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46.平穏という名の備え

 あの日の帰還から、すでに三日が経っていた。


 俺たちは特に隔離されるわけでもなく、かといって任務が与えられるわけでもなかった。ただ、組織の人間たちは明らかに俺たちの扱いに困っている様子で、誰も干渉してこない。


 まるで「触れたら不幸になる」とでも思っているかのような距離感だ。


 だが、俺たちはそれを不満に思ってはいなかった。むしろ、この静かな時間を、少しだけありがたくすら感じていた。


 そして今日も、朝から中庭で体を動かしていた。


「一、二、三……」


 木剣を握り、ゆっくりと型をなぞる。旅の途中で叩き込まれた癖が、体に染みついている。


「透真。一応基地隊司令には報告してきたよ。あっちの世界のこと。かなり懐疑的な目で見てきたから信じてもらえてないかもしれねぇけど」


 朝から隊服に身を包みどこかへ出かけて行ったと思ったら、先日の報告のために呼ばれてたらしい。


「魔王のことは?」

「ブローチ見せて、和平の誓いを結んできたとは言ったけど、どうだかなぁ。あたしら問題児だし。てかこんな時間から訓練してたのか?」

「こうして体を動かしてないと落ち着かなくてさ」

「だよなぁ。旅の間、毎日こんなんだったもんな」


 静奈が肩を回しながら笑い、いつもの様にお互い真剣を使った実践形式での訓練を提案され、小さく頷いた。


 異世界を歩いた日々は、常に命のやり取りと隣り合わせだった。気を抜けば死ぬ。仲間を失う。そんな日常のなかで、剣を振ることと、魔力を保つことは生きるための必須だった。


 それをやめることのほうが、今は怖かった。


 遠くで、俺たちの訓練を見ていた若い隊員が、ぽつりと呟いたのが聞こえた。


「戻ってきたと思ったら、普通に訓練かよ。何者だよ、あの二人…」


 まるで化け物を見るような視線。でも、構わない。


 型を終えて深呼吸する。空気は冷たいが、どこか懐かしくもある。


「次の命令、いつくると思う?」

「さぁな。予想外すぎて誰も指示出せないんじゃねーの?」

「ありそう」


 笑い合って、再び構える。剣を振る。拳を打ち込む。


 今日も、俺たちは誰に言われるでもなく、訓練を続けていた。


 身体が鈍らないように。心が折れないように。そして、いつかまたあの世界と繋がってしまったときのために。


「そうだ透真。あたしにも幻術かけて戦ってくれよ!」


 大剣を背に立てながら、静奈が目を輝かせて言った。俺は少しだけ眉をひそめて答える。


「いいけど、多分訓練にならないよ?」

「いいからいいから!一度受けてみたかったんだよ。ほら、早く構えて」


 静奈はすでに構えの姿勢に入っていた。踏み込みの距離を計っているのか、じり、と足をすべらせてくる。


 俺は仕方なく、小さく息を吐いて、指先に魔力を集中させる。


「幻術使うから木剣にしようか。じゃあ、いくよ。簡単なやつから」


 指を鳴らした瞬間、世界がゆらりと歪む。周囲に薄い霧のような気配が立ちこめ、鳥取基地の中庭がほんのりと異世界の森のように変わる。耳鳴りのように聞こえる風の音、見えないはずの影が背後をかすめる。


