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80.

 漆黒の巨躯が、土煙を巻き上げながらこちらへ突っ込んでくる。地響きとともに、足元の大地が震えた。その装甲は岩のように分厚く、赤黒い瘴気が甲殻の隙間から吹き出している。


 静奈の大剣が空を切り、雷鳴が轟く。その振るった刃が、雷光の如く閃き、漆黒の異形の足元に直撃した。雷装・殲閃が炸裂し、巨体が一瞬痙攣する。しかし、固い甲殻はやはり容易には砕けなかった。


 「ダメか……」と静奈が顔をしかめたが、すぐに気を取り直して、大剣を振り上げる。


「火装・焔牙!」


 次の瞬間、大剣が炎を纏い、まるで火柱のように炎が巻き上がった。燃え上がる刃が魔物の足元を叩きつけ、炎がその装甲に触れるたびに爆発的に燃え広がる。だが、その炎もまた装甲には届かず、焼ける気配すら見せない。


「くっ……装甲が硬すぎる!」


 その言葉が静奈の口から漏れたとき、異形が足を振り上げて、再び前脚を振り下ろした。静奈は反射的に大剣を構え、振り払おうとするが、その勢いに押されて少し後ろに退く。


  その隙に、燈華が軽やかに後ろに跳び、指を一度ひらりと振る。異形の視界に幻術が広がる。目の前で魔物の位置がぼやけ、攻撃の軌道が狂った。前脚が空を切り、静奈がその隙間を突いて大剣で再び切り込む。しかし、やはりその硬い装甲は簡単には割れない。


 その時、俺が静奈の動きに合わせて踏み込んだ。


「蒼火一閃」


 刀に宿した蒼い焰が、一閃の速さで異形の右肩を貫いた。異形が体を震わせ、痛みに顔を歪める。その間に、燈華がさらに幻術を重ね、異形の目を一瞬にして揺らす。今度は視界が完全に歪み、魔物は俺たちの動きに追いつけず、次の一撃を受けることになる。


 静奈がその隙に、力強く大剣を横に振る。炎をまとった刃が異形の胸に触れ、爆発的に火花を散らした。その瞬間、異形が動きを止め、再び反撃しようとするが、燈華がその動きに即座に反応する。


 燈華の狐火が空を翔け、異形の目の前で爆ぜた。わずかに怯んだ巨体の影に紛れ、俺は一気に間合いを詰める。刀を逆手に持ち替え、蒼火を刃に集中させながら、胸部の装甲の隙間を狙って跳び上がった。


「日向丸!」


 叫ぶと同時に戻ってきた日向丸は、背後で淡く光る魔法壁が展開させ、局所的な結界を張る。その結界が俺の踏み込みを後押しし、重力すら歪める。刹那、身体が加速し、宙を翔けるように敵の胸へ突き刺さる。


「おらぁっ!」


 蒼い焰が装甲の裂け目を走り抜ける。刃が滑り込み、肉を裂いた確かな感触が手に伝わった。異形が咆哮を上げ、巨体を仰け反らせる。だが、完全には崩れない。その身を支える四肢が踏みとどまり、反撃の気配が全身にみなぎった瞬間、異形の魔物は再び吠えた。


「くっ…!」


 聞くに堪えない声に思わず耳をふさぐ。ふと、この咆哮は最初に聞いた号令に似ていると考えているとき、一から三班が抑えていた、小型の魔物が俺たちのほうを振り返ると、命令を受けたかのようにまっすぐこちらに突っ込んでくるのが見えた。


「やっぱお前が指示出してんのか…!?」


 その答えを肯定するかのように、漆黒の巨躯の周囲から現れた小型の魔物たちが、一斉に咆哮を上げる。四足歩行で地を這うもの、翼を広げて滑空するもの、蛇のようにうねりながら地表を這うもの——形状も能力もバラバラなそれらが、しかし統率された軍のように俺たち三人を取り囲み始めていた。


「囲まれた…!」


  静奈の声と同時に、地面が振動する。十数体の小型が、俺たちを中心に同心円状に布陣している。どの個体も、黒鉄のような皮膚を持ち、眼は濁った紅に染まっていた。意思がある。操られているのではない。あの巨躯が「支配している」のだと、直感が告げていた。


