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73.

「さて、志田ァ」

「は、ひゃいぃっ!!」


 鬼の形相で近づく藤原教官に心底怯えた表情を浮かべる志田。


「お前、こそこそなんかしてると思ったら、こんなくそみてぇなことしてたのかよ!!!」


 自分の身長を優に超えるハルバードを片手で持ち、槍先を志田に向ける。藤原教官は今にも突き刺しそう雰囲気があった。


「お、俺は人類のために研究していたんだ!!誰もやりたがらないけど、誰かがやらなきゃいけないことを、俺はやってるんだ!感謝されることはあっても、悪者扱いされる筋合いはないぞ!」

「黙れカス!!テメェは人権ってもんを知らねぇのか?」


 藤原教官の怒声が、ラボ全体に響き渡った。風の魔力が彼女の体を中心に渦を巻き、吹き飛ばされそうな勢いに、志田は完全に腰を抜かしていた。


「こ、こないで…!やめ、やめろぉっ…!」


 だが、その懇願など、藤原教官の怒りには一片の揺らぎも与えなかった。


「元教え子と、何の罪も無い子どもに人体実験?頭沸いてんのか?」


 突きつけられた槍先がプルプルと震え、藤原教官の怒りがあらあらと伝わる。


「てめぇみたいな奴が人類語るんじゃねぇ!」


 次の瞬間。


 ゴンッと金属の柄が鈍い音を立てて、志田のこめかみに叩き込まれた。ラボの床に、志田が情けない悲鳴を上げて転がる。


「ひぃいいいいっっ!!あたまあああ!!ひゃぁああ!!」


 藤原教官はそのままもう一発、いや、それ以上やりかねない勢いだったが、背後から榊原教官が声をかける。


「……藤原、もういい」


 榊原の声音には、怒りと憐れみ、そして深い疲労が滲んでいた。


「こいつは警察に引き渡す。あとは法の裁きを受けさせるだけだ」

「榊原教官っ、そんなんじゃ全然足りないですよ!」


 藤原教官は渋々ハルバードを肩に戻す。


 警察の車両が到着したのは、それから間もなくのことだった。


 黒と白の無骨なボディが、ラボの外に無言で停車する。数人の制服警官と捜査員が車から降り、現場の様子を見て一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに表情を引き締め、志田に手錠をかける。


「未成年者に対する非合法な人体実験および監禁、拷問の疑いで身柄を確保します」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺は……っ、俺は人類の……」

「黙れ」


 捜査員の一人が、冷ややかに一言吐いて口を塞いだ。志田は何かを言いかけたまま、無理やり車へ押し込まれる。


 その背中を見送る藤原教官は、なおも唇を噛みしめたままだった。


 だが、事件はそれで終わりではなかった。


 一人の警官とその上司と思われる人がこそこそと何かを話し、こちらに向き直る。


「施設の奥から、三人ほど高校生と見られる被害者を発見しました。個室に隔離されており、栄養状態が悪く、意識は混濁しています。応急処置ののち、病院に搬送しますが、何か知っていることはありますか?」


 その問いに一拍の間を置いた。冷えた空気が肺の奥に沈む。


 唇を引き結び、警官の目をまっすぐ見つめて言った。


「おそらく、俺の体の一部を使って何かをされた被験体だと思います。今まで行われてきた人体実験の犠牲者たちです…」


 警官たちの顔色が変わった。


「…聞き間違いでなければ、君の体を使ったと聞こえたけど、例えばどの部位かな?」


 動揺を隠せない警部補から詰め寄られ、躊躇なく答えた。


「いろんな部位です。今はこうして魔法で回復していますが、骨髄から始まり、最後は眼球を取られました」


 今でこそ冷静でいられるが、ラーヴェンがいなければ今もなお恐怖に包まれ、まともに受け答えすることもできなかっただろう。


「その割には随分はっきりと受け答えができている様だが、嘘では無いんだな?」

「はい、今こうしてまともでいられるのは仲間の魔法があったからです」


 警部補は「う〜ん」と難しい顔で頭をかくと、諦めた様に息をついた。


「まぁいい、申し訳ないけど君も当事者として事情徴収は受けてもらうから、ついて来てもらえるか?」

「はい、もちろんです」

「天ヶ瀬、大丈夫なのか?」


 心配そうに顔を覗き込む榊原教官。研修生時代と違って、その顔には優しさが滲んでいた。


「大丈夫です。榊原教官、藤原教官。助けていただいて本当にありがとうございました…。お二人が来てくれなかったら、私はまだ…」

「いいのよ天ヶ瀬!私たちこそあいつが暴走する前に止められなくてごめんなさい…」

「俺たちはあいつがなにかしていることは薄々わかっていたが決定的な証拠がなくてな。一週間ほど前から言動が明らかにおかしくなって、色々調べてたらより時間がかかってしまった…。すまんな天ヶ瀬」


 榊原教官の言う通りなら、俺はここに来て一週間以上経っていた事になる。時間感覚は完全に狂った、というよりは考えない様にしていた。


 そんなに経っていたとは驚きだ。


「いえ、本当に感謝しかありません。ありがとうございます」


 そういうと、警部補に続いて歩き出す。後ろからは藤原教官のバツの悪そうな声が聞こえていたが、ラーヴェンの能力でもう恐怖もないうえ、バル=ザドルに怒りの感情をんか与えたおかげで、さっきまで酷い仕打ちを受けていたとは思えないほどすっきりとした気分だった。


