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44.圧倒的力量差

 扉の防衛。


 日本とこの世界を繋ぐ、侵攻の起点にもなり得る場所。その管理をどうするか、話は自然とそこへ向かっていた。


「…エルフェリア」


 そう呼びかけると、魔王、エルフェリア=グレイスは涙を拭った指先を止め、視線を上げた。


「ひとつ提案がある。俺たちの世界とこの世界を繋ぐ扉。あれを、お前たちの国で守ってくれないか?」

「え?」

「レイアウス王国の兵を配備して、その上で魔物も配置して防衛を任せたい。扉を通じての侵攻を防ぐためにも、そこを要塞化してほしいんだ」


 エルフェリアは目を見開いたまま、しばらく黙っていた。やがて、困惑の色を帯びた声で言う。


「…それ、本気で言ってるの?私たちは、あなたたちの世界を襲ったのよ?扉の周囲に魔物を配置するなんて、もし私に裏切る気があったらどうするの?」

「…それでも俺はあなたを信じるだけだ。初代勇者との約束を守っていたあなたを」


 エルフェリアは瞼を伏せる。沈黙のあと、小さく息を吐いた。


「私は人間の国を、脅して無理やり協力関係にさせてるわ。まずはこの関係をどうにかしないと、魔物と人間で扉の管理なんて絶対に無理ね」

「なら謝ろう」

「そんな簡単に言わないで。謝ってもあの王に刻まれた恐怖は取り除けない。また怯えながら謝罪を受け入れたフリをするだけよ」

「それなら大丈夫だ。ラーヴェン」


 そう呼びかけると淡く光る魔術紋からラーヴェンが浮かび上がった。


「この子は魂のに住みつく恐怖を取り除くことが出るんだ」


 ラーヴェンを見たエルフェリアは驚いたように目を見開いていた。


「お前、召喚術師か」

「あぁ。そうだ」

「へぇ〜」


 魔王エルフェリア=グレイスが得意そうに唇を吊り上げ、パチンと指を鳴らした。


 その瞬間、空気が変わる。


 部屋の温度が一気に下がり、張り詰めた気配が全身を刺す。透真も静奈も、思わず息を呑む。


 ズンッ……!


 足元が沈み込んだかと思えば、影のような魔力が床を這い、そこから黒い裂け目が広がる。


 その亀裂から魔物たちが、這い出てきた。


 一体、二体、三体。数える間もなく、十、二十、それどころではない。気づけば部屋の壁沿い、天井の梁の上、あらゆる空間が魔物で満ちていた。


 その全てが、人間とはかけ離れた姿をしていた。異形の腕、無数の目、金属のように硬質な鱗を持ち、口からは紫煙のような魔力を漏らす。どれもが、一体だけでも街ひとつを滅ぼせそうな威圧感を放っていた。


「――っ!」


 静奈が一歩引き、手が自然と剣の柄へ伸びる。


 俺もまた喉がひとりでに鳴った。指先が震える。生き物としての本能がこれ以上近づくなと叫んでいた。


 敵わない。


 それが、瞬時に心に走った正直な感想だった。


(……こんなのと、正面からぶつかっていたら……)


 想像するだけで、背中を冷たい汗が流れた。


 この圧、ただならない。生半可な魔物じゃない。戦う前に心を折る、そんな存在。


 静奈も、冷や汗を滲ませながら小さく呟いた。


「本当に、敵に回さなくてよかった……」


 やがてエルフェリアが、もう一度パチンと指を鳴らす。


 すると、あれほどの魔物たちが、何事もなかったかのように霧のように消えていった。


 重くのしかかっていた魔力の圧も、嘘のように消え去る。


 その場に残されたのは、召喚を終えた魔王と、驚愕に目を見開いたままの俺たちだけだった。


「あぁすまない。びびらせるつもりはなかったんだ。召喚術師はなかなか見ないからね、少し自慢をしたかったんだ」

「はぁぁ、焦ったぁ…。自慢の域を超えてるって、今のは」


 静奈が苦笑混じりに言うと、肩をすくめて笑う。


「ふふ、ごめんなさい。でも大丈夫よ。私魔王なんて呼ばれてるけど、本当は穏健派なんだから」


 穏健派の言葉に、俺の眉が動いた。今の一瞬で街を滅ぼせそうな魔物たちを束ねる存在が、穏健、だと?


「あれで、穏健…?」


 小声で呟くと、エルフェリアはケラケラと笑った。


「まぁ、話を戻そうか。さっきの子…ラーヴェン、だったかしら。魂に干渉できるなんて普通じゃないわね。彼女の力が本物なら…そうね、あの王の心に刻まれた恐怖も、ほんの少し和らぐかもしれない」

