63.市街地V
日がわずかに傾く頃、全員が基地の正門前に整列していた。
台の上に上がった御影隊長が、全員を一瞥し、口を開く。
「市街地V、中央区。エルグ=デザイアの発生地点に最も近い地点だ。今から我々はそこへ向かい、討伐作戦を決行する」
御影隊長の声が、静かに、だがはっきりと隊員たちの胸に届く。
「作戦は四段階に分けて遂行する」
背後の車載スクリーンに、立体図が展開される。魔物の位置、市街地の構造、各班の展開経路が視覚的に示されていた。
「第一段階、“魔力断絶”。魔力封殺兵器を使用し、エルグの魔力行為を遮断する。中心から放射されている魔力の流れ——その根本を断ち切ることで、“霧”と干渉の発生を抑える」
隊員たちが無言で頷く。
「第二段階、“幻覚突破”。幻覚魔法への耐性を持つ出雲基地隊が先行、敵の触手を排除しながら本体へ接近する。お前たちが道を切り拓く鍵だ」
一部の隊員の視線が、出雲基地隊隊員の背中に集まった。
「第三段階、“触手制圧”。市街地全域に張り巡らされた触手群へ、各班を分割投入する。触手は死骸から魔力供給を受けている。これを破壊することで、エルグの魔力循環を崩壊させる」
御影隊長の声が徐々に熱を帯びていく。
「そして第四段階、"核撃侵攻"。天ヶ瀬隊員がエルグ=デザイア本体へ最後の一撃を叩き込む。作戦の要である天ヶ瀬隊員は、陣形の中央でその時を待て」
少し間を置いてから、御影隊長は口元にわずかな笑みを浮かべる。
「この任務は、前例のない困難を伴う。霧に覆われ、姿も定かでない魔物を討つなど、常識では不可能だ。だが我々は、その常識を壊すためにいる。そうだろう?」
隊員たちの表情が引き締まる。次の言葉を待っている。
「いいか。これはただの作戦じゃない。これは、人類が未知の魔物と戦う“型”を作る一歩だ。お前たち一人ひとりが、その礎になる。恐れるな。過去の英雄じゃなく、お前たち自身が未来を形づくるんだ」
沈黙のあと、全員から「了解!」の声が上がる。
高まる士気。その熱が、夕陽を浴びた基地の正門を染める。
御影隊長が力強く叫んだ。
「これより、エルグ=デザイア討伐作戦を開始するッ!」
車両のエンジンが一斉に点火される。
各班が乗車を完了し、車列がゆっくりと動き出した。タイヤが土を蹴り上げ、列をなして市街地へと進軍していく。
移動車両の中、誰も言葉を発しなかった。
車内には、張り詰めた静寂が流れている。ただエンジンの振動と、遠ざかる基地のノイズだけが、かすかに耳を打っていた。
隊員たちは、それぞれの持ち場で装備を確認し、呼吸を整え、視線の交差すら憚られるほどの緊張がそこにはあった。
そして、車内に低く電子音が鳴り、御影隊長の声が通信を通じて響く。
「全隊、最終戦術行動に移行する。第一段階、開始」
その一言に、空気が変わった。
車両の一つが停止し、屋根上に格納されていた展開ユニットが駆動を始める。重厚な駆動音と共に、魔力断絶兵器が、ゆっくりと姿を現す。
淡く脈打つ六枚の展開板。中心には青白い光核がうなりを上げ、周囲の空間を歪ませていく。
誰一人として、目を離さなかった。
「目標、エルグ=デザイアを座標に固定」
技術員の声が緊迫の中で流れ、各車両の隊員たちが一斉に動く。干渉装置を展開し、妨害波を打ち消すための術式を起動。幻覚の侵食を防ぐ結界を、互いに重ね合わせていく。
《エーリッド》の照準コアが、ゆっくりと中心に収束していく。
誰かが、無意識に息を止めた。
「座標確定。魔力断絶砲、展開可能」
御影隊長が、高らかに命令を下す。
「撃てぇぇぇ!」
その瞬間、光がすべてを飲み込んだ。
青白い奔流が大気を裂き、目に見えない網のように世界を覆っていく。
光が届いた瞬間、エルグ=デザイアを囲うように渦巻いていた霧が、裂けるように退きはじめた。
まるで、天を覆う呪いが剥がれていくように。
震えるほどの静寂が、辺りを包む。
耳を塞いでも聞こえてくる、世界が軋む音。まさに未知を切り裂く瞬間だった。
誰も口を開かない。ただその光景を、見届けていた。
やがて、ゆっくりと光が収束し、《エーリッド》の発光が止まる。
霧の海が、跡形もなく消えた。
そして、沈黙を破ったのは、化学班長の落ち着いた声だった。
『目標座標、魔力反応の著しい減衰を確認。第一段階、成功です!』
『全隊、次行動に移れ!』
その言葉とともに、全員が一斉に動き出す。
緊張は、まだ終わらない。
だが確かに、ひとつの壁を越えた感覚があった。
車両が停止し、技術班・化学班を残して隊員たちが次々に地面へと降り立つ。
空気が変わる。誰もが感じた。
足元の大地から伝わる微細な震動、遠くから響いてくるような、生物とも機械ともつかぬ蠢き。その中心に、奴はいた。
エルグ=デザイア。
市街地の向こう、黒く崩れたビル群の中央に、確かにそれは存在していた。
艶やかに濡れた黒い表皮は濡れた革のように光を反射し、筋肉の束を思わせる複雑な構造が、無数に蠢いている。
