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81.

『敵影、消失』


 誰かの短い報告が、通信機越しに届く。


 息を呑んだような沈黙が広がった後、通信機に再び班長たちの声が重なった。


「全員、戦闘終了確認。これより負傷者の確認と移動を優先する!」

「了解!」


 その声と共に、隊員たちが動き出す。誰も叫ばない。誰も無駄な言葉を吐かない。全てが、徹底して迅速だった。


 俺は肩で荒い息をつきながら、すぐさま辺りを見渡す。日向丸が頭上で淡く光を放つ。


 ラーヴェンは相変わらず負傷者の回復に奔走している。


「搬送班、急げ!」


 いろんなところ仲間の命を救おうとする者の声が飛び交い、呻き声や咳、断ち切られた息が漏れてくる。斬られた者、焼かれた者、衝撃で骨を折った者。生きてはいるが、全身を傷で埋め尽くされた者ばかりだ。


 風が止んでいた。戦場の喧騒が嘘のように消え、岩場に広がる沈黙だけが周囲を支配している。


 手早く、裂けた制服の袖を千切って布を作り、横たわる隊員の腕に巻いた。血の流れは止まりつつあるが、目の焦点はまだ定まっていない。


「持ちこたえろ!絶対助かる!」


 隊員はかすかに頷く。そのわずかな動きだけが、生きている証だった。


「誰か、水持ってますか?」


 別の班員が駆け寄り、腰の水筒を手渡してくる。俺は礼を言うのも忘れて隊員の唇に水を注いだ。半分も飲まずに彼は咳き込んだが、咳の音すら、この空間ではどこか安心に聞こえた。


「彼を運搬してください。もう一人、担げる奴いますか?」


 すぐに返事が返り、隊員たちが無言のまま体を動かす。誰もが疲弊しきっている。それでも手は止まらなかった。


 静奈が、少し離れた場所で膝をついていた。彼女の手は血に濡れ、袖口は焼け焦げていたが、その表情は変わらない。無言で仲間の胸に耳を当て、呼吸と鼓動を確認している。


「生きてる。大丈夫だ、こいつは助かる。あそこに浮いてる青いやつが来るまで、こいつのそばにいてやれ」


 静奈がラーヴェンを指さし、跪く隊員の肩を叩く。その一言に、隣の隊員がほっと息を吐いた。


「静奈、そっちの班は?」


 透真が声をかけると、彼女は軽く首を振った。


「負傷者だらけ。でもほとんど軽傷だ。…戦闘不能者は…」

「土葬か…」


 そっと岩に腰を下ろし、背を預ける。空を見上げれば、木々の間からぼんやりと太陽に似た光がのぞいている。


「……疲れたな」


 思わず零れた本音に、静奈が静かに隣に腰を下ろす。


「…透真のせいじゃないよ。誰が指揮しても結果は、きっと変わらない」

「……そう思いたいな」


 指の間に乾いた土を挟みながらつぶやいた。指揮を執ったのは事実だ。命令を出した。結果として助けられなかった命が、いくつもある。胸の奥を焼くようなその感覚は、何度戦っても慣れる気がしなかった。


