9.温もりを受け止めて
魔物の襲来から一夜明け、いつも通りとはいかないものの無事に朝を迎えられたことに安堵の息を漏らす。
ネット状況を確認すると通信キャリアが迅速に復旧作業を行ったらしくすでに使えるようになっており、ネットニュースでは昨日の魔物襲来の話題で持ちきりになっていた。
数件確認してみたが被害にあったのは北海道、長崎県、鳥取県、高知県、兵庫県、山梨県、埼玉県、千葉県で、隣の東京は無事なようだが鳥取県は砂丘を占拠され、高知県、兵庫県、埼玉県
、千葉県の被害は大きいらしい。
しかしすでに進行は止まっており、占拠された一部を除いて扉周辺は平穏を取り戻したようだ。
だがどこのメディアも、魔物を殲滅や排除したとは書いていない。俺が見た街は多くの魔物が蹂躙し、我が物顔で闊歩す湯様な地獄だ。あれが複数の町で起きているのだとしたら一日で事態の収拾がつくとは到底思えなかった。
俺と同じようにネットニュースを見たものがいたのかこの情報が瞬く間に避難所内に拡散される。ほっと胸をなでおろし笑顔が増えていくのが分かった。
しばらくすると自衛隊が到着し、食事の配給がはじまり、仮設住宅も着手してくれているようだ。少しずつだが日常に戻れるんだと思っていた。この時までは。
自衛隊がきてから数時間後。避難所の人はすっかり日常を取り戻したのだと疑わずに談笑をしながら時間を過ごしていた時、総理大臣が急遽記者会見を開き、日本史に残るような放送が生中継で行われた。
「国民の皆様。今私たちの国は未曾有の危機に直面しています。世界情勢は急速に変動し、私たちの安全と未来が脅かされる状況となりました。この危機に立ち向かうためには私たち全員の力が必要です」
私たち全員という言葉を強調し総理大臣は言葉をつづける。
「自衛隊はすでに全力で任務を遂行していますが、今、私たちの国家を守るために、さらなる力が求められています。国家の存亡をかけた戦いにおいてすべての国民が一丸となることが不可欠です」
わざとらしく「すべての国民が」というワードを強調する。
「私は国家防衛協力のため、生活水準を下げかねない職及び在学中の生徒を含む教育機関に携わる者以外の、成人かつ六十歳未満の男性に対し緊急の「動員」を発令することを決定しました。この動員は国民一人一人の責任を果たし、私たちの未来を守るための重要な一歩です。今こそ、私たち全員が共に戦い、国を守るために力を合わせるときです」
言葉を発するたびに強烈なフラッシュが飛び交う。
「この争いは決して望んだものではありません。しかし、国家を守るためには私たちが立ち上がることが必要です。あなたの力が、私たちの未来を切り開くカギとなります。我々の子供達、次の世代が安心して暮らせる社会を守るため、あなたの協力をお願い申し上げます。あなたの参加が、未来の大きな力となります。今すぐ私たちの国を守るために立ち上がりましょう」
全国民に対する緊急の「動員」。この言葉を聞き体育館中がざわつき、大人たちは顔を伏せる。
「どうか皆様一人一人の力を貸していただけますよう。お願い申し上げます」
総理大臣が頭を下げると、いままよでより一層激しいフラッシュがたかれる。
子供ながらに、日本はいまだ危機的状況を脱しておらず、全国民に協力をお願いしなければならないほど追い込まれているのだろうということが分かった。
「協力」と柔らかい言葉を使ってはいるが、要は強制的に魔物に対して何か行う組織に入れますよということだ。
言葉の真意を読み取った大人たちはみな一様に俯き、先ほどまで活気あふれた様子とは打って変わって静寂が体育館を支配していた。
あの放送から数日が経った頃、沙羅が不安げな表情で訪ねてくる。
「お兄。これから私らどうやって生きていくの?この前の放送も、よくわかんなかったけど周りの反応見てたらあんまよくないことっぽいし…」
「あぁそのことだけど、親戚の八雲さんって覚えてるか?北海道の」
「覚えてる」
「ありがたいことに八雲さんが保護を引き受けてくれたんだ。交通機関が回復したらそこに向かおうと思ってる」
「ふーん。…お兄も?」
痛いところを突かれ一瞬だけ目をそらしてしまう。
「もちろん一緒に行くよ」
「…嘘じゃん。お兄嘘つくとき右目のしたがぴくってなって一瞬目を逸らすんだよ」
「嘘じゃないよ」
「……私のこと、一人にするんだ」
沙羅の唇がわずかに震え、喉が小さく鳴る。目は潤み、まつ毛の先にかすかな光を宿している。
唇をきゅっと結び、堪えようとするものの喉がかすかに震えている。指先は無意識に袖を握りしめ、肩が小さく上下していた。
瞬きをしたその瞬間、こぼれ落ちそうだった涙が静かに頬を伝いはじめた。
最近は沙羅を泣かせてばかりだ。本当に不甲斐ない。
「ごめん。本当は引き取れるのは一人だけって言われちゃったんだ」
「なんで一緒じゃダメなの?」
「あそこは二人とも定年退職してるんだ。一人増えるだけでも大変なのに二人は無理なんだよきっと」
「なら、私が二人とも引き受けてくれる人探すし」
「もう連絡先を知ってる人全員に相談した結果なんだ」
「じゃあもう一回私からもお願いするっ」
「俺も根気強くお願いしたけど無理だったんだよ…それに俺はあと半年もしたら防衛協力に参加しなといけなくなる。だからこれが一番―」
「嫌だって言ってるっ…嫌だって言ってるんじゃん…」
沙羅の肩が小さく震えている。すすり泣く声が胸に響くたび、痛みがこちらにも伝わってくるようだった。
そっと手を伸ばし、妹の華奢な身体を優しく抱きしめる。背中をゆっくりと撫でると、彼女は余計に堪えきれなくなったのか、さらに強くしがみついてきた。
顔を埋めるようにして、また小さくしゃくりあげた。涙の感触が服に滲んでいくのを感じながら、ただその温もりを受け止める。
やがて、彼女の震えが少しずつ収まり、呼吸もゆっくりと落ち着いてきたようだ。俺の胸から離れると、今更恥ずかしくなったのか顔を背ける。
「たまには顔見せに来て……」
沙羅の手は今も震えている。この世にたった一人の家族を守るため。もう二度と泣かせないように何がなんでも生きると誓い「もちろん」と返した。
次回投稿予定:本日の9時頃