7.この命、守る人のために
「そうだ!沙羅と母さんのとこに行かないと!!」
「こちらの施設はもうよろしいので?」
「うん。友達もいないし家族のほうが大事だ」
「では参りましょう」
立ち上がろうと膝に手をついた時、今までに感じたことのない疲労感が襲う。それもそのはず、真剣を手に自分を殺そうとしてくる魔物と戦ったのだ。
「くそ、早く行かないと…」
「主殿、手を」
「ありがとう」
差し伸べられた燈華さんの手を取り立ち上がり、顔を見合わせてから走り出す。
「ところで主殿は運動があまり得意ではないようにお見受けいたします。良ければ私がおんぶいたしますが、いかがいたしましょう?」
「はぁっはぁっ。頼む…」
「お任せを」
体がぐいっと持ち上げられ燈華さんは軽々と俺を背負い、膝を軽く曲げる。
「参ります」
次の瞬間、視界が一変した。
風が頬を切り裂くように流れ視界がゆがむ。木々が残像のように流れ、景色はただの線と化していく。まるで重力すら振り切ったかのような、尋常ならざる疾走感。
「っ——はや……!」
言葉が風にかき消される。人間の足では到底出せぬ速さ。馬すら霞む異次元の脚力。まるで空を駆けるような感覚に、俺は必死に燈華さんの肩へ必死にしがみついた。
「少し速度を落としますか?」
余裕すら感じる声に俺は絶句する。筋肉の爆発するような動きと地面を蹴るたびに響く衝撃音。そのすべてが自分とは別次元の生物であることを物語っていた。
風圧に耐えながらなんとか言葉を発する。
「い、いやこのままでお願いします!」
「かしこまりました」
そういうやいなや、燈華さんは地を蹴り次の瞬間には目的地である俺の家が見えてきた。
「……嘘だろ」
自分の目を疑った。嘘であってほしいと願った。学校のことなんかすぐに見捨ててこっちに来るべきだったと後悔した。
俺の家はただのがれきの山と化していた。
燈華さんが地面に着地するかしないかのタイミングで背中から無理やり転げ落ちる。焦る気持ちがまた俺の心臓を痛めつける。
「沙羅!母さん!!あぁ、頼む、頼む頼む!」
どうかここには居ないでくれと願いながらがれきを少しづつどけていく。
「主殿。あちらから微量な魔力反応がございます。しかしそれが主殿のご家族かどうかは――」
「案内してくれ!」
「こちらです」
燈華さんは、かすかな音も逃すまいと大きな耳をぴくぴくとあらゆる方向に向けながら走り、俺もそれに続く。
今朝の穏やかな通学路とは打って変わって瓦礫の山と化した道を呆気にとられながら走り続ける。焦げた空気。倒壊した建物。赤黒い汚れがこびりついた地面。今朝までと何もかもが違う。
ここはいつも通りの通学路だった。パン屋の甘い匂いが漂い、道端では子供たちがはしゃぎ、大人たちが笑顔で行き交っていたはずだ。それが今はどうだろう。
石畳はひび割れ、店の看板は吹き飛び、瓦礫に埋もれた屋台が無惨に崩れている。ついさっきまで人々が賑やかに話していたはずの場所は、今は異様な静寂に包まれていた。
焦燥感が俺の胸を締めつける。
「主殿!あそこです!」
燈華さんが指さす方向には見慣れた制服を着た沙羅が俯きながらも魔法壁を展開していた。そしてその先には人間の倍ほどあり筋骨隆々の鬼が今にも沙羅に拳を振り下ろそうとしていた。
沙羅もあまり魔法がうまく使えなかったはずだ。あの一撃を食らうのは絶対にまずい。
「やめろぉ!」
無理やり前に入り込み、拳を受け流そうと試みるが、未熟者の俺では勢いを殺しきることができずに受けた左半身が麻痺したかのような感覚を覚える。
「ぐぅっ…!!沙羅!逃げろ!沙羅!!」
筋肉の塊のような魔物から目を離すことはできないが、後ろでは今も沙羅が動く気配がしない。
「主殿!」
「大丈夫…!」
足を怪我しているのかもしれない。できるだけ沙羅から遠ざけ、魔物の標的が俺になるように、重たい一撃を食らわないように必死に逃げ回る。
戦闘の音に気付いたのか、周りには小型の魔物が学校の日にならないほど集まってきていた。
「燈華さんは周りの小型をお願いしてもいいですか?」
「もちろんですが…あの鬼は今の主殿では…」
「あそこまで数が多いと一人で捌ける自信がないんです。俺は燈華さんが戦い終わるまでこいつを何とか抑えておくので、なるべく早く加勢してください」
ダサいことを言っているのはわかっている。だがそんなこと今はどうでもいい。
「承知いたしました。あの魔物はクラッグ・オーガというかなり硬い鬼ですが関節や目は柔らかいはずです。健闘を祈ります」
早口であのクラッグ・オーガについて説明していた燈華さんはひとっ飛びに小型の魔物の群れへ突っ込んでいく。
情けない話だが一人になった途端不安が押し寄せる。
それでも、後ろに沙羅がいる以上逃げ腰になっている場合ではない。学校のやつらとは違う、命をなげうってでも助けなければいけない対象だ。
地響きが鳴った。