「透真さん。その…ここから少し北に行った先、岩場の陰に吹き溜まりがあります。視界も悪くて、隠れるにはちょうどいいかなと、思います…」


 おずおずと、ここの地形データが表示された端末を見せてくるひまりだが、俺はそれを軽く押し返した。


「ありがとう、ひまり。でもあまりじっとしているわけにもいかないんだ」

「え?」

「負傷者の回復は、ラーヴェンがやる。それが終わり次第すぐにでも出発しよう」


 ひまりは辺りを見回し、ふわふわと浮遊しながら、次々に負傷者を回復して回るラーヴェンを見つけて指差す。


「彼の方も透真さんが?」

「そうだよ。俺は召喚術師なんだ」

「召喚、術師?それは、魔法高いとは違うんですか?」

「うん。俺に魔法の適性は無いんだ。でも魔術の才能があった。それはまぁおいおい説明するよ」


 ひまりに笑いかけながら俺は岩から立ち上がった。


 ラーヴェンが負傷者の回復を終え、戻ってきたからだ。


「お疲れ様、ラーヴェン」

「えぇ、あなたも回復しておきますね」


 ラーヴェンに言われ気付いたが、俺にも複数箇所傷ができていた。


「あ、あぁ。ありがとう」


 俺の傷に優しく手を当てると、そのまま傷を治し、光の粒子となって消えた。


ラーヴェンが負傷者の回復を終え、戻ってきたからだ。


「お疲れ様、ラーヴェン」

「えぇ、あなたも回復しておきますね」


 ラーヴェンに言われ気付いたが、俺にも複数箇所傷ができていた。


「あ、あぁ。ありがとう」


 俺の傷に優しく手を当てると、そのまま傷を治し、光と粒子となって消えた。


 温かな光に包まれていたのは一瞬だった。だがその間だけは、胸に滞っていた何かが、わずかに溶けた気がした。


 やがて、残された死者たちの元へ隊員たちが集まり始める。静奈が先頭に立ち、一人一人に手を合わせ、目を閉じて祈りを捧げていた。俺もその輪に加わり、頭を垂れる。


 言葉はなかった。いや、きっと誰の胸の中にも、語り尽くせぬ言葉が渦巻いていたのだろう。それでも口にする者はいなかった。


 それが、戦場で死んだ仲間に対する、最後の礼儀だった。



 三日が経った。


 死者に手を合わせ、短い祈りを終えたあの日から、俺たちは北へ向かって歩き続けている。目的はただ一つ、異様な魔力反応を辿り、その源を突き止めること。


 だが。


「また、外れだな」


 そう呟いた声は、岩場の風にかき消された。


「…あの、透真さん」


 少し離れた位置から、ひまりが控えめに手を上げていた。彼女の端末には、周囲の魔力分布が立体的に表示されている。通常なら一定の濃度で拡散する魔力が、この場所では不自然な揺らぎを見せていた。


「ここ……これまでの場所とは、少し違います。魔力の流れが、なんというか…なんでしょう…?」

「その端末見せてくれる?」

「はい。どうぞ…」


 ひまりが示した端末に映るのは岩陰に広がるくぼ地だった。鬱蒼とした木々に囲まれ、足元からじわりと染み出すような感覚がある。魔力の霧が足元を這うように、低く漂っていた。


 妙な胸騒ぎがした。


「少し下がってて」


 ゆっくりと足を踏み入れる。浮遊する日向丸が、警戒するように周囲へ淡い光を放ち始めた。


 この感覚は覚えがある。ヴァルナの幻覚作用のある霧の結界だ。つまりここ一体にも幻覚魔法や幻術がかけられているとみて良いだろう。


「燈華、ノワ。帳を使って幻覚を打ち消そう」

「かしこまりました」

「了解ダヨ」


 燈華が足元に狐火を灯すと、周囲の霧がゆっくりと揺らぎ始めた。


 「識を惑わすは、白霧の帳

 見よ、此処に在るものは形に非ず

 影に非ず、虚にして実、実にして幻

 仮象を実象へ、現象を虚構へ」


 燈華と俺の声が重なって低く、霧の底に響くように続いた。


 「いま一度、真実の皮を剥ぎ

 知覚の王座を我が手に取り戻す

 我は紡ぐ、欺きの地平」


 彼女の足元を起点に、ふわりと白銀の光が広がった。


「《無垢のむくのとばり》」


 瞬間、空間が音もなく反転した。


 景色が、裏返る。


 それまでそこにあった木々の影が消え、地面の凹凸が変わり、ありもしなかった岩の裂け目が現れる。まるで紙芝居の絵が入れ替わるように、周囲の風景が次々と塗り直されていった。


 白霧の帳が、すべてを真実へと戻したのだ。幻惑は払われ、偽りは崩れ、視界が開ける。


「これは……!」


 魔王城は、霧に包まれた山嶺の頂に、異形の威容をもって屹立していた。


 黒曜石よりもなお黒く、光すら飲み込むような漆黒の外壁。高く、鋭く、幾重にも積み重ねられた塔は、一本一本が天に突き立てられた巨大な槍のようだった。塔の先端が雲を裂き、雷鳴を引き寄せるように、空そのものが城を恐れて震えているかのように見えた。


 壁面には血管のように脈打つ魔力の筋が這っており、妖しく、赤とも紫ともつかない光が脈動する。まるで城そのものが呼吸をしているようだ。


 ただの建築物ではない。


 思わず息を呑んだ。


 見ているだけで、意識が引きずり込まれる。あの城の前では、自分という存在がとてつもなくちっぽけに思えた。勇気や決意があったはずなのに、それらがまるで、火のついていない松明のように、城の前では無力だった。


「……なんだよ、あれ……」


 思わず洩れた声は、誰に届くでもなく、霧の中へ消えた。

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