78.
御影隊長の声が通信越しに再び響いた。
『技術班から報告がある、聞いてくれ』
即座に別チャンネルで音声が切り替わり、技術班主任の落ち着いた声が応答する。
『南部区域の地殻振動と魔力密度に有意な相関が確認されました。特に、標高の低い渓谷地帯において、継続的な魔力集中と不自然な熱源反応を観測。魔物の密度も他区域の二倍以上を記録しています』
静奈が眉をひそめて端末に目を落とす。
「地図上では、深い峡谷のある場所だな。魔力の流れも、そこを中心に収束してるってことは…」
「そこが怪しいってことか」
俺の言葉に、ひまりがコクリと頷いた。
「はい。魔力が、あの谷底に引き込まれるように流れていますね。あれは吸い込むような構造……自然ではない、と思います…」
ひまりの端末には、まるで重力の井戸のように周囲の魔力が沈んでいく魔力の渦が描かれていた。それは地形と無関係に、あらゆる方向から流れを引き寄せていた。
技術班からの報告を聞き終え、御影隊長が即座に指示を下す。
『作戦を二手に分ける。第二部隊は扉の防衛を継続。第一戦術遊撃部隊及び第二班から五班までを調査隊精鋭班とし、この峡谷へ進行。深部探索を開始。対象地域の制圧と魔王本拠地の位置特定が最優先任務だ。現地指揮は透真。お前に任せる』
「了解」
小さく息を呑む気配が周囲に走る中、俺は頷いた。
「第一戦術遊撃部隊、進軍を開始する」
各隊員が装備を確認し、行軍の準備に入る。ひまりも再起動した端末を両腕でしっかりと抱え、顔を引き締めていた。
そして、俺たちは峡谷へ向けて動き出す。濃密な魔力に満ちた世界の奥へ。かつて誰も踏み入れなかった、魔王の影が差す地へ。
行軍は静かだった。あまりにも静かで、自然音すら魔力の圧に押し潰されているような錯覚に陥る。
地面は徐々に湿り気を帯び、苔のような黒い植物が広がり始めていた。空は鈍い紫灰色。風は吹かず、代わりに漂う魔素の粒子が、衣服の隙間から肌へと絡みつく。
ひまりが前方に指を向けた。
「こ、これ見てください…!」
視線の先、暇らが指差す端末には俺たちがいる地点から魔力濃度が高くなっているのを示していた。
「まるでなにかの領域みてぇだな」
俺の声に、ひまりが呟くように答える。
「魔王がいるなら…この先、ですかね…?」
彼女の声は震えていたが、確かに歩を進めていた。よろけながらも、何度転びそうになっても。
そして俺たちは、魔力を吸収していると思われる黒い花が徐々に増えていると感じていたころ。
「っ、まってくださいっ!」
ひまりが小さく叫び、端末の画面を食い入るように覗き込む。
「魔力濃度が……おかしい……?っ、急激な魔力反応!…ま、真上です!!」
その言葉と同時に、頭上の空が歪んだ。見上げた空の一点に、黒紫の渦が瞬時に収束し、次の刹那、轟音が空気を裂いた。
何かが、降ってくる。
視認できたのは、ほんの一瞬だった。黒と赤に染まった瘴気の塊のような異形が、第一部隊の後方へ襲いかかった。
「うわっ!」
「ぎゃああっ、やられ……!」
悲鳴が重なり、爆音と共に土煙が舞い上がる。濃密な魔力の塊が、まるで意思を持つかのように一帯を引き裂き、仲間たちが次々と吹き飛ばされた。瞬間的な破壊。対話も、警告も、容赦もなかった。
「くそっ……!」
体が勝手に動いていた。俺は地を蹴り、反射的にその魔力の渦へと走り出す。静奈も同時に動いた。後方で「透真さんっ!?」と叫ぶひまりの声が聞こえたが、振り返る暇もない。
既に、刃は引き抜いていた。
土煙の奥、崩れた岩壁の陰からそれは姿を現した。
