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第17話 公爵様のやきもちと、二人だけの湖

 騎士団の「女神」に祭り上げられてしまった私の日常は、さらに慌ただしくなった。


 訓練の合間には、疲労回復に効く蜂蜜と生姜のドリンクを差し入れ、時には腹持ちの良い焼き菓子を大量に作って持っていく。

 そのたびに屈強な騎士たちから熱狂的な感謝を捧げられ、私は戸惑いながらも、彼らの役に立てることに喜びを感じていた。


 しかし、その一方で。

 ヴィンセント様の眉間に刻まれる皺は、日増しに深くなるばかりだった。


 そんなある日の午後、私が騎士団のための差し入れを乗せたワゴンを押していると、廊下の角からぬっと現れたヴィンセント様に、行く手を阻まれた。


「……どこへ行く」


 地を這うような低い声。その声色だけで、彼の機嫌が地の底にあることがわかる。


「き、騎士団の皆さんに、差し入れを……」

「お前は……」


 彼は私の言葉を遮り、一歩、距離を詰めてきた。見下ろしてくる深い青の瞳には、今まで見たことのない、暗い光が宿っている。


「誰の、料理番だ?」


 以前も聞かれた、同じ質問。

 けれど、その響きは全く違っていた。


「ヴィンセント様の、専属料理番です」


 私がそう答えると、彼は私の手からワゴンの取っ手を奪い、近くにいた従者に押し付けた。


「ならば、他の男たちのためにうつつを抜かすな」

「えっ?」

「騎士団の食事は、明日から料理長に一任する。……お前は、俺の視察に同行しろ。二人きりでだ」


 有無を言わさぬ、あまりにも理不尽な命令。

 けれど、その言葉の裏にある独占欲のようなものに、私はようやく気づき始めていた。


(もしかして、ヴィンセント様……やきもち、を……?)


 そんな考えに至った瞬間、私の顔に、じわりと熱が集まった。


 翌日、私はヴィンセント様と二人きり、護衛もつけずに馬を並べて城を出た。向かった先は、領地の奥深くにあるという「水晶の湖」。


 騎士団の喧騒から離れ、鳥のさえずりと風の音しか聞こえない静かな森の中を二人で進む時間は、どこかぎこちなく、けれど不思議と心地よかった。


 ヴィンセント様はぶっきらぼうな口調ながらも、道端に咲く薬草の名前や、森に住む動物たちの習性について、詳しく教えてくれた。

 それは私の知らない、領地を深く愛する領主としての、彼の横顔だった。


 やがて森を抜けると、目の前に息を呑むような光景が広がった。

 名前の通り、どこまでも透き通った水が空の青と森の緑を鏡のように映し出す神秘的な湖。


 私たちはその湖畔で馬を降り、お昼にすることにした。

 今日のお弁当は、二人きりのピクニックを意識して、いつもより少しだけ可愛らしく仕上げてみた。彩り野菜をたっぷり使った一口サイズのキッシュと、甘い果物を生クリームと一緒に柔らかいパンで挟んだフルーツサンド。


「……美味い」


 キッシュを一口食べたヴィンセント様が、ぽつりと呟く。

 このお弁当が「自分だけのため」に作られたのだと、彼にも分かったのだろうか。その表情は、ここ数日見せなかったほど穏やかだった。


「あの、ヴィンセント様。どうして、私を……?」


 食事をしながら、私はずっと気になっていたことを尋ねた。


「料理番に、してくださったのですか?」

 

 彼は少しの間、視線を湖に向け、ためらっているように見えた。やがて、諦めたように小さく息を吐くと、少しだけ照れたように、けれど真っ直ぐに私を見て言ったのだ。


「……腹の減る、いい匂いがしたからだ。それは本当だ」

「はい」

「だが、それだけではない。……あの夜会で、大勢の前で理不尽な仕打ちを受けながら、涙ひとつ見せず、毅然と背筋を伸ばしていたお前の姿が……目に、焼き付いた」


 それは私が全く予期していなかった言葉だった。


 料理だけじゃない。

 私自身を、見ていてくれた。


 その事実に、私の心臓が、とくん、と大きく跳ねた。


「そんなお前が作るものなら、きっと美味いだろうと思った。……ただ、それだけだ」


 そう言ってそっぽを向く彼の耳が、少しだけ赤いことに、私は気づいてしまった。


 湖の美しい景色と心地よい風。

 二人の間に、甘く穏やかな空気が流れる。


 その時、ヴィンセント様が「あ」と小さく声を上げた。


「髪に、花びらが」


 そう言って彼が不意に、私の顔に手を伸ばす。大きな、騎士らしいごつごつした指先が私の髪にそっと触れた。


 二人の距離が、ぐっと縮まる。

 視線が絡み合い、私は彼の深い青の瞳から目が逸らせなくなっていた。

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