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乾は、目の前の二人の後ろにそびえ立つ全身鏡を、恐る恐る見つめていた。
映っている己の姿は、完全にゲームに出てきそうな大鎌だ。よく見ると、悪役が使いそうな、禍々しい銀の装飾が付いている。鎌の刃は鋭く光っていて、中央部分には目を模様した装飾が施されていた。どちらかと言うと、主人公よりも悪役が使いそうな武器だ。
そして、眼の前の二人よりも一回り大きい気がする。
(背は伸びたか……、っじゃなくて!!!)
一体全体どうなっているのだろう。どうして目が覚めた途端、いきなり大鎌になってるんだ。
(これは夢だ。絶っっ対に夢だ。そうに違いない。いや、そうであってくれ!)
乾はそう願いながら、夢でないことを確かめるために頬をつねろうとした。
だが、手を動かしている感覚はあるのに、頬をつねった感覚がない。
─よく考えたら、手、無いじゃん!
今、自分は武器なのだから、手が無いのは当然だ。このままでは頬もつねることも出来ない。
夢であることを必死で願いながら、夢じゃなかったらどうしよう、と乾は不安に襲われた。さすがにドッキリだろう。誰かが面白がって仕掛けたに違いない。
「ねえ。あなた、何者?」
目の前の金髪の美少女が俺に話しかけてきた!
俺はどうする?
目を閉じる←
答える
乾は夢であることを祈りながら、目をギュッと閉じた。
だが、現実は変わることなく夢から醒めることはなかった。
「目、閉じてるわね……」
少女は乾をじっと覗き込むように見た。乾は慌てて鏡越しに自分の姿を見ながら、パチパチと瞬きを繰り返した。
すると、装飾だと思っていた目も、乾の瞬きに合わせてパチパチと瞬きをしていた。乾は戸惑いを一瞬忘れ、驚いたように「おおー」と声を発した。
「そんで? お前何者だ?」
目の前のそばかす男は睨みながら、乾に迫った。そばかすの男の目が大きいからなのか、無駄に眼力があり、圧力のようなものを感じた。
「……乾友一。高2だけど」
仕方なくそう言うと、二人は顔を合わせ、クエスチョンマークを浮かべたような、よく分からないといわんばかりに、不思議そうな表情を浮かべていた。
「これが、遺産なのか……?」
「ええ。お父様から譲られた遺産なのだけど……。どういうことかしら……」
「遺産を受け継いだときに、何か言われてないのか?」
「ええ、何も……」
「喋る武器なんて聞いたことないぞ。どうなってやがんだ」
そう言うと、目の前の男は乾の目をめがけ、軽くデコピンした。
その瞬間、目に激痛が走った。
まるで急所をどつかれたような痛みに、乾は悶絶した。
「痛ってええええ!!!」
悶えながらも乾は声を荒げた。あの男は馬鹿野郎だ。 眼球にデコピンするやつがどこにいるか。あまりに言葉にならない激痛に、乾は目を反射的に閉じた。
「眼球に、デコピンする奴が、あるかあああ!!!」
息も絶え絶えになりながら叫んだ。
次第に、生理現象からなのか、目尻に涙が浮かぶ。あまりの痛さに、乾は男を恨んだ。
だが、その時ふと、小さな違和感を抱いた。
(……今、痛いって思わなかったか?)
夢であるはずなのに、どうして痛みを感じるのだろうか。夢の中とは言え、こんなに感覚がはっきりとしているというのは何か変だ。
─もしかして、夢じゃないのか?
