77.
後方では、すぐさま技術班が展開を開始していた。
「初期橋頭堡、構築開始!資材搬入、こっち急げ!」
魔物の死骸を避けつつ、彼らは迅速に足場を整え、簡易バリケードと各種センサーを設置していく。地面に打ち込まれる杭には、異世界環境に対応した魔力探査装置が内蔵されており、次々と光を放ち始めた。
俺と静奈は、その周囲を警戒しながら動く。まだこの世界のすべてが未知だ。突然の奇襲があっても不思議ではない。
「魔力の流れがなぁんかおかしい気がする…異世界だからか?」
足元を確認しながら呟く。地面には赤黒い脈動のようなものが走り、時折熱を帯びた風が吹きつけてくる。空間そのものが呼吸をしているかのようだった。
「あの崖の上、怪しいな」
静奈は目を細め、雷光を指先に集めながら、地形の先を読む。彼女の勘は鋭く、実際に数秒後には、予測通りの位置から再び魔物が現れた。
即座に一体を仕留め、技術班への接近を阻止する。彼らが無事に拠点を完成させるまで、俺たちは一秒でも長く、敵を遠ざけなければならなかった。
そして、時間が経つにつれ、扉周辺には防壁と観測装置、簡易タワーが次々と構築されていく。
「拠点防壁、稼働開始!」
「最低限の陣形は固まりました…御影隊長、いつでも第二段階に移行できます!」
通信が飛び交い、その報告を受けた御影隊長が即座に判断を下す。
『よし、全隊聞け。第二段階に移行する!ここからは扉から半径二キロ圏の支配・哨戒を開始!各隊は配置に従って行動せよ!索敵陣形をとれ!』
次の瞬間、扉の向こうからまたも青紫の光が走り、新たな部隊が展開される。彼らは即座に三方向へと散開していき、それぞれが任務を遂行する。
野営地規模から、簡易前線基地への発展。
敵勢力の巡回圏の把握と、哨戒路の構築。
この世界の地形、魔力汚染、そして敵性種族の特性調査。
技術班と研究班がタブレット端末を手に取り、各地点のサンプルを採取し始めた。地面を掘り、空気を測定し、魔力濃度を分析する。
「この黒い花…ただの植物じゃない。魔力を吸収してる。敵の領域を示す指標かも…」
異世界の理が少しずつ明かされていく中、俺と静奈は再びその周辺を移動しながら、警戒を続けている中、周囲の隊員は三人一組で索敵を開始する。
そして俺と静奈が周辺の警戒を続けていたそのときだった。
「ひゃっ!?きゃああっ、ご、ごめんなさーい!通りますーっ!」
後方からそんな悲鳴じみた声と共に、何かがこちらに猛スピードで転がってきた。
少女だった。
白い魔法使い用の隊服を羽織った小柄な隊員が、足をもつれさせながら転がるように斜面を下り、地面に顔から突っ込む直前、俺が咄嗟に腕を伸ばして止める。
「……おい、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます、すっ、すみません!い、今のは石に足が…!ううっ、またやっちゃった…!」
少女は頭を抱えてうずくまりながら、涙目でこちらを見上げてきた。年の頃は俺と同じくらいだろうか。あどけなさの残る丸い顔に、淡い桃色の髪をふわりと揺らし、左右に結った三つ編みが揺れている。瞳は緑がかった金色で、大きく、落ち着きのない視線がぐるぐると泳いでいた。
だが彼女の動きはどう見ても軽率に近い。腰にぶら下がる小型魔力測定機は、どうやら転倒の衝撃で電源が落ちたらしく、ぴこんぴこんとエラー表示を繰り返している。
「きみ、名前は?」
「はっ、はいっ!あ、あのっ、索敵第三班所属、三ノ輪ひまりっていいます!任務で、えっと、透真さんと静奈さんの支援に…きゃっ!?」