 ただ、俺の中には「悲しみ」と「怒り」の感情が抜け落ち、少しずつ人間味を失っていく感覚には恐怖を覚えた。


 自分の体を失うほどの実験を繰り返されたにもかかわらず、それに対しての感情が何もないのは明らかにおかしい。


 そう考えながら歩いていると、数週間ぶりの外の光が俺を暖かく照らす。


 外にはすでにパトカーと救急車が待機していた。


 パトカーのドアが開かれ、静かに乗り込んだ。車内はひんやりとして、ラボに満ちていた異様な熱気が嘘のように消えていた。


 外では、担架に乗せられた少年少女たちが、手早く救急車へと運ばれていく。彼らの呼吸は浅く、意識はまだ戻っていない。だが確かに、生きている。


 車が走り出す。


 それから数分後には警察署につき、数時間ほど、俺は淡々とした事情聴取を受けた。


 県警本部の地下にある応接室のような取調室で、何人もの刑事や法医研究員の前に座り、淡々と答えた。


 「いつ、どのようにして捉えられたのか」

 「被験体に使われた部位の詳細」

 「実験の目的とされる内容」

 「志田との関係、経緯」

 「協力者の有無」

 「治癒魔法を使った供与者」


 全て正直に話し、事情聴取が終わったのは、夕方を少し過ぎた頃だった。


 警察署を出ると、迎えのタクシーが待っていた。事前に榊原教官が手配してくれたと聞いた。ありがたくタクシーに乗り込み「埼玉基地までお願いします」と言うと、気の良さそうなおじいさんが「はいよ」と答える。


 エンジン音と共にタクシーが走り出す。


 窓の外を流れる景色をぼんやりと見つめながら、俺は小さく息を吐いた。


 しばらくして、埼玉基地のゲートが見えてくる。セキュリティの検問を通過すると、すでに待っていたのだろう、榊原教官と藤原教官の姿が、車の前に立っていた。


 運転手に代金を払い、俺が降りると、榊原教官が真っ直ぐに歩み寄ってくる。


「天ヶ瀬、こっちだ。落ち着いて話せる場所に行こう」


 藤原教官も無言でうなずき、俺の後ろをついてくる。二人の雰囲気は、どこか張り詰めた緊張感を孕んでいた。


 基地内の応接ラウンジ。周囲には誰もおらず、ブラインドが降ろされた落ち着いた空間だった。俺たちはテーブルを囲んで腰を下ろす。しばしの沈黙ののち、榊原教官が重たい口を開いた。


「お前も承知の上だろうが、エルグ=デザイア戦で、とうとう魔術の存在が外部に露見した」


 覚悟はしていたつもりだったが、その言葉に心臓が小さく跳ねた。


「もう、隠せる状況じゃない。あの戦闘映像が、断片的にではあるが、いくつかのメディアや研究機関、軍の上層に流出している。……今、各方面がざわついてる」


 魔術。俺が、隠し続けてきた異質な力。


 それを見てしまった者たちが、それを「異常」だと感じるのも当然だった。


「すでに各方面で魔術という言葉が飛び交っている。魔法ではなく、魔術。その意味を、理解してる人間は少ないが、それが未知であることは誰の目にも明らかだ」


 榊原教官の言葉に、藤原教官が続く。


「それに加えて、天ヶ瀬君が以前提出した報告書……『扉の向こうにある異世界』について、国防会議が正式に調査を開始したわ。そこで問題になってるのが……」


 藤原教官が、俺を真っすぐに見つめる。


「天ヶ瀬君の報告の通り、異世界で魔王と呼ばれる存在が、日本への侵略を画策してるって件よ」


 心臓が、ズシンと重くなる。


「すでに、外務・防衛隊が合同で異世界干渉における防衛戦略案を立案中だ。…そして、その中核に立たされる予定なのが」


 榊原教官が、ゆっくりと俺の目を見る。


「お前と、静奈だ」


 それ聞いて、息が詰まりそうになる。


「扉を超え、敵の拠点に打って出る。極秘の異世界展開作戦、オペレーション・サクリファイアが水面下で練られている」


 藤原教官が書類を一枚、テーブルに滑らせる。そこには異世界の地形データと、交戦記録、そして俺たちの名前が書かれていた。


「ここから先は、人類の存続に関わる次元の話よ。天ヶ瀬君。もう個人の秘密じゃ済まない。…覚悟はある?」


 俺は、静かに目を閉じる。


 魔術の存在がバレたことは、覚悟していた。それに志田のような輩がいることもわかってしまった今、俺にとって死活問題だった。だが同時に、それがもう俺だけの戦いじゃないことも理解していた。


 静奈と共に、あの世界にもう一度踏み込む。


「正直、いきなり覚悟があるかなんて言われてもそんなの無いですよ。魔王って簡単に言いますけど、あいつらとんでもない異次元の存在です…」


 言いながら俺の拳は、魔王エルフェリア=グレイスを思い出し、震えていた。敵対することがなかったとはいえ、規格外の能力を持つ存在。それをどうにかするなんて到底無理だと言う気持ちが押し寄せる。


「でも異世界について、知識があるのは私と静奈だけです。なら、私たちが、やるしか…」


 魔王と対峙することを想像し、身震いが止まない。思わず下を向く。


「すまない天ヶ瀬…。お前の様な子供に、こんな重荷を背負わせてしまう不甲斐ない俺たちを許して欲しい…。だがお前に頼るしか無いのも事実だ」


 見れば榊原教官の拳も震えていた。これは恐怖というよりも、言葉通り、悔しさに震えているのだろう。


「どうか、頼む」


 突然立ち上がったかと思えば、軍人の様な美しい姿勢で腰を曲げ頭を下げる榊原教官と藤原教官。


「ちょ、やめてください!そんな事しなくてもやりますから!」


 その言葉に、頭を上げた二人の教官の顔は悔しさに滲んでいた。

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