夢でも、ドッキリでもない。もしや本当に、武器になっているのだろうか……。
「まあ、刃の状態は悪くないし、革命に使うのは変わらないわ」
そんな乾を尻目に、目の前の少女は淡々と話を進めた。『革命』という単語が聞こえた気がして、乾の胸に嫌な予感が走った。
「は? 革命?」
「そうよ。私はお父様からの遺産…、つまりあなたを託された。そして、私はあなたを使って革命を起こすの」
この少女は、革命を起こして、この大鎌を振るって戦うつもりなのだろう。そして、乾の嫌な予感は、ふとよぎった考えによって形になった。
革命を起こす。それはつまり、自分を武器にして、人を殺すということだ。
「つまり、俺に人を殺せってのか!?」
「ええ、そうよ。武器だもの」
少女の肯定で、乾は血の気が引いた。これから自分は武器として人を殺す。そんな未来に、乾は驚きのあまり声を荒げた。
「はあああああ!? こっちは普通の高校生ですけど!? 高校生に人殺しになれってか!」
「コウコウセイっていうのが、よく分からないのだけど……。とにかく、何を当たり前のことを言うの? 武器なんだから当然でしょう」
確かにゲームや漫画だったら、こんな金髪美少女に振り回されるのは、いい気分になるかもしれない。
だが、自分は絶対に人殺しになんかなりたくない。人の血を浴びるなんてまっぴらごめんだ。
「絶っっ対にお断りだ!」
乾は力の限り、激しく拒否した。だが、目の前の少女はそれを許さなかった。
「いいから、言う事聞きなさいよ!」
「ふざけんじゃねえ! 無理なものは無理なんだよ!」
乾は断固として拒否しながら、何とかしてこの状況から逃げる方法を考えていた。
大勢の人の血を浴びることは絶対に嫌だ。そんな悍ましいこと、想像しただけでも鳥肌が立ってしまう。
ならどうすればいい。自分が血を浴びることなく、少女に武器を持たせないためには……。
乾は必死に考えを巡らせ、そして、ある一つの結論にたどり着いた。
「その革命さ、武器無しで出来るんじゃねえの? 話し合えよ。『話し合い、チャンチャン!』で終わらせられるんじゃねえの?」
革命を起こすと決意した背景に、一体何があったのか、乾は知らない。だが、話し合いで事が穏便になれば、それでいい。
そう思ったが、そばかすの男は呆れたように息を吐いた。
「あのなあ……。話し合いだけじゃ、こんなことにはなってねえんだよ」
「こんなことって?」
「……見せたほうが早いだろ。俺たちが、どれだけこの国に苦しめられてるかを」
そう言うと、男は乾を持ち上げ、肩に持ち手を乗せた。そして乾を担ぎながら、少女と共に部屋を出て、せっせと無言で歩き始めた。
男に連れられたのは、枯れた植物が一面を覆っている畑だった。植物には水々しさの欠片もなく、握ってしまえば一瞬で粉になってしまいそうなほどに乾ききっていた。
まるで荒野のような光景に、乾は目を丸くした。
「これは……?」
「最近は食べ物すらも育たないんだ。黒い煙を見かけるようになってから」
「黒い煙?」
「最近見かけるようになったんだ。ほら、あそこ」
男が指を差した先には、大きなレンガ造りの工場と煙突があった。煙突からは、見るからに環境に悪そうな黒い煙が、空に昇っている。
もしかして、これって中学校時代に社会で習ったあれではないだろうか。
「それ、大気汚染じゃ……」
「大気汚染?」
「空気が汚染されるってこと」
そう言うと、男は納得したように、静かに溜息をついた。
「……そりゃあ食べ物も育たないよな」
「買えばいいじゃん」
何気なく乾がそう言うと、少女は俺をぎろりと睨みつけた。その様子から、何か触れてはいけないことに触れてしまった、とすぐに察した。
「何を言ってるの? 今、国は戦争中で食べ物の値段が跳ね上がってるの。それに、作物が育たなければ、当然売ることもできない。お金なんて手に入らないのに、どうやって買えというの?」
乾は何も言い返せなかった。
確かに少女の言うとおりだ。金すら無い、食べ物すら無いこの状況で、一体どうやって生きていくのだろうか。この状況から脱しない限り、彼女たちは生きていくことすら出来ない。
だから、きっとこの少女たちは、食べ物すらろくに手に入らない状況を打開するために、仕方なく『革命』を起こそうと決意したのだろう。生きていくために、多少の流血は避けることはできない。彼女たちはそう思ったに違いない。
少女の反論で、自分が置かれている状況がいかに深刻か、乾はやっと分かった気がした。
─だが、革命の理由がわかったところで、自分の考えを変える気は全くない。
嫌なものは嫌だ。血を浴びるなんて、考えただけで吐き気がする。やはり、話し合いで上手く事が運べないだろうか。工場の責任者と話し合って、何とかできないものなのだろうか。
