第31話 戦場へ向かう、最後のお弁当
鐘の音が城中にけたたましく響き渡る。
先ほどまでの穏やかな空気は一瞬にして吹き飛び、ヴィンセント様の表情は、私の知る優しいものではなく、領地を守る冷徹な支配者の顔へと変わっていた。
彼は握っていた私の手にぐっと力を込める。
「エリアーナ、城の中へ。ギルバートのそばを離れるな」
それは私の安全を案じる、短い命令だった。
有無を言わせぬその響きに、私は頷くことしかできない。彼は私の手を離すと、すぐに身を翻し、城壁を駆け下りていった。
彼の後を追うように、騎士たちの鎧が擦れる金属音と鋭い怒号が城を満たしていく。
城は、瞬く間に巨大な要塞へと姿を変えた。
やがて、血相を変えた伝令の騎士によって、敵の正体がもたらされる。
王太子が私的に雇った、大規模な傭兵団。
表向きは「盗賊」を名乗っているが、その数と装備は正規軍に匹敵するという。
冬を前にしたアシュフォード領に打撃を与え、混乱させるのが目的だろう。
なんとも卑劣で、姑息なやり方だった。
安全なはずの厨房に戻っても、私の心は少しも休まらなかった。
ただ怯え、無事を祈っているだけではいられない。これから極寒の地へ、命を懸けて戦いに向かう人々のために、私にできることがあるはずだ。
戦場で食べるための食事。
冷たくても美味しく、すぐに力に変わり、そして何より、兵士たちの心を奮い立たせるような最高のお弁当を。
「皆さん、聞いてください!」
私は不安な顔で集まってきた厨房の仲間たちに、力強く檄を飛ばした。
「私たちの戦場は、ここです! 最高の料理でヴィンセント様と騎士団の皆さんを勝利に導きましょう!」
その声に皆の目に再び光が宿る。
私たちの、もう一つの戦いが始まったのだ。
夜を徹して、戦場で食べるための特別な携帯食――「レーション」作りに没頭した。
燻製肉と乾燥野菜、炊いた穀物を混ぜて栄養価を高め、ぎゅっと握って表面を焼き固めた「パワー・バー」。
骨からとった濃厚なスープを煮詰めて固め、お湯に溶かすだけで温かいスープになる「スープ・キューブ」。
そして、木の実とドライフルーツを蜂蜜で練り固めた、即席のエネルギー源「ハニー・ボール」。
それらを一つ一つ、丁寧に油紙で包み、騎士一人ひとりの腰のポーチに収まるように準備していく。
夜が明け、東の空が白む頃。
城門の前には、漆黒の鎧に身を包んだヴィンセント様を先頭に、完全武装したアシュフォード騎士団が静かな闘気をみなぎらせて整列していた。
その傍らには、銀色の毛並みを月光に輝かせる、巨大な聖獣フェンリルの姿もある。
そこへ、私たち厨房チームが完成したレーションを詰めた大きな袋をいくつも抱えて駆けつけた。
私は、これから死地へ向かう騎士一人ひとりの顔を見ながら、「ご武運を」「必ず、ご無事で」と声をかけ、レーションを手渡していく。
最後にヴィンセント様の前に立った。
彼にだけは、少しだけ上質な木の実を使った、特別なレーションを入れたポーチを用意していた。
「ヴィンセント様。必ず帰ってきてください」
私の声が震える。
「温かいスープを作って、お待ちしていますから」
彼は無言でポーチを受け取ると、兜の隙間から、その深い青の瞳で、私をじっと見つめた。
そして思いがけない行動に出た。
彼は馬から身を乗り出すと、大勢の騎士たちが見守る前で、私の額に自身の唇をそっと押し当てたのだ。
冷たい金属の感触と、その奥にある確かな温もり。
「……ああ、必ず帰る」
兜の奥から、くぐもった、けれど誰よりも優しい声が聞こえた。
「お前の作る飯を食うためにな」
それは初めて交わす、誓いの口づけだった。
彼はすぐに身を起こすと、顔を上げ、抜き身の剣を天に掲げた。
「出陣ッ!!」
その号令と共にアシュフォード騎士団は、地響きを立てて雪原へと駆け出していく。
私は涙がこぼれないようにぐっと唇を噛み締め、その力強い背中が見えなくなるまで、ただ、祈るように見送り続けた。