言いかけたひまりは、自分の持っていた端末を取り落とし、しゃがんで拾おうとして頭を下げた拍子に、今度はポーチのファスナーを開けてしまい、地図データの紙類が風に乗って舞い上がる。
「あああああっ、ちょっ……まってまってまって、全部飛んでいっちゃ、きゃあ!?」
慌てて追いかけて走り出し、また石につまづいて見事に転倒。静奈が小さくため息をつきながら、指先に雷の火花を灯して、舞い上がった紙束を帯電で吸引し、一か所にまとめて手渡す。
「……ありがとうございま……す……っ!」
ひまりは情けない声で受け取り、顔を真っ赤にしてうつむく。俺と静奈は顔を見合わせたが、あえて何も言わなかった。
戦場には不釣り合いな、柔らかすぎる存在。けれど、こんな奴でも、命をかけた場に引き摺り出される時代になったんだと否応なく伝わってきた。
「任務の方は大丈夫そうですか?」
「は、はいっ!五十メートルごとに魔力反応と地殻振動を計測して、敵性種の巡回傾向を記録・共有します!あの、機材、すぐ再起動しますからっ!」
慌てて端末の再起動ボタンを押しつつ、ひまりは必死に言葉を繋げた。震える声にも覚悟が滲んでいる。
「…なら、頼みます」
「はっ…はいっ!!絶対、がんばります!」
ひまりはよろけながらも立ち上がり、今度は慎重な足取りで俺たちの後ろをついてきた。
俺と静奈はそのまま歩を進め、ひまりを伴って哨戒任務を続行した。異世界の空気は相変わらず重く、肌にまとわりつくような圧力を帯びている。風の音も、地面を這うような魔力のざわめきも、どこか現実離れしていて、まるで夢の中にいるかのようだった。
静奈が足を止め、ふいに指先から青白い雷光を散らす。瞬間、地面が軽く隆起し、黒い体毛を持つ四足の魔物が飛び出した。速い。けれど、静奈の雷がそれより速い。
稲妻が閃き、魔物は地面に焼き付けられたように崩れ落ちた。俺は周囲を確認し、後続がないことを確かめてから、ひまりの方へ目を向ける。
「ひまり、今の記録できたか?」
「は、はいっ!魔力反応、地殻変動、捕捉しました!巡回ルートの可能性もマークしました!」
彼女は端末を握る手を震わせながらも、正確に記録を行っていた。五十メートルごとに、魔力密度と振動の傾向をスキャンし、拠点と他部隊へリアルタイムでデータを送っている。つまずきながらも、見事に任務をこなしていた。
その後も数度の接敵があった。飛行型の偵察魔物、群れで襲いかかる小型魔獣、岩陰に潜んでいた擬態型。どれも俺たちの戦力にとっては脅威ではなかったが、いずれもが「この世界が本気でこちらの動きを警戒している」様に思えた。
俺と静奈、そして時々「ぎゃあっ!ま、まってぇっ!」と悲鳴を上げながら走るひまりの三人で、順調に索敵区域を制圧していく。ひまりの記録したデータは即座にネットワークを通じて拠点に共有され、別働隊の動きも次第に整っていった。
数時間が経過し、ようやく拠点からの通信が全隊に届く。
『こちら本部。扉から半径二キロ圏内、安全確保及び哨戒路の構築を確認』
ひとまずの区切りがついたことに、俺たちは小さく息をついた。だが安堵も束の間、次の通信が間を置かず飛んできた。
『御影だ。各隊に告ぐ。これより、魔王の本拠地に関する情報収集を開始する。既知の地形図および敵勢の行動履歴をもとに、調査隊を再編成する。精鋭班には、敵領域の深部潜入任務を命じることになる。準備を整えろ』
ついに来たか。
あの扉の向こうに広がるこの世界で、最も危険な場所。魔王という存在が待つ、世界の核心。
俺は静かに刀の柄に手を置いた。




