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60.その幻を超えて

「はい。あなたたちの幻覚魔法についてです。今回の作戦は、その幻覚魔法をどう使うかによって戦局が大きく変わる、ような気がしているんです」


 リーダー格の隊員、烏丸(からすま)と名乗る男が腕を組んだまま少し眉を寄せた。


「幻覚魔法、ね。それについては俺たちも聞きたいことがあった」

「俺がなぜ幻覚魔法を使えるか、ですか?」

「そうだ」


 予想していた質問だった。だが、答えるには覚悟が要る。ここで誤魔化せば、訓練で築いた信頼も崩れるだろう。


 俺は一瞬、逡巡した後、言葉を選ばずに口を開いた。


「俺も幻覚を操れます。ただし、それは魔法ではありません。正しく言えば、俺のは幻術です」


 一瞬、空気が張り詰めた。


「幻術?それは、俺たちの使う幻覚魔法と何が違う?」


 烏丸の問いに、俺ははっきりと答える。


「魔法よりもずっと精緻な魔術紋の作成と、魔力の繊細な操作が求められます。その分、より深く対象の精神に干渉できる。強力な術です」


 そのとき、訓練場でも俺に食ってかかってきた隊員が一歩前に出てきた。鋭い目を俺に向け、言葉を投げつける。


「なんだよ。自分のほうが高度な技術使ってるって、俺たちを見下してるのか?」


 声に怒気はあったが、俺は怯まなかった。


「違う。俺はむしろ、あなたたちを尊敬してる。誰かに教わることもなく、自力で幻覚魔法に辿り着いた。それは、間違いなく努力と才能によるものだ」


 その言葉に、彼の表情がわずかに和らぐ。


「だからこそ、共に高め合いたい。幻術と幻覚魔法、互いの特性を理解し合って、あの魔物に幻をかけられたくらいで崩れるような隊じゃなくする。最強の“対幻部隊”を作りたい」


 沈黙が落ちた。だが、その沈黙は拒絶のものではなかった。


 誰かが小さく息をつき、呟いた。


「高め合う、か。どうやって?」


 俺は静かに答える。


「まずは、俺の幻術を受けてもらう。それに幻覚魔法で対抗してもらう。その逆も然り。ぶつけ合って、耐性と精度を鍛える。実戦形式の模擬戦です」


 烏丸が腕を組んだまま、深く頷いた。


「理屈は通ってるな。実に合理的だ」


 女性隊員が笑うように口を開いた。


「面白いじゃない。競技大会で見たあんたより、今のあんたの方が私は好きよ」


 そして、烏丸が声を張る。


「全員、装備点検。魔力調整も済ませておけ。ここからは模擬戦ではなく、戦場の訓練だ。天ヶ瀬隊員。あんたの幻術、徹底的に見せてもらおう」


 俺は頷き、静かに目を閉じる。


 呼吸を整え、意識を深層へと沈める。


「了解しました。だが、手加減はしません。本気でいきます。覚悟はいいですね?」


 そして、俺は再び右手を掲げた。


 影が揺れ、空気が張り詰める。


「影に溶けよ、意識を見出せ……幽欺」


 新たな訓練が、始まる。


 軽く目を閉じ右手を前に出す。空気が静かに張り詰めていくのが感じ取れた。


「影に溶けよ、意識を見出せ、幽欺」


 瞬間、世界が歪む。俺の意識が術式と繋がり、周囲の空気を塗り替える。見る者の知覚そのものを誤認させる、深層への干渉。対象は八人全員だ。


 最初に異変を起こしたのは、左端にいた男だった。顔をしかめ、よろめくように地面を踏みしめたかと思うと、突然大声を上げて叫んだ。


「お、おい…地面がッ!」


 そう、彼の視界では足元が崩れ、底知れぬ深淵が開いていた。周囲は一切変わっていないはずなのに、彼の脳は「落ちる」という錯覚に支配された。彼は必死に地面にしがみつき、全身を震わせていた。


 次に、中央にいた隊員が何かを殴り始めた。空を、だ。だが彼には、全身を這い回る無数の虫が見えていた。皮膚の下に潜り、耳の奥で蠢き、息を吸うたびに体内に入ってくる。そんな「感覚」も付与している。