クラッグ・オーガが巨体を揺らしながら拳を振り上げる。大岩のような腕が陽を遮りそのまま地面へと叩きつけられた。瞬間、土煙とともに衝撃が広がり、足元がわずかに沈む。
「ッ……!」
ギリギリのところで跳び退ったものの爆風で体勢を崩される。クラッグ・オーガは一歩踏み込むだけで地面が抉れるほどの圧を生み出し、その重い一撃に反して驚異的な速度で次の攻撃へ移行していた。
「反則だろっ……!」
息を荒げ、すぐさま刀を構え直す。だが、クラッグ・オーガはすでに次の一撃を準備していた。
「投げる気か!?」
巨躯の魔物が片腕を振りかぶる。その手には拳大の岩があった。砲弾のように放たれたそれは、空を裂く轟音とともに一直線に飛んできた。強烈な死の予感に腰が引け、がれきに足を取られて転んでしまう。
運のいいことに瓦礫に躓いたことで大岩が鼻先をかすめる程度ですんだ。
「ッぐ……!」
だがそれは相手に大きな隙を見せることに他ならない。クラッグ・オーガは地を蹴り、巨体とは思えぬ速度で肉薄し、そのまま蹴りを放つ。
俺は横へ跳び転がるり数瞬前にいた場所からは爆発音が響き渡る。
「クソッ……! 力が違いすぎる……!」
勝てる気がしない。正面からの一撃を食らえば、身体が粉砕される。ならば、まともにやり合うのではなく――
「落ち着いて、相手の隙を狙う……!」
膝を狙う。あるいは関節。だが、そのためには一撃をかわせなければならない。
クラッグ・オーガが再び拳を振り上げる。そのまま地面を叩き割る衝撃が来る。そう思った瞬間、俺は逆に前へ踏み込んだ。
「――!」
真下へ滑り込み、オーガの拳が地を砕くよりも早く、渾身の力で日本刀を振り抜く。狙うは膝の裏。
刃が食い込み、黒い血が飛び散る。
「グオオオオオオッ!!」
オーガが咆哮し、バランスを崩す。その隙に俺は起き上がり再び間合いを取る。しかし次の瞬間にはクラッグ・オーガの腕が、地を滑るように薙ぎ払ってきた。回避が間に合わず身体が弾き飛ばされる。
「おぇぇっ……!」
視界が回転し背中を強く打ちつける。肺の空気は抜け意識が飛びかける。体中の骨が今にも粉々に砕けてしまいそうな程に痛む。しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
「……立て……!」
呻きながら膝をつく。クラッグ・オーガの膝には深い傷が刻まれているものの、まだ健在だ。今度は殺意に燃えた目でこちらを睨んでいる。
「化け物め……!」
歯を食いしばる。次の攻撃が来る。今度は真正面からの拳の連撃。
横へ転がりなんとかかわす。だが一撃一撃が地面を砕き避けるだけで精一杯だった。
このままじゃジリ貧だ。呼吸を整える。オーガの攻撃には隙がある。一撃の重さゆえに、振り抜いた直後に動きが止まる。その瞬間を狙えれるようになれば。
オーガの拳が振り下ろされ、今度は大げさに躱さずにギリギリで避ける事を試みる。
頬の横を通り過ぎる高速の拳。今避ける事ができたのは完全に運がよかっただけで全く目で追えず、拳が地面についた音と衝撃でやっと頬の横を通ったのだと認識できた。
腰がひけつつも何とか刀を振り、腕に命中させるも硬い皮膚に阻まれ致命傷どころか少しの傷もつけることができていない。
クラッグ・オーガの拳が再び地面を叩きつけ激しい衝撃波が巻き起こる。砕かれた石片が弾丸のように飛び散り、俺の肌をかすめた。
「……ッ!」
反射的に後退し、距離を取る。だが、オーガはすでに次の攻撃に移っていた。
「グオオオオオ!!」
怒号とともに繰り出される横薙ぎの拳。まるで巨木が襲いかかるような重さと速さ。
紙一重で身を低くし、避ける。頭上を吹き抜けた風圧で髪が揺れる。しかしオーガの攻撃は止まらない。今度は踏みつけだ。岩のような足が振り上げられ、俺めがけて落ちてくる。
「避けろ避けろ避けろッ!」
瞬時に横へ跳び地面を転がる。次の瞬間、轟音とともに地面が砕けた。粉塵が舞い上がる中、オーガの足が地面にめり込んでいる。
今しかない。
「……ッ!」
刃を握りしめ、一気に踏み込む。狙いは先ほど深手を負わせた膝。この巨体を支える支点だ。
居合のように放った一閃が、オーガの膝裏を斬り裂いた。
「グオオオオオオオッ!!」
オーガが苦痛の咆哮を上げる。その巨体がぐらつき膝をついた。
「まだだ……ッ!」
さらに踏み込みもう一撃を放つべく刃を構える。しかし、オーガの腕が素早く伸び、鈍い衝撃が腹を襲う。吹き飛ばされ、地面を転がった。
「がっ……!」
肺の空気が押し出され、視界が揺らぐ。全身が軋む。
必死に膝をつき、荒い息を整える。オーガは膝をついたままだが、なおも殺意に満ちた目でこちらを睨んでいた。
残る力を振り絞り、低く構える。オーガが再び拳を振り上げたその瞬間、俺は地を蹴った。
突進。オーガの拳が振り下ろされる直前、その懐へ飛び込む。
「……喰らええええッ!!」
渾身の力を込め、刀をオーガの喉元へ突き立てる。