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41.霧の結界と賢者の森

 俺の掌から滑り出した魔術紋は、地を這いながら拡張し、燈華の狐火がそれを縁取るように重ねていく。


 地を這うようにして、淡く白い光の結界が広がる。


 空気中の魔素が再編され、まるで空間ごと削られていくように、景色が書き換わっていく。草の揺れが止まり、風のざわめきが一瞬だけ凍る。


 そこにノワの共鳴が加わりその威力を増していく。


 辺りに満ちていた霧が、ぶわりと濃度を増した。


 まるで「侵食する意思」でもあるかのように、こちらの領域を削りにかかってくる。


 しかし、帳が破られる気配はない。


 逆に、白く淡い無垢の領域が霧を食むように広がっていく。霧状の幻想の粒子が、透明な膜に触れた瞬間、本来あるべき状態へと還元され、空気中から消えていく。


「押してる…!」


 霧は揺らぎ、もがきながら再侵入を試みるが、そのたびノワの共鳴で強化された帳が押し返す。


 俺の魔力が閃光のように炸裂したその瞬間、濃霧のすべてが裂けるように霧散した。


 空間を満たしていた見えない檻の様な霧がが消滅し、木々の奥に隠れていた本来の風景が、真昼の光の中に姿を現した。


 残ったのは、静けさと、微かな草の香り。


 かなりの魔力が持っていかれ、どっと疲れが押し寄せる。


「やりましたね主殿!ノワもよく頑張りましたね」

「ヤッタ!最高ダ!」


 ノワの甲高い電子音が弾けた瞬間、彼の黒曜石の身体がふわりと舞い上がり、くるくると回転しながら空中を踊る。その身体の周囲には、淡く赤みがかった光のリングがいくつも生成され、まるで喜びのダンスを舞っているかのようだった。


「こいつこんな元気なやつだったのか」


 俺たちは森の中に再び足を踏み入れた。


 景色は明らかに違っていた。先ほどまでの曖昧で靄がかった道とは異なり、地面にはしっかりと踏み慣らされた細い獣道が続いている。木々の間には風が流れ込み、さっきまで感じなかった鳥のさえずりや虫の声が微かに響いていた。


「おい透真、あれ見ろよ」


 静奈が指差した先、樹々の隙間から何かの輪郭が見える。陽の光を受けて、ほのかに木の香りが漂ってくる。


 さらに歩を進めると、木々が開け、そこに現れたのは一軒の木造の家だった。


 周囲を背の高い木々に囲まれたその家は、まるで森の中に溶け込むように静かに佇んでいた。屋根には蔦が這い、軒先には干された薬草の束がいくつも吊るされている。窓は閉ざされ、煙突からは薄く煙が上がっていた。


「ここに、ヴァルナが?」

「あそこまで厳重に幻術を張っていたのですから、誰かがいるのは間違いありませんね」


 俺は息を飲んで、一歩、また一歩と近づいた。扉の前に立つと、木材の古びた匂いが鼻をかすめる。


 重たい静寂が、辺りを包んだ。


 まるで、家そのものが俺たちの訪問を見定めているかのようだった。


 ノックの音が、森に小さく響く。


 一拍の間を置いて、木の扉が音もなく軋んだ。中から現れたのは、深緑のローブを羽織った男。長く伸びた銀髪は緩く束ねられ、老け込んだ顔には無精ひげが浮かんでいる。目元は眠たげでありながら、隠しきれぬ鋭さを帯びていた。


