58.胎動する悪意
基地の正門が見えたとき、俺はもはや走っていたのか、ただ倒れかけながら進んでいたのか、自分でも分からなかった。
一旦全ての召喚を解き、叫ぶ。
「門を開けてくれぇぇ!!」
怒声と共に、俺は正門へと突っ込む。魔物の気配を察知していたのか、既に武装した兵士たちが門の内側に集結していた。誰かが非常レバーを引き、重々しい金属の音を伴ってゲートがわずかに開いた。
「得意災害制圧部隊か!」
「応急班、急行!一名負傷者あり、呼吸微弱!」
怒鳴り声が交差するなか、俺は静奈を背負ったまま、膝をつくように門をくぐった。すぐさま白衣をまとった医療班が駆け寄り、ストレッチャーを差し出す。
「お願いします…!」
「待って!貴方も相当酷い怪我をしているじゃない!」
「俺は後でいいです!」
静奈の体が俺の背から離れると、どこか一部が空っぽになったような錯覚に襲われる。だが今は、倒れている暇などなかった。
「おい、誰か!隊長はどこだ!緊急報告がある!」
叫ぶと同時に、一般の隊員とは違い、黒の軍服に赤のラインが入った軍服を着た男。埼玉基地隊隊長である御影隊長が、部下を従えて姿を現した。
「何が合ったのか速やかに報告しろ」
傷だらけの俺の姿を見ても表情一つ変えない、氷のような隊長だ。
「報告します」
俺は息を荒げながらも、簡潔に、正確に事の経緯を語り始めた。
「市街地Vにて任務行動中、中央区付近で繭状の正体不明の物体を発見しました。接近して確認を試みたところ、そこから四足歩行の魔物と思しき個体が出現。即時、武器を構えて攻撃に移りましたが、対象は濃霧のような結界を展開し、こちらの攻撃が一切通りませんでした。その間、魔物は周囲の死体を次々に捕食する行動を継続。警戒を強めつつ攻撃を継続していたところ、突如、魔物の背中がひび割れ、別の新たな魔物が誕生しました。この時点で、二人では到底対応不可能と判断し、撤退を開始。しかし、複数の触手により体を貫かれ、さらに幻覚のような精神干渉を受けました。…自分は、自傷行為により幻覚からの脱出に成功し、ここに戻ってきた次第です。推測ですが、あの魔物はまだ成長段階にあると見られます。このまま放置すれば、さらに厄介な存在へ進化する可能性が高いと考えます。一刻も早い対応が必要です。以上」
御影隊長は沈黙のまま数秒、まるで言葉の裏にある何かを計るように俺を見つめる。そして、一歩前に出て、低く鋭い声を発した。
「……正確な発見地点は?」
「中央区旧市街地、第三電力変電所跡地の北側。座標は…」
即座に、記憶していた地図情報を口にし、詳細な数値を述べた。
「周辺は瓦礫と廃材が積もっていて、視界が非常に悪いです」
御影は頷きもせず、次の質問を投げる。
「初期に出現した個体…四足の魔物だったか。形状と特徴を説明しろ」
「はい。全長はおよそ一メートル前後、頭部から尾にかけて甲殻に覆われた外殻を持ち、黒色から赤褐色のグラデーション。動きは…わかりません。一歩の動くことがありませんでした」
喉を鳴らして言葉を整える。
「なるほど……」御影は片眉をわずかに上げると、続けた。
「次に生まれた個体はどうだった。明らかに別の種か?」
「……はい」
思い出すだけで背筋が冷えるのを感じた。
「背中から割れるようにして出てきました。サイズは一回り程大きく、より長く太くなった触手で立ち上がったときには人の倍ほどの高さがありました。外見的な共通点はほとんどなく、変異、あるいは脱皮のような段階的な進化であると見ています」
「……ふむ」
御影は顎に手を添えて一瞬だけ思案したが、すぐに冷静な口調で次の問いを重ねた。
「お前が成長段階と断定した根拠は?」
「殻から出でもなお、私たちや他の魔物に触手を伸ばしておりました」
俺は確信のある声音で答える。
「あれは完成形ではない。むしろ、周囲から死体を吸収することで、自らを成長させていたように見えます」
御影の目が細くなる。最後の問いを突きつけた。
「幻覚の影響は今も残っているか?何か変調や自覚症状は?」
「私にはありません。ですが静奈は、依然幻覚に囚われたままかと思われます」
御影はその答えを聞き終えると、ようやく重々しく頷いた。
「お前たちの任務は、正体不明の魔力反応体の調査・制圧だったな」
「……はい」
制圧せずに戻って来たことを問い詰めてくるのだろうか。
「…よく生きて戻ったな。報告は記録として提出しておけ。状況から判断するに、これは通常任務の域を超えている。上層部に即時報告を上げる」
「え…?」
「どうした。何か不満があるか?」
「いえ、なにも」
その声にはわずかながら、部下への信頼と警戒の両方がにじんでいた。