全身を青黒い氷塊のような外殻で覆い、その巨体はまるで大地から隆起した氷の山。結晶のごとき肩甲は凍てついた棘を伸ばし、腕は岩を砕く金床のごとき質量を宿していた。背から生える氷柱は呼吸のたびに霧を撒き散らし、気温が一気に下がるのを肌で感じる。
「我が名はゼルヴァン」
目は氷のように透き通った双眸で、空虚さと知性が交錯していた。
静奈が即座に身構え、大剣に雷光を纏わせた。
「なぜ門を越えようとする?」
まるで試すような問いかけ。俺は言葉を返さず、刀に蒼火を纏わせながら踏み出す。
「俺たちの世界を守るためだ」
「ならば俺も、この世界を守るために戦おう」
ゼルヴァンの背後、空気が急速に冷え、氷の杭が十数本、空中に形成される。次の瞬間、それらが一斉にこちらへと放たれた。
「来るぞ!」
静奈の叫びと同時に、俺は蒼火の一閃を放って氷杭を焼き払い、前方へと跳躍する。静奈は大剣を振るい、電撃を伴った衝撃波で氷の雨を弾き飛ばした。
「燈火!手伝ってくれ!」
「お任せください!」
淡い魔術紋から燈火を召喚する。霧のように現れると同時に、周囲の空気が一気に引き締まった。妖艶な狐の仮面がゼルヴァンを捉えると、彼女は即座に刀を抜く。
氷の巨影が地を裂いて立ち上がる。
呼吸するたび、白い霧が空気を蝕み、視界が凍りついていく。皮膚の表面がざらつくほどの冷気が、遠慮なく俺の身体を刺してきた。
次の瞬間、ゼルヴァンの肩の結晶がわずかに輝いた。攻撃の予兆。
危機を察知して跳ぶ。
地面から突き上げる氷杭が、刹那遅れて俺のいた位置を貫く。地を滑るように低姿勢で抜け、構えた刀を横に払った。手応えは鋼鉄のように硬く、火花が弾ける。
背後で雷鳴。
静奈が雷を纏った斬撃を放ち、俺の斬り口をなぞるように重ねた。氷の外殻が砕け、ゼルヴァンの巨体が僅かにぐらつく。
そこに、燈火の狐火が頭も無く飛び込んだ。だが、ゼルヴァンの目が微かに揺れたのを俺は見逃さなかった。
足を踏み込み、肩を落とし、刀を真横に構える。静奈が同じタイミングで左から大剣を振り抜いた。俺の蒼火と、静奈の雷が空中で交錯する。
断裂と衝撃の波がゼルヴァンを直撃し、氷の結晶が飛び散る。巨体が後方へ吹き飛び、岩壁に激突。雪崩のような轟音が峡谷に反響する。
煙が立ちこめる中、俺たちは同時に着地した。視線を交わすこともなく、呼吸を一つ合わせるだけ。
ゼルヴァンが崩れた岩塊の中から、軋む音と共に立ち上がる。
その瞬間、背後からかすかに聞こえた隊員たちのざわめきが耳に届く。
「な……なんだよ、あれ……急に一人出てきたぞ…」
「三人だけで、あの化け物を……」
「言葉、交わしてすらない……」
俺たちはもう、戦場で言葉を必要としない。
ゼルヴァンの外殻に、再び氷の魔力が集まり始める。だが、俺たちは動いていた。
静奈が上空へ跳躍。雷を纏った身体が閃光となり、ゼルヴァンの視線を引きつける。
燈火が右から幻術の波を放ち、視界を惑わせる。
その中心を、俺が突き抜ける。
地を這う蒼い炎が、氷を切り裂く。凍結の結晶が溶け、ゼルヴァンの動きが鈍る。
だが、ゼルヴァンは止まらなかった。
次の瞬間、氷の外殻から鋭い音と共に刺が一斉に射出される。全方向。反射的に俺は腕を交差して顔を守り、蒼火で受け流すが、棘は岩を穿つほどの威力。風を裂くような音が峡谷に走る。
「くっ……!」
背後で燈火の着地が乱れる。肩を掠めた氷棘が袖を裂いていた。
ゼルヴァンの巨体が、そのまま地を蹴る。重力を無視したような跳躍。静奈の落下に合わせて、その氷の拳が襲いかかる。
「静奈ッ!」