そう考えていると、ふと後ろから誰かが声をかけてきた。
「おや。大層立派な武器を持っている」
声がした途端、二人は鬼のような形相で振り返った。
「レヴィウス……。国の役人様が何の用だ」
レヴィウス、と呼ばれた若い男は、口角をわずかに上げた。
まるで狐の目のような細い目に、どこか狡猾さを思わせる。そして黒髪をオールバックにし、カーキー色の長いロングジャケットに身を包んでいる。まるで昔の軍隊のような格好で、手には黒い警棒を持っていた。
「国に歯向かう気か? 武器を取り上げるぞ」
そう言うと、レヴィウスは乾をぐっと掴んだ。いきなり力強く握られているものだから、握りつぶされるような痛みで声が出そうになった。すると、少女がそれを止めに入った。
「待って。これはただのカカシよ」
美人には全く似合わない睨みを、レヴィウスにきかせる。
レヴィウスは「ほう」と言って、少女の言葉の続きを待った。
「……こんな土地だけど、新しい作物が育つかどうか試してみたくてね」
「なるほど? 目玉がチャームな鋭いカカシ、ねえ。私には武器にしか見えないけど」
「そのぐらい怖くなきゃ、カラスが近寄って畑を荒らされるの。これ以上荒らされるのはごめんだわ」
少女はそう言うが、レヴィウスは乾のことを訝しんだ。絶対に怪しんでいる。こんな下手くそな言い訳、通用するとは到底思えない。
乾は二人のやり取りを、内心ハラハラしながら見守っていた。
「まあ。今日のところは見逃すが、次はないと思え」
レヴィウスは溜息をついて踵を返し、その場を去っていった。
「ご忠告、どうも」
少女は吐き捨てるように、去ってゆくレヴィウスの背に向かってそう言った。
そして、レヴィウスの背が見えなくなった頃、少女は緊張が解けたように「はあ」と息をついた。
「とにかく、分かったと思うけど、国が倒れてくれない限り私達は死んでいくのよ。カカシのほうが余っ程マシってわけ」
少女はそう言うと、乾を持ち上げて、畑に俺を突き刺した。
「だから、大人しくしてくれるよね?」
「絶っっっ対無理だね」
乾がそう言うと、そばかす男が「はあ!?」と怒りを露にした。
「今の光景見ても、まだそんなこと言えんのかよ!?」
「あんたたちの生活事情は分かった。でも、流血沙汰にするほどか?」
「もう生きるか死ぬかなのよ!? そんな瀬戸際に何言ってんのよ!」
「そうだ、生きるか死ぬかだ。死んだら元も子もない。なら死ぬ前に一度話し合えよ。もうちょい粘れよ!」
乾がそう言うと、少女は目を見開いた。そして、眉を顰めて俯いた。だが、男は我慢の限界だと言わんばかりに、乾を乾いた土から引っこ抜いた。
「……おい、セレス。こいつ売るぞ」
「え? 何言っているの、オズ……」
「お前は血を浴びたくない。なら使わず売って金にすればいい。それで食べ物と武器を買おう」
男は真剣な表情で少女に語りかけた。乾は自分が売られるかもしれないという危機に抵抗しようと、動かない身を必死に捩った。
「は!? 俺、売られんの!? やだよ!!」
「武器として使えないなら、そうするしかないだろ!」
そばかすの男・オズは乾を売ろうとしている。
「ふざけんな! 人身売買やめろや!」と乾は猛抗議した。だが「武器は高く売れるんだ、仕方ないだろ!」と、オズは負けじと反論する。二人は互いに譲ることなく、言い争いは平行線をたどった。
そうしているうち、金髪の美少女・セレスが乾たちの合間に入り、静かに呟いた。
「……ごめんオズ。それはできない」
オズは目を丸くした。
「なんで」
「お父様が私に遺してくれた、最期の希望なの」
そう言うと、セレスはその場を立ち去っていった。その背中は、やけに小さく見えた。
オズはセレスの後ろ姿を黙って見つめたまま、気まずそうにしていた。
「おい、オズって言ったか?」
「オズワルド・シュナイダーだ。何だよ」
「お前のガールフレンド、傷ついてんぞ。謝りにいってやれ」
「彼女じゃない、ただの幼馴染だ」
そうは言うが、オズの目線には、友情以上の何かがこもっている気がする。
乾は、オズから出ている陰鬱な雰囲気にうんざりして、「はあ」と軽い溜息をついた。
「あいつ、俺のことを父の形見だの何だの言ってたけど? それをお前、売ってしまおうとか、人でなしかよ?」
そう言うと、オズは一瞬苦しげな顔をして、八つ当たりからか、乾を地面に再び突き刺した。
足をぶつけたような鈍い痛みを覚えたが、先ほどの眼球の痛みに比べればマシなものだった。
「……こんな状況なら、人でなしにも何にでもなる」
オズは悲しそうに項垂れながら、その場を去っていった。乾は畑に刺さったまま、その後ろ姿を黙って見つめた。