第22話 私は、ただの料理番
晩餐会のホールの重厚な扉が開かれる。
そこに現れた私を見て、その場にいた誰もが息を呑んだ。
王都の使節団は、当然、惨めな思いをしているであろう、か弱き元伯爵令嬢の姿を想像していたに違いない。
しかし、そこに立っていたのは、流行のドレスではなく、清潔なコックコートに身を包み、背筋を凛と伸ばした一人の女性だった。その姿は、庇護されるべき令嬢ではなく、誇り高き職人のそれだった。
「……エリアーナ・ハワードです」
私はゆっくりとホールの中央へ進み出ると、玉座のヴィンセント様と、その正面に座るマーカス侯爵の前で、深々と一礼した。
ざわ、と使節団の中からどよめきが起こる。
「なんと、本当に料理番に……」
「伯爵令嬢が、下働き同然の格好で……」
憐れみと嘲笑が入り混じった視線が、私に突き刺さる。しかし、今の私には、もうその程度の視線は痛くも痒くもなかった。
「久しぶりだな、エリアーナ嬢」
マーカス侯爵が、わざとらしく、ねっとりとした声で私に話しかけてくる。
「随分と、みすぼらしい恰好になったものだ。王太子殿下も、さぞお嘆きのことだろう。さあ、我々と共に王都へ帰ろう。殿下は、君を許してくださると仰せだ」
それは命令だった。
拒否など許さないという、傲慢さに満ちた響き。
以前の私なら、きっと恐怖で震え上がり、ただ俯くことしかできなかっただろう。
けれど、今は……。
「お断りいたします」
凛とした声が静かなホールに響き渡った。
驚いたのは、マーカス侯爵だった。まさか、この私があからさまに反抗するとは、夢にも思っていなかったのだろう。
その整った顔が驚愕と屈辱に歪む。
「……な、なんだと? 聞こえなかったな。もう一度言ってみろ」
「何度でも申し上げます。私は、王都へは戻りません」
私は真っ直ぐにマーカス侯爵の目を見つめ返すと、はっきりと続けた。
「私の居場所は、ここでございますから」
私のその言葉に、ホールの隅に控えていたダリウス団長や騎士たちが、誇らしげにぐっと胸を張るのが見えた。
マーカス侯爵の顔が怒りで赤く染まっていく。
「き、貴様っ……! 一介の料理番ふぜいが、この私に逆らうというのか!」
「はい」
私は、にっこりと微笑んでみせた。
「私は、ただの料理番です。このアシュフォード公爵家と、ヴィンセント様にお仕えする一介の料理番。それ以上でも、それ以下でもございません」
そして、私はヴィンセント様の方へ向き直り、もう一度、今度は心からの敬意を込めて深く頭を下げた。
「ヴィンセント様。この者たちは、どうやら私の料理ではまだ、お腹も心も満たされなかったご様子。……デザートを、お持ちしてもよろしいでしょうか?」
私のその言葉の意味を、ヴィンセント様は即座に理解した。彼の口元に、氷を溶かすような挑戦的な笑みが浮かぶ。
「ああ、許す。存分にもてなしてやれ」
「かしこまりました」
それは料理を通じた最終決戦の合図。
私が作り上げる最高の一皿で、この愚かな使節団の心を、完膚なきまでに叩きのめす。
私は静かに踵を返し、再び戦場である厨房へと、迷いのない足取りで戻っていくのだった。