『聞いてください!こいつらが俺たちを包囲している今こそがチャンスです!』


 迫りくる小型の魔物を、幽欺で攪乱し、蒼火で燃やしながら、俺はこのチャンスを逃すまいと通信機に向かって叫ぶ。


『こいつらの背中はがら空きです!俺たちを囮に挟撃して下さい!』

 

 通信機越しに、班長達の「了解」という声が重なる。それと同時に隊員達が一斉に動き出す。


 次の瞬間、奥から一斉に魔術光が弾けた。爆ぜる火球、突き抜ける氷槍、奔る雷撃——複数の属性魔法が同時に撃ち込まれ、小型魔物たちの背を次々と穿っていく。轟音が木々を揺らし、地面が閃光と共に割れた。


「おらぁ!自分の保身ばっか気にしてると兵を死なせるぞぉ?」


 静奈が咆哮するように叫ぶと同時に、大剣を振り抜く。炎が弧を描き、小型の一体を巻き込んで燃やし尽くす。それでも異形の巨躯が咆哮を上げ、まるで怒りに満ちた命令を下すように首を振った。その声に、一斉に俺たちへと向き直る。


 左右から現れた隊員たちが、迷いなく小型魔物へと魔術と刃を叩き込む。山なりに飛ぶ火矢、鋭く突き出される槍、大太刀を振るう者、双剣で駆け抜ける者。戦場に入り込んだ彼らは、確実に戦局を変えつつあった。


 静奈が大剣を半回転させるように振るい、目前の魔物を強引に叩き伏せる。爆発的な炎が周囲を焼き、燈華がその隙に狐火で残りの一体を牽制した。俺は刃を持ち直し、距離を詰めてきた獣型の魔物へと滑るように踏み込む。


「幽欺!」


 分身のように映る俺の姿が三つに分かれ、三方向から斬りかかる。混乱した魔物が首を左右に振った瞬間、蒼火の刃が喉元に食い込み、断末魔を上げて倒れ込んだ。


「まだ来るぞ!」


 振り返ると、異形の巨躯が再び指示を飛ばすように咆哮していた。だが、今度は明らかにその声に力がない。外周の隊員たちの挟撃が、確実にその統制力を削っているのだ。


「日向丸、もう一度、俺に加速を!」


 結界が展開され、空間が歪む。跳躍の勢いがさらに増し、今度は異形の背面へと回り込む。硬い甲殻の隙間、そこにあるわずかな裂け目を見逃さず、俺は刃を突き立てた。


「これで……!」


 刃が深く喰い込み、蒼火が内部から異形を焼く。その体が激しく痙攣し、周囲の小型魔物たちが次々と動きを止めた。咆哮が途切れ、甲高い音と共に異形の巨体が膝をついた。


「今だ、畳みかけろ!」


 静奈が前へ出て、炎を纏った大剣を胸部へと叩き込む。燈華が幻術で異形の視界を完全に奪い、そこへ周囲の隊員たちが一斉に攻撃を集中させる。


 そして。


 轟音とともに、異形の巨体が地へと崩れ落ちた。黒煙を吹き上げながら、全身の力を抜いたそれは、もはや一片の動きもなかった。


「一匹も逃がすな!終わらせるぞ!」


 静奈が叫び、大剣を地面に叩きつけた。


「我が刃は導、我が怒りは焔。焦熱の陣よ、裂けし大地に刻まれよ。爆焔陣ばくえんじん!」


 叩きつけた剣先から火花が散り、爆発的な火柱が地面を抉って吹き上がった。熱波と爆風が津波のように広がり、敵の勢いが怯んでいく。


 土が跳ね、岩が砕け、炎が全てを塗り潰していく。残った小型を巻き込んで吹き飛ばす。燈華の狐火が空を舞い、幻惑と共に敵の視界を奪う。


 もはや統率は崩壊していた。


 各班の隊員たちが次々に前進し、断続的に残った敵を一体ずつ討っていく。誰もが連携を取り、守り合い、支え合いながら戦線を押し上げる。命令も、指揮もない。ただ、共に生き残るという意思だけが、戦場を貫いていた。


 そして戦場に、一瞬の静寂が訪れた。

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