 静奈は最初の一瞬、視線を泳がせたが、すぐに気配を読み取り、木剣を振るってきた。


「うわ幻術ってこんな感じなのか!視界と気配がズレてる感じだな」

「俺の本領はまだまだこんなんじゃないよ!なんたって燈華仕込みだからね!」


 俺も木剣で応じながら、さらに幻を重ねる。今度は足元に、敵の幻影を複数配置した。どれが本物か、見分けがつかないような。しかも俺の姿も魔物として見えているはずだ。


 静奈の呼吸が少しだけ荒くなる。だが、怯む様子はない。


「これが、透真だろッッ!」


 的確に幻影を見切って斬り込んでくる。木剣が俺の防御を揺らした。


「まったく、自信無くすよ…」

「へへ。次、もっと強くしていいぞ!」


 言われた通り、強度を一段階上げる。今度は音を誤認する幻術を混ぜ、背後からの足音、右側から誰かの声、さらには自分の心音を増幅するようなノイズを走らせる。


 静奈の動きが一瞬止まり…すぐに適応した。


「うわ、これはまずい。でも…楽しいなぁ!ハラハラするぜ!」


 木剣が鋭く突き出される。反応が追いつかないほどの速さ。


「このバトルジャンキーが!さらに上げるぞ!」


 次の瞬間、周囲を炎上する戦場に変わった。焦げる匂い、燃え盛る木々、爆ぜる音、そして、敵の幻影が五体、包囲を組んで迫る。


 俺も本気になり、戦場を演出する幻術を何重にも重ねた。息が切れる。魔力を削るのがわかる。


 それでも、静奈は臆さない。幻に目を惑わせず、体の感覚を研ぎ澄まし、実体を俺の存在を追ってきた。


「そこか!?」


 肩に木剣がかすった。俺が一歩退いた瞬間、静奈がにやっと笑った。


「おい!今の、当たったよな?」

「…うん。当たった」

「うっし!!もうちょっとで幻術にも慣れそうだなぁ」


 汗をぬぐいながら、静奈はどこか誇らしげに笑った。


 その姿を見て、俺も笑う。旅の途中で生き延びるために、必死で磨いた力。


 その一端が、今またこうして、ちゃんと、誰かと一緒に成長できている。


「次は、もっとえげつないの行くよ」

「上等!」


 今の静奈は、確かに強い。幻術の構造に慣れ、視覚と聴覚の齟齬すら自力で補正してくる。普通の相手なら一発で戦意を削がれるはずの幻影の連携すら、彼女は見抜いて突破した。


 俺は息を整えながら、木剣を握り直す。


「よし、じゃあ今度は視覚と聴覚、両方に干渉する。油断すると本気で迷うよ」

「いつでもこい!」


 静奈は気合いの入った笑みを浮かべ、木剣を構える。俺は静かに魔力を巡らせ、幻術を織り始める。


 風が吹いたように空間が揺れる。すぐに、静奈の背後。いや、そう思わせる位置に、俺の幻影が現れる。そこから斬りかかるような足音を響かせた。


 静奈が振り返り、木剣を振る。だが空振り。


「くそっ!やられた!」


 その隙をついて、別の方向から幻影の俺が現れる。実体はまだ攻めていない。ただ、どこに本物がいるか、わからないように仕組んである。


 静奈は何度も動いて、視線と体勢を変えながらも、少しずつ冷静さを取り戻していく。


「ああもう、音までズレてんのか!目と耳がケンカしてんぞ!」

「なら、身体で覚えるしかないね」


 俺は軽く跳躍し、物陰から実体で攻撃を仕掛ける。静奈が気配に反応して振り向いた。だが、ほんの少しだけ、幻影の位置に引きずられた。


 木剣の先が俺の顔の横をかすめる。


「っち、そっちか!」


 すれ違いざまに俺が足を引っかけると、静奈が一瞬だけ体勢を崩す。その隙に背後を取った。


 木剣の先を、彼女の背中に軽く当てる。


「一本、だね」

「はぁー!くそっ、流石に無理か!」


 静奈は地面にしゃがみ込み、肩で息をしながら笑った。


「でもなかなか動けてたよなぁ!?」

「うん。もうちょっとで幻影の動きにも完全に慣れそうだった」


「次は当てるからな!ぜってぇ当てるからな!」


 静奈は悔しそうに笑い、両手で顔の汗をぬぐった。俺も微笑んで、となりに腰を下ろす。


「はぁー、なんだかんだ、こういうのが一番落ち着くな」

「わかる。戦ってると、あたしは自分の場所を思い出す気がするんだよ」

「戦場が自分の居場所ってか?はは、バトルジャンキーすぎるって…」


 その言葉に、俺は少しだけうなずいた。


 ただ静かに、刀を交え、呼吸を合わせる。

 誰にも命じられず、誰にも干渉されず、ただ戦う意味を確かめるように。


 それはまるで、ほんの束の間の平和の証のように、俺たちの周囲だけを穏やかにしていた。

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