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76.

 時間だ。


 御影隊長が、隊列の前に静かに立つ。全員の視線が、その背中に集まっていた。誰も言葉を発さない。ただ、待っていた。指揮官の言葉を。


 隊長は一歩前に出ると、深く息を吸い、そしてはっきりとした声で告げた。


「これより、オペレーション・サクリファイアを開始する」


 声が、空気を貫いた。誰かが息を呑んだ。誰かが唇を引き結んだ。


「第一戦術遊撃部隊、展開開始!先行は、隊員・天ヶ瀬透真、火野静奈!進めぇ!」

「了解!」


 俺と静奈は声を揃えて返答し、互いに一度だけ視線を交わす。


 勇気を振り絞り勢いよく一歩を踏み出した。


 足を踏み出すたびに、世界の輪郭が曖昧になっていく。扉の前、空間の裂け目は不気味にゆらめき、何かがこちらを見つめているようだった。


 青紫の光が俺たちの輪郭を照らし、髪が浮き上がるような感覚が肌を包む。


 最後の一歩を、静奈と並んで踏み込んだ瞬間。


 世界が、裏返った。


 音が消え、色が崩れ、地面の感覚がなくなる。重力も、時間も、理屈もすべて曖昧になる感覚。それでも、手を離さなかった。静奈がすぐ隣にいることだけが、俺を正気に繋ぎとめていた。


 光の奔流を突き抜けた先に、赤い空があった。


 視界が落ち着いた瞬間、まず目に飛び込んできたのは、まるで血に染まったような曇天だった。地面は黒く焦げた岩のようで、硫黄にも似た刺激臭が鼻を突く。空気は重く、どこか粘りつくようで、ただ立っているだけで肺の奥がじんわり痛む。


 ここが、異世界。


 だが、感傷に浸る暇などなかった。


 グルルァと聞こえる獣の唸り声。次いで、地を這うような蠢きと、空を切る羽音。


「囲まれてるッ!」


 静奈が即座に叫ぶ。俺の感覚もそれを裏付けていた。視界の隅から次々と、異形の影が姿を現す。


 四足で歩く、甲殻を纏った狼型。


 長い腕に鎌のような骨刃を持ったヒト型の魔物。


 空には黒翼を生やした小型の飛行種が群れを成して飛来してくる。


 そのどれもが、こちらを狙いすました獣の目で見つめている。


「っ、来るぞッ!」


 俺は即座に刀を抜き刃に蒼い火が灯る。魔術を宿したこの刃が、俺の生命線だ。


 一方、静奈の背には既に雷が走っている。


 彼女の全身が、雷を纏って光を放つ。その瞬間、足元の地面が小さく砕けるほどの力が溢れた。


 そして、奴らが動いた。


 黒狼型が地を蹴って跳びかかってくる。三体、いや四体。


「俺がやる!」


 俺が前に出て、瞬時に横薙ぎを一閃。


 蒼火の軌跡が狼の一体を真っ二つに裂き、炎が骨と肉を焼き尽くす。だが、残る三体が間髪入れず襲いかかる。


 静奈が一歩踏み込んだ。雷の加速力が爆ぜ、電光のように間合いを詰める。


 撃ち込まれた右拳が一体を貫き爆ぜる。そのまま彼女は跳躍、振りかぶった大剣が稲妻を引き連れて振り下ろされる!


 衝撃で地面が割れ、黒狼たちの咆哮がかき消される。


 だが、空からの影が迫る。


「日向丸!」


 咄嗟に俺は日向丸を召喚し、魔法壁を展開させる。


 瞬間的に生み出された結界が、上空から降り注ぐ爪と嘴の嵐を受け止める。


 その隙に静奈が叫ぶ。


「雷穿・迦具土ノ鎖!」


 空へ向けて掲げた剣が雷鳴を喚び、飛行魔物たちへと連鎖する雷撃を走らせる!


 悲鳴を上げながら黒翼の群れが空中で爆散していくが、まだ終わらない。地の彼方から、さらに多数の魔物の足音が迫ってくる音が聞こえる。


「こちら第一転移班!すでに包囲され戦闘状態です!援軍急行を――!」


 俺の叫びと同時に、背後の空間がぐらりと揺れた。


 ギィィィ……ンッ!