「俺の幻術を破るやつが現れるなんてな」


 男は軽く目を細めながら、玄関に立つ俺たちを見やった。


「あなたがヴァルナさんですか?」


 俺が言うと、彼は少し肩をすくめた。


「ここまでまだ辿り着いたと言うことは、あらかた俺の正体は分かっているんだろ。お前たちは何者だ。何をしにきた?どこでこの場所を知った?」


 その声音に、刺すような圧力はなかった。だが、魔力が空気を震わせている。気を抜けば即座に幻へと取り込まれそうな、不穏な静けさ。


 俺は視線を逸らさず、静かに口を開く。


「…魔王の元に辿り着きたいんです。そのために情報を探していたら、図書館の古い記録の中に、あなたの名前を見つけたました。『勇者と共に魔王を倒した、賢者ヴァルナ』」


 その名を聞いた瞬間、ヴァルナの表情がほんの僅かに揺れた。


 だが、それはすぐに無表情の仮面に戻る。


「…魔王、ね」


 彼はくつくつと喉の奥で笑いながら、扉の横に背を預けた。


「今さら魔王がどうなろうが、俺の知ったことじゃない。勇者?そんな昔の話を今さら持ち出して何になる」

「あなたたちが一度倒したはずの魔王が、今、俺たちの世界に害を成す可能性があります。どうか力を貸してもらえませんか?」


 俺の言葉に、ヴァルナは目を細める。


「俺はもう関わりたくないんだ。知識も力も、あの時、俺はもう全部手放したんだよ」

「じゃあせめて魔王城の行き方だけでも!」

「だめなものはだめだ!早く出ていけ!」


 そういうとヴァルナは問答無用で扉を閉める。


 バタンと音を立てて閉じられた扉が、俺たちの前に突きつけられた現実を明確にした。


「どうする透真ぁ。追い出されちまったぞ」


 静奈の声には、少しの呆れと、そして同じだけの焦りが混じっていた。


 俺はしばらく無言で扉を見つめていたが、やがて一つ息を吐いて、静かに言った。


「もう一度来よう。あの人は、何かを隠してる気がするんだ…」

「そうなのか?あたしにはわかんなかったけど」


 静奈はそう言って、俺の隣で肩をすくめる。


 その翌日。


 再びヴァルナの家を目指して森を訪れた俺たちは、違和感にぶつかった。


「こんな道、昨日あったか?」


 昨日と同じ道筋を辿っているはずなのに、まるで森が形を変えていた。木々の並びも、空気の流れも、すべてが僅かに捻じれている。何度歩いても、見慣れたはずの小道には辿り着けず、気づけば元の入り口に戻されていた。


「また幻術だ」


 俺はすぐに察した。ヴァルナが結界を張り直したのだ。俺たちがもう二度と家を見つけられないように。


「何度掛けても突破するだけだ。燈華!ノワ!」


 俺は再び掌を翳し、燈華の狐火がそれをなぞり、ノワの共鳴が術式を支える。


 霧が揺れ、空間がねじれる。昨日と同じように、白い帳が幻術を押し返していく。


「戻ったな。やっぱりヴァルナの仕業だ」


 だが、再び家の扉を叩くと、返ってきたのは沈黙だけだった。


「留守なのかな?」

「居留守でもしてんじゃねぇの?」


 それでも、俺たちはあきらめなかった。


 次の日も、その次の日も。俺たちは何度でも森に足を運び、幻術を破り、扉を叩いた。


 ある時は霧が濃く、道すら見えない中を進んだ。ある時は、同じ場所をぐるぐると何度も回らされ、ノワが錯乱しかけたこともある。幻の獣が森の奥から現れて、俺たちを追い返そうとしたこともあった。


 結界を押し返すたびに、俺の術は少しずつ成長していった。


 召喚と幻術だけを研ぎ澄ませて、この森に食らいつく。


 そして、十四度目の訪問の朝。


 まるで、初めて訪れたあの日のように、霧が晴れ、家の輪郭が静かに姿を現した。


 けれど扉を叩こうとしたその瞬間。


「しつこぉぉぉぉぉぉぉ!!!?」


 扉が軋みを上げて開いた。


 そこに立っていたのは、眠たげな目を見開いた男、ヴァルナだった。


「しつこ過ぎるよ!?もう何回目!!?」

「十四回目です」


 ヴァルナはため息混じりに肩を落とし、少しだけ口元を歪める。


「まったく、こっちは余生をどう過ごすかのんびり考えてたってのに…」


 その言葉に、俺は口の端を上げて答えた。


「魔王の情報教えてくれたら、ゆっくりしてくれて良いですよ」

「ほとんど脅迫じゃないか」


 ヴァルナはぼそりと毒づいたあと、再び俺たちに向き直った。


「一つ条件を出そう。もしお前たちが、それを乗り越えられたら…話くらいはしてやる」


 ヴァルナはゆっくりと俺たちに視線を戻すと、ため息交じりにぼやいた。


「お前は…勇者の血筋か?」

「いえ、ただの一般人です。」

「…まったく、面倒なことになったな」


 ヴァルナは踵を返し、家の中に背を向ける。


「入れ」


 その背中に、一縷の光が差すのを見た気がした。


 俺たちは、静かにその家の中へと足を踏み入れた。

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