「それと、天ヶ瀬隊員。私がこの件を報告すれば、緊急対策会議が承認されるだろう。それには参考人として参加してくれ」
「はい、承知しました」
御影が背を向け、通信端末へと歩み出ると同時に、俺はその場で軽く頭を下げ、退出する。
提出書類の整備は後回しだ。今、確認すべきことがある。
「……静奈は、医療ブロックはどこに?」
廊下を歩いていた若い隊員に声をかけた。見慣れぬ顔だが、埼玉基地の識別章をつけている。
「先ほど運ばれた赤髪のひとですか?」
「そうです」
「医療ブロックの第三区画にあります。さっき搬送されたばかりで、意識はまだ…」
そこまで聞いた瞬間、足が勝手に動いていた。
医療ブロックまではそれほど距離はない。通路に設けられた簡易シャワーをすり抜け、手早く血痕と砂塵を払うと、備えつけのスキャンゲートをくぐる。防衛施設とはいえ、医療区画は静けさとわずかな薬剤の匂いに包まれていた。
自動ドアがスライドし、白く冷たい空間に足を踏み入れる。
すぐに見つかった。診察室のベッドに、静奈が横たわっている。
その身体には目立った外傷はなく、呼吸も安定しているようだったが、表情が、あまりにも無防備すぎた。
まぶたは閉じられ、眉間にかすかな皺を寄せたまま。苦しんでいるわけではない。だが、それは明らかに「現実にいない何か」と向き合っている表情だった。
「……静奈」
声をかけても、彼女のまつげは一切動かない。
そばにいた看護担当らしき人物が気配に気づいて振り返った。
「現在、心肺機能に影響はありません。しかし脳波は通常よりも活発で、今は夢の中で戦っているような状態に近いかと」
「治療は……?」
「ショック療法は逆効果の恐れがあります。少しでも安心できる声や存在が近くにいるほうが回復の兆しを見せやすいかと」
その言葉に、俺は何も言えず、ただ静奈を見つめるしかなかった。
いや、やれることが一つだけある。静奈の額に手を当てる。
「幽欺」
静奈の見る幻覚に違和感を持たせ、そこが幻覚であると自認できるように促すための幻覚を見せる。
しばらく試していたが、効果がないのか静奈に変化は見られなかった。
「くそっ…。力不足だな…」
静奈の前から動けないまま、俺はただ、口の中でその名を繰り返す。
「……静奈。お前は、戻ってこれるよな」
それは祈りだった。戦いのあとに残る、取りこぼしたものへの祈り。
静奈のそばを離れがたい想いを押し込め、俺は医療ブロックをあとにした。隊員として、いま為すべきことはまだ残っている。
数十分後。俺は埼玉基地の地下階にある作戦会議室へと足を運んでいた。
重厚な扉が閉じられた空間。円卓を囲むように複数の高官たちが集まり、各部隊の代表が着席している。黒を基調にした制服の中で、俺だけが汚れた装備のまま、場違いな存在だった。
だが、ここにいるのは俺が「実際に対峙した」からだ。御影隊長から直接、会議参加を命じられた。
「本件は、正体不明の魔力反応体による想定外の被害と、それに伴う二次災害の恐れがあるため、上層部より正式な緊急対策会議として承認された」
御影が口を開く。背筋の伸びた姿勢のまま、落ち着いた声が室内に響く。
「ここにいる天ヶ瀬隊員は、第一発見者であり、交戦・生還した唯一の者だ。以後の対応方針に関して、実戦報告および推定情報を提供する参考人としてここに同席させる」
その場にいた者たちが一斉にこちらへ視線を向けた。
鋭い眼差し。中には疑念も、苛立ちも混じっているのがわかる。
だが、恐れている暇はない。俺は一歩前へ出て、背筋を伸ばした。
「……改めて、天ヶ瀬と申します。今回、正体不明の魔力反応体と直接交戦し、仲間の火野隊員と共に現場からの帰還を果たしました」
周囲の空気が硬い。だが、御影がすぐに後を引き取る。
「詳細な報告書は既に提出されている。ここでは、当人の口から直接、質疑に応じさせる。質問がある者は挙手を」
すぐに一人、軍服の襟に銀の階級章をつけた年配の男が手を挙げた。
「吸収という表現があったな。死体を利用して変異・成長していたと、そう報告しているが、それは確定事項か?」
「いえ、確定ではありません。しかし…」
俺は言葉を切り、目を閉じてあの光景を思い出す。
「少なくとも、死体が喰われ、別の個体へと変態したのは事実です。魔物の触手は、執拗に死者のコアを貫いて、吸収していました。生物的というより、意志を持って魔力か何かをを奪っていた印象です」
数名の高官が顔を見合わせた。そのなかの一人が、吐き捨てるように言う。
「つまり、その魔物は成長する兵器ともなり得るというわけか」
「はい。放置すれば、私が見たものよりもより凶悪に変態する可能性もあります」
会議室の空気が重くなる。誰も軽々しく口を開こうとはしなかった。
明日から投稿時間を夜の20時頃に致します。