。


 メイドたちの間にも戸惑いの空気が流れる。

 そんな視線をものともせず、ヴィンセント公爵は短く言い放った。


「紹介する。今日からここで働く、新しい料理番のエリアーナだ」

「……りょ、料理番、でございますか?」


 ギルバートはさすがにプロだった。

 一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに平静を取り繕い、私に丁寧なお辞儀をしてくれる。


 しかし、他のメイドたちの、


「こんなお嬢様が?」

「まさか愛人……?」


 といった声なき声が、私の背中に突き刺さるようだった。


 居心地の悪さに俯く私に、ヴィンセント公爵は構うことなく歩き出す。


「エリアーナ、来い」

「は、はい!」


 彼が向かった先は、客室ではなく、城の地下にある厨房だった。

 石造りの広々とした厨房には、十数人の料理人たちが働いていたが、公爵の突然の来訪に、皆ぴたりと動きを止める。


 そして、彼の後ろにいる私を見て、誰もが怪訝な顔をした。


「料理長、場所を貸せ」

「はっ、しかし……」


 恰幅のいい料理長が戸惑いの声を上げるのをヴィンセント公爵は冷たい視線で黙らせる。


 そして、私に向き直ると、最初の『命令』を下した。


「腹が減った」


 それは、私がこの城に来て、何度も聞いた言葉だった。


「何か、すぐに食べられるものを作れ。執務室に運びたい。あのクッキーのように、手軽に食べられるものがいい」


 事実上の、採用試験。

 厨房中の料理人たちが、値踏みするような視線で私を見ている。

 緊張で心臓が早鐘を打つ。


(手軽に食べられる、携行食……お弁当、みたいなものね)


 私の頭に前世の記憶が蘇る。

 遠足の日に母が作ってくれた、色とりどりのお弁当。友達と交換した、甘い卵焼き。

 部活の帰りに食べた、ほかほかの肉まん。


 使える食材は限られている。

 この世界の調理法も、まだよく分からない。 


 けれど。


 私は、ぐっと唇を結んだ。

 私を拾ってくれた、この人のために。そして、私自身の新しい居場所のために。


「……はい、ヴィン……ヴィンセント様」


 私は覚悟を決め、着ていたドレスの袖をたくし上げる。


「やってみます。私に、できることを」

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