「ラーヴェンが助けになるなら、王にちゃんと向き合って話すべきだ」


 俺の言葉に、エルフェリアは少しだけ目を細める。今までのような茶化すような態度ではない、どこか遠くを見るような表情だった。


「信じてもらえるかしらね…」

「わからない。でも信じでもらうしかない」


 しばらくの沈黙のあと、エルフェリアは椅子の背にもたれ、片肘をついたまま深いため息をついた。


「わかった。私がレイアウス王国に出向いて、正式に謝罪する。もちろん、あの王が私を迎え入れてくれるかどうかは別として、ね?」

「それなら大丈夫だと思う。あの王は俺のことが大嫌いだから」


 エルフェリアがふっと吹き出した。


「なるほど、それは最高の後押しになりそうね。ふふ、楽しみになってきたわ」


 軽やかに立ち上がると、エルフェリアは片手を振った。すると部屋の奥、壁の一部がひとりでに動き、隠し扉のように開かれる。


「行く前に、友好の証として一つ贈り物よ。あんた、召喚術師でしょ? この書庫から一冊だけ持っていきなさい。魔王の蔵書なんて、そう簡単に触れられるもんじゃないわよ」


 奥の部屋は、天井まで積み上げられた本棚で埋め尽くされていた。空気が違う。重たいというより、知識そのものが濃密に沈殿しているような、そんな圧を感じる空間だった。


「どれでも一冊……?」

「うん。ただし、内容を読まずに選ぶこと。それが条件」


 読まずに、か。


 だが、足を踏み入れた瞬間、俺の足が自然とある棚の前で止まった。理由はわからない。けれど、そこにある本だけが妙に輪郭を持っていた。


 革の装丁に、見たことのない魔術文字が刻まれた分厚い本。開くこともなく、俺はそれを手に取った。


「それにするの?」

「あぁ、なんとなく……呼ばれた気がした」


 エルフェリアは目を細める。


「面白いものを選んだわね。それ、刻織(こくしょく)の書よ」

「刻織の書?」

「この書はね、“記録された時”を織り直す術が綴られているの。魔術というより……概念の糸を扱う技術、と言ったほうが近いかもしれない」

「記録された時…」

「そう。例えば戦場に刻まれた怒りや悲しみ、あるいは誰かが遺した最後の想い…そういう痕跡に触れて、過去を知り、未来に繋げるための書よ」

「幻術でも攻撃用魔術でもないんだね。なんか…地味?」

「でも、きっと必要になる。本当に、大事なときに。じゃあ、出発の準備ね。案内するわ」


 エルフェリアが扉を開くと、そこはもうレイアウス王国、南の門へと繋がる空間だった。


「この転移門を通れば、王都の外れに出られるわ。…ふふ、緊張する?」

「当たり前だろ。魔王連れて、王国に謝罪しに行くんだ。緊張しないわけがない」

「大丈夫だ、あたしらがついてる」


 静奈が軽く拳を当ててくる。ラーヴェンも、静かに浮遊しながら俺の背を押すように漂っていた。


「さあ、行こう」


 魔物と人間、二つの種族の未来のために。そして、あの王に、真正面から向き合うために。




 転移門を抜けた先は、昼の光が眩しい王都・レイアウスの南門だった。


 門は威圧的なほど高く、厚い鉄で閉ざされていた。その前に立った途端、俺たち四人、俺、静奈、エルフェリア、ラーヴェンは、衛兵たちに囲まれた。


「止まれ!名を名乗れ!」


 武器を構えた兵の表情は険しく、俺に気づいた瞬間、目を剥いた。


「き、貴様生きていたのか!なぜ魔族と共に!?何でもいい!王命により拘束する!」


 兵たちが一斉に動く。言い訳をする間もなく、俺たちは捕縛され、後手に鎖を巻かれたまま、王城へと連行されることになった。



 王城の謁見の間。玉座に座るレイアウス王は、俺たちが引き出された瞬間、目を見開き。


「貴様っ天ヶ瀬透真ああああ!!よくのこのこと私の前に現れたなぁ!!殺せええええええええ!!」


 耳をつんざく怒号が響いた。


 即座に剣が抜かれ、衛兵たちが斬りかかろうとしたその瞬間、エルフェリアが一歩、俺の前に立つ。


「落ち着いて。私は、魔王エルフェリア=グレイス。この者たちを連れて来たのは私。あなたに、話があって来たのです」


 だが王は、鋭く睨み返し、声を荒らげる。


「貴様が魔王だと?嘘をつくな!我が国と交渉していたのは、黒い翼を持つ魔族だと聞いている!」

「なら証明するわ」


 エルフェリアが鎖を無理やり解き、静かに指を鳴らした瞬間、空間に魔力の渦が生まれた。


 そして、その中心から、漆黒の翼を持つ異形の召喚獣が姿を現す。


 威圧的な魔力に、玉座付近の騎士たちですら思わず剣を引き、僅かに後退る。そんな中、彼はただ静かに頭を垂れ、魔王に跪く。


「この者が、レイアウス王国と交渉していた召喚獣。私は、その主。これで、信じていただける?」


 王は一瞬言葉を失い、苦しげに唇を噛んだ。怒りと疑念、それでも、目の前に広がる現実を否定することはできない。


「くそっ!…ふぅぅぅ…。話は、聞いてやるっ…。だがまだ貴様を信じたわけではない。それを忘れるな」

「ええ、充分です」


 そう言ってエルフェリアは静かに頭を下げる。


 その瞬間、重苦しい謁見の間に、少しだけ空気の緩みが生まれた。


 話し合いの、始まりだった。


 扉の防衛、種族の共存、そして恐怖に囚われた王の心を救う手段として、俺はラーヴェンの力を示すつもりだった。


 けれど、その前に。この国と、魔王の信頼を繋ぐ橋を、俺たちの言葉と行動で築かなくてはならない。


 まだ、始まったばかりだ。

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