 他の隊員も、悲鳴や吐き気、混乱に次々と呑まれていった。


 ある者は視界が回転し、天地が逆になって立っていられなくなった。ある者は音が歪み、仲間の声が脅迫の叫びに変わり、パニックを起こした。色覚、聴覚、重力、平衡感覚、温度、呼吸。生きていることに関わる「基盤」を、一つずつ狂わせていく。


 数分と経たないうちに全員が倒れ伏し、呻き声だけが残った。


「…起きてください」


 バケツの水を浴びせる。氷のように冷たい水が、彼らの顔と服を濡らす。俺は淡々と、それを繰り返した。


 数秒後、誰かが息を荒げながら目を見開いた。


「な、なんだ!今のは…!」

「これが俺の幻術です」


 俺は濡れた床の中央に立ち、静かに言った。


「相手の幻覚はかなり強力なものです。事実、俺の仲間はあいつの幻に囚われ、未だ目を覚まさない」


 その意味を、ようやく彼らも理解し始めていた。


 苦しげに立ち上がる隊員の一人が、拳を震わせながら俺を睨んだ。


「この悔しさは幻覚魔法に込めさせてもらうぞ」


 次々に魔力の気配が膨らみ、八人全員が魔法を展開する。


 一人目、視界が白く染まり、吹雪の中に放り込まれたような感覚に襲われる。皮膚が焼けるように冷たい幻覚魔法。


 俺は即座に幻術を編み、熱を帯びた空間を重ねて相殺する。幻覚は崩れ、世界は再び静寂に戻った。


 二人目、巨大な影が現れ、俺に襲いかかる。恐怖心に訴える形の幻覚だ。だが、こちらもただの像だ。魔法を一部改変して打ち消す。


 三人、四人、五人……連続で浴びせられる幻覚魔法。錯覚、恐怖、錯視、騒音、異常な感覚。だが、すべてを見極め、上書きし、無効化する。


 彼らの幻覚魔法は確かに高い完成度を持っていた。だが、思考の外側から襲いかかる術とは違い、どこか理性が残っている。それが魔術との違いだ。


 全てを跳ね返し、俺は最後に言う。


「よくわかりました。幻覚魔法の完成度は高いです。あとは敵の幻にかかった時にどう対処していくかを知る必要がありますね。今から数時間、徹底的に鍛えましょう」


 息を切らせ、膝をついたままの隊員たちが、悔しそうに、だが闘志の籠った目で俺を見つめていた。


 訓練は、それから数時間続いた。


 俺が幻術を掛け、彼らが幻覚魔法で対抗する。次は逆に、彼らの幻覚魔法を俺が受け、魔術で打ち消す。そんな鍛え合いの応酬を、繰り返し、繰り返す。


 倒れれば水を浴びせ、魔力を絞り出して立ち上がらせた。互いに妥協はなかった。


 何度も意識を攪乱され、何度も己の術を打ち破られ、何度も悔しさに歯噛みする。それでも彼らは逃げなかった。逆に、幻術の構造に興味を持ち、工夫を凝らした魔法を返してくるようになっていった。


 少しずつだが、確かに強くなっていっている。


「……次」


 幻術を展開しようと手を掲げたとき、不意に一人の隊員が観念したような声をだす。


「もう勘弁してくれ…流石にそろそろ寝かせてくれないか」


 その言葉に、壁掛けの時計を見ると既に日付を超えていた。


「あ、すいませんっ!つい熱が入ってしまいました。今日のところは終わりにしましょう」

「あぁ、そうしてくれると助かる…」


深夜の隊舎は静まり返っていた。廊下にはぼんやりと灯りが灯り、訓練後の疲労感が空気に染みついているようだった。


 俺は風呂を軽く済ませ、割り当てられた部屋に戻った。簡素なベッドと小さな机、最低限の生活用品。贅沢ではないが、身体を休めるには十分だった。


 ベッドに倒れ込むと、全身がじんわりと沈み込んでいく。筋肉の奥から軋むような痛みが湧いてきたが、それすらも心地よかった。


 目を閉じると、訓練中の光景がまぶたの裏に浮かぶ。


 ──幻覚を打ち破り、俺の幻術を見抜こうとする彼らの目。


 その瞳に宿る光に、俺は確かな希望を見た。彼らならきっと、あの魔物の幻にも屈しない。そう思わせてくれる熱が、そこにはあった。


「……いい訓練だったな」


 呟きと共に意識が沈み、夢も見ないまま、俺は深く眠りに落ちた。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

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