体表は滑らかで、硬質な外殻の代わりに弾性のある皮膜で覆われていた。その皮膜の内側を走る、血管のような赤い脈動が、全身に生命を巡らせている。
背部からは長くしなる器官。羽のようにも見えるが、明らかに飛行目的ではないものが、ぬめりを纏って展開された。
神経のような模様が走り、空気を震わせながら無数の触手を四方へと広げ、空すら染める黒紫の霧を纏っている。
まだ進化する可能性はあったが、その姿は前と変わらない。
『目視確認、全員、前進隊形!魚鱗陣を展開!』
御影隊長の指示が全体通信で響く。
即座に、隊が動いた。各小隊が斜めに配置され、中央に向けて扇のように広がる陣形。それは敵の波状攻撃を分散させ、中央突破の力を最大化する布陣。地形を読んだ御影の的確な判断だった。
『全隊、突撃!目標はあくまで中心、霧の結界の核だ!!』
言葉が終わるより先に、銃火と魔力の奔流が走る。
前方から迫る黒き触手が、空を薙ぎ払うように振り下ろされた。裂帛の勢いで風圧すら生むそれを、先陣の隊員たちが迎え撃つ。
「魔弾・紅牙!」
「三時方向、触手上昇!斬り伏せろ!」
魔力による誘導弾が触手の付け根を撃ち抜き、焼け焦げた断面から黒い体液が噴き上がる。続けざまに、前列の隊員が巨大な鉈剣を振るい、地面から突き出た触手を一刀両断する。
「下から来るぞ!注意しろ、足元を取られるな!」
瓦礫の隙間を割って現れる、うねるような細長い触手が足を狙って襲いかかる。しかし、それすら見越していたかのように、地面を叩くような詠唱が響いた。
「氷縛!」
地表が一瞬で凍結し、出現した触手を束ねて拘束する。その隙に、斧を手にした隊員が一直線に駆け抜け、振り下ろした一撃で触手ごと瓦礫を断ち割った。
空中では、迫り来る触手を、後方の魔法使いの魔法が撃ち落とし、肉塊を降り積もらせている。
敵は無尽蔵。触手は次から次へと現れ、倒れてもすぐに再生してくる。だが、それでも。
『進め!撃ち落として、進めぇぇぇッ!』
御影の怒号がが飛び交うや否や、空気が凍りついた。
エルグ=デザイアの全身がわずかに脈動した瞬間、空が染まった。
触手だ。
天を覆い尽くすほどの数。細く、長く、そして異常にしなやかな異形の腕が、嵐のようにうねり、真っ直ぐに出雲基地隊へと襲いかかってきた。
まるで怒りを買ったかのように。
まるで、隊の陣形と隊長の号令に、敵が反応したかのように。
『来るぞ! 全隊、散開しながら迎撃!』
だが、速度が違った。これまでの触手とは段違い。ただの遮蔽物破壊や足止めではない、殺意が乗っている。
「っ、速い!盾部隊、前へ出ろ!」
先頭を走る隊員の一人が、空中から叩きつける触手を寸前でかわすが、その直後、横合いから薙ぎ払われ、空中に吹き飛ばされる。
「御影隊長、正面から突破は無理です!数が……っ、あまりにも……!」
だが、止まることは許されなかった。いや、止まれなかった。
次々に押し寄せる触手の波に対し、隊員たちは応戦を続けた。撃ち、斬り、燃やし、凍らせる。
出雲基地隊の手に負えないところでは、次第に幻覚に飲まれる犠牲者が出はじめる。
盾ごと叩き潰される前衛。瓦礫に激突して動かなくなる魔法使い。断末魔が通信の向こうに響いても、誰も振り返ることはなかった。
後方から放たれる支援魔法が、ぎりぎりで隊列を支えていた。雷撃が、炎が、地を這う氷の刃が、迫る触手を打ち払う。
それでも、敵は止まらない。
『やれる!もう少しで中心に届く!!』
御影隊長の声が、叫ぶように全体へ響いた。
瓦礫を蹴り上げながら、出雲基地隊は陣形を保ち、少しずつだが確実に前へ進んでいった。血と叫びと咆哮に塗れながらも、視線はひとつの場所に向けられていた。
その先に、核が見えた。
エルグ=デザイアの足元。以前対峙した四足の魔物の残骸、その胸部の裂け目から、内臓のように覗く紅く脈動する発光体。
誰の目にも明らかだった。そこが核だと。
真紅の輝きが、濃く、濃く、脈動する。
あれが、あれこそが、この禍々しい生命体の中心。
『御影隊長!核と思しきものを発見しました!!』
『囲め!全隊、囲むように展開!』
御影の指示に、隊が一斉に動く。残った兵力すべてが、まるでひとつの意志に動かされるように、エルグ=デザイアの周囲に陣を敷く。
崩れかけたビルの影、割れた道路、血の染みた瓦礫の丘――そのすべてから、隊員たちが銃と魔術と刃を構えた。
『誰でもいい!核を壊せぇぇぇッ!!』
その号令と同時に、全員が動いた。
魔法が火花を散らし、剣が肉を断ち、銃声が空気を裂いた。
兵士たちのすべての力が、今、紅く輝くそれへと集約される。
そして誰よりも早く、瓦礫を跳ね上げながら中央へと飛び込んだ影があった。
「っ……うぉおおおおおおおおおおお!!」
叫びと共に飛び出したのは、第一突撃小隊副隊長・鳴瀬だった。
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