 空間の裂け目、扉が再び開く音。

 青紫の光が強く閃き、次々と人影が飛び出してくる。


「第二班、到着!囲みを崩すぞ!」

「第三班、射撃支援を後方より開始ッ!」


 隊服をまとった隊員たちが、怒号と共に戦場に飛び込んできた。


 上空の飛行魔物が、鋭い光の奔流に撃ち落とされていく。


 前線では重装備の隊員たちが身を挺して立ちはだかり、迫る異形を一体ずつ仕留めていた。


 それを確認した俺たちは、瞬きひとつの間に、並んで駆け出していた。言葉は要らない。視線の交錯と、わずかな呼吸のズレだけで、互いの意図は既に共有されていた。


 俺が前に出て斬り込めば、静奈が横から差し込む隙を作る。左へ抜ける気配を感じれば、彼女は右から稲妻を走らせる。


 刃と雷光が交錯し、敵を翻弄するその動きは、まるで一つの意志で動く双剣のようだった。


 一体の巨躯が咆哮を上げて突進してくる。俺は瞬時に身を屈め、蒼火の一閃をその腹部へ滑り込ませる。だが、それだけでは足りないこともわかっていた。


 刹那、後方から雷が降り注ぐ。静奈の一撃が俺の斬撃の直後に重なり、敵の巨体が一拍遅れて爆ぜるように崩れ落ちた。


 静奈の呼吸が少し荒れる。俺はそれを感じて、無言のまま前に出る。盾となるように一歩踏み込み、俺が斬り開いた先へ、彼女は大剣を振りかざす。

 雷を纏った刃が空を裂き、押し寄せる魔物の波を薙ぎ払う。


 互いの背を預ける瞬間が訪れても、振り返る必要はない。

 信頼がある。俺が倒れれば、静奈が撃つ。静奈が崩れれば、俺が切る。


 その確信だけが、死線の中で俺たちの背中を支えていた。


 後方では続々と増援が展開し、扉の防衛線が形成されていく。だが、そこへ至るまでの最前線である俺と静奈の立つこの場所は、依然として魔物たちの波に晒されていた。


 空から、地から、壁面すらよじ登って現れる異形たち。構造を無視した動きは、人間の常識では計れない。けれど、それでも俺たちは負けられなかった。


 斬撃。雷撃。蒼火が閃き、雷鳴が奔る。


 静奈が左へ跳躍する。それを受けるように俺が右へ抜け、魔物の突進をかわしつつ斬撃を重ねる。切り裂いた敵の残骸を踏み台に、静奈が上空から剣を振り下ろす。稲妻を纏った剣閃が地面を砕き、衝撃と共に数体の敵が吹き飛んだ。


 その刹那、俺は横合いから迫る鎌腕の魔物に気付く。身体を捻り、咄嗟に蒼火の軌跡で迎撃するが、間に合わない。


 ……だが、そこに雷の一閃。


 「助かった」とそう言おうとしたが、俺はただ静奈に一度頷いただけだ。彼女も言葉ではなく、視線で応える。


 言葉で確認する必要はない。俺たちは、既に呼吸そのものが戦術になっている。


 敵の流れが少しずつ変化していた。明らかに扉を狙っていた進行が、俺たち二人を中心に渦を巻くようになっている。


「いいぞ、来いよ……!」


 俺は刀を構え直し、空中に舞う日向丸の結界を背にしながら、次の群れを待ち構える。


 飛行種が数体、空から急降下。地上からは鋭い腕を持つ四肢の異形が突撃してくる。


 数十、いや百に近い。だが、恐れはない。俺と静奈がここにいる限り、この場所を通すつもりはなかった。


「静奈、行くぞ!」


 今度は言葉にした。合図ではない。ただ、感情の共有。

 

 静奈は応えるように稲妻を解き放った。


「雷装・殲閃!」


 その声と共に、彼女の身体が雷と一体化する。爆発的な加速。俺の刀が蒼く燃え上がり、刃先を振り下ろす瞬間、彼女の雷撃が真横をすり抜ける。


 二つの光が交差した瞬間、空間そのものが軋んだような音を立てて、爆ぜた。


 蒼い火と、白い雷が交わり、周囲の魔物を一瞬にして消し炭に変える。


 それでも、敵は止まらない。まるで無限に湧いてくるようだった。


『第一戦術遊撃部隊より隊長。全隊、扉前に布陣完了!』

『重装部隊、前へ!魔法隊、射角固定!全魔物を撃ち落とせ!』


 御影隊長の声が響く。続けて、後方から一斉射撃の光が放たれ、飛行種たちを正確に撃ち落としていく。


 地上では重装隊が縦列を組み、厚い盾と槍で前線を固める。


 俺たちが、時間を稼いだ。


 新たな防衛線が築かれ、扉前の安全が確保されたのを確認し、俺は大きく息を吐く。そして静奈と一緒に、わずかに後退した。

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